写真館のマドンナⅤ
蒼羽が目を覚ますと眩しい夕日は今にも沈みそうだった。体を起こすと服が汗で濡れている。
「やっちまった……どのくらい寝てたんだ……?」
隣では絲も汗をかきながらぐっすり寝ていた。彼女を起こそうと体をゆする。
「お前ら何やってんだー?」
絲を起こしていると莉麻の声が近づいてきた。どうやら撮影が終わったらしい。
彼女の声を聞いて蒼羽の隣にいた清親はびくっと体を震わせ、描いていた絵を慌ててかき集めた。そしてそのまま全て風呂敷に詰め込む。
絲の落書きも一緒にしまわれたようで周りにはもう一切紙はなかった。
「な、なんでもねえよ!」
「? 何慌ててんだよ」
「あ、慌ててねえ!」
清親の挙動不審な態度に莉麻が訝し気な表情で詰め寄る。
「ふーん? まぁ、いいけど。写真しか興味ないし」
莉麻は本当にあまり興味がないようですぐに清親から離れた。
絲は立ち上がり少し眠そうにしながらも彼女に本を差し出した。
「本、ありがとう」
「あぁ、そういえば貸したままだったな。どういたしまして。面白かったか?」
「うん。かっこいい」
絲の感想に莉麻が首を傾げる。
「かっこいい? 王子が?」
「うん、王子、ツバメ、かっこいい」
「そうか?」
人々のために行動した王子やツバメはかっこいいと言われればそう見えるのかもしれないが、最初に出る感想がそれなのがなんとも絲らしい。
「日も暮れたし急いで帰るぞ。昨日一昨日と二日続けて三体も出てるから今日は大丈夫だと思うけど絶対はねーからな」
蒼羽は立ち上がってストレッチしながら彼らに告げる。
既に日は暮れ、空には月が輝いている。
出会さないとは思うが、また吸血鬼に遭遇して壱岐兄に折檻されるのは御免だ。
「結局マドンナは見つからず、か」
清親は自分の描いた絵を懐から取り出した。
彼女は絵の中で凛と佇んでいる。
奇麗にまとめられた髪、着崩れてない着物、よく似合っている露芝の帯。
蒼羽はもう一度街の人々を思い浮かべてみたが、やはり見覚えはない気がする。
「まぁ、仕方ないだろ、幻だったってことで。さ、帰るぞー」
蒼羽が意気消沈する清親に背を向けて歩き出そうとした時、向こうから和装姿の女性が近づいてくるのが見えた。
日が沈んだ河原、この時間にこんなところに来る人なんてそうそういない。
「まさかマドンナ⁉」
「馬鹿! どう見ても」
その女は物凄い速さで向かってくる。
「吸血鬼だろーが!」
灰色の長い髪を振り乱す敵に蒼羽は抜いた刀を向ける。
蒼羽が刀を振ると、吸血鬼は瞬時に避けて背後に下がった。
「なんでそんな動きづれー恰好してんだ? いつもの茅色の洋装はどうした?」
いつも吸血鬼は上下茶色の服を着ているが、目の前の吸血鬼は乱れた和装を身にまとっている。露芝の帯のその着物は心なしかマドンナの服装によく似ていた。
蒼羽は吸血鬼を睨みつつポケットから発煙筒を取り出し、後ろにいる清親に投げた。
「清親、それで応援呼んでくれ! 俺はこいつをどうにかする」
「お、おう!」
何かあった時のために発煙筒を持ち歩いておいて正解だ。応援を呼ばなかったら分隊長に何を言われるか分かったもんじゃない。
吸血鬼は攻撃してくるでもなくただそこに佇んでいるだけ、それがまた不気味だ。
ちらりと後ろを見ると清親と莉麻は一生懸命発煙筒で狼煙を上げようとしている。
蒼羽は刀を構えたまま走り出し吸血鬼との距離を一気に詰める。
吸血鬼の腕が硬化し蒼羽の刀を受け止めた。
「一応聞いてみるが……お前、話せたりするか?」
蒼羽が吸血鬼に尋ねると吸血鬼が赤い目を光らせ口角を上げた。
「……愚問だね」
「!」
吸血鬼の口から出た流暢な言葉に蒼羽は目を見開いた。
「ハジメマシテ、ニンゲン。僕の贈り物は気に入ってくれたかな?」
「なんだよ贈り物って」
お互いに力を緩めることなくぶつかり合う。
「君たちが探してるマドンナに似せてみたんだよ。お気に召したかな?」
「ふざけんな、お前誰だ」
「僕は……彼は誰れ刻、かな。王様に伝えておいて、覚悟しときなよって」
吸血鬼はそう呟くと後ろに飛びのいた。
「おい! 王様って誰だ!」
蒼羽が声を掛けるが吸血鬼は何も言わず月明かりに照らされて優雅に立っている。
「なんて芸術的なんだ……」
「は?」
後ろからその場に合わない言葉が聞こえ、蒼羽は気の抜けた声を出す。
「ほんとだな! これは写真に収めるしかない!」
「筆! 筆!」
蒼羽は手提暗箱や筆を手に走り寄る二人の前に刀を出して制する。
「おい引っ込め絵画狂と写真狂! 死にたいのか⁉」
蒼羽の制止に複雑そうな表情をしながらも二人はなんとか止まった。
二人を庇いながらの戦闘は厳しい。
頭の中で打開策を捻りだそうとしている蒼羽に奇声を上げながら吸血鬼が襲い掛かる。
「お前、もうただの吸血鬼なんだな……ご主人様に待ては言われなかったのか?」
蒼羽の刀と吸血鬼の硬化した手がぶつかる音が響く。
「守って戦う分には正当防衛って認めてくれよな、壱岐兄」
少しずつだがやはり以前の吸血鬼に比べて戦闘力が上がっている。
絶え間なく攻撃してくる吸血鬼を蒼羽は刀でなんとか抑えていた。
敵の首元で和装に似合わない首輪が月の光に反射して光っている。
そういえば吸血鬼はいつも小さなプレートがついた首輪のようなものをつけている。
そう、まるで――
「飼われてる……?」
蒼羽が呟いた瞬間、刀で受け止めている方とは反対の硬化した手が顔に向かってきた。蒼羽は刀で受け止めている吸血鬼の手を流して相手のバランスを崩れさせ、上半身をそらせて迫ってきた手の攻撃を避けようとした。だが、急な立ち眩みに襲われ避けきれなかった蒼羽の頬に吸血鬼の硬化した鋭利な爪が当たってしまった。
「くっ……」
蒼羽は痛みに顔を歪ませよろけて地面に手をつく。
その瞬間、吸血鬼は何故か蒼羽から急に離れ、後ろの二人へと向かっていった。
「しまった」
蒼羽は慌てて振り返るが、既に吸血鬼は腕を振り上げている。
清親はとっさに近くにあった風呂敷を投げた。
吸血鬼の硬化した手に切り裂かれ、破れたそれから何枚もの紙が出てきて宙を舞う。
吸血鬼はそれでもすぐに次の攻撃を繰り出した。
「駄目か……!」
清親は莉麻を庇うように抱きしめ強く目を閉じた。
しかし衝撃が来ることはなく清親はゆっくり瞼を開く。
目の前には吸血鬼ではなく、軍服を着た男性が立っていた。先ほどの吸血鬼は土手の下、河原まで坂を転がり落ちている。
「壱岐兄!」
蒼羽が嬉しそうな声を上げた。
壱岐はため息をつくと呆れた声を蒼羽に向ける。
「まったく……どうして蒼羽はこうも吸血鬼に好かれるのかね?」
壱岐の持っている背を超えるほどの銀色の槍が月光で鋭い光を放っている。
「さて、と。終わるまで君達は動かないように。すぐだから」
そう言うと壱岐は土手をすべるように下りて行った。
吸血鬼はよろめきながらもなんとか立ち上がる。
「なんて恰好なんだ? 全然そそられないね。初対面は服装くらいきっちりしないと。ってお前に言っても意味ないけれどね」
壱岐は吸血鬼に槍を向けた。
「さぁ、俺と遊ぼうか吸血鬼」
微笑む壱岐の目がまっすぐに吸血鬼をとらえる。
その様子を見ていた土手の上の清親が蒼羽に尋ねた。
「おい、お前は加勢しなくて大丈夫なのか?」
蒼羽は刀を鞘にしまい胡坐をかいて落ち着いて答えた。
「大丈夫だろ、壱岐兄だし」
息を吐きながら彼の戦闘を見守る。
「あの人、軍の中でもかなりの化け物だから」
蒼羽が最後まで言う前に壱岐は風のように走り、大きな槍を器用に動かして穂で吸血鬼の背中を叩き落とした。そのまま上に軽く飛び、うつ伏せに倒れた吸血鬼の心臓を上から一突する。
彼は瞬きするほどの速さで吸血鬼を倒してしまった。
「壱岐兄は俺なんかよりずっとつえーよ」
蒼羽はふてくされながら呟いた。
蒼羽が苦戦していた吸血鬼をいとも簡単に倒した壱岐のことは強くて尊敬しているが、やはり自分との差を感じてしまい悔しい気持ちの方が大きい。
「すげー……」
清親と莉麻はあっけにとられてその様子をただただ見つめていた。
「はい、おしまい」
壱岐は軽く槍を振ると土手を上って蒼羽達の元へ戻ってきた。
「君達、大丈夫?」
壱岐に話しかけられ、我に返った清親が口を開く。
「あ、はい、大丈夫です。ありがとうございます!」
莉麻も隣で同じように頭を下げた。
「君達も蒼羽に関わったばかりに災難だったね。こいつちょっとした吸血鬼ホイホイって言われてるから」
「え、何それ、誰が言ってんの?」
確かに吸血鬼に遭遇する率は軍の中でも高い方だが、自分がそんな風に言われているなんて初耳だ。
壱岐は蒼羽の質問には答えず、にこにこと笑っている。こういうところに腹が立つのだ。しかしその笑顔が怖くて深く聞くこともできない。
イライラするが何も言えない蒼羽に、どこからかやって来た絲が駆け寄った。
どうやら近くの木の陰に隠れていたらしい。
「あお、怪我!」
「え? あぁ。大丈夫だ、大したことない」
すっかり忘れていたがそういえば頬に怪我をしていた。
そんなに深くないただの擦り傷だ。帰って手当てすればどうってことはない。
「蒼羽が怪我するなんて珍しいね」
壱岐が不思議そうに尋ね、蒼羽は先程の状況、吸血鬼の言葉と首輪のことを思い出した。
「あー、うん、ちょっと……油断した、かな」
壱岐がどこまで知っているか分からない以上下手なことは言えない。
蒼羽は怪我してない方の頬を搔きながら苦笑を浮かべた。
「あ、俺が今回戦ったのは正当防衛だからな⁉」
慌てて付け加えられた蒼羽の言葉に壱岐はくすりと小さく笑う。
「うーん、そうだね、今回は一般人を守ったこと、狼煙を上げて応援を呼んだことを考慮して」
蒼羽は「じゃぁ」と期待のまなざしを壱岐に向ける。
「食堂の皿洗いだけにしといてあげるよ」
「この鬼曹長!」
壱岐は蒼羽の期待を笑顔でばっさりと切った。
蒼羽が小さく文句を垂れていると、壱岐の後ろから処理班と八番隊の面々が現れた。
「壱岐曹長!」
「あぁ、お疲れ様。後片付けはよろしく。あ、怪我人はいないと思うけど彼らの様子も一応確認して必要なら救護班へ」
壱岐はてきぱきと指示を出していく。
「あれ、そういえば九番隊なら分かるけどなんで壱岐兄が八番隊の巡回中にいるんだ?」
蒼羽の質問に壱岐は迷惑そうに答えを返した。
「どっかの吸血鬼ホイホイとそのペットが出かけててもうすぐ日暮れになるのに帰ってこない、今日はどこに出かけたかも分からない上に自分は仕事で探しに行けないって大尉に泣きつかれてね」
千草が壱岐に泣きつく様がすぐに目に浮かび、蒼羽は苦笑いを返した。
いつもだったら全員にとって迷惑な行動だが今回ばかりは兄の迷惑行為に助けられた。千草が壱岐を派遣していなかったらこんなにも早く大きな怪我もなしに吸血鬼を倒すことはできなかったかもしれない。
清親と莉麻は八番隊に怪我の有無など聞かれているようだ。
二人が聞いてないことを確認して蒼羽は小さな声で壱岐に話しかける。
「あのさ、最近の吸血鬼、前より少しずつだけど強くなってる気すんだ。壱岐兄はどう思う?」
壱岐は蒼羽の質問に少し考えた後口を開く。
「そう? 蒼羽が弱いだけじゃない?」
「なっ」
予想外の答えに蒼羽が言葉が出ないでいると壱岐は意地悪な笑みを浮かべた。
「お前は小さいから俺みたいに槍は持てないだろうねぇ」
「壱岐兄、それは聞き捨てならねー」
「はははっ、あと四寸背が伸びたら話を聞いてあげよう」
「お、に、ぐ、ん、そ、う!」
壱岐に相談した自分が間違っていたと思いながら蒼羽は壱岐に殴りかかる。
「おっと」
彼は笑顔のまま蒼羽の攻撃をかわす。
蒼羽は予想通り当たらなかった攻撃に口を尖らせた。
「後始末と報告はこっちでするから、お前は早く帰って傷の手当てをしなさい。あ、一般人を無事に送り届けるのも忘れるなよ」
壱岐は軽く手を振りながら再び土手の坂を下って行った。
本当に、彼にはいろいろとかないそうにないと蒼羽はため息を吐いた。
「ほら、お前ら帰るぞ……っと、散らかったそれ拾えよ」
蒼羽はちょうど八番隊との話が終わった様子の清親と莉麻に声を掛けた。
彼らの周りにはたくさんの紙が散らばったままになっている。
「? そういえばなんだこれ?」
「あっ、こ、これは!」
何故か焦った様子の清親にかまうことなく、莉麻と蒼羽はそれぞれ紙を拾い上げる。
「これ、莉麻?」
蒼羽が拾った紙には莉麻らしき人物が奇麗に描かれていた。
近くの紙をもう一枚拾ってもやはり莉麻。
落ちている紙の大半は彼女が描かれたものだ。
「い、いいだろなんでも!」
清親は一生懸命散らばった紙をかき集め、別の風呂敷に詰め込んだ。
莉麻は手に持った一枚を見つめ、難しい顔をしていた。
「何してんだ?」
蒼羽が話しかけると莉麻はその表情のまま、持っている紙を清親と蒼羽に向けた。
「これ、何だ?」
そこには清親の描いた莉麻、ではなく絲画伯が描いた蒼羽がいた。
清親はそれを見て安堵したように息を吐く。
「これ、違う、あお!」
絲はぷっくりと頬を膨らませ莉麻の持っている紙を指さした。
「え、これ、こいつなの? 妖怪じゃなくて?」
「あお!」
絲画伯の描いた自分をなんとも言えない感情で見つめる。
やはり他の人の目にも妖に見えるらしい。
「そ、それはさておき! 早くこいつの怪我の手当てしなきゃな!」
清親の発言に絲は膨らませていた頬を戻し心配げな顔で何度も頷いた。
莉麻も絲に落書きを渡して頷く。
「放っておくと悪化しちゃうからな」
「そうだな、帰るか」
歩き始めた蒼羽の頭上では星が煌き始めていた。
写真館に着くと、玉川のじーちゃんが入口でしかめっ面をしていた。
「じーちゃん、なんで⁉ 帰るまで数日かかるって」
莉麻が走り寄るとじーちゃんは残念そうに肩を落とした。
「隣町の次はそのまた隣の町に行く予定だったが、途中の道が土砂崩れで通れなくてな。結局隣町の仕事だけでとんぼ返りじゃ」
莉麻は鍵を開け、写真館の中にじーちゃんの荷物を運び入れた。
じーちゃんは中に入るなり「おぉっ」と声を上げる。
「なんだじいちゃん! 何かあったのか⁉」
蒼羽と清親が慌てて中に入ると、じーちゃんは不思議そうにテーブルの前に立っていた。
「? なんじゃ、騒々しいのぉ、何もないわい」
あれだけの叫び声を上げておいて何もないはないだろう。
彼の手には例のマドンナの乾板がある。
「懐かしいのぉ」
「懐かしい?」
じいちゃんの言葉に蒼羽は首を傾げた。
じいちゃんは何かを愛でるように目を細めた。
「あぁ、これはな。死んだ婆さんの若かりし頃の写真じゃ」
「なっ……」
その言葉に一同の目が丸くなる。
「この写真館を開いたばかりの頃、一番最初に撮った写真でな」
「それじゃ探し損かよ……」
蒼羽は疲れ切ったため息を吐き出した。
「なんだよそれ……」
落ち込みまくる清親の背中を莉麻が優しく叩く。
「まっ、元気出せよ! きっとまたマドンナは現れるさ」
笑顔でそう励ます莉麻は、孫だけあって写真のマドンナにやはり似ている。
顔を上げた清親はほんのり赤くなった頬を隠すように莉麻から顔をそむけた。
蒼羽はにやにやとそれを見つめ、清親に耳打ちをする。
「得導が言った通り、お前の言うマドンナは意外と近くにいるんじゃね?」
清親の頬がほんのりどころか真っ赤になり、蒼羽は腹を抱えて笑った。
「あ、あれは、どっちのことだろうって言ってたし俺じゃなくてお前のことだろ」
苦し紛れに言い返す清親。
――君は……
清親の言葉に蒼羽の笑い声が止まる。
もっと得導にちゃんと聞いておけばよかったのかもしれない。彼は次、いつこの街に来るだろうか。
「……いや、でもあのお告げはお前で間違いないだろ。絵だってあんなに沢山描い」
「もう言うんじゃねえ!」
「絵が何?」
「うわぁ莉麻! 聞くな!」
騒がしい孫たちを見てじいちゃんが笑う声が写真館に響く。蒼羽もそれを聞いてさらに頬を綻ばせる。
乾板の中の女性も笑っているように見えた。
翌日、すっかり忘れていた蒼羽と絲の写真が玉川写真館から無事届き、千草は蒼羽の部屋で狂喜乱舞していた。
一応確認してみたが蒼羽は仏頂面、絲は笑顔という予想通りの出来だった。
蒼羽の反対を押し切り、写真は蒼羽の部屋の箪笥の上に飾られている。




