09-02 情報収集
表通りを何本か内側へ折れ、『井戸の迷い亭』という奇妙な名の宿をとった。
名前が気に入ったわけではない。それなりに安く、馬房を備えており、あまり目立たない位置にあったからだ。
部屋をひとつ、馬房をひとつで、値段はそれなり。おまけに食堂が併設されていないのが実にいい。普段ならともかく、今は監視に気を配る必要がある。いるかも知れない監視を招きやすい場所を選ぶなど、心労を増やすだけの行為だ。
ヴァルト傭兵団では経理の真似事をやらされていたし、出張する場合は宿の手配なんかは大抵ガルトの仕事だった。そのことを思い出し、あまり感傷的にならない自分が少し嫌になった。
それを感傷というのかも知れないが。
「オーヴィの組合長が苦笑いしていたのには気付きましたか?」
真顔でロジーヌがそんなことを言ったが、意図は判らなかった。
「死人の財布をかっぱらったからか? 馬車の大半の荷物はあっちに処分させたんだから、財布ぐらいでガタガタ言われる筋合いねぇよ。連中の荷、結構いい値で売れるはずじゃんか」
「筋合いというのであれば、大半の事後処理を任せたのですから、それで帳尻は合っているのでは?」
「どうだか。そういうのって結局はどんぶり勘定だろ。どうせランドリックのおっさんがいれば全部チャラだ。オーヴィの『耳』の爺さんはそれでよさそうだったし、それでいいならそれ以上は突っ込まないさ」
「それは傭兵の流儀ですか?」
「さあな。傭兵全般の流儀かどうかは知らねーよ」
「そうですか」
頷くロジーヌからは、やはり他意を感じない。
「……あの爺さんが苦笑いしてたってのは?」
「ガルト様がいなければ、ランドリック様にもっと多くの恩を売れた、ということでしょう。あの方は雑務に疎そうですから」
「俺がそういうのをやっちまったから、恩を売る機会を損失したってことか」
「たぶん」
「ロジーヌはそれを残念だと思ってるのか?」
「いいえ。どうしてですか?」
表情を変えず首を傾げる少女に、ガルトは肩をすくめて見せる。ロジーヌがオーヴィの『耳』に身内意識を残しているのか、少しかまをかけてみただけだが――あるいは、最初から身内意識など持っていなかったのだろうか。
過去を話せと命じれば、意外とすんなり話してくれるかも知れない。
が、今は昔話をされてもガルトの頭や心に余裕がなかった。
◇ ◇ ◇
馬具に括りつけていた荷物を――二人旅を装うための、半ば見せかけの荷だが――二階の部屋に置き、息をつく間もなく引き返す。
受付で退屈そうにしている店主を見かけたので、ガルトは旅路に必要な水と食糧の仕入れ先を訪ねてみた。
「ああ、それなら通りをみっつ挟んだところに赤い屋根のしみったれた商店がある。うちまで配達してくれるから、『井戸』まで運んでくれって頼めばいい。馬房の前に置いておくからよ」
酒焼けした声の中年店主は、口ずさむような淀みのなさで言った。これまで一万回くらい同じ科白を繰り返したような、慣れと飽きを感じさせる口調だ。
「そりゃいいや。ついでに、どっか手頃な値段の鍛冶屋か武器屋とか、知らないっすか? せっかくティオーブまで来たんで、見ておきたいんすけど」
この問いにも店主は慣れたふうな答えを返してくれた。
馴れ馴れしいわけでもなく、無愛想でもない。食堂を併設していない宿の主人としては満点の対応だ。ガルトがそう思っただけなので、万人から満点の評価を受けられるかどうかは判らないが。
軽く手を挙げて礼を言い、宿を出る。ガルトが礼を言ったときにはロジーヌがきっちりと頭を下げており、それだけ見れば本当に訓練された使用人のようだった。
それから――。
まずは件の赤い屋根の商店へ向かい、水と食糧の確保。支払いはダリウスたちの死体や荷物から集めた財布の中身だが、特に心は痛まない。
宿の主人に言われたとおり『井戸』へ運ぶよう頼み、店を辞する。やはりロジーヌが丁寧な辞儀をしていたのがガルトには印象的だった。
次に向かったのは、『井戸』の主人に教えてもらった武器屋だ。実を言えばそこらの商店へ無作為に足を向けてもよかったのだが、ティオーブへやって来た人間の行動としてはこっちの方が無難だろう。
ロジーヌは「監視はない」と言ったし、たぶんないとガルトも思う。だからといって大した手間でもない用心を怠るのは間抜けのやることだ。ランドリックのようなバケモノでもあるまいし、死ぬときはあっさり死ぬのが人間である。死の間際に手間を惜しまなければよかったと後悔するのは、かなり嫌な死に方だろう。
武器屋――あるいは鍛冶屋、そしてそれらを仲介する業者は、傭兵の世界では『手』と呼ばれている。ガルトもヴァルト傭兵団の本拠地では馴染みの鍛冶屋によく顔を出したものだ。武器の手入れは傭兵なら誰でもできて当然だが、それでも専門家による整備は必要になってくる。
その店は位置的に『窓口』『商工区』『住宅街』の後者ふたつ側、住宅街よりの商工区に存在する小さな店舗群のひとつだった。どれも似たような店構えで、店舗の入口に看板がなければ隣の店に間違えて入ってもおかしくないような造りをしている。
「ここで例の『合い言葉』を使うのですか?」
ぼそりと小声で――しかし妙に耳に響く声音で――ロジーヌが言う。
「そうだな。もし通じなかったら別の店を当たればいい。とりあえずは今のところ、俺たちの行動はそんなに不自然でもないはずだ……と思う」
「でしょうね。傍目には、ある程度金持ちの道楽息子と、その使用人――そんなふうに見えているはずです」
「俺が金持ちのガキに見えるかぁ?」
「ガルト様は全く見えませんが、腰の得物がそう見せているでしょう。鞘の拵えは地味ですが、雰囲気がありますから」
ダリウスの使っていた片手半剣のことだ。
それはいいやつだ、とランドリックが言っていたくらいだし、あのダリウスが部隊の標準装備とは別に所持していたのを考慮すれば、そういうことなのだろう。
「……まあ、この街に来るようなやつの三割くらいは、こいつの価値が判るのかも知れないな」
俺はイマイチ判ってないけど、と付け加える。
軽い冗談のつもりだったが、ロジーヌはくすりともしなかった。
むしろガルトの方が笑ってしまう。この女、平気な顔して「全く見えません」とか言ったな――それは少しだけ心地好い棘だ。
傭兵団ではそのくらいの皮肉、挨拶のようなものだった。
◇ ◇ ◇
店舗は鍛冶場と併設しておらず、壁や棚に見本らしき武具が並んでいるだけで、店番らしき青年が退屈そうに帳場台でなにやら弄っていた。見ればどうやら革の加工をしているらしい。鉄の器具を使って針を通すための穴を開けている最中だ。
「ああ、どうも。なんか注文がありゃ言ってください。並んでるやつは言ってくれれば調整もします」
ちらりと顔を上げて言って、店番はすぐに革の加工に戻った。ガルトとロジーヌという傍目にやや奇妙な組み合わせにも興味なさそうに。
ガルトは小さく息を吐き、内心の緊張を誤魔化しながら言った。
「『平たい靴をみっつ、水に沈めたい』んだけど」
アディに教わった合い言葉だ。
この街の三分の一くらいの商売人に通じるということだから、ティオーブの『耳』の大きさも窺えるというものだ。
はたして店番の青年は革に穴を空ける作業を中断し、やや怪訝そうに眉を上げ、
「『必要な鞄の色と大きさは?』」
そんな符丁を返してくる。
万が一、本当に平たい靴を水に沈めたい莫迦がいたとしても、これで不幸な勘違いを防げるわけだ。
「『赤いやつ、青いやつ、よそ行きのやつ』だ。なかったら別のものは要らない」
「話は通しておく。日が落ちきった後に『アニラの鳥』って酒場に行きな」
「場所が判んねーよ」
「だったら親切な誰かに聞きな」
それで話は終わり、とばかりに青年は革の加工に戻った。
ごんっ、ごんっ、という革に穴を空ける音が虚しく響くだけで、もはやガルトの方を見もしない。邪魔だから立ち去れということだろう。
これじゃガキの使いだよな、と苦笑したくなったが、そういう愚痴を分かち合う相手がいなかったので、ガルトはひとまず肩をすくめておいた。
特に虚しさは緩和されなかったけれど。




