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09-05 奇襲と訓戒





「俺たち傭兵が最も信頼してるのは自分の腕と得物だ。こいつがどれだけ働けるかを知っておかねぇと、あっという間にくたばっちまう。テメェの実力が判ってねぇやつは、どれだけ腕があろうと三流よ」


 ヴァルト傭兵団の団長グラウル・ヴァルトは、ガルトに戦う術こそほとんど教えなかったものの、折にふれて己の哲学を語ることはあった。

 そもそもが傭兵として生きてきた男だ。

 それしかせずに生きた人間だ。

 子供に教えられるものといったら、培った傭兵哲学しかなかった。


 だから計算だの社会常識だのは、それを教えられる人間をわざわざ雇ってガルトに教え込んだが――やはりグラウル自身、これは手ずから教えておくべきと思うこともあったのだろう。

 あるいは、養父としての責任感があったのか。

 そのあたりは、ガルトには判らないが。


「いいか、ガルト。なにができて、なにができないかってのを把握しておくのが大事なんだ。()()()()()()()()()って確信があるなら、どんなに危なく見えても()()()()()()()()だ。なぁに、もしそれが間違ってたら、ただ死ぬだけさ」


 酒焼けした(しゃが)れ声。

 揺り椅子にごつい身体を乗せ、ゆらゆら揺られながら蒸留酒の瓶を片手に、子守歌を聞かせるような調子でグラウルは言った。


「それ以外でアテにするべきは、地面だ。大地、地べた、足元――足をつけて立ってる場所だな。飛ぼうが跳ねようが、ぶん殴られて目ぇ回そうが、地面の場所は変わらねぇ。そこに必ずある。ワケ判んねぇことが起きて混乱することもあるさ。俺だって何度も経験した。遠くから魔術師が魔法をぶち込んできたりしたら、そりゃあひでぇもんよ」


 仲間に魔法が直撃し、爆発と共に四肢が吹き飛ばされたときの様子を、グラウルは実に詳細に語ったものだ。


「だが、地面だけは絶対に下にある。俺たちはここに足をつけて生きている。なにがなんだか判らなくなったら、死ぬ気で力抜いて、地面の在処をまず把握しろ。例えばいきなり後ろからぶん殴られることだってあるわな。当たり前だが、その瞬間の頭ン中は大混乱さ。誰だってそうだ。そういうときは下手に堪えるな」


 まずは最も確かなモノに触れること。

 大地の在処を知ること。


「地面に倒れて、身体が前に転がってるなら後ろからなんかされたってことだ。そういうのはすぐに判る。逆に、下手に踏ん張ると追撃を喰らう可能性が増える。それに人間は足元を攻撃するのは下手なんだ。これは誰でもそうだ。だいたいおまえ、ワケの判んねぇ状態で踏ん張ってどうするってんだ?」


 それは、確かにその通りだ。

 もちろん倒れるのを拒否しなければならない場面だってあるだろう。しかしそれは、なにに倒されたくないかを知っていてこそだ。なにも判らない状況でただ踏ん張っても仕方ない、それこそ間抜けというやつだ。


「だがなぁ、世の中には『山崩』の魔女みたいなバケモノもいるからな。なにせあの女は地面を掘っ繰り返しやがる。頼みの綱があやふやになるってんだからクソみたいな話だぜ。まあ、なんだ、そういうバケモノに当たったら、さっさと諦めちまえ。それこそ意地張ったって仕方ねぇ相手だ」


 吐き捨てるようにグラウルは付け加えたが、それはただの余談である。

 このときガルトが胸に刻んだ警句は、つまりこういうことだ。


 ――不意の衝撃には、逆らうな。



◇ ◇ ◇



 ――不意の衝撃が、背中から。


 成人男性に思いきり殴られたのと同じくらいの衝撃。

 それをガルトは脚を踏ん張って堪えることなく、前方へ転がり込むようにして身体を倒した。結果的にメリシェと思しき女の足元へと前転することになったが、このときのガルトには考えがあったわけではない。


 肉体というよりは魂が勝手にグラウルの教えを実践した――とでもいうべきか。頭の中は混乱でいっぱいだったが、地面に手を突いてぐるりと身体を回している間に、ひとつかふたつくらいのことは判断できた。


 前へ倒れたのだから、後ろからなにかされたのだ、ということ。

 そして衝撃が打突であった以上、致命傷は受けていないということ。


 一回転、二回転、と地面を転がり、その勢いを利用して膝立ちで身体を起こし、振り返る。


 目に入ったのは――宙を舞うロジーヌだった。


 ひらひらした使用人服の裾をはためかせ、人間の跳躍にしてはかなり高い位置の中空に舞い上がりつつ、()()()()と身を捻っている。


 そして落下。


 着地点は……ガルトたちを路地裏へ案内した浅黒い肌の男。

 見ればそいつは突き出した右手に武器らしきものを握り締めており、表情は驚愕に染められている。もし時間的余裕があれば「まさか」とか「そんな莫迦な」くらいのことは言ったのではないか。


 もちろんそいつはなにも言えなかった。

 ロジーヌが靴底で男の両肩を踏み抜くようにしたからだ。たぶん、なにをされたのかも理解できなかっただろう。

 紙細工を乱暴に平手で叩き潰すみたいに、くしゃりと男の身体が拉げた……ように見えた。実際はロジーヌの両肩砕きを受けきれず、膝から崩れ落ちただけ。


 ――攻撃されそうになった、ということか。


 男が右手に握っていたのは、柄のついた革袋に砂やなんかを詰めた『黒鎚』と呼ばれる武器だ。原理的にはフレイルと同種の遠心力を利用する打撃武器で、主に街のチンピラが使う得物である。性質上、鎧を着た相手には効果的ではないからだ。


 ほとんど反射的に、ガルトは「無力化させねば」と考えた。

 相手がどういう思惑で攻撃してきたのかは判らないが、こちらとしてはメリシェを殺してしまうわけにはいかない。浅黒い肌の男がまだ生きているかも不明ではあるが、ロジーヌが殺すつもりだったら踏み潰すついでに脳天にナイフでも突き立てていただろう。きっと殺してない。はずだ。たぶん。


 地面をごろごろと二回転もしたおかげか、立ち位置としてはメリシェのすぐ脇に自分がいる。そのメリシェはロジーヌに踏み潰された浅黒い肌の男を見ている。隙だらけだ。ガルトは膝立ちの姿勢から跳ね上がり、彼女を羽交い締めにしようと手を伸ばし、


「――はぁっ!」


 気合い一閃、()()()()()()()

 伸ばした手を逆に掴まれ、なにかの曲芸みたいにガルトの身体がふわりと宙を舞っていた。なんらかの体術だ、と理解した瞬間には地面が迫っている。


 右手を伸ばし、右手を捕られ、そこを支点に回転し、空中でほとんど反射的に身体を捻り、背中から落ちる。その寸前にどうにか左手で地面を叩くことができた。

 不格好な受け身でも、背中から落下するより随分とましだ。それでも地面と激突する衝撃に肺から空気が漏れるが、意識を失うほどじゃない。


「ふんっ、がっ!」


 ガルトは下手に立ち上がらず、地に伏せるような形で中途半端に身体を起こし、左腰に提げたダリウスの剣――鞘に収まったままのそれを使って、メリシェの脚を思いっきり払うようにした。

 人間は足元を攻撃するのが苦手だ。

 同様に、足元を攻撃されるのも、また苦手なのだ。


「あっ――」


 というメリシェの声。

 鞘越しに脚を払った感触が伝わり、次いで彼女の身体が倒れる音も。そこでようやくガルトは顔を上げ、腰の剣を鞘から抜かぬまま、倒れたメリシェの首に押しつける。そしてガルト自身は彼女の腹の上に乗り、剣で首元と左肩、膝で手足を無理矢理押さえ込む。


 いわゆる「組み打ち」の体勢だ。


 グラウルに教わったことはないが、傭兵団の若い連中から戯れに混じりに習ったことがある。護衛対象が混乱して暴れることがあるから覚えておくと便利だ、とかなんとか。そのときはガルトが組み伏せられたのだけれど。


「……っ!」


 意図せず睨み合う形になる。黒に近い茶色の瞳が憎悪をたたえてガルトを射貫く。押さえつけている手足には渾身の力が込められており、油断すると外れてしまいそうなほど。


「あんたがメリシェでいいんすか? 俺みたいな雑魚を制圧し損ねるなんて、随分とまあ人材不足なんじゃねーすかねぇ」


 半ば反射的に口から皮肉が飛び出したのは、いきなり襲われたせいだろう。喋ったついでに息を吸ったが、冷えた夜気が肺にすべり落ちる感触が心地好く、まるで半日ぶりに呼吸をしたような気になった。


「……どうやって……っ、符丁を知ったんですか!? あれは、アディしかっ、知らない、ものです……!」


 首元を剣で押さえつけられているメリシェの言葉は途切れ途切れで、とても流暢とはいえない。

 が、言葉の意味は判る。彼女の意図も。


 アディしか知らない符丁が本人以外に使われた時点で、メリシェはアディが拷問の末に殺されたとでも判断したのだろう。彼女の口を割らせようというなら、おそらくそれくらいは必要になるはずだ、と。


「いいっすか、真っ先に大事なことだけ言うからよく聞けよ、くそったれ。アディは生きてる。俺はあいつの味方だ。とりあえず今のところは。ランドリックがこっち側に転がった。そんでアディから伝言。『あんたの仕事だけは評価してる』だとさ。随分といい性格の同僚じゃねーすか」


 言った瞬間、メリシェの瞳から憎悪が消えた。

 蝋燭の火に息を吹きかけたみたいに、ふっ、と。


「生きて、る……? ランドリック? あなた、が、なにを言ってるのか……」

「あんたが信じるかどうかは知らねーし、信じさせる方法も思いつかねーすけど、とりあえず、押し倒すのやめても暴れないでくれると嬉しいんすけど」

「アディは、生きて、る、のね?」

「そう言ってる」

「あなたは、アディと、仲がいいの?」

「ことあるごとに口喧嘩するのを仲良しってんなら、まあそうじゃねーすか?」

「なるほど……本当に、生きてるのね。嘘を吐いてないのも、今ので判った。いいわ、暴れないって約束する」

「そいつは重畳」


 メリシェの身体から力が抜けたのを確認し、ガルトは押さえ込みを解いて身を起こした。ちらりとロジーヌの方を確認してみれば、失神した浅黒い肌の男など知らぬとばかりの澄まし顔で佇んでいる。

 それこそ、主人の傍に控える使用人みたいに。


「……つーか、最初のアレはおまえの仕業かよ」


 背中に感じた衝撃は、ようするにロジーヌの蹴りだったのだ。

 おそらく男が『黒鎚』でガルトに襲いかかるのを見て、突き飛ばすために蹴りを入れた。そしてそのついでにガルトの背中を足場に跳び上がり、宙返りを決め、攻撃を空振りした男の両肩を踏みつけた、というところか。


 まるで曲芸だ。

 しかし当人にそのつもりはないのだろう。それはなんというか、優れた料理人が目にも留まらぬ速度で野菜を切り刻むのと同じような、「当人にとってはごく当たり前」の芸当なのだ。


「ええ、まあ。ガルト様もまずまずの反応だったと思います」


 どうということもなく頷くロジーヌである。

 やはり戦闘能力ではガルトよりもよほど優秀なのだ。

 もっとやりようがあったはずだろう、などと言い出すのはあまりにみっともない。方法はさておき助けてくれたのだから、文句を言うのは筋違いである。


 ガルトは雑に溜息を吐き、失神している男へ視線を向けた。


「そいつ、死んでないよな?」

「はい。殺してしまうと引くに引けない状況に陥る可能性が高いと判断しました。失神しているのは、潰れる際に首をきゅっとやったからです。加減はしたので肩の骨も折れてはいないでしょう」

「……()()()()()()()、ね」

「ええ」

「まあ、殺してないならそれでいい。そっちも、他人に襲いかかって反撃されたからって理由でまさか文句は言わねーっすよね?」

「こちらが先に仕掛けましたからね……文句は言いたいですけど、我慢しますよ」


 服に付着した土埃を手で払いつつ、メリシェは身体の具合を確かめるようにゆっくりと立ち上がり、はぁ、と息を吐いた。


「どうして信じる気になったのですか?」


 単に疑問だ、というふうにロジーヌが言った。

 本当に他意のなさそうな問いかけだったからか、メリシェはわずかだけ驚いたように目を開き、それから整った笑みを浮かべてみせた。おそらくは彼女が普段から他人に見せている業務的な笑みを。


「だって、アディの仲間の振りをしたいなら仲良くなったように見せたがるはずじゃないですか。でも、彼はアディとは『口喧嘩をする』って言いました。私の見たところ、アディは彼と仲良く打ち解けられる性格じゃありません」


 どうやら嫌味ではなく、メリシェの正直な見解のようだった。

 言われてみれば――なるほど、その通りかも知れない。アディの味方だと偽りたいなら、ことあるごとに口喧嘩してるなんて宣うはずがないのだ。腹の探り合いなど考えず思ったこと言っただけだが、それが功を奏したのだろう。


「それで、アディの味方であるあなたたちは、私にどんな用事ですか?」


 業務用の笑みを顔に貼り付けたまま、メリシェは言った。

 こういう微笑みは、確かにアディは嫌いそうだな、とガルトは思った。

 言わなかったが。





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