望まれざる日常(仮題)
いつもの混雑具合が嘘の様であり、混雑の代わりに寂しさが漂う人気の少ない電車の中で天堂の隣には当たり前の様にニコニコ顔のルアが座っていた。
「まあ、そんな気はしていましたが……」
そう言いながら自分が買った切符を握りしめているルアの方を見た。
「ん? あー、ごめんねお金? とか持ってなくて」
「いえ。そういう気はしていましたから。それよりもどこに向かっているのか教えて頂けませんか?」
「まあまあ。それはわかってからのお楽しみって事で」
そう言葉にするルア。
こんな綺麗な人と一緒ではあるのだが、天堂は楽しいという気持ちが微塵も湧いてこなかった。
こんな夜に、どうして毎日会社に向かっている電車に乗らなければならないのか。
そしておそらくだが、目的地も自分の会社付近なのだろう。
何となくだがそんな予感がしていた。
「さて、魔法使いさんは何をしてくれるのやら」
そんな独り言をついいつもの癖で漏らした天堂に、ルアはきょとんとした顔をして自分を指差した。
「まほーつかいさんって私?」
「ええ。そうですよ」
何もない場所からブーツを取り出すしかつそれが手品でないとすれば魔法位だろう。
そう思った天堂の言葉にルアは微笑んだ。
「……そか。そっかー。まほーつかいさんかー。でもでも、私はサンタさんの方が可愛くて好きだな」
そう言葉にし、ニコニコとした表情を浮かべた。
今日何度も思った事だが、あいかわらず何を考えているのかわからなかった。
ルアに言われるままいつもの会社付近の駅で降り、そのまま手を引っ張られながら天堂は商店街の方に移動した。
おそろしく美人であるルアとさえない自分という対比の為か、それともコスプレも真っ青なサンタ服をしたルアの為かほぼ全員の視線がルアと自分に突き刺さる。
目立つ事を避けてきた天堂は逃げたい気持ちと居心地の悪さを覚えながら早く終わる様天に……いや、ルアに祈った。
ルアの目的の場所は場所ではなく、人だった。
仲良さそうに歩いている五人組。
老夫婦が後ろで満足そうな笑みを浮かべ、その子供で男性……自分とは違う好青年の男性とその横で幸せそうに微笑む女性。
そしてその若い夫婦の間にいる満開の花の様な愛くるしさを振舞う小さな女の子という宝。
それは理想的としか言えない家族の集団だった。
ちなみに四人の事は天堂は知らないがその内の一人だけは知っている。
天堂の働いている会社の上司のもう一つ位の上司、要するに天堂にとってはお上に当たる人物だ。
「どう思う?」
ルアの言葉に天堂が首を傾げた。
「どう、とは?」
その言葉にルアは何時もの様に能天気でニコニコ楽しそうにしながら――あり得ない言葉を発した。
「自分に嫌がらせをする上司が幸せそうにしてる。壊してやろうとは思わない?」
天堂は言葉を失った。
能天気で、頭の弱い子じゃないだろうか。
そんな心配していたルアからそんな言葉が出るなんて思ってもみなかった。
しかも表情も変えずまるで当たり前の様にである。
「会社で貴方に最初に嫌がらせを初めて、その上でそれを皆に強要して貴方を虐げるのを普通の状態にしたのがあの男だよ。ちなみに理由はあなたの学歴。ただそれだけ。ついでに言えば、貴方の勤務態度はめちゃくちゃに書き換えついでに仲間達と協力してかず君の功績の半分位は奪ってるわね」
そうルアは言葉にした。
確かに、天堂は会社であまり良い目に遭っていない。
客観的に見れば虐められていると言っても良いだろう。
低学歴ですらない中卒は人間じゃない。
そんな言葉を吐かれ役ただずと罵られ、会社のデスクがゴミ塗れになるのは大体の日常。
小突かれて青あざを作る事もあれば給料日に謎の請求で金を抜かれる事も多々である。
それも部署にいるおよそ二十人全員からのその様な扱い。
普通に見れば、それは虐めと言って良いだろう。
とは言え――天堂にとっては……。
「そう。あの人が始めたんですね。……それで?」
天堂はそう言葉にし、ルアが言葉を失った。
そう、天堂にとってそんな事、どうでも良い事だった。
いじめられる。
ひどい目に遭う。
それで天堂は仕返しをしようと言った感情や復習をしようという考えには思い至った事はない。
別に自分の事を聖人君子の様に思っているわけでも底抜けの善人というわけでもない。
純粋に、そしてシンプルに興味がなかった。
「……えー」
天堂をジト目で見つつ不満を露にするルア。
そんなルアに天堂は冷たい目を向けた。
「それで、ここに来た用事は?」
「……本当に良いの? あの人変わらないよ。ずっとかず君に酷い事し続けるよ?」
「ええ。で、それで?」
そう天堂が言葉にした瞬間、ルアは泣きそうな顔になった。
泣きそうな顔のまま、声を大にして叫んだ。
「今日の用事はこれで終わり! だからお金貸して!」
そんな事を言葉にするルアに天堂は首を傾げた。
「別に良いですが……どうするので?」
「せめて一緒に楽しい事しよ!」
「すいません。私は別に好きな事とかないつまんない人間ですので……」
「知ってる! だからラーメンだ!」
「……はい?」
「ラーメン!」
「……あの、脈絡が――」
「良いからラーメン!」
「……ああ。もしかして食べたいんですか?」
「うん!」
きりっとした顔でそう言葉にするルアを見て、天堂は暗い顔のまま頷いた。
「ええ。良いですよ。ですが、どこが美味しいでしょうね?」
「んーそうだねぇ……とりあえず歩いて探そっか」
「サンタさんでも美味しいラーメンの場所はわからないんですね」
「調べたらわかるよ? でもさ、こういうのって足で歩いて探すのが醍醐味なんじゃないの?」
「なるほど。良く知りませんがそう言うものなんでしょうね……」
「でしょうね! とうわけで行きましょう!」
そう言ってルアはまた天堂の手を引っ張り歩き出した。
ラーメンはそこまで美味しくなかった。
そして、サンタさんは自分の服が汚れない様に魔法を使ってラーメン屋の店主を偉く感心させていた。
「もう一度聞くけど、本当に良いんだね? 今特に願いはないんだよね?」
玄関に天堂が入った後、外からニコニコとしながらルアはそう尋ねた。
「はい。特にありませんし……正直、物事自体にあまり興味がないんです」
そう答える天堂に予想通りだったのかルアは寂しそな表情を浮かべた後ニコニコ笑った。
「では来週また同じ様な事を準備するね。お楽しみに」
「えと、同じ様にとは今日みたいにって事ですか?」
「うん! ちなみにあのゴミ上司は正直腹が立ったので家族の前で隠している事がバレる様呪いをかけておきました」
「……それは一体」
「ハゲです。ふさふさの髪は全てダミーで本当は歳相応でごま塩のバーコードです」
その言葉に天堂は目を丸くし、そして我慢出来ずに噴き出した。
上司は美形というわけではないがそこそこ顔が整っており、高齢にもかかわらず背も曲がってなければ髪も減っていない黒髪という事で女性から頼れるオジサマとして評判が高い。
それを知っているからこそ、天堂は笑ってしまった。
「知らなかった……」
「家族にも隠してますからね。だがそれも今日までです」
「……ま、秘密がなくなるというのは家族として良い事かもしれませんし。ええ。良いんじゃないですか」
そう微笑みながら言葉にする天堂。
「ですよね!」
そんな天堂を見てか、ルアは嬉しそうにそう言葉にした。
「では、あまり意味ないと思いますがまた来週」
そう言葉にし、天堂はドアを閉めようとした。
「はい。また来週!」
そう言葉にし、ルアはドアを足で止め、そのまま器用に隙間を縫って部屋の中に上がり込み、自然な様子でエアコンのリモコンをいじりだした。
「……あの、ルアさん。来週という話では?」
「はい。来週ですよ?」
そう言葉にし、天堂のふとんを敷きだすルアを見て天堂は猛烈に嫌な予感を覚えた。
「……あの、ルアさん。どうしてここにいるのでしょうか?」
「え? いちゃダメなの?」
「いえ。来週というのでまた来週遭うのかと……」
「え!? わたしここ以外行く場所ないよ」
そう言葉にしじーっと天堂を見つめるルア。
天堂は困惑し、顔を顰め……そして溜息を吐いた。
その日から、天堂の日常はこの世界のどこにも存在しなくなった。
ありがとうございました。