表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/44

02-03 魔剣と追憶




 ランドリックの日常は規則正しくない。

 眠くなれば寝るし、そうでなければ起きている。腹が減れば食う。しかし飯がなければ狩りに行くということは、実はほとんどない。肉の備蓄には気をつけているからだ。干し肉をつくることも欠かさない。ランドリックは空腹が嫌いだった。


 ハミルトンの要求を断った翌日、日が頭上を過ぎた頃にランドリックは目を覚まし、テーブルの上にある酒瓶を眺めて小さく嘆息した。中身が空になっていたが、たいして飲んだ記憶がない。ひどく損をした気になった。


 やれやれと息を吐き、溜めてある水を使っていいかげんに顔を洗い、腹具合と相談しながら小屋の脇に立ててある物置小屋へ向かって――ややこしいが、ランドリックの住処を家屋と表現するのは無理がある――備蓄の干し肉をざっくり刮げてとりあえずのように口へ放り込む。それから裏手の畑を確認し、そこそこ育っている野菜を毟ってその場で雑に土を払い、これもそのまま口に放り込む。


 別に味音痴でも料理下手でもないのだが、寝起きのランドリックはいつもこんなふうに食事を済ませている。もちろん腹一杯とはならないが、ひとまず活動する分には問題ない。それにどうしてもやらねばならない仕事も存在しないのだ。


 妙に居座り続ける眠気を引き連れて小屋へ戻り、なんとなく、というくらいの気分でランドリックは棚の上に置いてある魔剣に目をやった。記憶の限り、一年以上は棚の上に放りっぱなしだ。

 やはりさしたる理由もなく鞘に収められたままの魔剣を手に取ってみると、うっすらと埃が堆積しているのに気付いた。


「こいつは、ゲオルグに怒られるかな……」


 だとしても自分は特に反省しないだろうな、と小さく苦笑する。ランドリックが魔剣だろうが宝石だろうが飾り箱に入れて毎日拭き掃除をするような人間でないことくらい、ゲオルグにだって判っていたはずだ。


 しかし手に取ったからには埃が気になった。

 そこらに放っておいたボロ布で大雑把に拭いてやる。


 樹霊剣レオノーラはその名が示す通り、木の剣――つまりは木剣だ。

 木を削って造られた練習用の木剣とはなにもかも違うが、金属が使われていないという点のみは共通している。この魔剣は柄から刀身の先まで全て木製なのだ。もっと言えば彫刻細工が施された鞘も木製だ。


 大鉈斧とは逆にレオノーラの刃は鋭く、例えば洗濯して吊されている衣服を切り裂くことすら可能だ。そして木剣というには信じ難いほどの強度を有している。鎧ごと人間を真横に両断したこともあるし、敵の剣や戦斧を受けても傷ひとつ付けられなかった。

 もちろん『魔剣』というからには単に鋭く頑丈なだけではないが、ランドリックはレオノーラの能力について詳しく知ろうという気もなかった。


 当然、ランドリックは『王狩』のゲオルグがレオノーラを振るっているのを見ている。その能力についても目にしたことはある。だがゲオルグとレオノーラの全開を、たぶんランドリックは知らないはずだ。

 例えばあの戦争の最後の戦い、ゲオルグが『王狩』に勤しんでいたあのとき、ランドリックは大合戦の中で大鉈斧を振るっていた。ハイギシュタ王城に攻め入ったのはゲオルグとイースイールの二人で、ランドリックは大合戦の前線に、ハミルトンは全軍を指揮するために後方へ位置していた。


 あのとき、この魔剣がどのように使われたのか――。

 ランドリックはそのことについて思いを馳せない。

 どうせ抜く気もないし、その気があっても抜けやしないだろう。


 そんなことを考えながらとりあえず柄尻から鞘の先まで拭いてみたが、なんだか魔剣に埃を擦りつけただけのような気になった。気のせいだろうと棚に戻そうとして、その棚に埃が溜まっているのを思い出す。

 棚に戻すなら拭き掃除をした方がいい。


「……まあ、いいか」


 結局、ランドリックは棚の掃除など忘れ去ることにし、レオノーラを寝床の上に放り投げた。気が向かないときの掃除など拷問に等しい。

 また嘆息だか溜息だかを吐き、やや思案してからランドリックは壁に立てかけてある大鉈斧を手に取った。物置小屋の干し肉がそろそろ寂しくなっていたのを思い出したからだ。なんだか気分が乗らない日は狩りでもするに限る。

 獲物を狩ろうと動いている間は、余計なことを考えずに済む。


 ……もっとも、普段のランドリックには考えるべきこともなければ、余計な思考をする機会もほとんどないのだが、それはまあ、ともかく。



◇ ◇ ◇



 ランドリックの狩りはそれなりの遠出が必要になる。

 ほとんどの野生動物はランドリックの縄張りである小屋の周辺には全く近づかないからだ。鳥でさえ小屋を迂回するのだが、これはランドリックが自分の住処では気配を潜めずに過ごしているせいだ。


 ほんのわずかにでも野生の勘が備わっているのなら、その場に近づくことの危険性を察知できる。

 稀に頭の良い小動物などはランドリックから餌を貰おうと寄って来ることもあるが、そんな彼らは絶対にランドリックの畑を荒らさないし、肉を盗むこともない。ランドリックが餌をくれないときは大人しく去るのみだ。

 もちろん間抜けな動物もいる。それは人間と変わらない。野生動物の方は比較的すぐに死んでしまうという違いはあるにしても。


 ともあれ、そんなわけで狩りをする際には意識的に気配を殺し、森の奥まで向かう必要があった。いつもよりも丁寧に歩き、普段よりも慎重に呼吸を行う。可能であれば周辺環境と呼吸を揃えればかなり「気配を殺す」ことができる。

 端的にいうなら、馴染むことだ。

 人間社会よりも森の中の方が馴染みやすいのはやや皮肉だが、とにかくそのようにしてランドリックは森の奧へ潜行し、動物を狩る。可能な限り気配を消して狩りするという点では普通の狩人と大差はない。

 決定的に違うのは、その戦闘力だ。


 例えば普通の狩人は角猪を仕留める際には必ず罠を使う。しかしランドリックは大鉈斧があればいい――いや、もっと言えば素手で十分だ。あるなら道具を使うが、罠の設置や弓矢の使用はランドリックにとっては煩雑なだけで利点がない。


 そういう意味では、動物の狩りに近いと言える。


 獲物の安全圏を越えられるか否か。

 動物は「ここまで近づかれても大丈夫」という領域を知っている。その外側であれば、例え天敵がうろついていようが慌てて逃げ出すようなことをしない。体力の浪費はむしろ危険だからだ。極端に安全圏を狭める行為だ。

 これを突破して接近した時点で、ランドリックの狩りは成功を意味する。

 狩ろうと思って狩れなかった経験は、今のところなかった。


 この日の狩りは空が焼けるよりも少し前に終わった。牝鹿に突撃しようとしている角猪を横から奇襲して首を落としたのだ。つがいらしき雌の角猪はあっという間に逃げ出し、牝鹿の方も脚を止めることなく駆けて行った。

 大鉈斧とは別に用意しておいた小刀で角猪の腹を割き、内臓を抜いてその場へ放っておく。(はらわた)は地中に埋めるべきという狩人もいるが、地中の虫が食おうがそこらの動物が食おうが大して変わらないだろうとランドリックは思う。それに穴を掘るのは面倒くさい。


 気が向けば一部の内臓はその場で焼いて食うこともあるが、この日はそうしなかった。その辺りの木の枝――オロズの木の枝は堅く頑丈だ――と持参した縄を使って、荷を背負うように角猪を運搬する。まともな狩人なら四人がかりで運ぶか、ある程度まで解体して一人あたりの重量を減らすのだが、全部持てるので全部持つというだけの話だ。


 帰りは気配を殺さず、やや急ぎ足になる。内臓を抜いたとはいえ早めに川へ死体を投げ込んで流水にさらさないと肉の質が悪化するからだ。水が流れている小川はそこかしこに点在しているが、大量の水が流れている川は小屋の近くに一本しかない。とりあえず、ランドリックが狩りをした地点の周辺には。


 そういえば――四人集まった当初は、こんなふうに狩りをしたことがあった。


 急ぎ足で森を歩きながら、ランドリックはふと思い出す。

 後に英雄と呼ばれるようになったが、四人が揃った時点では何者でもなかったのだ。金もなく、名声もなく、協力者もいなかった。最初の戦で頭角を現す以前は、野営をするたびにランドリックが獲物を狩ったものだ。

 あの頃はイースイールとハミルトンがいたので、魔法で生み出した水を使い放題だったし、肉を凍らせることすらできた。食にこだわりのあるハミルトンが調理を担当し、そこらの飯屋ではとても食えないような料理を提供された。


 ――こんなことをやってる場合じゃない。


 そう文句を言っていたのはゲオルグだ。

 こんなことをしている間にも何処かの村が襲われているかも知れない。暢気に飯なんか食ってる場合じゃない。どうして肉の焼き加減なんか気にしてられる?


 あえて擁護するのなら、ゲオルグはまだ若く、純情で、愚かだった。いくつかの戦場を潜り抜けた後にはその愚かさは少しだけましになったし、純情さはいくらか穢れたが、それでもあの男の本質はそう変わらなかったとランドリックは思う。

 確かにゲオルグの言葉は事実だった。

 だからといって飯を食わないわけにもいかないし、休まないわけにもいかない。どんなに急いで飯を食おうが朝までは動けないのだから、食事の質を上げることは無駄でもなければ悪でもなかった。そもそもゲオルグだってハミルトンの焼いた肉を食っていたのだ。


 楽しかった、というべきか。

 随分と久しぶりに当時のことを思い出すが、ランドリックは未だにそのことを決められない。楽しさなどなかったと吐き捨ててしまいたい気もするし、それでも笑える瞬間はあったとも思う。ただ、ろくでもない時間だったのは確かだ。


 戦場で他人を殺しまくった。


 英雄と呼ばれるようになったとき、ひどい違和感を覚えたものだ。ランドリックは他の多くの人間よりも理不尽な存在だったに過ぎない。それを英雄と呼ぶのは、そう呼ぶ者たちにとって都合のいい位置に立っていたからだ。戦場で相対した敵はいつもランドリックを化物と呼んだが、そうかも知れないと普通に頷けてしまう。

 ランドリック・デュートは、特に厳しい修練の末に英雄と呼ばれるような実力を手にしたわけではないからだ。


 なんというか――狼の群に際立って強力な個体が現れることがある。強く、大きく、俊敏で、ひどく狡猾な個体が。『群』というものは稀にそういう異物を生み出すものだ。そしてランドリックはそれだった……と、そんなふうに思う。


 こんなふうに昔を思い出すのは、やはりハミルトンのせいか。


 いくつもの苦い記憶と、わずかだけの笑った記憶。おそらくハミルトンにしてもその割合は似たようなものだろう。満足な戦ではなかったし、満足な結果でもなかった。どのような状況が最善だったかといえば、答えは決まっている。


 最初から戦争など起きなければよかった。


 そう思うが、それは他の三人にとっての最善ではないだろう、とも思う。

 結局――仲間ではあったが、同志ではなかった。

 そういうことなのだろう。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ