争闘のナースⅣ
到着した日の晩は特に何も起こらず、蒼羽と壱岐は遅くまで将棋の勝負をするだけという平和な夜を過ごした。
翌日の日中、夜の巡回も異常なし。
その次の日の午前中、蒼羽を待っていたのは壱岐の予想外な発言だった。
「……はい?」
「だから、今日の日中は観光に行っておいで」
壱岐は笑顔で同じセリフを繰り返した。
「観光⁉ 蒼羽出かけるの⁉ 千代も! 私も行く!」
呼び出されたのは蒼羽と絲だったが偶然通りかかった千代がその話を聞いて参加表明を口にする。
「あー、うん。いいんじゃない? 千代ちゃんも行っといで~」
「壱岐兄適当に言ってんだろ、なんで俺が二人も面倒見なきゃいけないんだよ。大体、壱岐兄が遊んで来いって言うなんて怪しすぎんだよ何企んでんだ」
相当予想外のことだったのか、蒼羽は早口で壱岐に言葉をぶつけた。
「失礼だね、何も企んでないよ。ただどっかの弟妹大好き人間から楽しい思い出作らせてやってくれって泣きつかれたから任務前の時間を自由時間にしてあげただけ」
「やっぱ兄貴が犯人か……」
壱岐は笑顔のまま呆れたように息を吐いた。
「誰かさん、腕は確かなんだけど昔から兄馬鹿すぎてねえ」
「それはもう何て言うかすみません」
蒼羽は兄の話になると何も言えないようで気まずそうに視線を逸らした。
「さ、行こ! 蒼羽!」
「ちょ、おま、引っ張るなって。行くぞ、絲!」
「うん」
千代は蒼羽の腕をつかみ、ずんずん進んでいく。その後ろを慌てて絲が追いかけた。
「いってらっしゃーい。ただし巡回前に帰ること、あとみんな怪我しないこと、順守ねー」
欠伸をしながら心底興味なさそうに手を振る壱岐に見送られ、三人は街へと向かった。
「観光っつっても、急すぎてどこから行くかな」
困り顔の蒼羽を見て千代はにんまりと笑みを浮かべた。
一番最初に行く場所は彼女の中で決まっていた。
「まずはあそこ! 行こ! 蒼羽」
「だーから引っ張るなって」
口では文句を言うが蒼羽は素直に千代に腕を引かれたままついてきている。
まるでデエトみたいだと千代は心の中で嬉しい叫び声を上げた。
だが、すぐに後ろにいる楽しそうな絲が視界に入り、顔を歪ませた。三人でなく二人きりならば完璧なデエトだったはずなのだ。
千代は不機嫌になりながら蒼羽の手を引き人波をかき分けて進んでいく。
「あお、待っ……」
絲のか細い声が聞こえたかと思うと、千代とつながれていた蒼羽の手は振りほどかれてしまった。
驚いて後ろを向くと、人波に流されたであろう絲のところへ蒼羽がついたところだった。
「お前、ちゃんとついて来いよ。迷子になるぞ?」
「あ、あお、速い! 絲、速い、できない!」
「はいはい、じゃぁ引っ張ってやるから離れんなよ」
先程まで千代とつながれていた左手は今は絲の右手を優しく引っ張っている。
それを見て、千代は手を握り締めた。
「おー、千代お待たせ……ん? どうかしたか?」
黙り込んで下を向く千代を不思議に思ったようで、蒼羽は首を傾げた。
千代は慌てて顔を上げて笑顔を作る。
「んーん、なんでもない。それより早く行こ!」
それだけ言うとすぐに前を向き、小走りで進んでいく。
「千代、そんな急がなくても大丈夫だろ」
「いいの! 蒼羽も早く!」
「分かったよ……」
繋がれた二人の手は千代の傍に来ても離されることはなかった。
「……ほんと、二人きりならよかったのに」
小さく呟いた本音は駅を見てはしゃぐ二人に聞こえることはなった。
千代達が最初に向かったのは十二階。
十二階というのは建物の名前だ。國都には凌雲閣という十二階建ての建物があり、それを模して造られたのがこの街の十二階だった。
外国を思わせる煉瓦造りの建物は人で溢れている。
「雲をも凌ぐ凌雲閣を模しただけあって、やっぱ高えなー」
蒼羽は少し下がりその高さに感心していた。
つられて絲と千代も見上げる。天にも届きそうなその建物は楽しみでもあり、少しこわくも感じた。
「ちぇ、電動昇降機は停止中なのか」
入館料を払い、中に入ると蒼羽が落胆の声を漏らした。
この國で電動昇降機を取り入れているのは凌雲閣とここだけだが、故障中のため少し前から使用中止になっていた。
蒼羽が興味をもっていたものだっただけに千代まで残念になってしまう。
「まあ、とりあえず上ろうぜ!」
気を取り直して階段を上る蒼羽を絲と千代は慌てて追いかけた。
十二階の一階は入り口、二階から八階は店が並び、九階は美術品等の展示、十階から十二階が展望室になっている。
どうせなら店も見て回りたいと千代が提案すると、蒼羽はすんなり頷いてくれた。
この街の特産物等土産屋や外国の品物が並ぶ店はとても華やかだ。
蒼羽の表情も先程より明るくなり、千代も嬉しくなって微笑んだ。
「蒼羽蒼羽! 買い物しよ!」
「買い物? お前は金持ち令嬢なんだからこの辺のもん持ってんだろ?」
「そ、それは、そうだけど……蒼羽は欲しいものないの?」
「俺は特に欲しいものな」
ないと言いかけたであろう彼の言葉は途中で止まった。彼の視線をたどると品物をじっと見つめる彼女がいた。
彼はそんな彼女を見て呆れたように、それでいて優しく笑いながら近づいていく。
「何見てんだよ?」
絲の見ている品物を見て蒼羽はケタケタと笑いだす。千代もゆっくりと二人の元へ歩いていく。
「お前、ハーモニカとか外国のものじゃなくてポコンポコンかよ」
絲が見ている物はビードロ、ポッピンだった。よく見かける物で珍しい品ではない。
奇麗な模様が描かれた丸いガラスに長い管がついたそれは息を吹くと音がするため、ポッペン、ポンピンなどとも呼ばれているのだが、ポコンポコンと呼ぶのは千代の周りでは蒼羽だけだった。千代にとってそれが可笑しくあり可愛くも思えていた。
――ポッピン買ってもらったの
――ポコンポコンだろ
幼い頃の会話を思い出して笑みがこぼれる。
「蒼羽、まだポッピンのことそう呼んでるんだ」
「な、なんだよ、悪ぃかよ」
照れてそっぽ向く仕草も昔から変わらない。
変わらない、のに。
「絲、どれが欲しいんだ?」
「買う、いい?」
「欲しいんだろ? 選べよ」
嬉しそうな彼女を見る彼を見て千代の心が小さく痛む。
絲が青と赤の模様のポッピンを指さしたのを確認して蒼羽は振り向く。
「千代、お前はどれにする?」
「え、私もいいの?」
「お前が買い物しよっつったろ」
当然のように訊く蒼羽に千代は安堵の息を吐いた。
「……蒼羽が選んで」
「え、俺? 自分で選べよ、女子の好きなもんなんか分かんねーよ」
「いいから!」
蒼羽は複雑そうな顔をしていたが、すぐに眉間にしわを寄せ真剣に選び始めた。
「んー、これ、とか?」
自信なさそうに彼が指さしたのは桃色と青の奇麗な模様の小ぶりのもの。
「うん、それ、それがいい」
千代が頷くと彼は満足そうに笑い、二人分のポッピンを購入してくれた。
絲と千代はそれぞれ受け取り、早速吹いてみる。
「あ、吸っちゃだめだ。あと強く吹くなよ、優しくだぞ」
「蒼羽、昔それで割ったものね」
「めちゃくちゃ昔のことだろーが」
絲は言われたとおりに優しく息を吹き込む。可愛らしい音が鳴り、彼女は目を輝かせた。
「あお、出た!」
「おー、よかったな」
楽しそうな二人を見ながら吹いた千代のポッピンからは小さく奇麗な音が鳴りすぐに消えていった。
買い物を済ませた三人は展望室を目指して階段を上った。
レンガ造りの壁には所々窓があったが、光は多くなく少しひんやりとしている。
「百美人? へぇ……」
壁には百美人と称される女性の写真がずらりと並んでいる。
「あ、蒼羽、まさか興味あるんじゃ」
まじまじと眺めながら階段を上る蒼羽に千代はそんな言葉を掛ける。
「え? あー、興味っつーか……」
彼は女性の写真を順に眺めながら上っていく。
「こん中に吸血鬼が紛れてたりしてと思って……」
「吸血鬼? 混じってるわけないじゃない」
千代は蒼羽の言葉に頬を膨らませる。
「……だよな」
あんな化け物が混じっていれば誰が見ても一目瞭然。言い訳するにしてももう少しマシな言い訳をしてほしいものだ。
そうこうしているうちに展望台に到着した。
十一階、十二階の展望室は屋外に出られる造りになっているため、蒼羽達は早速出てみることにした。売りにしているだけあってやはりかなりの高さがある。
「おー! すげー! 街が見渡せんじゃん!」
蒼羽は子供のようにはしゃいで景色を眺めている。
「向こうの山まで見えるぞ! すげー! お前らも早く来いよ!」
蒼羽の呼ぶ声にすぐに絲が駆け寄った。
千代も蒼羽の横に並び景色を眺める。天気が良いこともあり、遠くまでよく見えた。
「お、見てみろ! 望遠鏡まである!」
蒼羽は望遠鏡を見つけて大はしゃぎだ。お金を支払い三十倍の風景を全力で楽しんでいる。
「すげー」しか言わない語彙力のなくなった蒼羽は小さな男の子のようでとても愛らしく、彼を見ていると自然と頬が緩んでしまう。
「なぁ、お前らも見てみ」
嬉しそうに喋る蒼羽の表情が一瞬で硬いものに変わる。
千代が瞬きをする間に蒼羽は姿を消していた。
「絲っ」
彼の声に振り向くと、景色に夢中になるあまり柵の向こうに落ちそうになる彼女の姿が視界に入った。
思わず息を呑む。
もう駄目かと思ったが彼女は間一髪のところで蒼羽に抱きかかえられ落下することはなかった。
千代はほっとして、その場にへなへなと座り込む。
「ふーっ、なんとか、間に合った……」
蒼羽は絲を抱えたまま大きく息を吐いた。
「お前なあ、ほんと気をつけろよ!」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、気をつけてくれればいいけど……心臓いくつあっても足りねー」
落ち込む絲の頭を優しく撫でる蒼羽。
そんな彼らを見ていると千代の胸の辺りがまたチクチクと痛み始めた。
「なんで……」
千代は俯いて小さく呟いた。
「千代、びっくりさせて悪かったな、ほら」
蒼羽に手を差し出され、千代は蒼羽の手を取って立ち上がった。
その手は千代が立つとすぐに離されてしまう。
ここに来るまでと一緒、反対の手は彼女としっかり繋がれている。
「千代の……なのに」
「え? 何か言ったか?」
「……なんでもない。蒼羽! 次行こ!」
千代は離された手を再び取り蒼羽を階段へと引っ張っていく。
「千代は蒼羽と昔から一緒だったんだから!」
「そうだけど?」
蒼羽は訳が分からないというような声を出していた。
十二階の次の目的地は電気館だった。
電気館というのは、動く写真である活動写真(映画)が見れる場所だ。
こちらも蒼羽が興味をもっていた物だった。
「月世界旅行、最高だったなー」
上映作品は月世界旅行、天文学に興味がある蒼羽にはうってつけの内容だった。
六人の天文学者が月に探検に行き、異星人から逃れて地球に帰還する話はとても引き込まれ、天文学に興味がない絲や千代でも十分楽しめた。
「絲も面白かったかー?」
蒼羽は楽しそうに絲にそう尋ねる。
「うん、面白い。絲、すき」
「だよなー」
楽しそうに歩く二人の姿を少し後ろから見ていた千代は誰にも聞き取れない声で小さく呟く。
「私も……面白かった、のに」
どうして楽しそうな彼の隣に今いるのは自分じゃないんだろう。
昔の自分達の姿が重なり、千代は唇をかみしめた。
「……蒼羽、ごめん。私ちょっと寄りたいところあるから先帰ってて」
「まだあるなら付き合うぞ?」
「それは蒼羽と二人で?」なんて言葉を呑みこみ、千代は笑みを返した。
「ううん。一人でいい。すぐ終わるから」
「そうか? じゃぁ日が暮れる前に帰れよ?」
「うん!」
千代は蒼羽に背を向けて街の中へと走り出した。




