今宵、王と惨劇のワルツをⅢ
予想外の答えに次の言葉がなかなか出ない蒼羽を見て、彼は両手を振りながら慌てて付け足した。
「本当に見て回るだけだよ。僕は吸血しないし人を襲ったりもしない、絶対に。あ、ほら、その証拠に!」
少年はフードを少し持ち上げ、左目を覗かせた。少し青みがかった灰色の瞳がこちらを見つめる。
「攻撃性のある吸血鬼は瞳が赤いけど、僕は赤くないでしょ?」
「瞳が赤じゃない……」
「そうそう!」
瞳の色が紅ではない、それが意味すること、つまり。
「お前、上級吸血鬼か……」
「え?」
少年は蒼羽の言葉に驚き言葉を詰まらせた。
「えっと……上級……うーん……上級、なのかなぁ……」
腕を組み悩んでいる様子の彼の言葉は歯切れが悪い。
「お前、今夜何があるか知ってんのか」
「え、なんで?」
「話すなら考えてやる」
少年の反応から何かしら知っていることがうかがえる。
「それは……ちょっと、できなくて……」
蒼羽は少年の答えを待ったが、話すことができないのか少年は口ごもるだけだ。
「……何が起こるか分かんねーなら一緒にいる方がいいのか?」
蒼羽は自問自答するように小さく呟いた。
「だ、ダメかな?」
少年は控えめな声で首を傾げる。
「いや、ダメとかそういう問題じゃなくて」
「じゃぁ、いいんだね⁉」
一気に明るくなった声色と共に急に手を握られ、蒼羽は驚いて抜きかけた刀をなんとか収める。
「人の話聞けよ! てか手冷たっ」
彼の白い手はとても冷たく、本当に吸血鬼なのだと感じた。
相変わらず彼から敵意は感じない。
蒼羽は少し考えた後、ため息をついた。
「大体お前はどこの誰なんだよ」
その質問に少年は握っていた手を下ろし、首を傾け悩み始めた。
フードから見える口元が困ったように笑う。
「僕の名前……なんだろう……ない、のかも?」
「なんだそれ。なんで自分の名前が分かんねーんだよ」
蒼羽には名無しの奴が寄ってくる呪いにでもかかっているのだろうか。
「とにかく名前がないと呼びづらい! ……そーだな……色白で冷たい、雪……白銀の雪原……とりあえず白銀、とか?」
蒼羽が顎に手を当てながら考案した名前に、少年は興奮気味に喜びの声を上げた。
「うん! 僕、白銀になる! 僕の名前は白銀だ!」
飛び跳ねそうな勢いの少年改め白銀の反応に、なんだかこちらが恥ずかしくなってくる。
「なんか調子狂うな」
とりあえず呼べればいいと適当に決めた名前だったためここまで喜んでもらえると思っていなかった。もうすこし熟考した方がよかったのかと少し後悔しながら蒼羽は頬を赤らめ視線を逸らした。
「あーっと、そういえば白銀は一人で祭りに来たのか?」
照れくさくて変えた話題を不審がることなく、白銀は首を横に振った。
「違うよ。はぐれたというか別行動というか……ね」
蒼羽は白銀の返事を聞き、意地の悪い笑みを浮かべる。
「なんだ迷子かよ」
「まっ、迷子じゃないよ!」
「恥ずかしがるなって」
からかう蒼羽の横で絲は心配そうに首を傾げた。
「シロ、迷子?」
「お、シロって呼び方いいな、犬みたいでこいつにぴったり」
「犬⁉ いや、それより迷子じゃないから!」
訂正することが増えて否定が追い付かないらしく、彼は言葉に詰まりながら両手を必死に振っている。
「シロ、家族、祭、来た?」
絲は首を傾げたまま再び白銀に尋ねる。
白銀は両手を止めて下ろした後、落ち着いた声で返答した。
「違うよ。家族は……弟、しかいないけど、今は一緒にいないから」
切なさが滲んだようなその声に、何故だか胸が痛くなった。
吸血鬼に深い事情なんてあるんだろうか。
そうは思うもののそれ以上聞く気にはなれない。
「そっか……とりあえず、迷子の白銀のために連れを探してやるか」
「うん」
蒼羽の提案に絲が頷くと再び白銀が焦った声を上げる。
「えっ、べ、別に探してないからいいよ! それに迷子じゃないって!」
「遠慮すんなって」
「あ、たまだこ!」
絲は蒼羽と白銀の話より狛犬の着ぐるみの持っている球紙鳶に興味が移ったようでそちらに駆け出していった。
球紙鳶とは丸いゴムに空気を入れたもので膨らませると顔ほどの大きさになり、宙に浮かせることができる。風船と呼ぶ地域もあるらしい。
「絲ー、お前まで迷子になるなよー」
「はーい」
隣の人へのからかいが入った言葉に返事をしながら彼女は着ぐるみの元へ向かって行く。
「までって、僕は迷子じゃないのに……」
横ではシロが小さく文句を呟いていた。蒼羽はその様子がおもしろくて小さく笑いながら声を掛ける。
「からかって悪かったよ。でも、連れは探してんじゃねーの?」
「別にどうでもいいよ」
被せ気味に発せられた言葉に、蒼羽は口を結ぶ。それは今までの彼とは違う、冷たい声だった。
蒼羽は白銀と同じように視線を絲に向ける。
彼女は自分より背の低い幼児たちに紛れ、着ぐるみに話しかけている。
「ここには、誰と来たんだ?」
「うーん……誰、か。僕の保護者みたいな奴、かな」
一瞬、ほんの一瞬忘れかけていたが、今隣にいるこいつは吸血鬼だ。
それも上級吸血鬼かもしれない。
油断はできない。
「そいつは……上級……吸血鬼か?」
今日遭遇した琥珀色がちらつき、気づいたらそう口にしていた。
「……さぁ? 僕よく分からなくて。でも、僕がどうでもいいと思ってるのは確かだよ」
話が見えない。
どうでもいいというのは何のことだろうか。
白銀は絲達の方を向いたまま、独り言を呟くように言葉をつなげていく。
「僕はね……人間になりたいんだ」
蒼羽はその言葉を聞いて目を見開いた。
心臓が大きく跳ねる。
この感情が何か分からないが、何かの感情があふれてきそうな、そんな感じだ。
「吸血鬼をやめて人間になれたら……。君は吸血鬼のことどう思う?」
「……人間の血を吸い、襲う、化け物……」
口から自然とそんな言葉が出てくる。ただ、幾度となく言ってきたような言葉なのに、今は何故か強く言い切れず思ったより小さな声になってしまった。
彼は蒼羽の答えを聞き、嘲るように短く笑う。
「そんなに申し訳なさそうにしないでよ。事実なんだから。別にどちらが悪いってことはないと思うんだ、立場変わればだしね。ただ」
着ぐるみが絲に渡そうとした赤い球紙鳶が彼女の手から離れ、青い空高く上がっていく。
「いっそのこと、誰かが吸血鬼全員を抹殺して、この呪われた血を終わらせてくれたらいいのにって思うよ」
彼のその一言は切なさを凝縮させたような、けれど感情が一切含まれていないような、相反した印象を与える。
そこまで我慢していた蒼羽は歯を食いしばり眉間にしわを寄せた。
「なんだ、これ……」
胸を押さえ急に震え始めた蒼羽に気づき、白銀は慌てて覗き込む。
「えっ、あっ、大丈夫⁉ 僕が変なこと言ったせいかな」
「いやっ、お前のせ、じゃ、ねーから、大丈夫。今日、ちょっと体調悪ぃんだ」
「全然大丈夫に見えないよ⁉」
近くの壁にもたれかかり深呼吸をする。
この感覚、悪夢を見た時と少し似ている。
大丈夫、落ち着き方は、知っている。
蒼羽は少し落ち着いた後、おろおろしている白銀に笑顔を向けた。
「……もう大丈夫だ、急に悪かったな」
「本当?」
「ほんとだって。ちょっと藪医者にもらった薬が悪さしただけだから」
きっとあの変な薬の副作用だ、そうに違いない。
「それってもっと危ないんじゃ……」
「あおー!」
心配する白銀の声をかき消すように、向こうから走ってくる絲が蒼羽の名前を叫んだ。
「おー。つか、お前走んなよ、転んで怪我したら大変だろ」
「たまだこ、飛んだ」
怒ってるのか悲しんでるのか、絲は悔しそうにそれだけ言葉を放つ。
「あー、見てた」
「たまだこ!」
憤慨する様子から彼女は飛んでいった球紙鳶をまだご所望らしい。
いつもと変わらない彼女に笑みがあふれてくる。
「毛笛ならあっちの出店にあったぞ」
「毛笛! 行く!」
絲は蒼羽と白銀の手を取り、毛笛の売っている出店目指してずんずん前に進んでいく。
「え、えっと、僕も一緒に行っていいのかな」
戸惑う白銀を、蒼羽は鼻で笑う。
「お前が一緒に祭り回りたいって言ったろ?」
「……ありがとう!」
「お礼なら絲に……って今は聞こえないか」
彼女は一生懸命出店の品を見ながら毛笛の出店を探している。
「僕、名前を呼ばれたり、こんな普通に接してもらったりするの、すごく久しぶりで……友達ができて嬉しいよ」
「……誰が友達になったよ……ほんと恥ずかしー奴」
蒼羽は恥ずかしくなり、顔を逸らした。
吸血鬼に友達扱いをされているのに不思議と嫌な気持ちにならなかった。
「ふふっ……今くらいは幸せな幻に浸ってもいいよね……」
白銀の言葉が小さくてよく聞き取れず蒼羽は小さく首を傾げた。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何も」
白銀は首を小さく横に振るだけだった。
――この時、俺はまだ知らなかった。
今までのこと、そしてこれから起こることを。
そして、それは
たった一人のわがままのせいだということを。




