11-01 凶行の後……
「やめろ……近づくな……お、俺を誰だと思っている!? 俺は、俺が……貴様のような下賤な――ち、近づくなと言っているだろう!?」
怯えと恨みと蔑みをちょうど等分にした態度。
今まさに己の死が迫っている状況でそういうふうにしか他人と接することができないのは、ひょっとするとひどく憐れなのではないか、とランドリックは思う。
なにかしらの美意識や流儀があるわけでもなく、ただそのように生まれ育ったからというだけで、自分の死を前にしてさえ他人を見下すことをやめない。
ランドリックとしては他者を侮蔑する感覚がよく判らないのもあり、こういった貴族的価値観を前にすると、足を生やして動き回る植物を見たような気持ちになってしまう。なんでそんなことになっているのか、まるで理解不能だ。
あまり理解したいとも思わないが。
やれやれと溜息を吐き、のんびり進めていた歩みを少しだけ早める。
――と、
「がは――ッ!?」
後ろから呻き声が響き、人間が倒れるどさりという音が続いた。そちらへ視線を向けてみれば、どうやら銀髪の魔術師がガルトに射られたようだった。
廊下で十字弓を拾っているからなにかと思えば、奇襲されることを見越していたらしい。あの魔術師に関してはさほど危険な感じがしなかったので警戒していなかったのだが、ガルトの方はきちんと警戒していたようだ。
どうやら腹に一発喰らって、地面に倒れて苦悶しているようだ。
放っておけば死ぬだろうが――少しばかり時間を必要とする類の致命傷だ。
「お、おい! 聞いているのかランドリック!? 貴様、こんなことをしてどうなるか判っているのだろ――あ、ガァァァア――ッ!?」
ラゼルがなにか言っていたが、ランドリックはあまり聞いていなかった。とにかく近づいて、とりあえずのように両足首を踏み潰した。それからついでとばかりに鉈を振り、地面に突き立てられていた宝飾の剣を両断しておく。鞘に収まったままだったが、大鉈斧の一閃であっけなく鞘ごとふたつに断ち切れた。
魔術師の杖に相当する役割を果たしていたのは柄尻に嵌め込まれた宝玉のようだが、杖というものはそれ自体がひとつの機構なのだと聞いた覚えがある。だとすると剣を折ってしまえば機能を失うかも知れない……と思ったのも理由のうちではあるが、なんとなく叩き折りたくなった、という気分の方が大きかった。
「あああああ! キザマ! なんたる――キィザマアァ! ランドリック! うおぉぉお――ランドリィィック!」
両足を踏み潰されたラゼルはこれまで以上の大声を上げたが、その咆哮は特にランドリックの心を動かさなかった。獣だってもうちょっとましな悲鳴をあげるのにな、と少し苛ついた程度だ。
なのでランドリックはラゼルの頭へ軽く蹴りをいれ、物理的に黙らせた。
「あ――」
ガルトが意外そうな声を上げたが、殺したわけではないとランドリックが両手を広げて見せると、肩をすくめられてしまった。
はたしてどういう意味合いなのか。
気になったものの、まあいいかと開き直り、ガルトへ近づく。
「なあ、おい。あんたランドリックの住処から『魔剣』を盗んだやつだろ? 例の『魔剣』はタンクレートのところにあるのか?」
そんなことを言いながら、ガルトは二階の死体から回収したらしい十字弓の矢を装填し直し、魔術師に狙いをつけていた。抜きっぱなしだった剣はそこらへ放り投げてしまったようだが、ランドリックはそれを咎める気にはならない。
剣など、ただの道具だ。
騎士や剣士ともなれば違うのかも知れないが、ランドリックはどちらでもないし、ガルトもまた同様。強いて粗末に扱うつもりはないが、時と場合による。
「タンク……そうか、おまえ……人質のガキか……ってことは、くはは……そうか、ダリウスは死んだか」
「質問に答える気がねーならそう言ってくんねぇすかね。こっちとしても死に損ないと楽しいお喋りをしたいわけじゃねーんすけど」
「ふ――……がっ、は――! は、ははは……そうか、ただのガキだと思ったら、とんだ食わせ物だったか……」
「『魔剣』はタンクレートのところか? そんで、あんたはそっちのウスノロと仲良く手ぇ繋いで、この街でなにをしようとしてた?」
「……悪くない、仕事だと思ったんだがな……ゼルギウスの仕事は、いつもそう悪くない仕事だった……ふ、くふふ……そうだな、ランドリックを見たときに、さっさと逃げ出しておくべきだった……いつも俺は、遅いんだ……」
矢の突き立てられた腹を押さえながら、魔術師はごろりと体勢を変えた。胎児のように横向きに膝を抱えていたのを、仰向けになって、大の字に。
だくだくと出血は続き、地面に赤が滲んでいく。
ガルトはそんな魔術師の有様を眺めてわずかに目を細め、十字弓を構え直した。
「……なんか、言い残すことは?」
わざわざ問うたのは、きっと同情からではない。
殺す相手の死を刻んでおこうというガルトの覚悟だ。
十年前、ゲオルグが似たようなことをしていた気がする。
そうすることでなにが得られるかは、ランドリックには判らない。殺した相手を胸に刻もうと考えたことがないからだ。わざわざそんなことをしなくても、忘れられないものは嫌でも忘れられない。そうでないなら忘れてしまっても構わない。
「ねぇよ、くそったれ。『隠形』のブラッカは……仕事を失敗して無様に死んだ。それでいい……へっ、そういうもんだよな、畜生……」
かもな、とガルトは頷き、引き金を引いた。
ゴッ――という鈍い音がして、魔術師の頭部に矢が突き立った。
◇ ◇ ◇
その後、気絶させたラゼルに再び蹴りを入れて目覚めさせ、簡単な尋問を済ませた。簡単な尋問といっても、簡潔な質疑応答という意味ではない。
尋問するのが簡単だった、という話だ。
暴力はどんな莫迦にも通じる共通言語である。
ディニーム・ラゼル男爵は眼前の脅威には狂おしいほど鈍感だったが、我が身の痛みには憐れなほど敏感だった。立場や保有する戦力が全く通じない相手であっても居丈高になることはやめなかったくせに、両足を踏み砕いて何度か小突いてやれば実に口の滑りが良好になるのだから、おかしなものだとランドリックは思う。
どうせなら取り返しがつかなくなる前に降伏すればいいのだ。
引くに引けないところまで追い詰めたのはこちらなのか向こうなのか……おそらくは両方なのだろうが、別にどちらだってランドリックの知ったことではない。
最終的にラゼルの顔面はランドリックに踏み潰され、訓練場の地面に頭の中身が飛び散ったが……これにも、ランドリックは特に心を動かさなかった。
聞き出した話の中身が面倒だったな、というようなことを考えていたせいだ。
「……結局、ゼルギウスの部下はどうしてこの街に残っていたんだ?」
ぽつりと呟いてみると、放り投げていた剣を拾って鞘に収めていたガルトが思いっきり眉をしかめて嘆息してしまった。
「おっさん、俺と全く同じ話を聞いてたはずだよな」
「理解する頭は同じじゃないだろう」
「どうだか。印象で言うけど、おっさん一人だったらもうちょっと頑張って話を理解しようって気になってたんじゃねーの?」
「……ふむ」
そうかも知れない。
どうせガルトが聞いているだろう、と思っていなかったといえば嘘になる。ガルトが噛み砕いて教えてくれるだろうとも思っていた。
「えーっと……タンクレートの企みが上手くいったら、ゼルギウスの傭兵団が王国騎士団に取って代わる。ここまではいいよな?」
「ああ」
「で、その新生王国騎士団の装備を、この街の工房で造らせる。御用達ってわけだな。そこにラゼル男爵を一枚噛ませてやると、ラゼル男爵が儲かる。どうやって儲けるかは話が細かくなるから省くけど、そこはいいよな」
「まあ、なんとなくは理解できる」
「タンクレートとしては、たぶん陞爵のついでに領地を広げてティオーブをタンクレート領に引き入れるつもりなんだろ。そうすれば、ラゼルが儲かるとタンクレートも儲かるってことになる」
「なるほど」
「ブラッカたちが残ってたのは、ゼルギウスの本隊と連絡を取り合うためと――」
「ラゼルの裏切りを警戒して、か」
「たぶん。それだけじゃないかも知れないけど、そこはもう考えても仕方がない。ブラッカは口を割らなかったし、ラゼル男爵は『本当のところ』を教えられてるわけがない。それに喋る口がもうない」
「ふむ」
ランドリックはとりあえず頷いたが、細かいところまではあまり考えなかった。ガルトの言っていることは簡潔だったので判りやすいのだが、はたして本当にゼルギウスは王国騎士団になりたがっているのだろうか――その点が引っ掛かる。
十年前、戦争が終わった時点でヴァルト傭兵団の団員には王国騎士団からの引き抜きがあった。実際、傭兵団から王国騎士団に引き抜かれた者もいたはずだ。しかしゼルギウスはこれを断り、少し経ってからヴァルト傭兵団を抜けて国を出た。
なにか思うところがあったのだろうか。
ゼルギウスと特別親しかったわけではないので、機微など想像もつかない。『四人の英雄』の自分以外とだってランドリックは親しくなかったのだ。
十年、経っている。
心境が変化していてもおかしくはない。
だが、同時にこうも思う。
人はそれほど変わらないのではないか?
ランドリックはそこについて深く考えそうになったが、途中で面倒になってやめた。いつもそうだ。根拠不明な直感や直観が先にあり、理由も由来もよく判らないのにそれを疑おうという気にあまりならない。
「なんかあったか、ランドリックのおっさん?」
訝しげにガルトが首を傾げる。視線にこめられた親しみに、どうしてだか戸惑いのようなものを感じたが、それが何故だかよく判らない。
「……いや、なんでもない」
と、ランドリックは言った。
◇ ◇ ◇
作戦では屋敷の裏口から脱出して通りを抜け、馬車を連れて待機しているはずのロジーヌと合流し、ティオーブを出るという予定だった。
そこでちょっとした問題が起きた。
ラゼルの屋敷は広すぎて裏口が何処だか判らなかったのだ。
仕方なしにガルトと並んで屋敷を歩き回り、気配を辿って人がいそうな扉を開けてみれば、使用人らしき女が数人固まって座り込んでいた。ランドリックの姿を見た彼女らはこの世の終わりみたいな顔をして、一人の女は失神する始末だった。
「あー……申し訳ないんだけど、そろそろオイトマしたいんで、裏口がどっちか教えてくんねーすかね?」
かりかりと頭を掻きながらガルトが言って、どうにか使用人と意思疎通を図ろうとした。こういうときは自分がなにをしようが逆効果だと判っているので、ランドリックは黙って突っ立っていた。
「貴方たちは……なんなんですか……?」
使用人らしき女の一人、気丈そうな中年女が意を決したふうに言う。
「察してる通り、賊だよ。盗るもん盗ったからズラかろうってだけ。命が惜しけりゃ黙っていうことを聞け、ってやつっすかね」
「……私のことは構いませんから……彼女たちの命は……」
「いや、もう盗るもんは盗ったんで、あんたらには用事ねーっす。裏口がどっちにあるか教えてくれればそれでいい」
「あちらです。突き当たって左、三つ目の角を右に」
「どーも」
「あ――あの……っ! ひょっとして、旦那様は……?」
その問いにガルトは答えず、踵を返して部屋を出て行った。もちろんランドリックだって言うべきことなどひとつも見当たらず、同じようにするしかない。
この家の当主は痛めつけられて無様に陰謀を暴露した挙げ句、頭を踏み潰されて死んだ――なんてことを教えても、愉快なことにはならない。もしかすると卑劣な当主に怨念を募らせていた誰かがいるかも知れないが、ランドリックもガルトもそういう者のために行動したわけではないので、仮に喜ばれても筋違いである。
先を歩くガルトは、今はもう抜剣こそしていないが、警戒は解いていないようだった。とりあえず周囲に敵対的な気配はないが、わざわざ教えて緊張感を緩めてやる必要もないので黙っておく。これも経験だ。
廊下は長く、静かで、豪華で、嘘臭い。
これほど大きな建物に住む必要性がランドリックには判らないし、長い廊下の壁や天井を装飾的に彩る必要もないと思う。窓がないので明かりは必要だが、床に絨毯を敷き詰めたりしなくていいはずだし、なんだかよく判らない壺をこれ見よがしに置いておく意味も判らない。
仮に意味があったとしても、興味がない。
虚飾だ。
例えば絵が好きな人間なら壁に絵画を飾っておくのは理解できる。ランドリックは絵画に詳しくないが、絵が好きな人間がいることくらいは判る。しかしラゼルは絨毯や壺や天井から吊り下げられる装飾灯が好きだったのか――。
「……静かだな。あんだけ暴れたのに」
不意にガルトが言った。
「あれだけ暴れたからだろう。城持ちの貴族でもなければ、自分の家に大規模な戦力を置いておくやつはそういない。今は戦時中じゃないしな。ここの戦力は潰し終わっている。だから後は家人が残っているくらいだろう。そいつらは俺たちを怖がって、どっかの部屋の隅で固まっているはずだ」
さっきの使用人たちみたいにな、とランドリックは付け加える。
なるほど、とガルトは頷いた。
「経験者は語る、ってやつ?」
「それほどでもない。十年前に二回くらい同じようなことをしただけだ」
「普通に考えれば返り討ちに遭うか、とっ捕まるかの二択だよな」
「まあ、そうだ」
それは認めないわけにはいかない。こうして貴族の屋敷に突っ込んで貴族を殺して堂々と屋敷を辞することができるのは、ランドリックが異常な存在だからだ。さすがにそのくらいの自覚はある。
できると思ってやったことだ。できないと思ったら、もしかしたらやらなかったかも知れない。はたしてそれはランドリックのせいなのか、できてしまうランドリックを怒らせた貴族のせいなのか。
結局は同じようなことをしているだけ――。
貴族は権力を笠に着て平民を見下し、見捨て、使い潰すことがある。それが通じないランドリックは腹が立てば貴族をぶち殺してしまえるし、それを罪とも思っていない。だから罰を受けるつもりもない。貴族が平民を使い潰しても罪悪感を覚えないのと構図は同じだ。相手の力が自分に届かないから横暴になれる。
その点においては自分もゲオルグもイースイールも、おそらくはハミルトンだって同じだった。ランドリックはそう思う。
しばらく無言で廊下を進み、使用人に言われた通り、突き当たってから左に折れる。それからまた真っ直ぐ歩き、三つ目の十字路を右に折れる。
そこに、いた。
赤い髪の少女が、裏口らしき扉の脇に背中を預けて。
「……組合長、死んでたわ」
と、アディは言った。
怒りも悲しみも戸惑いもない、冷たい声音だった。




