クリーム・パイ
ジャスティスタワー中層、マーサの部署では、執務室の補机で眼鏡先輩が馬車馬のように働かされていた。書類がたまっていたのである。
忙しい時間に帰投し、再出撃の許されなかった眼鏡先輩の、運の尽きであった。
眼鏡先輩が何かを感じ、突然立ち上がった。
「マーサ様!わたしは行かないといけません!」
「座りなさい」
マーサは眼鏡先輩をひと睨みして、書類に目を戻す。
眼鏡先輩は、座りはしたが食い下がる。
「コアちゃんに何かあったのです!ママの勘がそう告げているのです!」
「…マギウスロックをしていたのですね?」
マーサはため息をひとつつく。
「『粉微塵』の術式でさえ、損なわれないような存在なのでしょう?今日は書類を片付けなさい」
ピシャリと言い放つマーサに、眼鏡先輩は机の書類に突っ伏した。
「いやぁー。仕事いやぁー。コアちゃんにあーいーたーいー!コアちゃーん…」
粉微塵になったコアたまごの肉体から、コアたまごがポテリと落ちた。ピンクのナノテックレジャーシートの上で、軽く跳ねる。
『何…何だ…?』
「わたしです」
コアたまごは、答えた。
『何故だ…』
突き出した柱から連続で放たれる緑の光弾が、コアたまごにあたって次々と弾ける。
「パイ投げみたいになっております」
«…マスター、パイ投げなんて知ってるんですか?»
「お国の人たちがやってた」
«あいつらはなにをやってるんだ»
「超空間食べ物入れで、いろいろ遊んでたよ。シチューもカツも天ぷらも、その時見たの」
«マインドスコア基準を突破してるはずなのに!なんであいつらはおかしなことばかりするんでしょう!!»
憤懣やるかたない風情で、コンピューターは通信で喚く。
«…マスターは食べ物を粗末にしてはいけませんよ?»
「へーい」
『粉微塵』はそれでも、コアたまごに光弾をたたきつける。狙いが曖昧になり、レジャーシートや壁、地面がえぐれていく。
『爆裂火球』、『マギウス弾』も飛んできた。耐熱処理を施されたレジャーシートの残骸さえ燃やせずに、炎は消えていく。
鉄仮面の奥の光は、どんどん弱くなっていく。
そして、攻撃が止んだ。
『…何故、私の力が通じないのだ』
『粉微塵』の声は、疲れ切り意気消沈していた。
コアたまごは困った。
「そんなことを言われましても」
『粉微塵』はただ彫像のように、そこに佇むだけのものに成り果てていた。
『もはや私にマギウスの力は残っていない。マギウスの力がなければ身動きひとつできなくなってしまったのだ。これでは私を弑する者たちに、ただ蹂躙されて終わりだろう』
『私は正しさに殉じ、正しさに献身し、それを身をもって周囲に示し続けたはずだ』
『…なのに、正しいのは私の方なのに、何故みんな私のことをいじめるのだ』
「えぇ…?」
コアたまごは、素っ頓狂な声で答える。
『そうか…それすらどこかが間違いか』
『粉微塵』は、更に気をおとす。
『…私は最後の最後まで、間違いに気づくことが出来なかった』
『…私はどこで間違ったのだ』
『教えてくれ、私はどうすればよかったのだ』
「んー」
コアたまごは、困ってしまった。コアたまごは人を教示するような、そんなものは持ち合わせていないのだ。
「じゃあ、超空間に来る?」
『何…?』
『超空間とは…一体?』
「人のままでは立ち入れない。待ってもさっぱり誰も来ない。誰かを追って入っても、どこにいったかわからない。誰かが入って来たのがわかっても、全然あさっての方に飛んでいく」
「深い場所になにかがいたとしても、誰にも見つかりたくないかのように、さっぱり暗くてわからない。浅いところを探しても、世界はあまりに広すぎて、ちっとも航路が重ならない」
「そんな超空間」
『そんな空間に、何の意味が…?』
「来る?」
『私でいいのか?私のようなもので』
「だれでもいい?」
『…温厚な私でも、怒る時は怒るのだぞ』
「これだけ広くてなにもない超空間でも、意思あるものを片っ端から放り込めば、いつか賑やかになる日もやってくるかもしれない」
コアたまごは少し言葉を切り、そして続けた。
「宇宙だってこれだけ賑やかになったんだもの」
『そうだな、最初から何もなかった私だ。何もない空間に行くのも、良いかもしれないな』
『粉微塵』は、静かに答えた。
「そう?」
コアたまごはふんすふんすと、無い鼻で鼻息荒く意気込んだ。




