さよなら。
久しぶりに莉音の家にやってきた俺は、莉音お手製の甘辛中華丼をご馳走になった。そしてその後、2人で一緒に皿を洗ってリビングで一息ついていると、ニヤニヤとした笑みを浮かべた莉音がお茶を運んで来てくれる。
「美味しかったでしょ? あたしの手料理」
「美味かったよ。……というか、食べてる最中に何度も褒めてやったろ?」
「いいじゃない。未白に褒められることなんて滅多にないんだから、褒めてもらえる時に褒めて欲しいのよ。……どう? あたしの手料理、美味しかった?」
「……美味かったよ。美味かった、美味かった」
「ありがと。嬉しい」
俺の投げやりな言葉を聞いて、莉音は本当に嬉しそうに笑う。
「……それで? 結局、何があったのよ」
そしてそのまま俺の目の前に座った莉音は、見透かすような目でそんな言葉を口にする。
「なんだよ。藪から棒に」
「あんたが急に、一緒に帰ろうなんて言い出した理由よ。本当は何か、理由があるんでしょ?」
「……それはさっきも言っただろ? 俺はただ……お前が少し寂しそうに見えて、だからそれが心配で──」
「あたしは別に、寂しくなんてないわ。……というより、寂しそうにしてたのはあんたの方でしょ?」
「それは……」
しとしとと、窓の外から雨の音が聴こえてくる。どうやら雨が、降り出したようだ。
「高校に入ってからのあんたは、勉強も部活も辞めて抜け殻みたいな生活を送ってた。……なのに突然、どうしてか昔よりずっと元気な顔で、一緒に帰ろうなんて言ってきた」
「確かにそれは、気になるな」
「なに他人事みたいに言ってるのよ。……本当に、なにがあったのよ?」
莉音は心底から心配にそうに、俺の顔を覗き込む。
「……別に、何もないよ。ただ俺も、いつまでも落ち込んではいられないなって、そう思っただけだ」
「……ほんとに?」
「どうしてそんなに、疑うんだよ」
「そんなの、決まってるじゃない。あたしはずっと、あんたのことを見てきた。……急に何もかも諦めちゃったあんたを、あたしはずっと見てたのよ。……なのにあんたは、あたしの知らないところで急に元気になって……。そんなの、心配するに決まってるじゃない」
「…………」
そういえば前のループの時も、莉音はそんなことを言っていた。そして、自分じゃなくて紗耶ちゃんが俺を立ち直らせたことに、嫉妬していた。
「何もないなら、別にいいのよ。……でも、あたしが寂しそうに見えたとするなら、それはあんたに……元気がなかったからよ」
「……今までごめんな、莉音」
「なんであんたが、謝るのよ、あたしには、関係ないことなんでしょ?」
「……あるんだよ」
莉音に聞こえないよう、小さく呟く。
「でもいいの。あんたが元気になったなら、あたしはそれだけで満足。だってあんたが元気になったってことは、また一緒に遊べるってことでしょ?」
「そうだな」
「うん。ならあたしから言うことは、何もないわ」
莉音は笑う。孤独なんて一切感じさせないような晴れやかな表情で、莉音は笑う。
「…………」
それで俺は、ようやく気がつく。俺はずっと、勘違いしていた。莉音は何か問題を抱えていて、俺がそれを解決しなければならない。そんな風に、思い込んでいた。
けど思えば、孤独を癒すのにその孤独を理解する必要なんて、どこにもない。孤独なんてものは、ただ好きな人が隣にいてくれるだけで、簡単に癒やせてしまうものだから。
でも、それは……。
「……またテストで勝負したりするのも、悪くないかもな」
莉音の真っ直ぐな瞳から逃げるように、そう言う。
「そうね。でもずっとサボってたあんたが、いきなりあたしに勝てると思う?」
「高校のテストなんて範囲狭いんだし、1週間もあれば対策できるよ」
「それは流石に舐め過ぎね。あんたが思ってるほど、高校のテストは甘くないわよ?」
莉音はいつものように、綺麗な金髪をなびかせる。俺はそんな莉音を尻目に、目の前に置かれたお茶を飲み干す。
「おかわりいる?」
「いや、今日はそろそろお暇させてもらうよ」
「……そう。でもまだ早いんだし、もうちょっとゆっくりしていってもいいんじゃないの? ……ううん。なんなら泊まっていったって……」
「でも俺は──」
「あたしはあんたに、そばに居て欲しいの。……ダメ?」
莉音は甘えるように、俺を見る。その目には隠し切れないほどの好意が詰まっていて、勝手に心臓がドキドキと高鳴りだす。
「…………」
でも俺は、莉音の好意に応えることはできない。俺が莉音を好きになると、またクロが……死んでしまう。
正直、他の子と比べて莉音の問題は簡単だと思っていた。だって紗耶ちゃんや汐見さんは一度俺を殺しているし、美佐子さんは自ら命を断っている。
そんな3人と比べたら、莉音の問題は比較的簡単だ。そんな風に、思っていた。……でもそんなの、ただの思い込みだった。
愛してもらわないと、癒やせない孤独。
それは今の俺には、何より難しい問題だ。
「……ごめんな、莉音。お前がそう言ってくれるのは、素直に嬉しい。けど今日は、本当に帰らなきゃいけないんだ」
「……絶対?」
「ああ。だから……だからまた今度、遊びに来るよ」
「約束よ?」
「分かった。約束する」
莉音は甘えるような表情で、小さく笑う。そんな莉音は、やっぱりとても可愛い。……でも今の俺は、それ以上の想いを持つことはできない。
「じゃあ、またな。莉音」
そして俺は、そのまま真っ直ぐ帰路に着く。気づけば雨は、いつの間にか止んでいた。
「俺はまだ、莉音のことが……」
真っ白な月を眺めながら、莉音の笑顔を思い出す。すると……。
すると不意に、頭が痛んだ。
「……っ!」
その場にうずくまり、痛みに堪える。幸い、痛みは数秒で治った。……けどその代わり、どうしようもない不安が胸を衝く。
「この痛みは……」
この頭の痛みは、クロが死んでいた時に感じたあの痛みと、同じものだ。そう気がついた瞬間、俺は全速力で走り出す。
また、クロから心が離れた。知っていながら、また同じミスをしてしまった。
そんな焦燥感にただ足を動かし、そして……その光景を見た。
「なんだよ、これ……」
玄関の扉を開けると、そこは一面の赤だった。赤。赤。赤。真っ赤な血が、見慣れた玄関を地獄のように染めている。
「……すまん、未白。我にはこうすることしか、できなかった」
そんな赤の中から、声が響く。
「この娘は未白を……殺そうしていた。だから我は……」
この血は、クロのものではなかった。この真っ赤な血は、この場にいる筈のない……後輩の女の子のものなのだろう。だってクロの後ろには、彼女の……。
「理由は後で聞く。だから、クロ。俺を殺せ」
「……よいのか?」
「ああ。俺は失敗した。だからもう、そうするしかないんだ」
「……分かった」
そう答えたクロは、迷うことなく……俺の胸に穴をあけた。
そうして今日──5月26日。久折 未白は、当たり前のようにこの世を去った。