写真館のマドンナⅠ
常夏月、暑い日差しがじりじりと部屋の温度を上げる昼過ぎ。
絲がくるりと回るとひざ丈の白い布がひらひらと揺れた。彼女は満足げに笑い、頭にかぶった帽子を手で直す。
この暑い中、一体何を見せられているのだろうか。
蒼羽は何とも表現しがたい気分でそれを眺めていた。
「やっぱり可愛い! 似合う! 最高! だろう、蒼羽!」
「はいはい似合う似合う」
興奮気味に同意を求める兄を気持ち悪いと思いながらも蒼羽はとりあえず返事を返した。
確かに似合ってはいるが、さっきからこれの繰り返しで掛ける言葉ももう見つからない。
「あお、見てない」
絲は不満だったようで頬を膨らませている。
彼女が身に纏っているのはいつもの和装ではなく、千草が買ってきた洋装、セーラーカラーで胸元に青いリボンがついた白いワンピースだった。
「いや、見てるけどさすがにこんだけ続いたらな。あと、俺までこんな格好させられたらな」
蒼羽はベッドの上で胡坐をかきながら自分の服を見下ろす。
白い線が入ったセーラーカラーの紺色の半袖服、半ズボン、白いハイソックス。絲の胸元はリボンだが、蒼羽の胸元には白いネクタイがついている。頭には帽子をかぶり外国の水兵のような格好だ。ご丁寧に絲とお揃いのショートブーツまで用意してある。
「蒼羽も超絶可愛いぞ!」
千草は相変わらずのデレデレ顔で何度も頷いている。
どこからこんな変な服を仕入れてくるんだろうか。
「これは後世に残すべきだ……よし! 写真館に行こう!」
千草の唐突な思いつきに蒼羽は思わず立ち上がった。
「ぜってーやだ!」
「そう照れずに」
「照れてねーよ!」
精一杯抵抗する蒼羽だったが、千草が一度決定したことを覆すのは困難だ。
蒼羽は叫び声を響かせながら写真館へと連れていかれるしかなかった。
「玉川のお爺ちゃんいる?」
蒼羽を引きずるように連れてきた千草は玉川写真館のドアを開けて中に声を掛けた。
「おぉ、千草か」
声を掛けられて、中にいた老人、写真館の玉川のじいちゃんが振り向いた。
「ちょっと俺の可愛すぎる弟と妹を撮ってほしくてさ」
ご機嫌な千草は幸せそうに頼みごとを口にする。
玉川のじいちゃんは一瞬嬉しそうな表情を見せたが、すぐに申し訳なさそうに首を横に振った。
「悪いな千草。これから隣町に出かけるんじゃ」
予想外の返事だったのか千草は目を丸くしている。
「最近この街で写真を撮った夫婦の夫人の方が吸血鬼に襲われてな。それが写真のせいだと噂が立ってるんじゃ。元々受け入れられてない写真からこの街の人間の足は更に遠のいとる。この街に現れる吸血鬼が大人しくならねえと仕事にもならん。わしが生きてるうちに吸血鬼をどうにかしとくれよ」
「ははは、耳が痛いな」
玉川のじいちゃんの言葉を聞き千草は困ったように笑った。
「じゃ、写真はなしか⁉」
「写真、ない?」
残念そうな絲と対照的に蒼羽は目を輝かせている。
じいちゃんはそんな蒼羽に意地悪な笑みを向けた。
「いや、最近写真家見習いのわしの孫娘がこっちに来ててな。おーい、莉麻」
じいちゃんが奥に呼びかけると明るい返事が返ってきた。
奥から現れたのは茶色のハンチング帽をかぶった短髪の人物だ。
「あ、お客さん? いらっしゃい」
一見男の子に見えないこともないが体型的に女性のこの人がじいちゃんの孫娘の莉麻という人だろう。
「お前の初仕事じゃ。こやつらを撮っておいてくれ」
「え」
声色の違う蒼羽と莉麻の声が重なる。
「じーちゃん、それ本当か⁉」
莉麻は嬉しそうにじいちゃんに確かめた。
「おぅ、初仕事にはぴったりじゃろ。千草もそれでいいな」
「あぁ。お孫さん、好きなだけうちの可愛い子達撮っていいぞー」
撮られる本人、絲と蒼羽の意思は重視されないらしい。
「おっと、いけねえ、間に合わなくなる。じゃぁ、頼んだぞ」
じいちゃんはそれだけ言うと機材の入った風呂敷を持ち、笑顔で手を振ってあっという間にドアから出ていった。
あまりの速さに蒼羽は待ったの声を掛けることもできなかった。
「撮ってもらえるって。よかったな、蒼羽」
「全然よくねー」
兄が何をもってよかったと言ってるのか蒼羽には全く理解できない。
「じゃぁお孫さん、あとはよろしくなー」
「は⁉ ちょ、待て兄貴!」
蒼羽の制止の声は届かず、じいちゃんと同じように千草も機嫌よくひらひらと手を揺らしドアの外へ消えてしまった。
残された蒼羽はがっくりと肩を落とした。
絲は嬉しそうに微笑み、莉麻も同じく嬉しそうに準備を始めている。
「こっちにどうぞ。服装に合う背景はこれだな」
楽しそうな二人を見ていろいろと諦めた蒼羽は絲と共に撮影場所へと向かう。莉麻が選んだ背景は常夏月にふさわしいものだ。
「これ、海か」
「海?」
蒼羽の呟きに絲が首を傾げる。
「あぁ、俺も見たことはないけどどこまでも続いてる塩水らしい」
「塩、しょっぱい?」
「そう、しょっぱい」
昔、同じようなやりとりをした気がして、蒼羽は懐かしい気持ちになった。幼い頃千草とそんな会話をしたのかもしれない。
海を見たことがないと聞いて莉麻が準備の手を止めた。
「え、ここからそんな遠くないだろ。見に行かないのは勿体ないぞ」
確かにこの街から海までは物凄く距離があるわけではない。行こうと思えば行ける距離だ。
だが、蒼羽は海に行く必要性を感じなかった。
「別に用もねーしな。そんなとこ行ったって吸血鬼ぶっ倒せねーし」
興味なさそうな蒼羽の答えに絲が渋い顔をした。
「あお、吸血鬼ばっかり」
「そーか?」
蒼羽は自分の発言を思い返してみたが、吸血鬼部隊の兵なのだから吸血鬼のことばかり話すのは仕方ないだろという結論に至った。
「ここ並んでー」
写真を撮る準備ができたようで、莉麻が立ち位置を指し声を掛けてきた。
「その刀預かるけど?」
「いや、悪いけどこれは外せないからこのままでいい」
刀はいつも身に着けているもので外すわけにはいかない。
この服装には違和感があるのかもしれないが、そんなことは蒼羽の知ったことではない。
勝手に着替えさせられ、勝手に写真撮らされてるだけなのだ。
「ふーん? じゃあ撮るぞー」
莉麻が慣れた手つきで冠布をかぶった。
「そっちの少年、えっと蒼羽だっけ? 表情硬すぎるぞ」
「い、いいんだよ、これで」
兄の趣味丸出しの写真のためにわざわざ笑顔を作ってやることもない。
それに蒼羽はできれば撮りたくない気持ちの方が大きかった。こんな格好で街中を歩くのも、こんな格好が後世に残るのも、何より写真を撮って大変なことになるのが嫌で仕方ない。
「や、やっぱり撮るのやめ」
「撮れたぞー」
蒼羽が中止を提案しかけた瞬間、無情にも撮影できたの報告を受けてしまった。考え事をしている間に撮影時間は終了していたらしい。
蒼羽の表情は見る見るうちにこわばっていく。
「た、魂抜けるだろーが!」
耐えきれずそう叫ぶ蒼羽を見て、莉麻は一瞬動きを止めた後腹を抱えて笑い始めた。
「ふっ、ははははっ!」
「な、何笑ってんだよ」
彼女の笑いはなかなか収まりそうにない。
「未だにそんなこと言う奴いたんだ? 魂抜かれるっていつの時代の奴だよ。今や写真で目に映る一瞬をいつまでも残せる時代だぞ。この魅力に気づけないなんて遅れてるなあ」
「うるせー。俺は俺の勘と自分の目で見たものしか信じねーんだよ」
蒼羽は笑い続ける莉麻を見て口を尖らせた。写真はやはり好きになれない。
「さ、もう一回撮るぞ。今度こそ笑えよ。隣の彼女が困ってるぞ」
莉麻の言葉に絲の方を見ると、確かに絲の表情は不機嫌なものに変わっている。
蒼羽は大きなため息を吐いた。
「分かったよ」
目元をひくつかせ引きつった笑顔をどうにかカメラに向ける。
「うーん……とりあえず、さっきのやつを現像してみるか。いったん休憩にしよう」
「おい! 撮らねーのかよ!」
折角笑顔を作ったのに笑い損だ。
莉麻は待つ間退屈だろうからと、テーブルの上にお茶と菓子、本を用意してくれた。
「本! 幸福、な、王子?」
片言を話せるようになってから絲は本を読むようになった。
最近は童話の本を好んで読んでいる。何故か日本の昔話は泣けるらしく、竹取物語はもちろん、桃太郎や一寸法師などの幸せな結末の話でも序盤を読むだけで子供のように泣いていた。
ちなみに蒼羽の好きな天文学の本は「難しい、キライ」だそうだ。
「俺、その本好きじゃねーな」
「なんで?」
絲が集中して読む中蒼羽が呟いた言葉に、莉麻が質問を入れる。
「お人好しで馬鹿な青い目した王子の像の話だろ? 他人を助けて感謝されるどころか捨てられるなんて間抜けすぎるだろ」
「まぁ、確かに言われてみればそうかもな。でも、それでも、人が喜ぶことをするのがその王子の幸せだったんだろ」
「俺はそんな馬鹿な幸せはいらねー」
そんなくだらない話をしていると、写真館のドアが勢いよく開いた。
「爺さんいるかー?」
ドアを開けた青年はどうやら玉川のじいちゃんを探しているようだった。
「げ、清親」
「なんだよ、お前しかいないのか」
嫌そうな顔をする莉麻に、同じく嫌そうな表情の青年、清親。二人は知り合いのようだが仲はよくなさそうだ。
「何か用かよ」
「お前じゃねえよ、爺さんに……と、客がいたのか。悪い」
話を続けようとした清親は蒼羽と絲を見て、不機嫌な表情を崩した。
「ん? どっかで見たことあると思ったらこの前何かで祝われてた軍の奴?」
「もうそれは忘れてくれ」
誕生日のことをまさか今更掘り返されると思わず、蒼羽は被せ気味に告げた。
清親はあまり気にしてないのか感想を続ける。
「軍には子供の兵もいるって聞いたが、本当にお前みたいに小さいやつも駆り出されてんだな」
「俺は十六だ」
蒼羽は真顔のまま端的に伝える。
「え、同じ年……?」
「なんだよ」
信じられないと顔に書いてあるぞと言ってやりたい気持ちを飲み込み、蒼羽は眉間にしわを寄せた。
気まずそうに逸らした清親の視線がある一点で止まる。
「こ、これは!」
清親は棚の上のものを手に取り、大きな声を上げて莉麻に詰め寄った。
「これは誰だ⁉ どこの子なんだ⁉」
「ちょ、落ち着けよ、近すぎて見えないって」
清親がテーブルの上に現像済みの乾板を置く。
その写真には奇麗な顔立ちの女性が映っていた。和装ですました表情、その立ち姿は凛とした美しさを感じさせる。
「さぁ? お客さんだろうけど私は見習いだから撮ってないし。今日、じーちゃん奥の掃除してたからおそらくしまい忘れたもんだろうけど」
確かに清親が乾板を見つけた辺りには荷物が積みあがっている。
清親は莉麻の答えが不満だったのか今度は蒼羽の手を取り詰め寄った。
「君! 俺は最近この街に来たばかりだが、君は昔からこの辺に住んでるんだろ? このマドンナについて何か知らないか?」
「まど……? いや、急に言われても……こんな人いたかなー。俺が知らないってことはお前らと同じで最近この街に来た人かもな」
清親の勢いに蒼羽は背を逸らせながら答える。勢いが凄すぎる。近い。
「そういえば、お前らはなんでこの街に来たんだ? 他の街に比べて物騒だろ」
他の街に比べたらここは吸血鬼の出現率が高すぎる。普通、好き好んでそんな街に来るだろうか。
蒼羽の質問に莉麻は胸を張って答える。
「私はじーちゃんの写真館を継ぐためだ」
写真館を継ぐ、確かに至極まっとうな理由だ。
「そして吸血鬼を撮影する初めての人間になるためだ」
「うんうん……は?」
何か今聞き捨てならぬことを言わなかっただろうか。
「俺は画家になるため修行でいろんな街を回っていてここに来た」
こちらもそれなりに普通の理由だ。
「あと、吸血鬼をもう一度この目で見てこの手で描きたい」
「何言ってんだお前ら……」
どうやら好き好んでこいつらは吸血鬼に会いに来たらしい。
「以前一度だけ吸血鬼を見たんだ。人を襲った後で逃げるところだったんだが、その姿が頭から離れないんだよ」
「うん、病院行った方がいいぞお前」
この男は吸血鬼に憑りつかれでもしてんじゃないだろうか。
「俺には、そいつが泣いてるように見えたんだ」
「泣いて……⁉」
蒼羽の脳裏に涙を流した吸血鬼の姿が浮かび、自然と胸が締め付けられる。
「まぁ、血がついててそう見えただけだがな」
「ややこしいわ!」
どうやら本当に泣いたわけではないようだ。
そのことにほっとするとともに、少し残念に感じた。
「絵なんて余計な思考が反映されるだろ」
「写真は見たものそのままで芸術とは言えない」
蒼羽はため息をついて喧嘩している二人に視線を向ける。
「お前らな……好奇心はほどほどにしとけ。命がいくらあっても足りねーぞ。撮影機材や筆じゃ奴らには勝てないからな」
「だーいじょうぶだって」
声を揃えて言う二人に、蒼羽は再び大きなため息を吐いた。
こいつら吸血鬼に遭遇することがどういうことか全く分かっていない。この街の人が今の聞いたらびっくりするどころか呆れるに違いない。
「君、写真撮り終わったんだろ?」
「そうだけど」
清親が蒼羽の手を取って顔を寄せた。
「ちょ、お前近い」
「マドンナ探し手伝ってくれ!」
「はぁ?」
冗談じゃない。写真を撮ってただでさえ疲れているのに仕事前に訳の分からない人探しなんて御免だ。
「俺は忙しいんだよ。夜は巡回だってあ」
「そうか、快く引き受けてくれるか」
「お前の耳機能してる?」
蒼羽の手を取りお礼を言う清親にもう何言っても無駄だと蒼羽は諦めの境地になった。
「絲、行くぞ」
「絲、ここ、いる。本、読む」
絲はここで幸福な王子を読んでいたいらしい。
「ちぇ、俺一人かよ」
誘いを断られると思っていなかった蒼羽は小さく文句を呟く。
「現像しておくからそいつとブラブラしてきていいぞ。ただ、上手く撮れてなかったらやり直しだから早めに帰ってきてくれ」
「じゃ、借りてくぞー」
莉麻の許可も得て、清親は蒼羽の手を引いてドアに向かった。
「どいつもこいつも俺をなんだと思ってんだよ」
蒼羽の訴えは兄にも清親にも当分届きそうにない。




