09-01 商工街ティオーブ
交易街オーヴィを出発し、交易街ティオーブまで五日を要した。
地理的にはランドリックの住処だったオロズの森より更にハイギシュタ側へ向かう道程だったので、森からオーヴィへ要した日数を考えればかなりの速度で行軍している計算になる。
というのも、オーヴィまでは部隊行動だったから当然だ。
行軍の速度は部隊数に比例して遅くなる。
これは用兵の基本である。
馬車一台、たった四人で進むとなれば、これくらいの差はつくものだ。究極的には一人で馬に乗ってひたすら走り続ければ最も移動速度は速くなるが――それを部隊行動とは表現しない。
行軍速度と部隊人数の問題は、ガルトにとっては知識というより経験則だった。単純な掛け算を覚えるより前から傭兵団で生きていれば、このくらいのことは感覚的に判るようになる。
オーヴィを出発した日から考えて、ダリウスたちは七日後に王都へ到着し、潜伏している部隊と合流する手筈になっていた。
であれば、王都の部隊が『ダリウスの未着』に不審を覚えるまで……おそらく一日程度は様子を見るとして、八日後。王都からオーヴィへ誰か人をやるとして、ここの移動は人数の問題で四日から五日。オーヴィに潜伏させている部隊がいないことに気付き、連中はどうするか――王都へ引き返して自分の部隊に異常を報せるか、ゼルギウスの本隊に異常を報せるか、あるいは何処かでランドリックが暴れることまで計算済みだとすれば、作戦を切り替えるか。
いずれにせよ連中がオーヴィの異常を察知するまでは、現時点から計算しても七日前後ある。
ティオーブに潜伏している『ゼルギウスの部下』たちは、ランドリックがティオーブに向かっていることなど知る由もない――はずだ。たぶん。
というのが、ガルトの予想だった。
◇ ◇ ◇
「実際のところはどうだか判んねーけどな……」
ティオーブの街並みを眺めながら、ガルトは溜息混じりに呟いた。
事前にアディから聞き及んでいた通り、門番は領騎士団が担当しているらしく、特に怪しまれることなくガルトとロジーヌを通してくれた。交易街のオーヴィと違い街へ入るのに支払いは必要だったが、都市では珍しくもない話だ。
ディオーブは商工街というだけあり、大雑把に三種の場所に分類できる。
まず通行門へ繋がる大通りの近辺、ここは大きな商会や工房の支店などが店舗を構えている。ようは外から来た客に対する窓口だ。金持ち向けの宿屋や飲食店などもここに集中している。
次に、それらの『窓口』からやや離れた位置に商工街の『工』の区域が広がっている。鍛冶の煙が立ち上っている場所などは一目瞭然だし、他にも木工や革細工、珍しいところではガラス細工の工房まであるという。
資源が豊富な場所ではないので原材料のほとんどは外部から買い入れているらしいが、とにかく技術ある職人達を優遇した結果、このような商工街へ発展したそうだ。もちろん、元々は戦争の際に前線として機能していた過去もあるのだが。
そしてそれらのいずれにも該当しない場所が、人の住んでいる区域だ。つまり住宅街。安宿や安酒場などもこちらに居を構えており、金持ちでない外からの客は『窓口』以外のふたつを利用することになるという。
ちなみに住宅街の端には貴族や金持ちの住む街区が存在し、こちらは面積こそ広いものの、一般的な人間には用のない場所である。
さておき。
交易街オーヴィとは趣が異なるものの、ティオーブもかなり大きな街だ。
大通りを内側に何本か道を折れても人いきれが途絶えず、道幅は広いまま。馬車の利用を想定されているからだろう。
「……なにか言いましたか?」
ガルトを見上げるようにしてロジーヌが言う。
使用人服は目立つかもと心配したが、街に入る前にそれは杞憂だと判った。門を通るときに使用人らしき者をそれなりに見かけたからだ。商工街というだけあって懐に余裕のある者がティオーブへ「お使い」を差し向けることが多いようだ。
逆にガルトのような、なんだかよく判らない人間の方が目立つのでは――というのも、これはこれで杞憂に終わった。
なんだかよく判らないような者が自分の足で仕入れに来ることも多い。
ようするに、この街は極端に貧相でなければ目立たない場所、ということだ。
だからガルトとロジーヌに馬が一頭という少々奇妙な組み合わせでも、周囲から耳目を集めることがない。
実際、街を行き交う人々をざっと眺めてみれば、一見しただけではどういう集団なのか判らないような連中も多かった。そしてそういう連中にいちいち「おまえらは何者だ」と訊ねる者もいないようだ。何者であるかは判らずとも、他所からティオーブに来た人間のやることは決まっている。
取引。
商工街ティオーブに用事があるなら、まずそれだろう。
この場合はガルトたちが例外である。
無論、傍から見てガルトたちが例外であるかどうかなど判るわけもない。
「いや、別に。とりあえず、どうすっかなーって」
「どうもこうも……ランドリック様とアディを街から離れた場所に置いてきたのは、情報収集のためでしょう。予定通り、アディの知り合いに接触を試みては?」
ロジーヌの言う通り――ガルトとロジーヌの二人だけでティオーブに入ったのは、情報収集のためだ。
アディの話が確かならティオーブの『組合』はゼルギウスの配下にアタマを抑えられているはずで、下手に動けば文字通り『組合』の頭……組合長の命が失われることになるだろう。
なので顔の割れているアディを街に入れるのは少々危険が伴う。同様に、ゼルギウスの部下に顔を知られており、一部の人間には強烈に記憶されているであろうランドリックも街に入れたくない。少なくとも、情報収集の段階では。
そういうわけでガルトとロジーヌの二人行動となった。
……のだが、はっきり言えばガルトにとってティオーブの『耳』がどうなろうが、そのアタマが死のうが、どうでもいいような話である。アディを助けると決めたランドリックにしても、実際のところ『耳』の行く末や人質の生死にはさほど興味がないはずだ。
助けると決めた。
だから手は抜かない。
たぶん、それだけだ。手を抜かずに取り組んで、仮に失敗しても別にランドリックは落ち込んだりしないだろうなとガルトは思う。
「最初からそうするのは、あんまりよろしくない気がするんだよな。やらないわけにもいかないけど、初手から切るような札じゃない」
「判り難い言い方ですね」
「懇切丁寧に説明しろってか? 嫌だよ面倒くさい。ロジーヌはとりあえず気ぃ張って、変なやつがこっちを監視してないか注意してりゃいい。気配がどうとか、そういうの得意だろ」
「ええ。ガルト様よりは」
「そいつは重畳」
へらへらと笑いながら言って、そういえばグラウルもこんな言い方をしていたなと思い出す。自分が誰かに同じ科白を吐くことになるとは思いもしなかったが……感傷は脇に避けておく。思い出すべきは別の事柄だ。
例えばそれは、ランドリックの住処であるオロズの森へ向かっている最中、ダリウスが言ったこと。
――その女はティオーブって街の情報屋の下っ端だそうだ。ランドリックの住処を調べさせたらその女が一番早く情報を仕入れてきた。ここまではいい。だが『耳』の連中はどういうわけか俺たちの情報を領主に伝えようとしたわけだ――
――『耳』がいなくなりゃ結果的に不審に思われる。その街の『耳』のアタマを抑えて、ついでにそっちの女を人質に借りてきた。俺たちの仕事が終われば元通りってこった。その間、『耳』のやつらは通常業務に勤しんでもらうさ。アタマがいなくてちょいと不便かも知れんがな――
今にして思えば、ダリウスはガルトを試していたのだろう。自分たちの仲間に引き込むべきか否か。同情していたのかまでは判らない。しかし本人の言を信じるなら、見所があると考えていたわけだ。
が、それも今は脇に避けておく。
ティオーブの『耳』は領主にゼルギウスらの情報を伝えようとした。これはつまりニリルギム領の領主はタンクレートと結託していないということだ。そしてティオーブの『耳』から即座にニリルギム領主へと情報が伝わる仕組みが確立されていないということでもある。
つまりこの街の『耳』は当局の子飼いではない、独立組織だ。
ゼルギウスの――あるいはタンクレートの――策のひとつは、ランドリックの存在を見せつけて貴族の介入を抑止するというものだ。だからランドリックを巻き込む前に事態が露見しては拙かったわけだ。
「とりあえずは……馬を預けておきたいし、宿を取る。それから、ちょいと補給しておいた方がいいな。ティオーブに来て買い物しないってのは、もし監視があるなら怪しまれそうだし」
「今のところ、周囲からの監視はありませんが」
「この街の『耳』が優秀な組織だったら、勝手に情報が集まってくる仕組みが出来てるはずだ。アディはその『仕組み』について知ってるふうだった。わざわざ監視の必要もないかも知れない」
「考えすぎでは? オーヴィの『組合』でも、そこまで緻密な情報網はありませんでしたが」
「かもな。まあ、考えすぎて身動き取れないってんなら考えるのをやめてもいいさ。でも、今のところ身動きは取れるから、手抜きはナシ」
「……なるほど」
ふむ、と頷くロジーヌの仕草は、あまり少女らしくない。
そもそも見た目以外から少女らしさなど感じられない女ではあるが。
きっちり手入れされているであろう灰金の髪、低い身長に華奢な肢体、整った相貌……見た目だけなら可憐な少女だ。しかしガルトは最初に見たときから、ロジーヌという少女に外見とは別のものを感じていた。
傭兵団で暮らしていたせいか、身の内に暴力を秘めているかどうかは見れば判る。四足獣を見て「駆けっこでは勝負にならない」と即座に理解できるように、そいつが人間を殺傷できるかどうか、感覚的に判ってしまうのだ。
ロジーヌは他人を殺傷できるモノだ。
最初に見たとき、まずそう思った。
もちろんガルトの洞察力では、物腰から相手の技量を判別することはできない。それでも素人か否かは判る。付け加えるなら、彼女がガルトに忠誠を誓っているわけでもなんでもないことも、理解している。
なんでも言うことを聞きますと言われて、考えなしに喜ぶほどガルトは間抜けでも純粋でもなかった。たぶんランドリックが「やはり自分の言うことを聞け」とでも言えば、ロジーヌは主人をランドリックに戻すだろう。
判らないのは、どうしてガルトを仮にでも主とすることをよしとしたのか――だが、これは単純にガルトがまだ大したことを命じていないからかも知れない。
現状、ロジーヌは「ランドリックのやることに付き合う」形になっている。主がランドリックだろうがガルトだろうが、さして変わらないのだ。
仮にランドリックが現在の主人であったとしても、どうせあの男は「ガルトの策に従え」とでも言っただろう。
だったら今のところ、主がどちらでも同じことだ。
そういうようなことをガルトは漠然と考えたが、ロジーヌに確認しようという気にはならなかった。馬の手綱を引きながらロジーヌの後頭部あたりを眺めて、空いている片手でなんとなく自分の髪を掻き混ぜておく。
彼女を全面的に頼るわけにはいかない。
信用できないからだ。
ガルトがロジーヌを、というだけではなく、ロジーヌの方もガルトを信用していないはずだ。
同時に――矛盾するようでもあるが――ある程度のところまでは、危険を顧みずに従ってくれるだろう。
何故なら彼女はそもそもが暴力装置だから。
仮に傭兵が「ある程度まで手伝ってくれる」なら、それは戦力として換算していいということだ。ロジーヌのがなんなのかは判らないが、彼女が暴力装置であることは判る。であれば、同じ理屈で同じように換算していい……はずだ。
「ま、多少は情けねーと思うけどさ」
小声でぼやいておくが、その呟きは雑踏に紛れて掻き消え、ロジーヌの耳までは届かなかった。
たぶん。




