今宵、王と惨劇のワルツをⅧ
「琥珀」
「何ですかー? 碧王」
琥珀は机に寄りかかりながら手に持つ書類に目を落としたまま返事をする。
そんな琥珀に困ったように碧王――白銀は言葉を返した。
「今は二人なんだからその喋り方はやめてよ」
「別にいいじゃないか。王様なんだから堂々としてればいいんだよ」
全く気にしていない琥珀を見て、白銀はため息をついた。
白銀は蒼羽達といた時のぼろマントではなく、西洋の貴族のような服装に身を包んでおり、髪は元通り毛先まで真っ白だ。
「僕は、王なんかじゃない……僕は……ただの白銀だ」
白銀のその言葉を聞き、琥珀は書類から視線を外して霧で覆われている窓の外を見つめた。
「その名は捨てたほうがいい。辛いだけだからね」
白銀は何かを確かめるように胸に手を当てる。
「……辛くても、僕はこの名は捨てない。大事なんだ」
琥珀は大きなため息をつき、目を伏せた。
「……君には申し訳ないことをした……」
「ううん、おかげで新しい目的ができたから。だからこそ、僕がやらなきゃならない。彼らのためにも」
「……そうだね」
琥珀は呟くようにそう言った後、こちらに視線を向ける。
「さて、いつまで覗いているのかな? 悪い子だ」
彼の手が伸びてきたところで蒼羽は目を覚ました。
「……何の夢だったっけ……まぁいいか」
内容はさっぱり思い出せないが、体が疲れている感じがするから何かしら体力を使う夢だったのだろう。
蒼羽は欠伸をしながらベッドから出て軍服に着替え始めた。
退院から二日、今のところ吸血鬼の出現なく穏やかに日々が流れている。
三番隊、四番隊の兵はほぼ失ってしまったため、他の隊で補い巡回しているが、蒼羽は入院していたこともあり、一週間ほど巡回免除となっていた。
お茶を入れていると、布団がもぞもぞと動いた。絲が起きたらしい。
「あお、お仕事じゃないのに今日も早起きしたの?」
寝ぼける絲に視線を移すことなく、蒼羽はお茶を飲むと箪笥に向かった。
「色々やることがあんだよ。ほら、絲は早くこれ着ろ」
箪笥から適当に彼女の服を見繕い、絲に投げる。
絲は慌ててそれを受け取り、着替え始めた。
「今日は絲も一緒?」
着替えながらの問いに、蒼羽は首を横に振る。
「いや、今日も俺一人で行く」
「……そう。じゃぁ、絲は部屋で本読んで待ってるね」
喋れるようになったからか、退院後の彼女は前より大人しくなったように感じる。
蒼羽はそれが有り難くもあり、少し寂しくも感じていた。
自分でもよく分からない妙な気持ちを振り払うように部屋のドアノブに手をかける。
ドアを開けると部屋の前には三人ほど若い兵がいた。いずれももちろん仕事中ではない。
蒼羽はすぐに真顔で扉を閉めた。
「お、おい蒼羽! なんで閉めんだよ!」
「そうだぞ独り占めなんかずりぃぞ!」
口々に理不尽な文句を言う彼らに、蒼羽はドアについた様々な鍵を順番に閉めながら言い返す。
「うっせー! お前ら何回目だ! 絲は見せもんじゃねー帰れ!」
「とうとう本性を現したなエロガキ!」
「なんでそーなんだよ!」
最後の鍵を閉め、蒼羽は鼻を鳴らす。
「あお?」
後ろから絲の声がかかり、はっと我に返った。
「あ、あぁ、なんでもない。俺がいない時、何言われても鍵は絶対開けるなよ?」
「? わかった」
絲は不思議そうにしながらも頷いた。
蒼羽が入院してる間、ずっと付き添っていた絲は必然的に軍の連中と関わることとなった。
まともに文章を喋るようになったからか、いつもそばにいた蒼羽が眠っていたからか、退院する頃には蒼羽のいとこである存在の絲の人気が急上昇していた。
絲をちらりと横目で見ると、すでに着替え終わった彼女は椅子に座り本を読んでいる。
それなりに可愛らしい顔立ち、男所帯の軍の中では一輪の花といったところで、他の兵達の最近の話題はもっぱら彼女のことだ。
「くっそ、なんか知らねーけどイライラしてきた」
蒼羽は謎の胸やけに腹を立てながら刀をさして裏口に向かい、絲に声をかけた。
「俺が出たらこっちも鍵閉めといてくれ」
「わかったー」
裏口に鍵がかかった音を聞いて蒼羽はようやく目的地に向けて歩き出した。
花屋で橙色、白の花の小さな花束をいくつか購入した後、街を後にし、軍本部の方へ向かう。
行先は決まっている。
「お、蒼羽」
後ろから声がかかり、振り向くとそこには巡回が終わったばかりであろう彼がいた。
「辰森、今帰りか?」
「そうそう、小暮さんの下だとてっぺん周辺が多くて長いわ」
辰森は小暮率いる五番隊所属だ。千草不在の今、日が暮れてからの巡回を五番隊が担当することが多い。
昨日は日暮れから六時間、今日はどうやらその一つ後、日付を回ってからの六時間巡回だったようだ。
「蒼羽は……もしかしてあそこか?」
蒼羽の服装、手に抱えられたものを見て何かを察した様子の辰森は途中で言葉を止め、そう問いかけた。
「……あぁ」
蒼羽はそれだけ短く答えた。
特に会話なく、道を進んでいく。
「蒼羽、俺も行ってい?」
「お前疲れてんだろ」
「まぁ、そう、だけどさ」
辰森は上手く言葉にできないのか頬を掻いて宙を見た。
そんな彼の様子を横目で見て、蒼羽は地面に視線を落とした。
「まぁ、いんじゃね」
「じゃ、そーするわ」
寮、軍本部を通り過ぎて少し歩くと覆い茂る木々の中にひらけた空間が見えた。
そこには四角い石がいくつも立てられている。
「いつ来ても殺風景だよな、ここ」
辰森が呟いた言葉に蒼羽は辺りを見回した。
ここは軍の共同墓地だ。中には身寄りのない一般人もいるが、主に軍に所属し亡くなった者、吸血鬼に襲われて亡くなった人が眠っている。
遺族の希望で別の墓に埋葬されることもあるが、見るに堪えられない姿の人、身元が分からない状態の人もいるため、そういった場合は軍で埋葬して弔うことになっていた。
経費削減のためか和國に多く見られる墓石ではなく外国式の墓になっており、その簡易的な姿が確かに殺風景に見えないこともない。
「ん」
蒼羽は花束を半分辰森に渡した。
辰森は何も言わず受け取り、少し歩いて名前を確認した後、端から順に供えていく。
その姿を見て、蒼羽も反対から同じように供えていく。
真ん中で合流し、最後の花束を蒼羽が置いて二人で手を合わせた。
花束の上の石には古賀の名前が書かれていた。
「……なんか、あっけねぇな」
辰森が墓石を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……ほんとだよ」
蒼羽も名前を見つめたまま、ぽつりと返す。
今でも寮に帰るとあの笑顔に会える気がする。
冬に近づく秋の風が吹き抜け、花束が音を鳴らして小さく揺れた。
「あなた達!」
背後から急に声が掛かり、蒼羽は肩を揺らす。
慌てて振り向くと、蒼羽は中年の女性に掴みかかられてしまった。
女性の持っていた花束が地面に落ちる。
「え、っと……」
困ってそれしか言えない蒼羽に、女性は食い下がる。
「軍の人ね! なんであんなことになったのよ! あの子を返して!」
「あの子?」
古賀さんに両親はいない。となると、あの事件で犠牲になった他の兵の母親だろう。
軍の兵は家族がいない者、いても疎遠だったりする者が多く、その分、軍内部の結びつきが強い。
ただ、中には家族と仲が良い兵もおり、何度か帰省する姿も見ていた。
亡くなった兵もおそらくそのうちの一人だ。そういう兵は少なかっただけにどの兵かすぐに分かってしまった。
今はもういない仲間の顔が思い浮かび蒼羽は眉間にしわを寄せ頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
「申し訳ありませんでした!」
横にいる辰森も同じように頭を下げる。
誠心誠意謝ることしか今の蒼羽にはできない。
「謝れば済むと思っているの⁉︎ 謝ったってあの子は、帰ってこない……帰ってこないのよお」
泣き崩れる女性が視界に入り、蒼羽は唇を噛んだ。
「本当に……申し訳ありません」
他に言葉が見つからない。
女性の叫びに似た泣き声が墓地にこだまする。
「……きっと、兄には悔いはありませんでした」
泣き崩れる女性の向こうで凛とした声が響く。
泣いていた女性も蒼羽達も声の主の方へ視線を向けた。
「不躾にすみません」
暗い茶色の長い髪を一つの三つ編みにしたその女性は、花束を抱えたまま軽く頭を下げて泣き崩れている女性に謝罪した。
笑顔なわけではないのに不思議とどこか親しみを感じる。
「私の兄はあなたの息子さんと同じように、あの広場の惨劇で命を落としました」
彼女は地面に座り込む中年の女性の横にしゃがんだ。
「確かに兄に会うことはもう叶いません。けれど」
三つ編みの女性は蒼羽達を見た後、墓石を眺めて呟くように続けた。
「けれど、兄は後悔していないような気がするんです」
視線を自分の花束に移し、鮮やかな花の中から一通の古そうな手紙を取り出す。
「兄から手紙が来ることは少なかったですが、手紙にはいつも軍や寮での楽しい出来事、街の人を守っていること、大切な仲間のことが綴られていました」
彼女は、兄は筆不精なのでとても短い文でしたが、と付け加えた。
「その大切な街や仲間を自分の命をかけて最後まで守ったことはきっと兄の誇りです。少なくとも私はそう思ってます」
眉を下げて笑みを作る彼女は今にも泣きそうなのを必死に堪えているようだった。
「私は打ちひしがれたりしない、忘れたりしない。兄の誇りを、私は守ります」
中年の女性はそれを聞いてまた小さく泣き出したが、さっきまでの攻撃性はもう感じられなかった。
三つ編みの女性は立ち上がり、蒼羽達に向き直る。
「お願いします、もう、街の人々や私達のように悲しむ人が生まれないように……同じことが二度と起こらないようにしてください」
お願いしますと繰り返し頭を下げる彼女に、二人は一瞬言葉に詰まった。
顔を見合わせた後、蒼羽が口を開く。
「頭を上げてください」
女性は無言で頭を上げた。伏せられた目から静かに涙がこぼれ落ちる。
「……俺達は無力です」
「蒼羽⁉︎」
何を言い出すかと辰森が止めようとするが、蒼羽は彼の前に手を出し続ける。
「あの時、俺はあの場所にいました」
二人の女性がその言葉に小さく反応した。
「皆、必死に戦いました。三番隊、四番隊、その場に居合わせた他の隊、普段吸血鬼と対峙しない警備隊までも。犠牲者はたくさん出てしまいました、それは俺達の不甲斐なさが原因でしかない。無力なせいで命が失われるのは許されることではない……ただ、戦い抜いた彼らのおかげで逃げることが、生き延びることができた人も何人もいた」
何人もの人が犠牲となった。
けれど、助けられた人も何人もいた。
蒼羽が飴玉をくれた少年を助けたように、みんなが戦ったおかげで今生きることができている人は必ずいる。
「俺達はお二人を、いや、あの場にいたみんなのことを、あの場での出来事を決して忘れません」
忘れられるわけがない。
今まで一緒に笑い合ってきた。家族のように過ごしてきた。そして、人々を守るため必死に戦った彼らを。
「二度とあんなことが起こらないよう、俺達は彼らと共に前に進みます。必ず……約束します!」
まだ明確な方法は分からない。ただ、もう同じことの繰り返しじゃだめだ。
中年の女性は蒼羽の言葉を聞いた後、静かに立ち上がり、深く頭を下げてから街に向かって歩いていった。その背中はとても小さく寂しく感じられた。
残された花束を拾い上げる蒼羽に、三つ編みの女性が問いかける。
「前に進むには、どうしたらいいんでしょうね……」
その問いかけは自分に向かって投げかけられたようにも聞こえた。
「……まだ分かりません」
蒼羽の正直すぎる返答が予想外だったようで、彼女は目を丸くした。
「お、おいっ、他に言いようがあるだろ」
小声で辰森につっこまれたが、訂正する気はない。
「正直、俺もまだ立ち直れてませんし、具体的な方法はまだ分かりません。けど、みんなと前に進むって決めた。だから必ずその方法を見つけて、必ず進んでみせます」
迷いなくそう言い切り、蒼羽は仲間達が眠る先に視線を落とす。
「そん時は、またここに報告しにくるから、みんな見ててくれよな」
そんな蒼羽に女性は堰を切ったように笑い出した。
この場に不釣り合いな笑い声に、蒼羽も辰森も驚きで目を見開いたまま固まるしかない。
「あなた、やっぱり馬鹿なんですね」
「ばっ⁉︎」
目に涙をためて笑い続ける女性に、蒼羽は反論できず声を止めた。
初対面で馬鹿はないだろう、と言葉にするわけにいかず無言で文句の念を送る。
彼女はひとしきり笑った後、呼吸を整えて軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。蒼羽さんは真っ直ぐですぐ突っ走る馬鹿だけど大事な弟だって兄がいつも手紙に書いてたんです。実の妹より大事にされて本当はちょっと妬いてたんですけど、兄の言うことが分かった気がします」
彼女の笑顔は見知った人によく似ていた。
彼女は墓に花束を供えて手を合わせた。
「今日会えてよかったです。兄と一緒にいてくれてありがとうございました。では」
彼女は蒼羽達に軽く会釈した後、墓地を去っていった。
彼女――古賀の妹の姿が見えなくなるまで蒼羽は頭を下げていた。
「……古賀さんの妹さんだったんだな、通りでどこか見覚えあるわけだ」
彼女の姿が見えなくなると辰森が独り言のように呟いた。
蒼羽は拾っていた花束を古賀の隣の墓に供えて手を合わせた後、立ち上がる。
「あと、蒼羽の馬鹿っぷりは軍内部だけじゃなく、街、そして親族にまで周知の事実、と」
「おい辰森、お前に馬鹿言われる筋合いはねーぞ?」
辰森は短く笑った後、蒼羽の顔を覗き込んだ。
「……で、進むってこれからどうする気?」
「とりあえず鍛錬は今まで通り、あとは今までの情報の精査と、新しい情報収集、かな」
蒼羽の考えを聞き、辰森は顎に手をやる。
「情報収集ねえ……じゃあやっぱあそこか」
「え、なに、お前まだついてくんの?」
まさかまだついてくるとは思わず若干引きながら蒼羽は言葉を返した。
「なんだよその反応、失礼な。乗りかかった船だし」
次の目的地に向けて歩き出した辰森の後を蒼羽は慌てて追いかけた。
「それに、俺もお前と一緒に前に進みたいんだ」
「!……恥ずかしいやつ」
「なに、照れてんの? かーわいいー」
「斬ってやろうか」
蒼羽達の背中を押すように、優しく追い風が駆け抜けていった。




