09-06 取引の鉄則
狭く暗い路地裏で長話もないだろうというメリシェの言に従い、移動することになった。確かに、娼館の裏で長話はちょっとどうかとガルトも思う。
一応というべきか、ロジーヌが失神させた男に関しては、移動の前にメリシェが娼館の者に事情を説明し、放置はしたものの後で回収されるだろうとのこと。意外に冷たいものだと思ったが、よく考えると意外でもないのかも知れない。
――中身は腹黒だから絆されて余計なことを言わないように。
というのはアディの言だが、実際メリシェは失神した男を心配しているような素振りを見せなかった。特に失望した様子もなかったので、腹が黒いかどうかまでは判らないが、少なくとも慈愛に満ち溢れた人間ではないはずだ。
もっとも、慈愛に満ち溢れた人間などガルトは見たことも聞いたこともないが。
メリシェの歩みは淀みなく、ほとんど明かりの届かない路地裏をするすると進んでいく。ある地点を越えたところで表通りに抜け――大通りに出たのではなく、路地裏から出たという意味合いだ――気付けば色街の空気感はなくなっていた。
そのまましばらく歩き続け、似たような集合住宅の並ぶ街区の、あまり特徴のない三階建ての家屋へ入った。これも集合住宅の一種で、通りに面している入口は廊下と階段に続いており、各部屋にはまた別の扉が用意されている。
「さあ、どうぞ。ここは『組合』で管理している部屋のひとつです。仕事の話ですとか、打ち合わせなんかに使われます。秘密の場所というわけでもありませんから、緊張する必要はありませんよ」
ここまで歩いている間に気を取り直したのか、にこりと整った笑みを見せてメリシェは言った。
促されるまま部屋に入ってみれば、座り心地の良さそうな革張りの長椅子や大きめのテーブルなんかが配置されており、しかし人が住むに必要な家具なんかは備わっていなかった。寝台もないし、個人的な物を置くような場所もない。そのくせ壁にはなんだかよく判らない絵画が掛けられているし、天井に吊られている照明はガラスを使った魔導灯だ。
気後れしても話が遅れるだけだとガルトはせいぜい粗野っぽく長椅子に腰を下ろしたが、尻に伝わる感触が予想以上にやわらかくて、少し驚いてしまった。
ロジーヌの方はそんなガルトの背後に、やはり使用人のように立ったまま控えている。部屋の奥へ引っ込んだメリシェは、ややあってから人数分の飲み物を盆にのせて戻って来て、慣れた動作でテーブルに置いた。
「さて――話を聞かせていただけますか?」
対面に腰掛けたメリシェは、まず自分がカップに口をつけてから言った。
ガルトもとりあえずカップを持ち、背後に立っているロジーヌへ突き出してみせる。それを受け取ったロジーヌは当然のような顔をして液体を少量だけ口に含み、こくりと嚥下する。
「毒はありませんね。まともな手順で淹れられたお茶です。茶葉は二級品のようですが、少し古いかも知れません。風味が落ちています」
別にそこまでは聞いていないのだが、ともかく意図は伝わったようだった。
ガルトは大仰に肩をすくめて見せてから、改めて自分の分の茶に口をつける。確かに、まともな手順で淹れられた、まともな味の茶だった。
茶の味が判るということは、ある種のハッタリになる。
傭兵団の頃の知識だが、『耳』が相手でも、ある程度は通じるだろう。
もっとも、業務用の笑みを顔に貼り付けたままのメリシェに通用したかどうかは、ちょっとガルトには判らなかったが。
「とりあえずアディの話だろ、あんたが聞きたいのは。とある傭兵部隊に人質として浚われた、ってのは認識してるんすよね?」
「随分と端折りましたね。ひとまず、こちらの状況を整理して話します」
◇ ◇ ◇
話としては、ゼルギウスの部隊がティオーブの『耳』にランドリックの捜索を依頼した、というところが始まりだ。もちろんゼルギウスの、ひいてはタンクレートの「始まり」はもっとずっと以前なのだろうが、ひとまずはさておく。
ゼルギウスの部隊に不審を感じたティオーブの『耳』は、当局にそれを報せようとしてゼルギウスらに察知されてしまう。そして組合長を人質に取られる。
これに関しては傭兵団としての反射的な行動だったのではないかとガルトは思う。取引先にナメられてはならない。縮小傾向にあったヴァルト傭兵団でさえ、それは鉄則だったのだ。
たぶん領主へ報せようとしなければ、組合長が人質に取られることもなかっただろう――無論、言っても栓のない話ではあるが。
それから、ランドリックの住処をいち早く調べたアディは――実際は事情があって最初から知っていたわけだが――運悪くというべきか、ゼルギウスの思いつきで「ランドリックに対する人質」として浚われてしまう。
これは本当に思いつきだったのか、あるいは予定通りだったのか。
作戦や予定は計画的なのに、行動が場当たり的なのは、やや不思議だ。
そして組合長を人質にとったゼルギウスの部隊の一部がティオーブに居残り、ティオーブの『耳』はいまだに当局へ異常を報せることもできず、渋々と通常営業を続けている。
◇ ◇ ◇
「――と、こんなところですね」
言って、茶を一口。
概ねガルトの知っている情報と齟齬はなく、特に不審な点もなかった。そもそも論としては疑問点がいくつかあるのだが……とりあえずは棚上げだ。
「こっちの話は簡単だ。ゼルギウスの部隊は無事にランドリックを利用することに成功した。で、本隊と別働隊に分かれた。本隊はどっかに行って、別働隊はランドリックを連れて王都に向かった。こっちの別働隊に人質のアディも連れて行かれたわけだ。途中までは連中の思惑通りに事態は進んだ。けど、途中でランドリックのおっさんが盤面をひっくり返した。文字通りに、こうやって」
言って、テーブルをひっくり返す真似をしてみせる。
線のはっきりしたメリシェの眉が、ぴくりと上下に動く。
「経過は端折るけど、アディを連れた別働隊はランドリックに皆殺しにされた。そんで、ランドリックはもののついでにアディの問題を片付けることにした」
「ついで……ですか」
「この街に残ってるゼルギウスの部隊を潰しておきたい、ってのが本筋かもな。だけど、そんなもん判んねーすよ。もしかしたらランドリックのおっさんはアディを助けたがってるのかも知れない。あるいはなにも考えてないのかも知れない。マジでついでだからって思ってるのかも知れない」
だたひとつ、はっきりしていることがある。
ランドリックは別に人間愛の伝道者ではないということだ。
「……あなたは、なんなんですか?」
訝るような表情を浮かべず、顔に貼り付けた笑みを歪めることもせずにメリシェは言った。
当然の疑問だろう、とガルトは思う。
しかしそうは思いつつも、問いに答えることはせず、へっ、と雑に笑って両手を広げて見せた。
「そんなもん、なにをどう言ったって意味がねーんじゃねっすか? 例えば、俺は『鍛鉄』のランドリックの息子だ、とか言ってもどうせ信じねーでしょ。とりあえず、ランドリックの味方だし、アディの味方でもある。今のところは」
「……まあ、確かに、そうですね」
「俺たちが知りたいのは、この街に留まってるゼルギウスの部隊の場所だ。どっかに潜伏して、ティオーブの『耳』のアタマを人質に取ってる――それも当局にバレないように。しかもあんたらの行動を監視しながら」
この街に留まっているゼルギウスの部下たちは、どうにかしてディオーブの『耳』の行動を監視しているはずなのだ。でなければ『耳』の人間が「組合長など知るか」とばかりに当局へ情報を届けに出た場合、対処できない。
情報が洩れるのを防いでいる……ならば、連中は情報が洩れるのを防げる場所にいる、ということになる。
場所。それさえ判ればランドリックが突っ込んで殲滅できる。
あまりにも他人任せな考えにガルト自身笑ってしまいそうになるが、そもそもガルトはどうしてもアディを助けたいわけではないのだ。ランドリックがそうすると言ったから、こうして情報収集を買って出ただけである。
「いくつか気になる点がありますが、訊いても構いませんか?」
「もちろん。聞く耳と喋る口の用意はあるつもりっすよ。閉ざす口の方も」
という死ぬほどいいかげんなガルトの返答が面白かったらしく、メリシェはわずかだけ笑みを崩し、すぐに気を取り直して続ける。
「今の話を聞いて、あなたがうちの『組合』に詳しくないのは判りました。アディからも聞かされていないようですね。それは何故だと思います?」
「それ、っていうのは? アディが俺にいろいろ詳しく説明しなかったことか、どうして俺が『耳』の内情に詳しくないのかあんたに判ったのか、ってことか……なんだかややこしいな。回りくどい話はナシにして欲しいすね」
「どうしてアディはあなたに詳しい話をしなかったのでしょう?」
「そんなもん、あの女が自分の情報を話したがらないからに決まってる。だいたい、あんたと会うにしたって符丁と手順以外なんも指示しねぇんだからさ」
初対面のときから、アディは自分について語りたがらなかった。それはしばらく一緒にいた現在に至ってもそうだ。
だが、そのことにはガルトはあまり腹が立たない。
誰にだって話したくないことくらいある。
ガルトだって自分の生まれた村がどんな場所だったのか、両親はどんな人物だったのか、ぐちゃぐちゃになっている記憶をいいからとにかく話してみろと言われても、たぶん鼻で笑って済ますだろう。
「アディらしいですね」
「らしさで済ませていいんすかねぇ? あの女、あんたは俺を信じないかも知れないけど信じさせる方法は思いつかないから自分でどうにかしろ、とか言いやがったんすけど。ろくでもねぇぜ、まったく」
「なるほど、確かにアディが言いそうです。先にその話をしてくれればもっと早く信じられたと思いますよ」
きゅっ、と口の端を吊り上げてみせる。
その笑い方は、何処かアディに似ていた。いや、あるいはアディの方がメリシェの笑い方を真似ているのかも知れない。
メリシェは続ける。
「実のところ、うちには貴族や当局と繋がりのある人間は多くありません。ティオーブの『組合』は領主直属の組織ではありませんし、他の貴族とも商売上の関係以外はありませんので。つまり――」
「組合長以外にも、貴族とか騎士団に渡りをつけられる人間を抑えられてる?」
「そういうことですね。毎日必ず決まった時間にある場所へ行って日報を提出するよう指示されています。さもなくば組合長を殺すぞ、と」
「別の街に出張を装って告げ口しに行けない、ってことか。でも、この街にだって領騎士団の駐在くらい、いるんじゃねーすか?」
「その駐在を管理している貴族と、ゼルギウスという男が繋がっています」
「あー……」
つまり、ニリルギム領の貴族でありながらタンクレートについた貴族がいる、ということか。メリシェがタンクレートについて言及しないのは、そもそも知らないのか、知っていて伏せているのか。
しかしそれはどちらでもいい。
話から考えると、ティオーブに駐在している領騎士団はその貴族の管轄なのだろう。逆に言えば領騎士団の上司が裏切り貴族ということになる。もちろん領騎士団は領主に仕えているので、厳密に言えば現場の上官だ。
が、それでも上の立場にいることに変わりはない。
「…………」
仮に「ゼルギウスの部下が組合長を人質にとっています」と訴えてみるとする。自動的にその報告は『裏切り貴族』に上がってしまうわけで……ティオーブの『耳』からすれば、これはもう八方塞がりというやつだ。
強いて賭けに出るとすれば「あんたの上官はニリルギム領主を裏切ってるぞ」と告げ口してみることだが、街の情報屋と自分の上官、どちらを信じるかはあまり考える必要もないだろう。
「……つまり、あんたらジリ貧じゃねーすか?」
「まあ、そうですね。他の街の『組合』に情報を流すことも考えましたけど、たぶん『組合』の内側にも裏切り者がいます。金で転がったか、身内を人質に取られたか――いずれにせよ、下手に動くわけにはいきませんでした」
「そんなところに、アディしか知らないはずの符丁を使うやつが現れた」
「娼館の若い衆に襲わせて、それでどうにかなってしまうなら使えないと判断しましたけど、普通に返り討ちにされましたからね。あなた自身の技量はさておき、後ろの従者さんに関しては文句なしに合格です」
また口の端が吊り上がる。
内心の発露なのか、計算で笑ってみせたのか。
どっちにしろガルトのやることは変わらない。
単に対応が変わるだけ。
「クソくだらねぇ試験の結果なんか知るかよ。とっとと領主を裏切ってる貴族の名前と居場所を言ってくんねーすかね。そこに傭兵部隊もいるんだろ」
「あら、短気は損気ですよ。なにか気に入らないことでもありました?」
にこにこと笑うメリシェである。
どうやら本気で楽しいらしいな、とガルトは内心で舌打ちしつつ、アディの言葉を胸の中で反芻した。
――中身は腹黒だから、騙されて絆されないように。
これに騙されるのは頭の中がよっぽどおめでたいやつだけだ。
「なあ、オバサン。あんたは俺がランドリックのお使いだと見抜いたんだろ? お使いなんだから、気を悪くしてもお使いはこなすはずだ、ってな。でなきゃ俺はお使い失敗しましたってランドリックに言わなきゃいけねーからな。だからあんたはちょいと悪戯心が働いた。ここ最近は職場環境も悪かっただろうしな、そこについては同情するよ」
「……だったら、どうだって言うんです?」
「いいことを教えてやるよ。情報戦において、俺があんたより勝ってることがひとつだけある。これだけは確実にあんたより多くを知ってるってことがな。すげぇ大事なことだぜ」
言って、そろそろ冷めてきた茶を飲み干し、ガルトは空になったカップをそこらへ放り投げた。力を込めて何処かへ投げつけたわけではないので陶器製のカップが割れることこそなかったが、あまりに自然に放り投げたせいかメリシェの瞳が驚きを示すのが見えた。背後に控えているロジーヌが「おやっ」というふうに眉を上げたような気配もあった。
別に、それほど怒るようなことではないのかも知れない。
というか事実ガルトは怒っているわけではなかった。そうではなく、身に染みついた習性がガルトにこういう態度を取らせたのだ。
――仕事相手にナメられてはならない。
鉄則だ。
相手が自分をナメていると感じたなら、必ず立場を判らせろ。最悪でも立場は対等でなければならない。仕事をしなければ困るのは相手の方なのだ。そうでないなら仕事なんか放り投げろ。さもなくば相手は永遠に足元を見てくる。ナメられた状態で仕事をするな。
――いいか、ガルト。俺たちは暴力を売ってんだ。
当然だがいくつかの例外はあった。例えば盗賊団の被害に遭って困窮させられている村が依頼主の場合。彼らは傭兵団という暴力に縋りつくクソッタレと評すには、あまりにも非力すぎた。彼らを薄汚い言葉で罵るのは、それこそ品性の堕落というものだ。それに彼らはヴァルト傭兵団をナメたりはしなかった。
「あんたはランドリックを知らない。俺はランドリックをあんたよりは知ってる。あのおっさんはな、『メリシェって女がむかつく態度だったから交渉が決裂して情報を仕入れられなかった』とか言えば、たぶん『そうか』って頷くだけだ。そういうことに怒らないんだよ――『鍛鉄』のランドリックは」
理屈は無茶苦茶だ。
それはメリシェにも判っているだろう。仮にランドリックが怒らないのが本当だとしても、ガルトが仕事を失敗したという事実は変わらないのだ。だからガルトはお使いを失敗したくないはず……と、たぶんメリシェは考えている。
それはそれで正しい。
しかし優先順位の問題だ。
鉄則を破ってまでメリシェから情報を引き出そうとは思わない。これは理屈というより生理的習性に近い感覚である。
それにここまでの情報が揃っていれば、あとは聞き込みをするなりして『裏切り貴族』の住処は割り出せる、というのもある。ここでメリシェを怒らせても致命的ではないのだ。
こつん、と。
人差し指でテーブルを突き、やや前のめりになってメリシェに向き直る。
相変わらず顔に張りついた笑みは、わずかだけ引き攣っていた。
「で、どうするよ、メリシェさん? 大した腕前もねぇクソガキ相手に上から目線を続けて話をおじゃんにするか、さっさと話すこと話してお別れするか、そっちが選んでいい場面だぜ。ここでどういう選択をするかによって、あんたが合格か不合格か、採点してやるよ」




