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  作者: 無月雨景
4/10

暮れゆく草原に少年は立つ

      七


 ウィックは、ナタを振り上げた。今から行う事の恐怖に震え、目に涙が溜まった。逃げようとするそれを抑える左手に強く力を込めた。鼻から息を強く吸い、歯を食いしばるとウィックはナタを振り下ろした。


 色鉛筆の出来事から学校に行き辛くなっていたウィックは、時折学校に顔は出すものの教室には行けず保健室に居た。そこで手の空いている先生に勉強を見てもらっていた。しかし、その後リークが死んだ事でいよいよウィックは学校に行く気力も無くなっていた。何もしたく無かったし、ナオマクの農場へも行っていなかった。それでウィックは、朝から晩まで何もせず劇場に居た。腹が空いたら農場で貰ったお金でパンを買い、夜は家に帰り母親の作る夕食を無言で食べた。親子の会話は無く、食器の音だけが響く夕飯風景であった。

 その日も劇場で夕方まで過ごし家路についた。住宅地を抜けると、ウィックの影の先に三人の少年がいた。モールとカテルとウートだった。ウィックは、後退り逃げる体勢を取った。しかし、すかさず両側にカテルとウートが動き逃げ場所を失った。モールがウィックに近づき、襟元を掴み上げた。四年前よりも身体の大きくなった十歳のモールは、ウィックの体を持ち上げるほど力が強かった。

「目障りなんだよ」

 モールの憎らしそうに睨む目が、ウィックを貫いた。

 ウィックは、締め上げられ息が出来ず、何とか掴まれているモールの手を外そうと足掻いた。その足がモールの膝に当たった。その痛みにモールは苛立ち、掴んだウィックを投げ捨てた。ウィックは、草叢に体を打ちつけ転がった。直ぐには起き上がれず、うつ伏せに倒れたまま痛みに顔を歪めた。

「お前のせいだ!お前のせいで!」

 モールは、ウィックの背中に叫ぶと、その脇腹を蹴り上げた。ウィックは、衝撃で横に転がり、蹴られた脇腹を抑えてくの字に体を曲げた。痛みと唾液がウィックの口から吐き出された。

「お前なんか!」

 起き上がろうとするウィックの左頬にモールの平手が打ち付けられた。ウィックは、仰け反り倒れ掛けたが今度は倒れなかった。目の前の暴力から逃げる為には倒れる訳にはいかなかった。ウィックは、恐怖しながらも目の前のモールの次の動きを見ようとした。リークの様になぶり殺されるのは嫌だと、ウィックは思った。

 モールは、泣いていた。彼自身も自分が涙を流しているのか分からなかった。目の前の男の子の事が気に入らなくて堪らなかった。何故そう思う様になったのか、今は薄らとしか思い当たらない。とにかく苛つくのを感じた。虐めて暴力を振るっているのは自分だ。だが、教室に彼の顔が見えない事に不安を感じた。言い知れぬもやもやが彼を支配した。だからこうして、来そうな場所で待ち伏せてた。カテルもウートもウィックにこだわる事に飽きているのが分かっていた。彼らにとっての遊びのブームは、とうに過ぎていた。しかし、モールはウィックの事が頭から離れなくて戸惑って居た。自分の理解できない感情を持て余していた。

「お前なんか要らないんだよ!」

 打ち消す様にモールは、よろけながらも立っているウィックの腹を足の裏で蹴りつけた。ウィックは、今度は立って居られず、強かに尻を突き仰向けに倒れた。ごほりごほりと苦しげなウィックの咳き込む音が聞こえた。

「モール、もう帰ろうぜ」

 カテルが、モールを伺う様に言った。

 ふんっとモールは、鼻息を投げ捨てウィックを睨みつけてから踵を返した。

 モールは、住宅地に向かいながら、かつて友達だった頃のウィックの心強い笑顔が過って、イラついて奥歯を噛んだ。

 モールは、信じていたかつての友の姿に失望していた。


 翌日ウィックは、朝早く町役場に出向いた。

 平日の朝早くではあったが、想像していたよりも人が居てウィックは、緊張した。本来なら学校にいる時間に彼がここにいる事は、不自然な事だとウィック自身も考えていた。しかし、それほど周りの人たちはウィックに気を留めなかった。それぞれが自分の用を処理する為に来ていることもあるが、高齢者が多い事もその理由の様に思えた。変に関わられると困るウィックは助かった。しかし、緊張感は変わらない。

 受付に行くと若い女性が居て、やはり怪訝な顔をされた。ウィックは、震えながら「僕、町長さんにお話があります」と伝えた。

「君、学校は?」

 受付の女性は困った様に尋ねた。

「や、休みました。お父さんの手伝いで・・・代わりにここに来る為に・・・」

 何となく用意していた言葉だった。しかし、これが効果的だとは思っていなかった。苦し紛れな言葉だった。詳しく聞かれてしまえば何も答えられない。

 受付の女性は少し困った顔をしたが、それ以上質問もせずに用紙に書き始めた。「お名前は?」と、用紙に目をやったまま聞いて来た。

「カリクの息子のウィックです」

 名前を伝えると、受付の女性は用紙を係りに渡した。それからさほど経たずに町長の執務室に通された。


「今日は、どういった要件なのかね」

 執務室の扉が閉まると、席から立ち上がった町長のモリヌがウィックに尋ねた。

「・・・あの・・・」

 ウィックは、その言葉を口にする事を躊躇ってしまった。昨日の出来事がウィックをここに突き動かしたのだが、運命の一歩だと自覚した時の足の重さを彼は思い知った。それでも、握った掌に爪を立て気持ちを押し上げようとした。モールに言われた、お前なんか要らないんだ。と言う言葉を押し退ける為に今踏み出さなければならないと、ウィックの心が言っている。そして、彼はそれに従いたかった。

「すまないな」

 町長のその言葉に、ウィックの決意が少し揺らいだ。

「息子のモールが、君に対して酷いことをしている事は知っていた。これは言い訳にしかならないが、何度もあの子にはやめる様に言ったんだよ。それでも今も続いている様だ。本当に申し訳ない」

「あの・・・」

 ウィックは、戸惑った。しかし、謝罪を聞くために来た訳では無いと思い直した。

「息子と君が仲の良い友だちだったのを知っているだけに心苦しい」

 モリヌは、言葉とは裏腹に表情が変わらずウィックに語った。

「違うんです。・・・モールは許せない・・けど・・・」

 モリヌは、おや?という顔をして、ウィックの次の言葉を待った。彼が、父親の事や息子のモールにされた事を糾弾し、謝罪や慰謝料を求めるものだと思っていたのだ。だから、父親のカリクの事よりモールの事に話を持っていこうとした。モリヌは、ウィックの父親の事を追求された場合、どう答えるべきか考えを巡らせていた。

「僕は、ニコフ小父さんが、飛べた事を証明したいんです。・・・マルカブス・ムットに・・挑・・戦・・・っさせて、ください」

 ウィックは、ここに来た目的をつかえながら口にした。モリヌの表情が変わり、驚いたのがウィックにも分かった。

「いや、しかし、君はまだ子供だ。それはさせられない」

 モリヌには、ウィックの父親の事もあり、ウィックの申し出に首を縦に振る事は出来なかった。だが、今回の挑戦者が未だ見つかって居ないのも事実だった。今回もウィックの父親の様になってしまう事は問題だと考えた。

「僕は、四年前に小父さんの手伝いをして、一緒に翼を作ってました。だから、きっと小父さんの翼を作る事ができます」

 ウィックは、モリヌの動揺に縋った。しかし、それは嘘だった。手伝ったと言っても、直接的な作業はして居ないし、当時は今よりももっと幼く、記憶も曖昧だ。とても同じ翼など作れる訳が無い。しかし、少年には根拠のない自信はあった。飛んだ実績のあるニコフと一緒に過ごした時間は、それを後押しした。

 モリヌは、考えていた。四年前に墜落死したウィックの父親のカリクの雪辱を晴らす為に息子が飛ぶ。それは成功すれば、大きな宣伝になる。カリクが墜落死した事は、秘密裏に処理したが、噂は町中に広まっている。ニコフの件から始まり、この町を舞台にした戯曲にもなるかも知れない。そうすれば、この町に人が訪れて活気付くだろう。しかし、リスクが高い。子供を飛ばすとなれば批判が殺到するかも知れない。ましてや彼が失敗して父親と同じ運命を辿ったとしたら・・・

「だめだ・・・」

 モリヌは、絞り出す様に言った。

「でも、僕は!」

 しっとモリヌは、指を一本立ててウィックの言葉を遮った。

「そう、私は反対した。しかし君は、無理にでも挑戦したい。」

 モリヌは、そう言いながら紙とペンを取り出して、何かを書き始めた。

「私の反対を押し切るのだ。一つ二つ条件を出そう。一つは、君の意思で私の反対を押し切った事を認める事。もう一つは、成功しなければ、君が挑戦した事を誰にも言わない事。母親にも挑戦する事は言ってはいけない。友達にもだ」

 モリヌの出した条件は、ウィックには何の支障も無いと思える事だった。

「それが約束できるなら、これにサインをしなさい。形式上ではあるが、約束を形として残しておきたい」

 ウィックは、躊躇いなくサインした。

「そして、これはニコフが使っていた倉庫に残っていた資料だ。設計図もある。これを君に貸し出そう。当日の朝には、全部返して貰いたい。大事な資料だからね」

 そう言うと、モリヌは机の引き出しから大きな封筒を出してウィックに渡した。それはモリヌが予め、参加する人に成功率を上げる為に渡そうと用意していたものだった。ウィックに取っては大好きな小父さんの残してくれた宝の地図だった。

 こうして、ウィックは、マルカブス・ムットに挑戦する事になった。その日のうちに廃劇場を作業場にして翼を作り始めた。


 ナタを振り下ろしたウィックの手に血が飛び散った。ウィックは、それに恐れ慄き体を引いた。その事で、左手の力も抜けてしまった。首を失ったそれは、それでも逃げ出そうとする脳の残した指令を遂行しようとしてか、残った足と翼を必死に動かしている。血を流しながら動き続けるそれに恐怖しながらも両手でそれを押さえつけた。その手にまだ動き続ける筋肉の感触が伝わって来た。ウィックは、吹き出る汗をそのままに動かなくなるまで抑え続けた。多くの血を失ったそれは、暫くして動かなくなったが、廃劇場の床が流れた血で濡れていた。ウィックの手も押さえつけて時、抵抗を受け爪により切り傷が出来ている。ウィックは、動かなくなったそれを長い間抑え続けた。離したら動き出すのではと怖かった。

 廃劇場で翼作りを始めたウィックは、町長に用意して貰った木材や竹材、釘や紐を使い骨組みを作った。まだ、十歳になったばかりの経験も知識もない少年には難しい工程ではあったが、ニコフの遺した図面を手掛かりに少しずつ進めて、骨組みが完成したのは、祭りの二十日前だった。

 町長との約束もあり、学校にも登校した。相変わらず教室には行けなかったが、材料を工面する条件として仕方なかった。モールたちは、ウィックに関わっては来なかった。町長から注意があったのだろうが、それだけでは無いようだった。ともかく、ウィックにとって余計な邪魔が入らない事は、作業効率的にも良かった。

 ウィックは、自分の組み上げた翼の骨組みを見ながら、ニコフが作っていた翼を思い出して満足げに腕を組んだ。ウィックの記憶は曖昧ではあるが、不恰好なウィックの翼は、少年の目にはとてもカッコ良い出来に見えた。各所の採寸がバラバラで左右のバランスも悪く、軽くする為に削ったり磨いた骨格は重さも均一にはなっていない。飛べるような代物ではとても無かった。それでも、少年の心には大空を自由に渡る姿がありありと映っていた。

 ここまでの形はニコフが作っていたものをウィックが倉庫で見ていた。この後どうすべきかウィックは悩んだ。確か、ニコフは皮を張って風を受けられるようにすると言っていた気がした。しかし、動物の皮は高価でウィックには用意できそうに無い。町長にお願いしても受け入れて貰える気がしなかった。皮の代わりに薄い布を張ったらどうだろうとウィックは考えた。風の強い日に飛ばされるシーツを思い出した。あれなら代わりになるとウィックは確信した。

 シーツを用意してみたものの、釘で止めるのは難しかった。ピンと張ろうにも釘の所から裂けてしまうのだ。そこで一端を糊付けして、薄い板で挟みその板を釘で固定する事にした。その事で一定の強度が得られ貼り付ける事に成功した。しかし、ここでウィックは物足りなさを感じた。翼らしさを追加したいと考えた。そうだ、羽根を付けたら風を切って飛べるはずだ。とウィックは、思い至った。鳥の様に飛ぶ為には、鳥の羽の力が必要だとウィックは考えた。

 真夜中、ウィックはナオマクの農場に忍び込み、鶏小屋から四羽の鶏を盗み麻袋に入れて、劇場に運んだ。袋をしっかりと閉めて、帰宅し就寝した。翌朝、道具小屋から父親の使っていたナタを持ち出し、廃劇場に置くと登校した。


 一羽目の鶏を何とか絞めたものの、当初の目的の羽は血に濡れてしまい、洗ったとしても使えるとは思えなかった。ウィックは、床に飛び散った血を破れた舞台の幕で拭きながら、羽が血に濡れない方法を考えた。吊るして下に桶を置いて血抜きをすれば良いという事にたどり着いた。やり方が分かれば簡単な話だとウィックは思ったが、自分が命を奪った事を思い返して掌を見た。正直、命を奪ったという手応えはそこには無かった。それよりも、動き続けていた筋肉の感触が不快に残っていて、体が震えている事に気が付いた。それでもまだ命を奪うやり方を考えている自分にウィックは、恐怖と興奮を感じた。

 舞台の上には、装置を固定する為に使われていたと思われるロープが幾つもあった。都合のいい事に、端の方には照明を吊っているバトンから垂れ下がっているものがあり、どれも強度は十分だった。

 ウィックは、震える手で鶏の脚と翼を細い紐で括り、動けなくすると垂れ下がるロープに結び付けた。鶏は逆さになって余り動かなくなった。ウィックは、再びナタを手にした。父親が使っていた良く手入れされているナタだ。

 そう言えばと、ウィックはそのナタを見て思い出した。


 それは、ニコフが亡くなった日の夜だった。

 その夜、父親のカリクは、夕飯を食べると直ぐ何処かに出かけて行った。そして夜遅くまで帰らなかった為、母親とウィックは、先に就寝する事にした。

 だいぶ深い時間になっていただろう。ウィックは、尿意で目を覚ました。トイレに母親を起こすのはカッコ悪いと先日モールたちと話した事もあり、ウィックは一人で寝ぼけた頭で怖いながらも暗い部屋をゆっくり歩きトイレを済ませた。ベットに戻ろうとしたウィックの耳に物音が聞こえた。外から聞こえるその音は、誰かが居ると彼に伝えた。そしてそれは、きっと父親だとウィックは思った。それでも、怖いのは変わらずなるべく音を立てずに外の様子を伺った。

 そっと開けた扉の向こうから、男の呼吸と草を踏む音がした。その音が聞き慣れた父親のブーツの音だとウィックには確信した。その呼吸は、走って来たのか乱れていた。

 父親の帰宅に嬉しい気持ちと、こんな時間に起きていた事を知られると叱られるという思いが入り混じり、気付かれないように父親の姿を見たいと考えたウィックは、そっと外に出た。父親は道具小屋に向かっていた。

 父親の背中を見ようと、道具小屋に近付くと中に父親がいるのが分かった。扉の隙間から覗き込むが、余り光が入らない為中は良く見えない。小屋の中の父親は、何かをずっと呟いていた。

「・・・無かった・・仕方無かったんだ・・仕方・・・無かった・・・」

 ウィックは、尋常では無い父親の様子に怖くなった。そこにすっと月明かりが差し込み、何かがきらりと光り父親の横顔が照らされた。その頬に赤い何かが付いていた様に思えた。そして光ったのは、ナタであった。

 ウィックは、震えたが気付かれてはいけないと、静かに家の中に戻って布団を被った。

 怖くなってぶるぶる震えた。

 あれは誰だ?知らない。お父さんじゃ無かった。あれは知らない人。人では無いかもしれない。

 ウィックは、長い間眠りにつく事ができなくなった。父親は、ウィックが眠りに付くまでには戻って来なかったが、翌朝母親が明け方に朝食を作っている音で目を覚ますと、父親はテーブルの席に座り、「おはよう」とウィックに笑ってみせた。そのコーヒーを持つ手が左手で、震えていた事にウィックは気が付かなかった。

 母親は、ニコフに朝食を届けると言って、朝食を食べ始めたウィックの額にキスをして出掛けて行った。


 ウィックの振るったナタは、鶏の首を傷つけたが命を奪うほどの傷では無かった。思い出された恐怖とロープが揺れてしまった為だった。

 朧げに思い出されたあの夜の父親と思われる人物の様子にただならぬ物を感じた。が、それが何を意味するのかウィックにはそれ以上考えられなかった。考えてはいけないのだと、心がそれを奥に追いやっていた。鶏を目の前にナタを手にして振るった時、父親の「仕方無かったんだ」と言った言葉の端を指先に感じた。

 ウィックは、鶏の頭を持ち、「仕方ないんだ」と、ナタを動かした。





      八


 カリクにとってニコフは、無二の親友であった。

 ニコフの両親は、行商人として国内外を旅しその土地土地で商品の仕入れ販売をして商売をしていた。南の隣国ヘルナードのバルカッニと言う港湾都市で商売をして、母国であるカーナディアに向かった。

 都市を出て二日後に、後を追って来た盗賊に襲われ母親は殺され、父親は瀕死の重傷を負った。三歳になったばかりのニコフは、母親に守られ殆ど無傷であった。馬車に積んであった商品や金品を奪われ、それでも何とか意識を取り戻した父親は、妻の遺体と息子の乗った馬車を走らせ国境を渡った。国境警備の兵士に発見された時には、父親は生き絶えていた。そしてニコフは、両親の遺品から身元が分かり、カーナディアのヒソッス中央平原の町コルトスに住む父方の祖母の家に引き取られた。祖母の元、厳しく育てられる事となった。それは祖母のニコフが逆境に強く生きられる様にという思いからだった。ニコフは、元々明るく好奇心の強い性格も有り、親が居なくなってしまった事を周りに感じさせない位に元気に育っていった。

 一方カリクは、コルトスの東に住む農家の息子だった。良く病気をして、寝込んだ。肺の病を患い、咳き込むことが多く彼の母は、外に出すのを嫌がった。

 カリクが、三歳になった時母親が亡くなった。北の森に果実を取りに出掛け、そこで蛇に噛まれたのだった。噛まれた右足が倍ほどに腫れ上がり、それでも這う様にして帰ろうとしていた所を巡回中の守備隊に発見された。しかし、施しようが無く、数日苦しんだ後息を引き取った。

 父親は寡黙で真面目な性格であったが、妻を失った悲しみから酒量が増えていき、息子の世話も殆ど見なかった。見かねた父親の妹が家事の手伝いに来てくれる様になり、カリクは彼女に懐き慕った。それでも、母親が居ない夜はカリクの心の穴に冷たい風を吹かせた。

 それから数年経ち、カリクとニコフは五歳になり学校に通い始めた。そして、そこで出会った。

 会った直ぐから、何となくお互いの事が気に入り共に行動する様になり、お互いの家を行き来する様になり、殆どの時間を一緒に過ごしていた。

「俺は、世界を旅して回る冒険家になる!」

 ニコフは、棒切れを振り回しながらいつもカリクにそう言った。カリクも、ニコフが必ずそうなると確信していた。

「僕も旅をして世界を見てみたい」

 ニコフとなら何処にだって行ける。そうカリクは願っていた。しかし、代々受け継いできた大きくは無いが良い野菜が育つ畑は、自分が継いでいかなければならない。という、少年の夢には絶望的な障害がカリクを悩ませた。しかし、決してそれは嫌なことでは無い。体力の付いてきたカリクは、父親の仕事を少しづつ手伝える様になり、畑で自分の植えた作物が育つ事が嬉しくて誇らしい事だと知っていた。何よりも父親との時間が嬉しかった。少年の願いと夢は大陸を越えて行くが、感情と体はここに留まりたがっていた。そのむずむずとする葛藤は、友への裏切りの様にも思え小さな胸をちくりと刺した。

 ニコフは親友の後ろめたさなど意にも介さず、カリクを冒険ごっこに連れ出した。カリクは、何時もその後ろを追いかけついて行った。その時間もとても幸福だと感じていた。しかし、カリクの肺の病はまだ完治したわけでは無く、無理をすれば咳が止まらず呼吸がざらつき動けなくなった。酷くなると、意識を失い倒れることもあった。ニコフが遊びに夢中になり過ぎて、カリクの調子が悪くなる事がしばしばあり、その度にニコフは祖母にきつく叱られ、外出禁止を言い渡された。それでも直ぐに抜け出して、カリクを遊びに誘うニコフがカリクは大好きだった。

 十歳になった二人に新たに仲間が加わった。

 それは、その年この町に引っ越してきた織物屋の娘のメニアだった。当初、ニコフと仲良くなった新参者にカリクは嫉妬と疎ましさを感じた。しかし、切符が良く活発で二人を自分のペースに持っていってしまうメニアは、刺激的で直ぐにカリクの心を変えた。何よりも、二人が知らない世界の事を旅して見てきていた。その話を聞く事ができるのが二人には魅力だった。

 メニアは、その性格も有り新参者を排斥したがるグループには徹底的に対立していった。時折受ける嫌がらせにも臆せず、それをした相手に詰め寄っていた。その為、メニアを取り巻く環境ははっきりと色分けされていた。その性格を本人は余り好んで居らず、喧嘩してはニコフたちの前で落ち込んで反省していた。しかし、その反省は生かされる事はなく相手を目の前にしてしまうと、やはり敵対的な態度を崩せずにいた。だからカリクは、最初の彼女への印象が直ぐに好意的に変わった事を良かったと心底思っていた。

 メニアには、アニルと言う三つ歳下の妹がいた。休日に遊びに行く時は、姉の後ろに付いて来て、四人で町中や草原を駆け回った。大人しく優しい性格で、転んで膝を擦りむいたカリクの事を目に一杯涙を溜めて心配してハンカチを当ててくれた。そんな時でもニコフとメニアは、舐めときゃ治るとカリクの手を引いた。二人に置いていかれたく無いカリクは、痛みに顔をしかめながらも走り出す。その横をアニルは心配な顔で付いてきた。アニルが居る事で、ニコフとメニアのペースが調整されカリクはその背中をいつでも見ていられる様な気がした。

 ニコフとカリクの関係に少し変化が生じ始めたのは、二人が十二歳になった頃だった。

 メニアは、二人にとってマニアが気の合う活発な友だちから、視線を奪う異性となった。

 もともと発育の良いメニアは、二年の内にすっかり女性的な体つきになり、乳房も膨らんできた。ニコフとカリクは、メニアの変化と同じ様に異性を意識する様になっていた。自分の体が変化していくのを感じ、異性の変化を意識した。

 一緒に駆け回るメニアの姿に目を奪われ、揺れる胸を横目で見た。ニコフとカリクは、お互いがその視線の事をからかい合い、その情景を思い出し股間がむずむずとする感覚と恥ずかしさに訳も分からず笑い合った。

「・・・俺、メニアが好きだ」

 カリクの部屋に一人で遊びに来たニコフとカリクは駒を動かし陣地を取り合うゲームをしていた。カリクがベッドに腰掛け、テーブルを挟んでニコフが椅子に座っていた。そのゲームの最中にニコフが真剣な顔でそう言った。

「・・・え・・・」

 カリクは動揺した。二人ともそうなのは互いに分かっていた。しかし、確信が持てずに、関係が崩れる様な気もしてカリクは言い出せずにいた。それをニコフから言われてしまったからだった。これで、カリクは気持ちを隠す決心をしなければと息を潜め吐いた。

 カリクが視線を上げるとニコフが真っ赤な顔をして、カリクを見ていた。

「でも、よく分からない。俺は、カリクも好きだ。その好きとこの好きは違うのは分かるけど、よく分からない」

 カリクは、嬉しかった。ニコフに面と向かって好きだと言われる事がこんなにも首がむずむずして嬉しいと感じるとは思っていなかった。目の前のニコフは、二つの好きを親友に告白して俯いていた。耳まで真っ赤にして。そして、そのまま「だから・・・」と続けた。

「お前も好き・・なんだろ!」

「僕もニコフが好きだ」

 カリクも照れながら言った。

「違う!」

 ニコフがカリクの襟を両手で掴んだ。その勢いにカリクはベッドに倒れ込んだ。ガタンとテーブルが揺れ、テーブルの飲み物が波立ちテーブルを濡らした。

「正直に言えよ。お前もメニアが好きなんだろ!」

 カリクに覆い被さる様にニコフが言った。その顔は真剣で不安で強張っていた。

「・・・うん。好きだ・・・」

 親友の真剣さに押されて、カリクは繕う事ができずに素直に答えてしまった。本当は隠し通そうと決意したのに。

「で、でも、ニコフの好き程じゃ無い・・と思うし・・・」

 カリクが目を逸らしながら取り繕うと言葉を探した。

 ニコフは、大きな声で笑って、カリクの横に寝転がった。ベッドが狭い為、ずりずりとカリクを押してスペースを奪いながら。

「嘘つき。お前の嘘は直ぐ分かる。俺と同じくらい好きだ。絶対」

「うん。メニアの事、かわいいって思う。でも、好きの先がよく分からない。今と変わるのかな?」

「・・・お前も、あれ、好きだろ。そりゃ顔もかわいいけど、さ」

 ニコフは、鼻を指先で掻き天井を見ながら口籠もった。

「でも、あのメニアをかわいいって言うの僕らくらいかもね。みんなメニアの事おっかないって、言ってるし」

 お互いの心の奥の秘密を知って、以前よりも友情が深くなった気がした。それはきっと、メニアを好きな事よりもお互いの絆の方が大切だと思っているからだとカリクは感じた。メニアを好き。その先は見えなかったが、カリクとニコフの未来はお互いの中に明確に見えていた。

 二人は、戯れる様に笑い合った。

「あれってなんだよ。さっき言いかけた」

 カリクは、顔を上げてニコフに尋ねた。ほんの少し気になっていた。

「・・・あれだよ・・・おっ・・ぱい・・・」

 ニコフは、目を逸らしながら恥ずかしさで両腕で顔を隠した。

「・・・」

 カリクは、その言葉で何時も盗み見ているメニアの揺れている胸を思い出してしまった。大人のそれと比べたらかわいいものだが、同年代のそれは大きな興味の的だった。

「・・・だ・・な・・」

 カリクは、仰向けになりながら、ぼそりと同意した。

「・・・な」

「他の子よりも、・・・おっきいしな」

 二人は、お互い恥ずかしくて、また大声で笑った。足をバタバタさせて、スケベと言い合った。


 日が暮れて、ニコフが帰宅してそれぞれが一人になると、幼くして亡くした母を遠い記憶の中に懐かしんでいた。

 



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