11-02 そして次の……
馬車に水と食糧を積み込み、『井戸の迷い亭』の主人に礼を述べてから、ロジーヌは御者台に乗って出発した。
馬車を操るのは得意というわけではないが、できなくはない。ほとんどの軍事行動はそつなくこなせるよう養父である暗殺者の老人に教え込まれたからだ。仮に剣を使ったとしても、今のガルトになら負けないだろう。
使用人服――に見える戦闘服――を着ているロジーヌが御者をやっていればそれなりに目立つはずだが、この街に限ってはそうでもない。ガルトと二人で街を歩いたときもそうだった。いろんな人間が街に訪れるせいだ。
むしろロジーヌの服装は、住宅街を抜けて高級住宅街、貴族や金持ちの住む地区まで行けばさらに目立たなくなったくらいだ。
そもそも、この地区には「街を行き交う人」が少ない。
すっかり日が落ちているのもあったが、徒歩で移動する人間が見当たらないのだ。稀に馬車とすれ違うこともあるが、その御者の中にはロジーヌのような使用人服姿の者がいた。たぶん何処かの屋敷の家人だろう。
ロジーヌ自身、オーヴィの『組合』では組合長の護衛以外にも仕事を任されることがあり、その際は一人で行動していたものだ。といっても『組合』での仕事は暗殺ではなく、主に情報収集だったけれど。
「――そういえば」
ふと気が付き、ぽつりと呟く。
こんなふうに複数人の「作戦」に参加したことはなかったな――と。
暗殺者の老人を手伝っているときは大抵が単独行動だったし、そうでなければ日常的な訓練の繰り返しだった。そしてオーヴィで過ごした一年は、今にして思えば退屈な日々だった。よく知りもしない情報屋の老人の傍で、目の前を様々な物事が行き交うだけ。
では、今は楽しいのか?
そんなことは判らない。
けれど――ガルトとティオーブの街を歩くのは、悪くなかった。『組合』の下っ端に襲われることさえ、なんだか面白かった気がする。ガルトがメリシェに啖呵を切ったときなど内心で興奮していたように思う。だからランドリックとアディに、あのときのガルトのことを聞かせたくなったのだ。
仲間?
いいや、そんなものではない。
だってロジーヌはガルトに信頼されていないことを知っている。ロジーヌだってガルトに信頼を置いているわけじゃない。ランドリックの存在に至っては意味不明だし、アディに関してはよく判らないとしか言い様がない。
成り行きだ。
きっと、ロジーヌを含めた全員が。
ゆっくりと馬車を進めながら、もしものことをロジーヌは考える。そう、仮にガルトやランドリックが作戦に失敗して殺され、アディも敵の手に落ちたとする。もしそうなったらロジーヌは迷わず逃げるだろう。
馬車の荷台にはガルトが掻き集めた金が半分ほど――残り半分はガルトの財布の中だ――残っているし、水も食糧も積んである。一人で移動するなら国外まででも余裕だろう。問題は、何処かへ行ったとしてもなにをすればいいのか判らないということだ。
それが判るまでは、一緒にいてもいいかなと思う。
思うようになった――のは、やっぱり一緒に街を歩いたからだろうか?
だとすれば、私はちょろい女なのかも知れないな、とロジーヌは思った。
◇ ◇ ◇
予定通りの時間、予定通りの場所に着く。
貴族街区の少し外れた位置にある十字路だ。街区の特徴なのか道幅は広く、ぽつんと立っている街灯と、その脇にちょっとした鐘塔が建っている。
景観を損なわないためか妙に洗練された外観だが、おそらくこの街が前線だった頃の名残だろう。戦時には見張りが鐘を叩き、その叩き方によって軍部へいろいろ伝えるわけだ。
ロジーヌは街灯からやや離れた位置に馬車を停め、馬三頭に手ずから野菜を食わせてやった。御者のいうことをよく聞く、賢い馬だ。ぼりぼりと野菜を食べている様子を見ると、なんとなく心が和む。これからやることとは無関係に。
馬たちが大人しくしているのを確認し、荷台から荷物を取り出し、念のために薄手の黒い外套を羽織ってから鐘塔へ向かう。塔といっても周囲に建っている屋敷よりも背が低い、ちょっとしたやぐらである。施錠された出入口があるわけでもなく、梯子を使えば誰でもやぐら台へ上ることができる。誰もそんなことをしないし、吊されている鐘を無闇に鳴らせば罪に問われることもあるだろう。
もちろんロジーヌも鐘を叩く気はない。
するすると梯子を上がってやぐら台に位置取り、なんとなく鐘を眺めてみればかなり錆びている様子だった。鐘を叩くための金槌も転がっているが、こちらも同じくらい錆が浮いていて、やぐら台そのものがかなり埃っぽい。あまり快適な空間でないことは確かだ。
外套を着ておいてよかったな、とロジーヌは埃と錆に眉を寄せながら嘆息する。着ている使用人服は割と気に入っているのだ。一応、替えは二着あるけれど、同じものを用意するのは手間だし金もかかる。
「……金。まあ、金は必要ですね」
今のところはゼルギウスの部下の死体から掻き集めた金があるにしても、ガルトたちが目的を果たした後はどうするつもりなのだろう。ガルトを主人にしたまま彼らについて行くのか、それともそこでサヨナラして何処かへ行くのか。
自分の外見がひどく幼い自覚はある。
実力は備えているつもりだから、行くところに行けば職に困ることはないだろうが、その職場が快適かといえばかなり疑問だ。ロジーヌの知りうる限り、平和だったときの故郷くらい穏やかで快適な場所はない。その穏やかさは村のみんなが知り合いだったからだし、自分を愛してくれる家族がいたからこそで――だからもう、そんな場所は存在しない。
悲しい、のだろうか。
そこについては、自分でもちょっと判らない。辛かったのは事実だ。厳しかったのも。でも、あのときは悲しんでいる余裕なんかなかった。生きるのに精一杯で、心の痛みよりも餓えや寒さの方がずっと深刻だったような気がする。
ガルトは、悲しいのだろうか。
傭兵団で育てられ、その傭兵団が壊滅させられたという。ロジーヌの喪失はもうずっと昔のことだと思えるけれど、それでも忘れることはない。
では、ガルトは。
暮らしていた場所、親しくしていた人たち、親代わりの人間、それらを失ってまだ間もないはずのガルトは――、
悲しそうには、見えなかった。
だからといって悲しくないとは限らない。
アディはどうだろう。ガルトのこと以上に、ロジーヌはアディを知らない。赤い髪の美人。気が強くて、言葉がきつい。でもオーヴィの『組合』で何度か見たような、女の嫌な部分はあまり感じなかった。自分の立ち位置を巧妙に変えて相手を貶めようとするような、そういうことをアディはしてこなかった。
ロジーヌは彼女に好かれていないだろうなとは思うが、だからといってアディのことは嫌いではなかった。
よく知らないからだ。
知ったら嫌うのかも知れない。判らない。
ランドリックに至っては、もう理解がどうとかの次元ではない。それがロジーヌの率直な感想だ。なんとなく意思疎通のできる大きな熊とか、言葉を話す魔獣とか、そんな感じの存在である。
今頃はラゼル男爵の屋敷で殺戮を繰り広げているのだろう。
ガルトも、人を殺しているだろうか?
あの男は、やるとなったら容赦も躊躇もしないやつだ。それは感覚的に理解できる。水滴が地面を濡らした匂いを嗅いで本降りの雨が来そうだと判るみたいに――ああ、こいつは殺せるやつだな、と判る。そういう匂いがするのだ。
幸せな死に方はしないだろう。
自分も、ガルトも。
ランドリックもそうだけれど、あの男はそもそも幸せを欲しがっているのだろうか。そこからしてロジーヌには疑わしい。
なんだか益体のないことを考えているな――と思った頃だ。
道の向こうから馬が駆けて来た。
馬上の人物はかなり焦っているようで、随分と飛ばしている。もうすっかり日も暮れきった夜の街中で、これははっきりと異常だ。
ロジーヌは目を細め、人馬を確認する。あまりにも急いており、焦っている。まるで未知の魔獣から逃げ出してきたみたいに。
間違いない。
荷台から持ってきた十字弓を構え、馬が近づいて来るのを待つ。すぐそこにロジーヌが停めた馬車があるのに、馬上の人物は道の先以外には目もくれない。よっぽど怖いことでもあったのだろう。
ランドリックの暴虐を目の当たりにした、とか。
焦ることはない。ラゼルの屋敷から街の外へ出るためにはここを通る必要がある。そういう場所を陣取っているのだ。
だから、待っていればそいつは鐘塔のすぐ下を通るから――、
そこで引き金を引く。
ぐんっ、と腕に強い反動を感じた瞬間には、もう馬の頭に矢が食い込んでいた。
射程は事前に確認していたものの、こうして実際使ってみると距離的にはぎりぎりだった。威力は申し分ないのだが、命中精度が低すぎる。
本当は馬上の人間を射殺したかった。
「――けど、まあ、いいでしょう」
馬が射られて転んでしまったせいで、騎手は慣性にさらされて吹っ飛んでいる。運が悪ければ馬の下敷きだったが、どっちにしても彼の命運は変わらない。
焦って逃げてきた敵の伝令を殺すくらいは、簡単なことだ。
◇ ◇ ◇
伝令の死体を隠してその場に居座り続けることは最初から無理だと考えていたので、ロジーヌは作戦通り、伝令の持っていた通行許可証を奪い取ってから馬車を動かした。
向かう先はラゼル男爵の屋敷へ続く道だ。
つまり、伝令が来た道を戻る。
何度目かの十字路で道端に馬車を停め、今度こそガルトたちを待つ。そしてガルトたちを馬車に乗せた後は「自分たちこそがラゼル男爵の指示を受けた者です」という顔をして門番に許可証を提示し、街を出るというわけだ。
作戦としては、無茶苦茶である。
そもそも貴族の屋敷に二人で乗り込んで目標を撃破して無事に脱出するという話がもう夢物語なのだ。ランドリックがいなければロジーヌは鼻で笑って何処かへ消えただろう。
しかし本当に実行できるのであれば、これほど有効な作戦もない。
無警戒な貴族の屋敷にいきなり乗り込んで敵を皆殺しにできるのであれば、事態が露見するまでにかなり間が空くはずだ。
貴族の方からしてもあまりに理不尽すぎる奇襲であり、迎撃態勢なんか整えられるわけがない。普段から保有している戦力を使うしかないが、この戦力を使い切ってしまえば異常事態を外に伝えられず、戦闘の規模が小さいので外からも察知しにくいだろう。
ゼルギウスの部下はどうにか屋敷を抜け出して伝令を飛ばしたが――それは予想の範疇だったので、作戦通りにロジーヌが討ち取った。
たぶん、ガルトやランドリックが屋敷を出てから少し経つまで、屋敷に残った人間は動くことすらできないはずだ。なので彼らが外に異常を報せるには、やはり時間が必要になる。
戦術や戦略については詳しくないが、知略家からすればランドリックの存在は狂おしいほどの規格外だろう。まともな計算が成り立たないという意味においては、盤面の駒という扱いではないのだ。盤面を破壊する金槌とか、そういう代物だ。
はぁ、とロジーヌは息を吐く。
自分でもどういう種類の吐息なのか判らなかった。溜息だったかも知れないし、単なる呼吸だったかも知れない。ナニカを吐き出したような気もしたし、ただ肺の中の空気を入れ換えただけという気もする。
夜気は少し冷ややかで、いつの間にか空が曇っていて星が見えず、闇が深い。点々と設置されている街灯が無意味に夜闇を切り裂いているけれど、そんなことになんの意味があるのだろうか。どうせ朝になれば明るくなるのに。
しばらく、ロジーヌはそんなようなことを考えていた。
不思議とガルトたちの失敗は想像しなかった。もし彼らが失敗したらどうするべきかという問いは過ぎるものの、答えを出す気にもなれず、思考は形をとる前にふわふわと霧散してしまう。考えるのが面倒だったというより、考えるのが馬鹿らしいような気がしたのだ。
どうせ失敗なんかしない。
そして――それは正解だった。
暗がりの中を、男二人女一人の三人組が、早足で歩いて来るのが見えた。
先頭を歩いていたランドリックが御者台のロジーヌを見つけ、片手を挙げる。大きな熊に会釈されたような気分で少し面白かったが、後ろを歩いている二人の雰囲気がよくないのに気付き、眉をひそめた。
三人はなにを言うでもなくそのまま歩いて来て、ランドリックとアディが荷台へ、ガルトの方は御者台のロジーヌの隣へ腰を下ろした。
当たり前みたいに隣に座られたことに、ロジーヌはなんだか奇妙な気持ちを覚えた。それをなんというべきかは判らないが、少し温かくて、少しむず痒いような――でもそれは本当に曖昧で、自分でも錯覚じゃないかと思えるような気持ち。
「首尾は?」
と、ガルトが言う。どちらかといえば冷めているが、そこまで冷たくはない……それこそ微妙な声音だった。
「事前の作戦通りです。伝令が一人駆けて来たので殺しました。予想通り通門許可証を携帯していたので、奪いました。……そちらは?」
「こっちは半分成功、半分失敗だな」
「……と、言いますと?」
「ラゼルは殺した。屋敷に居座ってたゼルギウスの部下も全滅させたと思う。んで、肝心のティオーブの『耳』のアタマが死んでた」
「死んでいた、ですか」
「人質に取られてるはずだったのが、とっくに死んでたんだとさ。屋敷の地下に牢屋みてーな場所があって、そこで死体になってたのをアディが確認した」
「……なるほど」
頷いて、とりあえず馬車を発進させる。
少しの間だけ無言を噛み締めてから、ロジーヌは首を傾げた。
「ところで、馬車を出発させましたが、アディは『組合』に戻らないのですか?」
組合長が死んでいたにしても、同僚のメリシェはいるだろうし、自分が所属している組織はこの街にあるはずだ。
「いいのよ。あたしも、あんたたちについて行く。決着まで見届けてやろうって気になったわ。帰るのは、それからでも遅くない」
荷台で聞き耳を立てていたらしいアディが言った。
「だとさ」
と、ガルトは肩をすくめる。
へらへらと軽薄な笑みを浮かべてはいるものの、別に嬉しそうではないし、悲しそうでもなかった。悔しそうでもなく、腹立たしそうでも、なにかを嘲ってもいない――そんな笑い方。
「なるほど」
と、ロジーヌは頷いた。
なにか納得できることがあったわけではないけれど。
読んでいただいて、ありがとうございます。
書き溜めが尽きたので、また書き溜め作業に入ります。
もしあれだったらブックマークなりTwitterのフォローなりしていただけると更新したのがすぐ判るかなと思います。いい感じのところまで書き溜めたらまた更新しますので、よろしくお願いします。
ではでは。




