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09-04 頭に剣を叩き込んだ理由





「ひとつ訊いても構いませんか?」


 ロジーヌがそんなことを言ったのは、ちょうどガルトが三本目の串焼きにかぶりついた瞬間だった。


 ティオーブの『工』と『住宅街』の間に位置するやや大きめの広場。

 夜までに時間があったので、屋台が集まっている広場で夕飯を済ませておこうという話になり、適当に串焼きやらスープやらを購入して空いている長椅子に座り、少し経った頃合。


 清楚な使用人という見た目の彼女に屋台の串焼きはどう考えても不似合いだったが、当人は気にしたふうもなく、不満もなさそうだった。

 ちなみにというか、ロジーヌの串焼きの食べ方は少し面白かった。具材をひとつ小さな唇で咥えて串から外し、器用にそれを口の中に放り込み、丁寧に咀嚼する――その様子はよく考えるとあまり行儀はよくないはずなのに、動作が小さく静かなせいで妙に上品だ。


 広場にはいくつもの屋台が並んでいて、大勢の人間が行き交っている。

 親子連れ、商隊らしき集団とその護衛、明らかに旅人と判る二人組、あるいはこの街の商人らしき小太りの男たち。立ち呑みの屋台で誰かが大声を上げ、また別の場所では串焼き屋台の店主が客引きのために声を張り上げていた。

 あらゆる熱気と臭気が夕日に焼かれた空へ吸い込まれ、周囲の喧噪が何故だか少し遠く聞こえるような、そんな錯覚。


 そんな中、ロジーヌの呟きだけは明瞭に響いた。


「……別にいいけど、あんまり難しい話をされても困るぜ」

「問いへの回答が難しいかどうかを私は知りようがありませんので、難しい話をするなというのであれば、念のために黙りますが」

「いいさ。なんか訊きたいなら言えよ」


 軽く手を振り、へらへらと笑っておく。

 自分でこの笑い方をするようになったのは最近のはずなのに、なんだか十年以上こんなふうに笑っているような気になるから不思議だった。


「では訊きます。どうしてガルト様はダリウスという男を殺したのですか?」


 沈黙を挟むことも躊躇うこともなく、ロジーヌは簡単に言った。


「話を聞いた限り、ダリウスという男は負傷していて、ガルト様が見張り役として屋敷に残っていた。ランドリック様が戻ればランドリック様がダリウスを尋問したでしょう。ですが必要な情報を引き出したのはガルト様ですし、ダリウスを殺したのもガルト様です」


 何故――と。

 やはり単純な疑問符を浮かべてロジーヌはガルトを見る。


「まあ、そりゃそうだよな。本当は殺すならランドリックのおっさんが尋問した後の方がよかった。それでアディにも疑われたしな。俺が引き出した情報が正しいかどうか判らないってな。そこのところは、確かにその通りだ」

「ガルト様はそれを承知の上で殺したのでは?」

「それも、まあ、そうだ」

「だからそれが不思議です。人を殺したのは初めてですか?」

「ああ」

「どうして殺したのですか?」


 温度を感じさせない碧眼が、純粋な疑問符を浮かべている。

 そこには人殺しに対する嫌悪感などなく、ガルトの不手際に対する非難もない。


 だから、だろうか。

 素直に白状することにしたのは。


「……さすがに可哀想だ、って思ったんだよな」

「可哀想?」

「あいつは――って、おまえはダリウスの死体しか見てないんだよな。まあいいか。あいつ、昔はハイギシュタの兵士だったんだとさ。話を聞けば、上からのクソみたいな命令でマクイールの村を襲ってたらしいぜ」

「誰のどんな命令であろうが下した手は自分のものでしょう」

「そりゃそうだ。そのくらいのことは、ダリウスだって判ってた。そうやって自分の手がクソ(まみ)れになったあたりで『英雄』が現れた。あいつは気心の知れたやつらと一緒にどうにか逃げ延びて、国を去った」

「その後、何処かの外国で傭兵に?」

「らしいな。それで、あるときゼルギウスに会って……ゼルギウスはまともなやつだ、ってダリウスは言ってたな」

「話が逸れていませんか?」

「かもな。でも、なんつーか……あいつは『英雄』に克ち合ったせいで踏み潰されて、逃げ出して……そんで今度はまともな上官を見つけたと思ったら、また『英雄』に邪魔されて……そりゃあ、普通の敵だったらまだしも、ランドリックのおっさんみたいなやつが敵に回ったら、もうそれで終わりじゃんか」


 例えばランドリックを出し抜くことなら、そう難しくはないだろう。

 事実、ゼルギウスは魔剣と子供二人を人質することでランドリックの行動を制御した。一時的にではあれ、ランドリックはゼルギウスの思惑通り動かされたのだ。


 けれど――真正面から敵対したら?

 決まっている、それで終わりだ。


 ダリウスの人生を丸ごと凝縮したような一撃が、まるで羽虫を払うような簡単さで無効化された。巨岩に向かって剣を叩きつけてはいけないのと同じように、ランドリックと真正面からやりあってはならないのだ。

 そしてあのとき、ダリウスに撤退の選択肢など残されていなかった。


「……さすがに可哀想だ。そう思った。ダリウスのやったことは、まあろくでもないことだったんだろうさ。だからって英雄に克ち合って人生を変えさせられて、変えた先でたまたま英雄に殺されるのか?」


 それもまた人生。

 簡単にそう言えるなら、どんなに楽だろう。


 おかしな話だが、養父のグラウルがゼルギウスに殺されたのは、ガルトには納得できる気がするのだ。何故ならグラウル・ヴァルトは自分以外の暴力装置に殺されて当然の生き方をしていたから。

 けれど例えば、グラウルがランドリック以外の英雄に――そう、例えば『王狩』のゲオルグが突然現れて、おまえの人生は他人に殺されて当然のものだとか言いながら傭兵団を皆殺しにしたとすれば……そんなものは全く納得できない結末だ。


「どうしようもないものに踏み潰されるくらいなら、まだ俺にみたいなガキに殺される方が納得できる。少なくとも俺ならそうだ。あいつも――たぶん、そうだった。死ぬにしたって、英雄に殺されるのだけは嫌だった……と、思う」


 ガルトが剣を振りかぶったとき、ダリウスは確かに笑っていた。

 己の人生を呪う落伍者から、端金に命を懸ける傭兵の顔に戻った。

 どっちだってろくなものではない。

 だけど、後者の方がまだ納得できる。


「――だから、殺した?」


 ほんのわずかだけ首を傾げ、ロジーヌはガルトの顔を覗き込む。

 人に懐かない夜行性の動物が近づいて来たような違和感をガルトは覚えるが、これ以上言うべきことは見当たらなかった。


「そろそろ夜だ。移動するぞ」


 仕方ないので曖昧な嘆息を洩らし、串や食器をまとめて立ち上がる。


「はい」


 と、ロジーヌは注意して見ないと判らないくらい小さく唇の端を曲げ、頷いた。



◇ ◇ ◇



 アディの言うところの「街の東側にある歓楽街」は、実際に赴いてみれば中心部からはかなり離れていた。夕暮れ間際に移動を始めて、着いた頃にはもう街は夜に染まりきっており、少し焦ったくらいだ。


 とはいえ、冷静に考えればメリシェとかいう女の方だってアディ以外は知り得ない連絡手段を使ってきた相手について知りたいはずだ。多少時間が遅れようと、無視するとは思えない。

 仮に武具屋で渡りをつけた直後から監視がやって来たとすればロジーヌが気付いていたはずだが、ロジーヌによれば監視されている気配はないとのこと。


 あるいはティオーブの『耳』は、思ったよりゼルギウスの部下に支配されていないのかも知れない。

 ダリウスの言っていた通り、『耳』それ自体は通常営業を保っている線が強そうだが……とりあえず、そのあたりは確信が持てないので棚上げしておく。


 とにかく。

 目的地の娼館『硝子の花』はそれなりに奥まった位置にあったが、見つけるの自体は難しくなかった。歓楽街から色街へ変わったあたりで街娼――いわゆる「たちんぼ」の女――が目につくようになったので、適当な女に声をかけて訊いてみたらあっさり教えてくれたのだ。


 ちなみにというか、ロジーヌを連れているおかげか街娼から話しかけられることはなかった。使用人を連れたガキに声をかけても面倒なことになりそうだと判断されたのだろう。


 とにかく――とにかく、だ。


 細かい路地を何度か折れた位置に『硝子の花』はあった。

 アディの説明通り、一階が酒場、二階が娼館になっているようで、それは外観から判るようになっていた。なにしろ二階から桃色の明かりが洩れている。おそらく魔導灯のガラス部分に彩色しているのだろう。


「……意外に動じないのですね?」


 ぼそりとロジーヌが言った。

 ガルトとしても健康な十五歳の男であるから、娼館に興味がないといえば嘘になる。単純に、今はそんな場合でないというのと――、


「娼館に来るのが初めて、ってわけじゃねーからな」


 そういうことだ。

 残念ながら客として利用したことは一度もないが、客として訪れた団員を迎えに行くことは何度もあった。酒場で酔っ払った後に娼館へ赴いた傭兵が早起きできるわけがない。仕方なく団員を引き取りに行くうちに顔見知りになった娼婦が何人かいた。


「なるほど……?」


 曖昧に首を傾げるロジーヌを無視して『硝子の花』の戸を開ける。

 店内は薄暗く、静かで、思いのほか人が多かった。

 ぱっと見た感じは普通の酒場だ。二階へ続く階段が店の中にあり、食堂を併設した宿屋に構造が近い。商売の内容はかなり違うだろうが、どっちにしても今回は表向きの商売に用事はなかった。


「いらっしゃい。見たところ初顔だね。女連れで上に用事ってわけでもないんだろ? ちょいと一杯引っ掛けに来たなら、別の店の方がいいぜ」


 店内を見回していると、浅黒い肌の青年がやって来てそんなことを言った。店の制服らしいきっちりした服装に身を包んではいるものの、身体に染みついた荒事の気配は隠しようもない。たぶん用心棒も兼ねているのだろう。


「『青い靴の女』に用がある」


 と、ガルトはそれだけ言った。

 青年のこめかみのあたりがぴくりと動き、一瞬だけ視線が動く。ほとんど同時に、カウンターの内側でカップを磨いていた店主らしき髭面の男が反応し、小さく顎を引いた。


「……こっちに来な」


 青年が小声で告げ、ガルトを見ることなく酒場の裏側――というべきか、客から見えない奥側へと歩き出す。もちろん黙って突っ立っているわけにもいかず、ガルトは促されるまま青年の後を追った。


 厨房の脇を抜け、狭く細い廊下を進み、すぐに外へ出る。

 店の裏口……なのだろう。表口でさえそれほど大きな通りに面していたわけではないのだから、裏側はさもありなん。ほとんど建物同士の隙間みたいな裏路地で、街明かりもほとんど届いていない場所だ。


 ただ、外に出てすぐの位置に女が立っているのは判った。


 身長はガルトよりやや低い。ロジーヌよりは高いが、ロジーヌはかなり低いのであまり参考にはならないだろう。暗がりなので見難いが、濃茶の髪に、メリハリのはっきりした胸部なのは判った。

 年の頃は二十歳前後だろうか。アディより年嵩なのは判るが、具体的なところは判断できない。たぶん二十五は越えていないだろう。


「あんたが――」


 メリシェか。

 その言葉を言い切ることはできなかった。


 ()()()()()()()()()()から。


 右肩と背骨のちょうど間くらいに強い打突を受け――ガルトはそのまま、地面に転がった。






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