雨の日の少女亡霊事件Ⅸ
「だから聞こえないんだっつの」
蒼羽は間髪入れずに下から刀を振り上げた。
吸血鬼は器用に避けてそのまま蒼羽の背後に回る。
「ちっ」
蒼羽は後ろからの攻撃に対処しようと刀を構えながら振り向く。
だが、奴は蒼羽の背後を狙うことなく、座り込んでいる亡霊の方へ向かっていった。
「くそっ」
今度は蒼羽が吸血鬼の背後を取り刀を水平に振る。
吸血鬼はしゃがんでそれをかわし、硬い指先を亡霊に突き立てようとした。
「この、野郎っ」
蒼羽は右を向いた体を反対に急回転させ、吸血鬼に回し蹴りを入れる。
吸血鬼の鋭利な爪は亡霊のおでこ辺りを擦り、蹴りを入れられた吸血鬼は雨の水滴と共に横に吹っ飛んで煉瓦造りの壁にぶち当たった。そのまま地面にずり落ち、パラパラと割れた煉瓦が吸血鬼に降り注いだ。
「お前、怪我っ」
蒼羽は急いで亡霊の状態を確認する。
今の衝撃で少女のカツラが脱げ、見覚えのある短い髪が姿を現した。
その子の額からは鮮血が流れている。
「ごめんなさあい」
彼――名月は大粒の涙を流しながら叫んだ。
「いいから、早く止血しろ」
蒼羽は懐から手拭いを取り出して名月の額に押し当てる。
血は出ているが幸い傷は浅い。助けられたことにほっと胸を撫で下ろした。
手拭いを彼の頭に結びつけ固定して自分で止血させ、蒼羽は吸血鬼の方に向き直る。
吸血鬼はどうにか立ち上がろうとするが、力が出ないのか荒い息を吐いて壁にもたれかかっていた。
「お前は、一体何なんだ? 他の吸血鬼と何故違う?」
吸血鬼はゆっくりと顔を上げる。
長い髪の隙間から覗く表情は先程と変わらないのに、その瞳が悲しく揺れたように見えた。
「ア……フ……ヨ」
吸血鬼の声は人間と違うからかやはり上手く聞き取れない。
「やっぱ何て言ってるかわかんね……おい、お前聞こえてんならもう一回言ってみろ」
蒼羽が吸血鬼の言葉に神経を集中させようとした時、何かが顔の横を掠めた。
その何かはまっすぐ吸血鬼の胸に突き刺さる。
吸血鬼の首輪の金具が音を立てる。
吸血鬼は髪を振り乱して苦しみ断末魔が辺りに響き渡る。
蒼羽は愕然とそれを見つめていた。
吸血鬼の胸に刺さったのは木の杭だ。
そのたった一撃で、目の前の化け物は黒い灰に変わっていく。
そいつは最期に涙を一筋流し、笑ったように見えた。
蒼羽は乱れた髪の間から見えたその表情に動揺しながらも、背後からの攻撃を思い出しすぐに後ろを向く。
屋根の上にいた小さな人影は吸血鬼の最期を確認したからかすぐに姿を消した。
「待てっ」
追いかけようと足を踏み出した蒼羽は、袴を引っ張られてそのまま前方に転んでしまった。
「……」
袴を引っ張った犯人はズビズビと音を立てて鼻水を垂らして泣いている。
血と涙と鼻水と雨で彼の顔面はぐちゃぐちゃだ。
「ごべんなざあい」
額を押さえながら謝り続ける彼に、蒼羽は盛大なため息をついた。
体を起こし、名月の前に胡坐をかいて座る。
「少女の亡霊はお前だったんだな、名月」
蒼羽の言葉に観念したように名月は頷いた。
「おねえちゃんがみんなの中で忘れられちゃうのがこわかった。そう思ってた時におねえちゃんが夢に出てきて言ったんだ。私は今日はここに行きたいなって」
名月の言葉が蒼羽の胸に突き刺さり、蒼羽は手を握り締めた。苦しい気持ちが痛いほど分かる。
「だからおねえちゃんが夢に出てきた場所におねえちゃんの恰好をしてこっそり行ってみたんだ。そしたら僕を見かけた人がおねえちゃんの話をしてくれて……いい話じゃなかったけど、それでも僕は嬉しかった」
彼はしゃくりあげながら迷いなく言葉を吐き出す。
「おねえちゃんが夢に出るたびにおねえちゃんのふりをしてそこに行ったんだ。そしたら前みたいに二人で遊んでる気がして」
そこまで一気に吐き出した後、彼は顔を俯かせる。
「分かってる、分かってるんだ。おねえちゃんはもういない。こんなことしてもみんなを困らせるだけって」
少年は顔を上げ、びしょ濡れの顔を歪めて蒼羽に尋ねる。
「でも、じゃあ、僕はどうしたらいいの?」
切実なその声に蒼羽は息ができなくなりそうだった。
小雨の雫が二人を静かに濡らしている。
その沈黙を破ったのは名月でも蒼羽でもなかった。
「名月!」
少年の視界は突如塞がれた。彼の母の腕によって。
蒼羽が目を丸くしながら名月の母のやってきた方を見ると、同じくこちらに駆け寄る父親と少し離れたところに佇む絲が見えた。
息を吐いて立ち上がり蒼羽は絲の方へ向かう。
母親は名月を抱きしめたまま泣きながら言葉を紡ぐ。
「ごめんね名月、間違ってたよね、あの子はちゃんと生きてたんだよね。私達があの子をなかったことになんてしちゃだめだよね。助けてあげられなくて、分かってあげられなくてごめんね、辛かったね」
母の言葉に名月は更に泣き声を上げる。
父親もそんな二人を優しく包み込むように抱きしめた。
絲の横に立った蒼羽はそっと絲に尋ねる。
「いつからいたんだよ……お前が連れてきたのか?」
絲はこくりと頷いた。
「よくここが分かったな」
その言葉に絲は目の前を指さした。
「へ?」
目の前に現れた半透明のものを見て、蒼羽は驚きで声が出なかった。
ここまで絲を案内したであろう半透明の彼女はふわりと宙に浮き絲に尋ねる。
「本当にあなた、この人と一緒にいていいの?」
絲は今度は彼女に向かって頷いた。彼女はふーんとだけ言い、家族の元へ向かう。
――助けて……みんなを……あの子を……助けて
思い出した。夢の中のあれは、彼女の声だ。
彼女は抱きしめるように家族三人にぴったりとくっついた。
「ありがとう、みんな。愛してくれて。私もずっと大好き」
その表情はとても幸せそうだった。
空から光が差し込む。
彼女はこちらを見るととびきりの笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
そのまま光に吸い込まれるように消えていく。
「おねえちゃん……?」
名月が見上げた空には奇麗な虹の橋が架かっていた。




