君と僕のさよならⅢ
蒼羽は絲を連れて、病院にいる千草の元を訪れていた。
「おにーちゃん!」
「おー、絲ちゃん」
千草はすっかり調子が戻ったようで、ベッドから嬉しそうに手を振っている。
「元気そうじゃん、明日退院なのかよ」
「おう、今回はちょっとばかし時間かかったけどもう全快だ。後は鈍った体を叩き直すだけだな」
千草が握り拳を上げて見せると、蒼羽は呆れた笑いを漏らした。
時間がかかったと言っても普通の人間より遥かに早い回復力、というよりあの深い傷から回復するなんて超人じみたことができるなんてこの兄以外いないだろう。
それでもここまで来るのに相当な体力を削られたのか、千草は前に比べて少し痩せたようだった。
明るい千草の笑顔を見て、蒼羽は眉間にしわを寄せたぎこちない笑顔しか返せない。
理由は分かっている。午前中に琥珀から聞いたことがずっと胸にもやをかけているのだ。
「あ、のさ」
「ん? なんだ蒼羽」
千草は相変わらず暑苦しいほどの笑顔と声量で答える。
「真紅の一族……真紅の女王、って知ってるか?」
何故か絲が肩を震わせ反応したが、千草は一瞬驚いたように見えただけで特に大きな反応は見せなかった。
兄が関わっているなんて信じたくない。関わっていないことを願いながら蒼羽は千草を見つめた。
「……いや? 知らないな」
「……そっか」
笑顔で答える千草を見て、蒼羽も笑顔で答えた。
「どこで聞いた言葉なんだ?」
千草は笑ったまま蒼羽に尋ねる。
「いや、前に吸血鬼が言ってたことをなんか思い出して気になってさ。なんなんだろーな」
頭の後ろで手を組んで軽く言う蒼羽を見て、安心したように千草は微笑んだ。
「それにしても、兄貴がいなくて静かだった寮が明日からまたうるさくなるな」
千草がいない寮は良くも悪くも静かだった。落ち着いていると言えば聞こえはいいのだが、どこか寂しい雰囲気が寮内に漂っていた。
広場での惨劇――あんな出来事があったのだから暗い空気になるのは当たり前だ。けれど、きっと千草がいるだけであの湿っぽい空気は消える、蒼羽はずっとそう感じていた。
彼が帰ってきたらまた以前のような賑やかな場所になるのだろう。
「とか言ってー、にーちゃんが帰ってくるの嬉しいんだろー」
溺愛っぷりを隠さずデレデレな顔の千草に、蒼羽は怪訝な顔を向けた。
「うざ」
「あ、あお、おにーちゃんに優しくしなきゃダメだよ」
「絲ちゃん! さすが俺の妹!」
喜びのあまり隣にいた絲を抱きしめる兄を見て、弟は更に顔をしかめた。
「絲に触んなあほ兄貴」
絲を千草から引き離すいつもの流れに少し嬉しくなりながらも、蒼羽は胸に刺さる鈍い痛みを感じていた。
「兄貴は黒だな……」
病院から寮への帰り道、夕日で橙色に染まる地面を見つめながら蒼羽は小さく零した。
「黒? お兄ちゃん、別にどこも黒くなかったよ?」
絲は袴を揺らし、蒼羽の横を歩きながら視界の端で不思議そうに首を傾げる。
「そーいうんじゃねーんだよ」
蒼羽はそっけなく返事をし、沈みかけている大きな夕日を見つめる。
「残念、だよ……兄貴……」
ぽつりと呟かれた独り言が風に乗って消えていく。
「あお、何か言った?」
「……いや、なんでも」
蒼羽は眉間にしわを寄せたまま笑顔で絲にそう告げた。
絲は「そう」と小さく答え、目を逸らしてそれ以上何も聞かなかった。
蒼羽も視線を前に戻して夕陽の眩しさに目を細める。
信じていた。信じていたかった。
パンを買いに行った日、喧嘩をした日、刀をもらった日――兄との思い出が一気に頭を駆け巡る。
千草は昔は嘘が下手くそだった。それで親代わりのおっちゃんによくからかわれていた。
今でこそ作り笑いが上手くなったが、自分でも気づいていない癖が未だに残っている。
「くそ……」
蒼羽は聞き取れないほど小さな声で悔しさを吐き出した。
千草は嘘をつくとき、左手を握りしめる。本人も気づいていないその癖は今も変わらない。
真紅の女王の話題を出した時の千草は、あの時の彼は。
――知らないな。
確かに左手が強く握り締められていた。
「嘘つき……」
何も喋らず地面を眺めたまま足を進める蒼羽の横を、絲も黙って歩いた。
寮に帰った蒼羽達を出迎えたのは予想外の人物だった。
「蒼羽一等兵」
「中将⁉」
目の前に現れた眼鏡をかけた細身の男性を見て、蒼羽は至極慌てた。
その男性、中将は吸血鬼専門部隊で上から二番目の地位の人だ。会わないどころか姿を見ることすら滅多にない。
そんな人が蒼羽のような一介の平兵士に何の用だろうか。
蒼羽の反応が気に入らなかったのか、彼は細いフレームの眼鏡の向こうから鋭い視線を蒼羽に向けた。
「拾九(十九)時に総司令室まで来たまえ」
中将はそれだけ言い放った後、すぐに踵を返し廊下の奥へと消えていく。
「……あお、あの人、なんかこわい……」
絲は蒼羽の服を掴み、中将がいた方を睨んでいた。
「お前、下手なこと言わねー方がいいぞ。上に目ぇつけられると面倒だ」
蒼羽は小声で絲に忠告をする。
「それにしてもなんで中将が俺なんか」
今まで分隊長から呼び出しはあったが、中将クラスの人間からの呼び出しはさすがになかった。
心当たりがありすぎて何に対しての呼び出しなのか全く分からない。
総司令室、大将からの呼び出しは緊張する上に逃げたい気持ちしかないが、琥珀からの伝言がある今はちょうどいいのかもしれない。
「でもまぁ、まずは茶でも飲もーぜ」
あれこれ考えていても仕方ない。逃げられるわけでもないし、温かいお茶でも飲んで落ち着こう。考えるのはそれからでも遅くない。
蒼羽は心配そうな表情の絲の手を優しく引いて自室へ向かった。




