悪意の在り処
冒険者ギルドは、冒険者と呼ばれる職業を生業としている人間たちを取り仕切る組織だ。
冒険者とは、魔石持ちや素材になるケイオスの魔物を狩ったり、武装私兵、傭兵として短期の荒事をしたりするならず者達のことである。
冒険者ギルドは彼らに仕事を斡旋してマージンを取ったり、安定したレートで魔石や素材を買い取り商品として流通させたりする、斡旋業件買い取り問屋として生業を立てている。
ギルドの受付は、閑古鳥が鳴いていた。冒険者ギルドマギウスシティ支店は、場所の重要性から規模は大きいが、マギウスシティ近郊では収入源に乏しく、どうしても長短期の遠征が必要な場所柄であった。
他にもギルドは傭兵斡旋以外にも何でも屋的な雑務斡旋業を営んではいたが、ここではスラムを取り仕切るマフィア達の力が強く、そういった雑務雑役の仕事はあまり冒険者ギルドに回ってこない。
自然と過疎の状況になり、職員の士気も今ひとつであった。
受付には、受付嬢が二人座っている。紺色のスーツ姿で黒縁メガネを掛けた黒髪の女性、そしてふわふわしたブラウスを着た茶髪の女性だ。
茶髪の女性が暇を持て余し、メガネの女性に話しかける。
「そういえば先輩、最近あいつ来ませんねあいつ。エフなんとか言うアレ。あいつほんとシツッコイの」
茶髪の女性はシニカルに笑う。
「もう来なければいいのに」
「ミッちゃん」
先輩と呼ばれた女性は茶髪をたしなめる。
「先輩だってまとわりつかれてたじゃないですか。ああいうのがそのまま年をとると、うちのアレみたいになるんですよ」
茶髪は大げさに、ウェーッとした顔をする。
「ミッちゃん、言いたくなる気持ちはわかるけど、そういうことを言うものではないわ」
先輩はニッコリと笑う
「聞こえると、言質を取られるもの」
「さすが先輩です」
茶髪はニッコリと微笑みを返した。
「おっと、お客さんですね先輩」
袋をふたつ持ち、武装したいかつい男が、のしのしと近づいてくる。男は茶髪に軽く声を掛けると、先輩の方に寄ってくる。
「いょーう。今帰ったぞ。今回はなかなか大変だったぜ」
「おかえりなさいハントさん。でも先にカードをお願いしますね」
先輩は落ち着いた耳障りの良い声で、ニッコリと対応する。いかつい男はわりいわりいなどと言いながら薄造りのカードを差し出す。
「大量だったようですね」
「ゴブリンどもの集落を見つけてなあ。いやあ大変だったわ。だが俺らの分の遠征代は、十分稼げたな」
「ちゃんと乾燥はしてあるぜ」
いかつい男はカウンターに、ふたつの袋を並べる。一つはゴトリと重く、一つはバサリと比較的軽い。
「魔石代に比べれば駆除代は小銭だが、飲み代程度にはなるからな」
いかつい男は先輩に顔を近づけ、声をひそめる。
「で、どうよ今夜飯でも」
先輩はにこやかに、落ち着いた耳障りの良い声で対応する。
「番号札を持って買取カウンターでお待ち下さい」
「つれないねえ」
入れ替わりに入ってきたのは、二人組だ。受付を一瞥すると、先輩の方に近寄ってくる。
一人は長身で体格の良い、かつ贅肉もついていないようなスマートさも併せ持つ伊達男だ。派手な柄物のシャツをラフに着こなし、周囲に対し鋭い眼光を放っている。
もう一人は、この場所に似つかわしくないような、可憐な子供だ。銀灰色の髪を切りそろえ、白皙の顔の黒い瞳は興味深げに爛々と輝く。銀のスーツに薄桃色の上着を着ている。そして首の下にはよくわからない大きな丸いアクセサリーを付けている。それは精密な球形に加工され、機能を持った魔道具のようにも見えた。
(親子には見えないけど…ずいぶんとかわいらしい子を連れてるわね…人さらいかしら)
先輩は伊達男の眼光にも怯まず、落ち着いて事務的に対応した。
「最初に冒険者カードの提示をお願いいたします。それとも新規の方でしょうか?」
そして銀色の子供には表情を和らげ、にこやかに話しかける。
「あら、どうしたの?前髪切りすぎたの?」
銀色の子供は、ムキーと怒った。
「気にしていたならごめんなさい、でもそれ、とっても可愛いと思うわよ」
先輩はちょっと困ったように言う。コンピューターがそれに答えるように言う。
«わたくしは長い髪のほうが好みです»
コアたまごは、うつむき気味に小声で言った。
「余計なこといわない」
先輩は、すこししょんぼりした。
「ちょっといいか。今日は込み入った話があって来たんだが…」
ジョットの兄貴が口を挟んだので、先輩は眼鏡をクイッと直し、話を聞こうとした。
「なんだぁ?珍しい奴が来てるじゃねえか?おい」
待合部屋の隅にいた男が億劫そうに立ち上がり、ジョットの兄貴を見咎める。ジョットの兄貴が舌打ちをする。
体格の大きい、むさ苦しい男だ。でっぷり出た腹を軽装の胴鎧で押し込め、革の持ち手のついた、細い丸太のような棍棒を弄びながら、ニヤニヤ笑って近づいてくる。
「貧乏くせえ東街の、しみったれた組ででかいツラしてる、チンピラ屑のジョットじゃねえか。天下の冒険者ギルド様にてめえのような三下が、一体全体何の用だ?流民共から巻き上げた、小銭だけじゃあ食えなくなって、冒険者の真似事でもしに来たのかよ?ええ、おい?」
ジョットの兄貴も向き直り、その長身からむさい男を見下ろして、蔑みを込めて答えた。
「これはこれは。ゴブリンいじめに夢中になって、体壊して泣きついて、エルブンガルドのカマ野郎に尻尾を振って這いつくばって、やっとの情けで拾ってもらったグラッジの旦那じゃありませんか。尻尾を振ったかいあって、ずいぶん良いもん食わしてもらってるようですねえ。ああ、振っているのは尻尾じゃなくてケツでしたかね」
「あるね」「ミッちゃん!」
受付側から何かが聞こえたが、まあ気のせいだろう。
グラッジの顔が紅潮し、周囲に殺気が満ちる。グラッジが合図すると、反対の角にいた、同じ胴鎧の男が、棍棒を持って立ち上がった。
「元ランクBの俺様に楯突くとはいい度胸だ。だがな、ここはマギウスシティの市外だ。マギウスシティの法が守ってくれると思うなよ?ジョット」
「たるんだ体のロートル犬が、人間様に勝てると本気で思って」「ちょっとちょっと」
言いかけたジョットの兄貴は、突然の割り込みに面食らった。
「ねえちょっと?」
コアたまごがちょこちょこと、ジョットの兄貴の派手シャツの裾を引っ張っている。
「そこまでにしときなよ、ジョットの兄貴」
「しかし姐さん!」
(((((ねえさん!?)))))
グラッジが、後ろの棍棒男が、受付の先輩が、茶髪のミッちゃんが、待合椅子にすわってニヤニヤ見ているハントさんが、他の職員が、みんなの思いが、心が一つになる。
「作戦を忘れてはいけないよジョットの兄貴。家に帰るまでが作戦です。わたしはすぐに帰れるけれど、ジョットの兄貴は死んじゃうからね?そしたらみんな悲しむよ」
「姐さん、俺みたいなハグレもんが死んだところで、せいぜい笑われるだけですよ」
「わたしはちゃんと悲しいからね?」
「…姐さん。心遣い痛み入ります」
ジョットの兄貴は形式張って答えたが、顔はまんざらでもなさそうだった。
(なに…これ?)
後ろの棍棒男は思った。
(ねえさんて)
グラッジは惑う自分に顔を歪め、散っていく気力を奮い立たせてジョットを煽る。
「ハッ、イキリのジョットが女に尻尾を…幼女に尻尾?…ねえさんに尻尾…尻に敷かれて?…情けないと思わんのか!?ジョット!」
グラッジは、噛み噛みだった。
「威を借るつもりはなかったが、こうなっちまっちゃあ仕方ねえ。おい、お前ら!この姐さんはな、魔女の姐さんだ!そんじょそこらのエセマギウス使いなんか目じゃねえぜ?でっかい家と一緒にパッと現れた、本物の魔女の姐さんだ!変なちょっかいかけるんじゃねえぞ。俺まで巻き込まれちまうからな」
「てれるー」
ジョットの兄貴の紹介に、コアたまごははにかんだ。
「グラッジ、お前だって本物の魔女なんて言う厄ネタに好んで手ぇ出して、無駄に死にたかねえだろう」
「フカシこいてんじゃねえぞジョット!!こんなイカれたかっこのチンチクリンの、どこが魔女だってんだ!ええ、おい!」
グラッジは怒鳴り、そして気おくれしたように声を落とす。
「そ、そんなに信じさせたかったら、証拠を見せろ証拠を」
後ろの棍棒男も、深くうなずく。グラッジはそれを見て元気を取り戻す。
「証拠があるなら、信じてやっても良いんだからな!」
「そこまで言われちゃ、後には引けねえな。姐さん、ひとつ姐さん、ガツンとよろしく頼みますよ。家を出したときみたいな派手なやつを。さあ姐さん、どうぞよろしくおねがいします!」
コアたまごは答えた。
「やだよめんどくさい」
「姐さーーーーーーーーん!!」
ジョットは必死になった。
見ると、グラッジも、棍棒男も、受付の二人も、ハントさんも、他の運営も、みんな目が死んでいた。
「それに絶対引かれるしー」
「姐さん!むしろ引かせる局面ですよ!えげつなく引かせる局面ですよ!鉄火場ですよ!姐さん!」
「えー?んもー、しょうがないなあ。ジョットの兄貴、危ないから離れて」
コアたまごはスーツの隙間から懐に手を突っ込み、ゴソゴソモゾモゾする。やがてなにかを取り出した。
「バナナです」
バナナだ。
「良いものです。さあ、見て?見て、ミテミテミテミテ」
全員が、固唾をのんで見守る。
「バナナがぁ~?」
コアたまごが手に持つバナナが、パッと消えた。
「消えま~す」
「えぇ!?」「おお!」「えっ!」「おー」
周囲がどよめきに包まれる。そして軽く拍手がおきる。
ジョットの兄貴も拍手しながら、コアたまごに近寄る。
「さすが姐さん、人畜無害だ」
グラッジは呆けて見ていたが、やがてわなわなと震え出し、そして激発した。
「バナナが消えただけじゃねえか!!」
コアたまごはやれやれとばかりに首を振り、グラッジに向かって手を差し出す。
「しょうがないなあ。じゃあグラッジのお財布貸して」
「やめろぉ!」
グラッジは、懐を抑えて後ずさった。
和やかな空気の中、カウンターにいた眼鏡の先輩だけが、固くこわばった表情を浮かべていた。




