帰り道
夕闇迫るスラムを歩き、二人が東街の縄張りに戻る頃には、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。
ジョットが足を止め、コアたまごに言う。
「姐さん、俺はここまでです」
コアたまごはまたねと言おうと思ったが、ジョットの声色と雰囲気に、振り返ってジョットの顔をじっと見上げる。
「姐さんと連れ立って歩くのは、なかなか気分のいいもんです」
「誇らしい気分になる、ってんですかね。どいつもこいつも物欲しげに見てくる」
「姐さん、バナナを消してみせたじゃないですか」
「うん」
「あれで俺は、はっきりとわかっちまったんです」
「姐さんは、光の当たるところを歩いていかなきゃいけないお人だ」
「俺たちの生きてるとこってのは、そりゃあ酷いもんです」
「自分より弱いやつをイビっちゃ奪い、そいつがさらに弱いやつをイビって奪う」
「奪われるものがなくなったやつは、そのままどこかで野垂れ死にだ」
「俺は」
「そういうことをなりわいにしてる人間なんですよ」
「姐さんはもう、そういう薄汚いものに関わっちゃあいけませんよ」
「それに」
「…姐さん、一緒に歩いてきたのは、俺を守る意図もあったでしょう」
「姐さんの力は強力だ。姐さんが、本当に守りたいもののために戦うことがあったなら、きっと相応の力があるやつを相手取ることになるでしょう」
「今のギルドにだって、俺じゃあ太刀打ちできなさそうなのが、眼鏡女以外にも何人かいましたよ」
「俺じゃ、姐さんの力になれません」
ジョットは握った自分の右拳を、じっと見る。
「俺も、命が惜しいんですよ。生活がある」
「わかった」
コアたまごは言った。
「たすけてくれて、ありがとう。ジョット」
その言葉に、ジョットは少し面食らった。
なにか言いたげな顔をしたが、崩したお辞儀を深々とやって、そのまま路地の暗がりの中に消えていった。
コアたまごはしばらくのあいだ、ジョットが消えていった路地を眺めていた。
「さびしいね」
コアたまごは言った。
«空中エビ反り超空間ダイブです»
「なんて?」
コアたまごの聞き返しに、平然とコンピューターが答える。
«空中エビ反り超空間ダイブ»
「もう少しだけ空気を読んでほしい感あるです?」
«真剣なお話です»
「ほんとにー?」
«マスター、前におっしゃいましたね。ここのリソースは、すべてこの惑星のリソースだと»
「うん。言った」
«そして、未だマスターは、自分のかたちに沿った超空間入りを成し遂げてはいません»
「お持ち帰りおじさんの袋を巻き込んじゃったね」
背中を巻き込まなくてよかった。
«諫言をお許しください。マスターの雑な超空間入りによって、この星のリソースが失われています。空気とか地面とか»
「…あっ」
コアたまごが口元を覆う。
«超空間でリリースしたものは、この宇宙から永遠に失われてしまうのです»
「やっべ」
«しかし、そう言っていては立ち行かない面もあります。そこで、環境負荷を最低限に抑える、空中エビ反り超空間ダイブなのです»
«空中で体を折りたたみ、超空間に巻き込む球範囲を小さくすることによって、地面鉱物資源の巻き込みを防ぎ、空気の巻き込みを最小限に抑えるのです»
「つまり、こう!」
コアたまごは試しにジャンプする。空中で腕を胸に折りたたみ、足をひざから後ろに折りたたむ。その勢いで背筋を反り返らせた。
«はいかわいい»
コアたまごは問題点を提起する。
「でもこれ、腿から膝を前で畳んで抱え込んだほうが、球範囲は小さいんじゃないの」
«それはかわいく、いえ、空中で膝を抱えるのは運動量、反動が大きく体勢を崩します。着地に危険がともなうでしょう»
「ふむ」
コアたまごは一考する。
「採用しよう」
«ありがとうございます»
「よし。行こう」
コアたまごは空中エビ反り超空間ダイブに入るため、大地を踏みしめ、両手を大きく広げてポーズをとる。
「空中!」
その奇妙な風体の男は、すでにコアたまごのすぐ後ろに立っていた。
男が着込んでいるのは、全身から頭までを覆う、体の線がはっきり浮き出るよう仕立てられた、顔出しのボディースーツだ。それは皺の寄った緑色の何かの皮を、継ぎはぎして作られたもののようだ。
笑みをかたちどった口の周りは、紅色の塗料で隈取りされている。それは頬まで裂けた口を表しているようだ。額には鈍く光る小さな宝玉の装飾が飾られている。
男は限界まで、血走った両目をクワッと見開き、舌を限界以上に垂れ下がらせている。男は首を傾げてコアたまごを舐めるようにねめつける。
そして男は歓喜のていで、両手で支えコアたまごに向けている、木製の持ち手の付いた長大な金属筒、プロジェクタイルキャノンの引き金を引いた。
爆煙とともに発射されたプロジェクタイルはコアたまごの胸部を貫通し、正面のあばら家の壁を破壊する。
コアたまごは、エビ反りで吹き飛んだ。
弾かれたコンピューターが、自らもプロジェクタイルとなって路地を乱反射する。汚い水瓶のふたを突き破り、水しぶきを上げた。
吹っ飛んだコアたまごは前のめりに地面を跳ねる。クリーム色の人工血液が、ポンプを失った体から、ただドクドクと流れ出ていく。
キャノンの反動でたたらを踏んだ緑の襲撃者は、ぬらりと体制を立て直すと、キャノンを両手で抱えてポーズを取る。伸ばした舌を引っ込めて襲撃者は叫んだ。
「ゴブリガン!!」
キャノンに破壊されたあばら家の住人が慌てて飛び出し、闇の中に消えていく。
襲撃者はその場で華麗に一回転すると、キャノンが白煙とともに消える。煙の中から代わりに、黒い長物が現れた。
それは大鉈だ。黒ずんだ片刃の大鉈だ。襲撃者の背丈を超えるようなその大鉈は、それ自体が不吉な気配を放っているように見える。
襲撃者はそれを軽々とかまえて、ポーズをとってみせる。
「ゴブリ剣!!」
エヘエへ笑いながらコアたまごの脇を、横ステップで飛び回る。
「ヒャーーーーーーー!!」
高らかな奇声と共に、襲撃者は大鉈を振り下ろす。鈍い手応え。
襲撃者は大鉈を白煙とともに消す。
そして何かを地面から拾い上げる。それは、人の頭ほどの大きさの、銀灰色にきらめく何かだ。
「んーーーーーーーー!?」
襲撃者は、何かを内に貯め込むがごとくうつむいていき、激しく足を交互に踏み鳴らす。
そして跳ね上がるようにポーズを決めた。
「ゴブリマン!!」
片手にぶら下げた銀灰色のものが、激しく跳ねる。
襲撃者はなにかしっくりこなかったようだ。しきりに首をひねる。
「早くしまえ」
もうひとり、不吉な男が暗がりから湧き出るように現れる。黒衣の仮面、『デス・サムライ』だ。
襲撃者は『デス・サムライ』の言葉にうなずき、その銀灰色のものを白煙とともに虚空に消した。
『デス・サムライ』はそのまま進み、路地角のあばら家に張り付き、じっと待つ。
足音が響く。
「姐さん!!」
飛び出してきたジョットの顎に、『デス・サムライ』の裏拳が叩き込まれた。
ジョットは空中でのけぞり、半回転する。そのままうつぶせで地面に叩きつけられた。
握り込んだ右手から銀貨が一枚、こぼれて跳ねた。




