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10-03 突入





 ()()()()


 人間の頭部に鉈が叩き込まれたと思ったときには、頭の中身が水音を立てながら塀にぶち撒けられている。

 例えば、熟れた果実を壁に向かってぶん投げたらこんなふうになるだろう。泥団子でもたぶん同じだ。水気を含んだやわらかいモノが勢いよく壁にぶつかったら、こんな形の花を咲かせるのだ。


 オロズの森で、同じ光景を見た。

 ダリウスの部隊が壊滅したときも。


 ガルトは、だから驚愕に身をすくませることはなかった。しかしそれでも目の当たりにした異常性にわずかな畏怖は覚えてしまう。ランドリックが言った通り、あの男の剣が届く位置に入ってはならないのだ、と。

 普段は押さえ込んでいる魔獣のような凶暴性を解き放ったとき、そこには躊躇というものが一切ない。本当の獣と違うのは、ランドリックの相貌がひどく静かなことだろう。有する暴力の強大さと裏腹に、感情らしい感情が窺えない。


 嬉しさも、楽しさも、苦しさも、狂おしさも――ない。

 強いていうなら「かったるそう」というのが近い。


 毎朝目を覚ましたら井戸から水を汲むのが日課になっている子供がいたとして、たぶんその子供は今のランドリックみたいな顔をしているはずだ。明らかに面倒ではあるが、どうせやらねばならないと割り切っている。そんな貌。


 ランドリックは死体に目もくれず、閉ざされていた門扉を力任せに横へ引く。建物の扉ではなく外壁に設えられている扉であり、わざわざ門番が見張っていた扉だ。施錠などされておらず、鉄で補強された木の板はあっさり内と外の隔絶を無効化してしまう。


「行くぞガルト。もう剣は抜いておけ。近づいて来たやつは敵だから、殺せ」


 いつも通りのぶっきらぼうな口調で言って、ランドリックは街を散策するような気負いのなさで敷地へ入っていく。右手に大鉈斧をぶらさげていなければ、何処か平和そうな光景にさえ見えたかも知れない。


「了解」


 とガルトは頷き、ほとんど反射的に腰の剣を抜いた。ただし剣を抜いた状態で警戒しながら歩くことには慣れていないので、少し考えてから柄に両手を添えた状態で剣先を下に流し、わずかに腰を落とした姿勢を取ることにした。


 そしてランドリックの背を追いかけようとして――悲鳴が響く。


 敷地に入ってすぐ、門扉の裏側に建てられている小さな小屋の中から誰かが飛び出して、あっという間にランドリックに殺されていた。

 おそらく門番用の詰所なのだろう。考えてみれば門番が一人で一晩中立ち尽くしているわけがない。何人かが交代制で、交代要員が詰所に待機していて、異常を察知した交代要員が顔を出した瞬間、死んだのだ。


 地面に倒れているのが二人。

 ランドリックは当たり前みたいに詰所へ侵入し、ほとんど間もなく中から異様な物音が響いた。たぶん更に一人。それで門番は全滅したようだ。

 返り血ひとつ浴びていないランドリックが中から出て来るのを眺めながら、ガルトは苦笑するしかなかった。


 あまりにも――あんまりだ。

 こんなやつの襲撃を受けて、無事でいられる人間なんかいるものか。


「行くぞ。屋敷に入ったら、たぶん後ろからも来る。気を抜くな」


 端的な言い方をして、ランドリックはそのまま歩いて行く。

 広い庭だ。庭師がしっかり手入れをしているのであろう花園がある。中心には洒落た椅子とテーブルが置かれてあり、天気の良い日はそこで茶でも飲んでいるのだろう。ラゼル男爵本人か、その家族か――そんなことはガルトには判らないし、知ったことでもなかった。


 ただ、月明かりが照らす青色の花が、なんだか冷たく見えただけだ。


 ガルトは気を取り直し、手中の剣の感触を意識し、それから周囲を確認する。

 無人だ。それに静かだった。

 屋敷から門までの距離があるので、門番が殺されても気付かなかったのだろう。相手がランドリックでなければ、四人も詰めているのだからなにかあったら誰かが異常を報せられるはず、ということか。


 外から見えるラゼル邸は、とにかくでかい。

 たぶん客を招いて宴みたいなことをする日もあるのだろう。ガルトには貴族の生活など想像もつかないが、くそでかい建物のたくさんの窓から明かりが洩れているのを眺めて、少しだけ奇妙な気持ちになった。


 ラゼル男爵がどんな人間なのかを、ガルトは知らない。

 当然ランドリックも知らないだろう。たぶん興味もないはずだ。

 そしてもちろん、ラゼル男爵の方もガルトやランドリックを知らない。ランドリックの存在は知っているだろうが、どんな人間なのかなど知る由もないだろう。


 なのにこうして敵対して――もう間もなく、どちらかが喪われる。

 それはなんだか、ひどく歪で理不尽なことのように思えた。



◇ ◇ ◇



 堂々たる歩みで屋敷の入口まで辿り着いたランドリックは、一瞬たりとも迷うことなく右手の大鉈斧を扉に叩きつけた。

 貴族の屋敷の、それは豪華な両開きの扉である。

 重く固い木材に腕の立つ職人が彫刻を施し、金のかかる防腐と塗装が成されたであろう扉に――鉈の一撃がぶち込まれる。


 扉それ自体は、無事だった。

 大鉈斧が当たった場所は大袈裟に抉れており、巨大な破壊槌を打ち込んだような有様になっているが、それでも扉は形を保っている。

 耐えきれなかったのは蝶番の方だ。


 強すぎる衝撃に金具が弾け飛び、扉そのものが建物の内側へ傾いで――派手な音と共に、倒れた。

 施錠されていたかどうかも確認せず破壊したのは、目立つためだ。後からアディが侵入する手筈になっている。とにかく屋敷中の人間の耳目を集めるために、こんな真似をしたに違いない。


 ランドリックは倒れた扉を踏みつけ、屋敷へ侵入する。

 入口広間はかなり広く、正面には二階へ続く階段、左右へ廊下が伸びていた。床には高級そうな絨毯が敷かれており、階段の登り口の両脇にはなんだかよくわからない金属製の像が置かれている。天井には魔導灯式の装飾照明。壁には偉そうな顔をした白髪の男の絵画が飾られている。この家の何代か前の当主だろうか。


 すぐに騒ぎを聞きつけた家令らしき年嵩の男が駆けつけて来たが、片手に鉈をぶら下げた不審者を目撃してあんぐりと口を開けて固まってしまった。ランドリックは面倒そうに男を一瞥し、それから、左右へ続く廊下へ視線をやる。


 複数の足音と、気配。


「左から一人だ。そっちは任せる」


 言って、ランドリックは床を蹴った。

 そして次の瞬間には、消えたと錯覚するような速度で右の廊下へ移動している。ほぼ時差なくいくつかの悲鳴と怒号が入り乱れ、()()()()、というナニカが潰れる音が連続して響いた。


「なんだテメェら――!」


 はっとしてガルトは左を見る。屋敷の下男なのか、きちんとした身形の男が駆け込んで来る。上背は高く、武器は手にしていない。下男たちのまとめ役、力仕事担当といったところか。年若い部下へ言いがかりのような叱責を飛ばし、尻を小突いて薄笑いを浮かべている……そんな様子を、見たこともないのに幻視してしまう。


 このままぼんやりしていたら、間違いなくそいつは駆けて来た勢いのままガルトをぶん殴るだろう。あるいは腰へ飛びついて床へ押し倒し、馬乗りになって殴りまくるかも知れない。男からは明らかに暴力への慣れが感じられた。


 ので、ガルトは待たなかった。

 保持している剣の先を床すれすれまで下げたまま、二歩だけ逆に男の方へ距離を詰め、旅路の夜に何度もそうしていたように、剣を振り上げた。


 左の腰から、右の肩へ。


 全く躊躇しなかったせいか、驚くほど抵抗なく剣が通った。駆けた勢いのまま、下男が血飛沫を撒き散らしながら倒れ込む。どう考えても致命傷だ。刃先に骨と内臓を断つ感触があった。思ったよりも、嫌な気持ちは湧かない。


 俯せに倒れた下男を中心に、絨毯が赤く染まっていく。

 しかしそのことに注意を向けたりはしなかった。


 ガルトは廊下の先を見る。使用人らしき女が悲鳴を上げ、近くの扉の中に逃げ込むのが見えた。とりあえず左側からの敵はない。とりあえずは。

 振り返れば右の廊下には死体が四つ。入口広間の正面では階段の登り口あたりで家令らしき男が腰を抜かしている様子だった。


「おい、侵入者だぞ。まともに戦える連中を集めた方がいいんじゃないか?」


 鉈を担いだランドリックが言った。

 家令は少しの間だけ「意味不明」といった表情を浮かべてから、顔面を蒼白にして階段を這い上がって行った。腰が抜けたままだったのだろうが、動作は妙に速い。まるで虫みたいな動きだな、とガルトは思った。


 それから――どっ、どっ、どっ、という音がするのに気付く。


 音源がひどく近い。屋敷の何処かから聞こえる音じゃない。何処から聞こえるのだろうと首を傾げ、自分の鼓動の音だと理解するまで少しの時間が必要だった。


 別に、手も足も震えていない。

 心の方は意外に冷めている。

 鼓動だけ、寒気に身震いするみたいに忙しく律動を刻んでいる。


「さっきのは悪くなかった。次からは武器持ちが来るぞ。おまえの場合は受け太刀するな。剣に剣を合わせて力押しできる腕力がないからな。さっと避けて斬れ。無理そうなら俺が助けに入るまで、どうにか凌いでろ」


 淡々と呟くランドリックである。

 そこには気遣いもなければ冷酷さもない。

 明日の昼食の話をするときも、たぶん同じ口調だろう。


「はっ――簡単そうに言ってくれるよな。こっちは素人だぜ、おっさん」


 ガルトはへらへらと軽薄に笑ってみせるしかなかった。

 だって、そうでもしなければ鼓動につられて全身が制御不能になりそうだ。なにかわけの判らないことを叫んで走り出したくなるかも知れない。今のところは大丈夫だが、これから先は、ちょっと判らない。


 だから笑っておく。

 ダリウスがそうしていたみたいに。

 グラウルが、いつも見せていたみたいに。


 笑え。

 嗤え。


 ここに来てビビり散らすのは違う。絶対に違う。なんのためにダリウスの頭をかち割ったんだ。あいつは死ぬ間際に笑ってみせた。そうだろう?


 ――逃げろ、ガルト。


 ああ、そうしよう。

 だけどそれは今じゃない。

 ここで逃げるくらいなら死んだ方がましだ。


 そう思った。




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