02-01 大鉈斧の男
ランドリック・デュートは大鉈斧を使う。
十年前のハイギシュタ戦役で英雄と呼ばれるようになってから、名の知れた鍛冶屋がわざわざランドリックのために創って寄越した一品だ。
形状は単純で、先端が斧のように重く分厚い大鉈、とでも評すべきか。
刀身はおおよそ肩の付け根から手首まで、柄はその半分ほどという特異な形状をしている。当然だが非常に重く、刃先に重量が集中しているせいで剣のようには扱えない。しかし戦斧というには柄が短すぎるし、手斧というには重く大きすぎる。持った感触としてはいわゆるメイス――戦棍が近いだろうか。
この得物の特徴は、ひたすら頑丈であることだ。
鍛造の段階で魔術的な処理を施されているそうで、大鉈斧は「元の形に戻ろうとする」性質を持つという。元の形とは、打ち終えた時点での大鉈斧の形状だ。
つまり、この武器は刃を研いでもあっという間に切れ味が戻ってしまう、ということになる。
ならば最初から鋭い刃であるのかといえば、否だ。刃に掌をあてて強く押しても肌が切れることはない。刃と言い張れる程度には尖っているが、どう考えても切断するための代物ではなかった。
これは重さと速度を利用して、破断させる得物である。
衝撃によって潰し、壊し、破ること。一応とはいえ刃がついているのは、応力を集中させるためだ。戦棍のような打撃ではなく、あくまで斬撃。甲冑を着込んだ重装歩兵を鎧ごとぶった斬ったこともある。数えるのが馬鹿らしくなるほど、何度も何度も。
普通の武器であれば、すぐ使い物にならなくなる。
片手剣、両手半剣、両手剣、槍、槌、戦斧、戦棍……様々な武器を使っては壊してきたランドリックの相棒に収まったのは、この刃付けすらままならない重量武器だった。
そんな大鉈斧を、今、ランドリックは振りかぶっていた。
戦闘時は片手で扱うことが多い――それだけでこの男の常人離れが窺える――が、今は両手で柄を保持している。振りは縦ではなく横。体幹の捻りを利用して、さながら大気を断つかのような思い切りのよさで、大鉈斧を一閃させる。
刃の向かう先は人ではない。
樹木だ。
ぶち込まれた大鉈斧の衝撃で地が揺れ、ほぼ同時に腹に来る低い音が響いた。驚いた鳥たちが飛び去り、小動物が慌てて逃げていく。伝わった衝撃に耐えきれず木の根がぶちぶちと千切れ、あろうことか樹木の根元がぐらついていた。
木の太さは大人が抱きついても腕が届かないほど。だというのに、たった一撃で半分近く刃が食い込んでいる。ランドリックはさして表情を変えず、特に力む様子も見せずに大鉈斧を引き抜き、全く同じ調子でもう一撃をぶち込んだ。
垂直に立てた棒の足元を払うように、様々な物理法則の為すがまま、樹木が倒れ始める。しかし生い茂る枝葉のおかげで完全な倒壊とはいかず、途中で他の木々に引っ掛かって斜めになってしまう。
まともな木こりなら絶対にやらない失敗だ。
ランドリックはしかし気にしたふうもなく、樹木の切断面を掴んで力任せに引っ張った。めきめきと音を立て、複雑に絡み合っていた枝が折れていく。
引っ掛かっているのだから引っこ抜けばいいという子供の理屈で、結局は樹木が一本、地面に横倒しになった。
そうして樹木に残された枝を大鉈斧で雑に払い、丸太というには原形を留めすぎているそれを掴んで引き摺りながら、森の中を歩いて行く。
なんというべきか、とても文化的とは言い難い伐採だった。
普通の木こりがこの光景を見れば絶句するか怒り狂うだろう。あるいは笑い出してその日は酒場に行こうという気になるかも知れない。木を切り倒すときに倒す方向をしっかり計算するのは、そうしなければ危険で面倒だからだ。
ランドリックがやったように無造作に引っ張って絡んでいた枝をへし折りつつ樹木を回収するなど、まともな木こりはやらないしできない。
凶暴な大熊よりもよほど危険なこの男は、さぞや規格外の大男ではないか――と思われることが多いが、ランドリックは大柄ではあるが巨漢ではなかった。
かなりの長身であり、全身あますところなく筋肉の鎧で覆われてはいる。が、その鎧は外に膨れあがる性質ではなく、内側に押し込められる類のそれだ。遠目からだとランドリックの輪郭はむしろ細身に見えるだろう。
伸ばしっぱなしの黒髪を首の後ろで雑に括っており、歳のわりに髭が薄いせいか童顔に見える。ただし頬や目の下に走る刃創のせいで人相がいいとは言えない。しかし別に雰囲気が鋭いとか刺々しいとかいうわけでもなく、むしろ朴訥とした印象があった。
端的に言えば、大鉈斧によく似た男だ。
鋭い刃は持たないが、重く、頑丈で、恐るべき破壊力を秘めている。
いつからか『鍛鉄』のランドリックと呼ばれるようになり、今ではもはやふたつ名どころか名前を呼ばれることも少なくなった。十年間も森の中に引きこもっていれば当然だ。そもそも他人に会う機会がなければ名を呼ばれるわけがない。
そのことを、悲しいとも残念だともランドリックは思わない。
戦場で他人を殺しまくっているよりずっとましだからだ。
人を斬るより、木を切っている方がいい。
森に放置された木こりの斧と同様、いずれは錆びて朽ちて地に帰るだろう。
それで構わない、とランドリックは思っていた。