母なる脅威
「グラッジさん、下がってください。この案件、私が預かります」
「ああ?」
グラッジは凄んだが、先輩の眼鏡の奥に怪しくきらめく金色の瞳に気圧されて、顔色を変えて踵を返した。
「外様の女がえらそうによ」
悔しげにそう、吐き捨てていく。
「さあ、あなたも」
先輩が言うと、後ろの棍棒男も席に戻る。
眼鏡の先輩に、戦慄と疑念が渦巻く。
(タワーに報告しなければ…!)
(私には見えた。空気中に微量に存在するマギウス粒子が、球状に削り取られて消えるのを)
(そして、この子の足元を囲うように、わずかに浮き出る床の線…)
(バナナを置いてきたのではない、この子は床だけを持ち帰ってきたのだ)
(そして最も不可思議なのが)
(この子の能力発動そのものに、マギウス粒子が全く介在しなかった!)
いかにケイオスの妖術師や魔獣でも、なんらかの能力を使ったならば、必ずマギウス粒子の介在がある。マギウス使いのマギウス・スペルは、そういったマギウス関連能力に共通規格の術式を取り入れ、多く広くに使えるようにしたもの。マギウス・スペルとケイオスの能力は、根本は同じはずなのだ。
(完全未知のケイオスの怪異?)
ごくまれに、マギウス粒子の介在しない不可思議な現象、としか言いようなものがかたちを伴って現れることはある。だが、そういったものには意思が芽生えたとしても、理知は芽生えない。
あまりにもこの子の格好や話し口は、文明的すぎるのだ。
(場合によっては殲滅、捕獲を検討しなければならない)
(マギウス使いにもごく少数ではあるが、ディメンション系マギウスに適正のあるものが現れることはある)
(だけど、何の予備動作もなく、一瞬どころか知覚出来ないスピードで、自分の全周空間をえぐりとり、選んだものだけをもとに戻すなどと、そんな真似ができるわけがない)
(でも、自在に全周への必殺攻撃をなし得るこの子を、殺したり捕らえたりすることが可能なの?)
この子に認識された攻撃は、すべてえぐり取られて消えてしまう可能性がある。では認識外からの狙撃?それでトドメを確実にさせる保証を、いったいどこから導き出せばいい?
(なにより、この子からは敵対の意思を感じない)
(それどころか、場を穏便に済ませようとする心さえ感じることができる)
ならば、話し合うことも、関係を構築し、深めることも可能なはずだ。
攻撃の意思が無いというのなら、たとえば殺気を殺して近づいて、背後から抱きとめるように捕獲すれば…
そんなことをすれば、この子は抵抗するだろうか。抱きとめた胸の内には、子供の高い体温を感じることだろう。
しっかりと抱きとめれば、むずがって押しのけようとするかもしれない。
そうなれば、この子を包む私の体は、この子の熱い体温と一緒に、この子のみじろぎをぐりぐりと感じることだろう。
(はぁっ…!)
眼鏡先輩は、心の中でせつなげに吐息を漏らした。
(あぁ、いけない!いけません!ママになってしまいます…!)
かわいらしい子供服に着替えさせた後は、そうだ、靴下だ。
靴下を履かせねばなるまい。
この子は自分で履くと、言い張るかもしれない。
だが私は、あなたに靴下を履かせることが、大好きなんだ。そう言って聞かせよう。
えぇー?と嫌そうなていをして、うれしそうにはしゃぎ笑いを上げることだろう。
そんなお足をつかまえて、いたずら気に動くのをたしなめながら、ゆっくり大事に履かせるのだ。
(はぁぁぁぁっ!…いけません!いけません!ママになってしまいます!ママになってしまいます…!)
「中でもブッチギリでヤバイのが、その眼鏡の女です」
冒険者ギルドに向かう道すがら、ジョットの兄貴とコアたまごは話し合う。
「普段は受付嬢然として、カウンターでニコニコしてるらしいんですがね。実は冒険者ギルドの人間じゃあありません」
「眼鏡の女は、居座りヤクザだった?」
「違いますよ。そんな生易しいもんじゃない。眼鏡の女の親方は、マギウス・シティのもっと上です」
「…そいつは、タワーからの出向なんです」
ジョットの兄貴は深刻げに言う。
「ああ、軌道エレベーター公社の職員なのか」
「姐さん、わけわからんのでとりあえず聞いてください。冒険者ギルドっていうのは、外資の国際組合による武装組織なんですがね、そんな危なくて胡散臭いもん放置してはおけないでしょう」
「まあその人達は、せっかくだから陰謀しないと損だと思うだろうねえ」
「そうでしょう?だからお目付けというか監査と言うかスパイと言うか、そんなのが一人、マギウス・シティを目下においてるあの塔」
ジョットの兄貴が、街並みの向こうの塔を指差す。
「ジャスティスタワーから送り込まれたんですよ」
「ふむ」
コアたまごは首肯する。
「名前がイカス」
「ジャスティスタワーって言ったら、マギウス使いの総本山です。マギウス・シティやこのスラムだって、ジャスティスタワーの傘って言いましてね?その対外防衛力をあてにして、勝手に集まって奴らでして」
「流通の便がいいもんで、ここまで大きくなりましたが、実は国でも何でも無い。ここは虚構の街なんです」
「周囲の奴らも一言言いたかったり、一噛みしたかったりいろいろでしょうがね、ジャスティスタワーが怖くて手が出せないってわけで」
「そんなとこから顔出しで、どうも私はスパイです、ってなもんで送り込まれたんだ。精鋭ですよ」
「そんな感じで疎まれて、まあ精一杯の嫌がらせでしょうね。その女も強く出ないもんだから、受付嬢なんかやらされてるわけですよ」
「だからその女とは揉めちゃあいけねえ。例の宿屋よりヤバイとこ敵に回しますよ」
コアたまごは疑問を投げかける。
「そんな塔の周りに勝手に集まった関係ない街で、他国の人が陰謀するのを邪魔するのは、なんでなんだろうね」
「さあね…情でも移ったんじゃないですかね」
「心温まるオチがついたね」
「そうですか?」
«お気をつけください、マスター。ジョットの兄貴の話を総合すると、この女性、手練れのサイキッカーです»
(もしかしたらプンヘッピかもしれないってことか)
眼鏡先輩はカウンターの横からコアたまごの方に、柔和な表情を浮かべつつ優雅に近づいてくる。
コアたまごには、怪しく金色の目を輝かせるそれが、なにか恐ろしげなものに見えた。
(そしてこの圧力…!凄みがある!!なにかを狙っているのは間違いない)
コアたまごとコンピューターは眼鏡先輩にさとられぬよう、指向性次元振動音声と超空間通信で相談する。
『レガシー』にサイコ・ウェーブ攻撃が感知できない、これはまさしく盲点であった。もし万が一、コアたまごがマインドハックによって完全にコントロールされてしまえば、宇宙規模の大破壊をもたらす存在が敵の手に落ちることになる。それだけは避けねばならない。
(わたしがむき出しの状態ならば、万が一もありうるだろう。だけど今は、人の体がわたしを守っている。頭部補助生体脳!プンヘッピは必ずそちらを狙う!)
眼鏡先輩は腰を少しかがめてニッコリと笑い、落ち着いた聞こえの良い声で言いながら、コアたまごに手を差し伸べる。
「さあ、中に応接椅子があります、そちらに一緒に行きましょう」
(接触して、直接サイコ・ウェーブを流し込む算段だ!)
「ありがとう、補助は不要です」
コアたまごは顔色を変えずに言う。クールである。コアたまごは自画自賛した。
眼鏡先輩は残念そうに、コアたまごを連れ立って、カウンターの中に向かう。
眼鏡先輩は思う。
(この警戒心…どうにかして溶かさねばなりません。そしてなんとしても、膝の上まで持っていくのです)
カウンターの中は広くなっており、他の職員たちが机を並べて働いている。
隅に置かれた応接テーブルの長ソファに、コアたまごはボフリと腰掛ける。
«マスター、得体の知れない女性ですが、ギルドに対して彼女を挟んで防壁にすれば、じっくりと敵を見極めることも可能なはずです»
(この街の中央の人間ならば、もっと別の敵の姿も把握しているかもしれないね)
くつろぐコアたまごに向かって、眼鏡先輩は言う。
「お紅茶、お砂糖はおいくつですか?」
(コンピューター、オコーチャ、オサトーとはなんだろう)
«砂糖はまあ糖分でしょう。甘いやつです»
(バナナの原料かー)
«お紅茶は、おそらく会議の喉を潤すドリンクでありましょう。つまりドリンクに糖分をどれだけ入れるか、そう聞いていると思われます»
(なるほど)
コアたまごは、真剣な顔で言う。
「あるだけもらおう」
«ヒュー!さすがはマスター!ギルドの兵站に打撃を入れる、とんがった要求ですね!»
(フフフ、この一手で、外部の兵員である彼女がどれだけ、このギルドに貢献する意志があるのか、はかることもできるのだ)
だが、コアたまごはぎょっとすることになる。
眼鏡先輩は心底嬉しそうな、それは艶やかな笑顔を浮かべていたのだ。
眼鏡先輩は思う。
(砂糖はいくつがいい?と私が聞くと、この子は『全部!』と答えるのです)
(私が笑いながら叱って見せたなら、この子ははしゃいではにかむのです。…ああ、まさしく理想通り!はぁ…いけない!私がママになってしまいます!)
(底知れない!さすがはジャスティスタワーの精鋭サイキッカー!底知れない!)
コアたまごはおののいた。




