08-04 ロジーヌ_02
三頭立ての馬車で交易街オーヴィを出発し、街道を進めるだけ進んでから野営に取りかかる。ごくありふれた旅の情景だ。
旅路としては非常に順調な道程といえるだろう。
それなりに旅慣れているロジーヌから見ても、ケチのつけようがない。
馬はどれもかなりの健脚で、馬車を牽くことに慣れていた。食糧や旅の道具、それに合計四人を乗せた馬車を引き続けても問題なく、人のいうことをよく聞く。売ればかなりの高値がつくだろう。
馬車それ自体も構造がしっかりしているし、車輪も頑丈なものだ。車軸の精度もよく、揺れを抑える発条機構まで備えている高級品である。馬の方もこれだけしっかりと調教されているものは珍しい。仮に『ゼルギウスの傭兵団』の持ち出しだとすれば、これはかなり練度の高い傭兵団なのではないだろうか。
ちなみに道中の御者は、ほとんどガルトが請け負った。
アディは馬車の操縦経験がないとのことで免除され、ランドリックが御者台に座ると馬が緊張するようで、無駄な消耗を嫌ったガルトが「荷台で寝てろよ、おっさん」と言い放った。よくもまあ『鍛鉄』のランドリックにそんな科白を吐くものだとロジーヌは呆れてしまったが、当の英雄はこれ幸いと頷くだけだった。
仕方ないのでガルトを休憩させる間だけはロジーヌが御者を交代してやったが、よく考えると「御主人様」なのだから、ロジーヌに命じて御者をやらせておけばいいはずだ。そうしないのは――まあ、ロジーヌの主になった自覚があまりないのだろう。たぶん、皆無に近い。
ロジーヌとしても、いきなりガルトが居丈高になっても不快かつ不愉快でしかないので、わざわざ指摘はしなかった。たとえ面白くないことになったとしても、ランドリックがいる以上は迂闊なことはできない。
可能な限りなんでもいうことを聞く。
これがロジーヌと「主人」の間にある契約だ。
もっと言うなら、ロジーヌと暗殺者の老人が交わした約束だ。
暗殺者の老人とオーヴィの組合長が交わした約束でもある。
依頼でも契約でもなく、義務でも責任でもない。
ただロジーヌが「それは嫌だ」と思わない限り履行される約束。
はっきり言えばなんでもいうことを聞くつもりなどロジーヌにはないのだ。
けれど、なにもかも投げ出して逃げたところで、なにをすればいいのか判らないのも本音だ。そんなことは教わっていない。
であれば、嫌になるまでは暗殺者の老人――養父だったあの男の言う通りにしてみてもいいかと思っている。
さておき。
ガルトは日が落ちきる前に野営に適した場所を見繕って馬車を停め、街道から少し外れた位置を野営場所として、当たり前みたいに夕食の準備に取りかかった。
これにランドリックは口を挟まなかったし、アディの方もガルトをぼんやり眺めているだけで手伝おうとしない。関係性のよく判らない連中だ、とロジーヌは胸の内で嘆息する。
仲間――というわけじゃないのは判る。
では、彼らは一体なんなのか。
「ガルト様」
一人で即席のかまどを組み上げ、馬車から調理道具を降ろす『主』を見かねて、ロジーヌは仕方なく声をかけることにした。
「私の格好を見て、ガルト様はどのように思いますか?」
ロジーヌの身を包んでいるのは、ようするに金持ちの屋敷で働く使用人の服装だ。正確には、そう見せかけた戦闘服である。
使用人服は端的にいって「ひらひらした服装」だ。暗器を隠す場所が多く、他者の警戒を招かないので割と気に入っている。もちろんこういう旅路では少しばかり場違いではあるが、有り得ないというほどでもない。
「……あー……『耳』のアタマの護衛だったんだろ? ってことは、使用人っぽい服装に見えるけど、使用人じゃねーだろ。あんま見たことないけど、本物の使用人は頑丈な革靴とか履いてなかったと思うし、袖はもっと短い。ナイフかなんか仕込んでるだろ、それ」
ほとんどロジーヌに注目することなく、調理を始めながらガルトは言う。
こういうところも、この男の奇妙さだ。
一見して「傭兵団の下っ端だった男」ではあるのだ。雰囲気も口調も印象も、そこから大きく外れない。なのに時折、意外なほど予測をはみ出る。ランドリックと親しげなのもそうだし、死体だらけの屋敷で荷造りしていたこともそうだ。死体の懐から金を掻き集めたのも付け加えていい。
それに、ロジーヌの服装についても正鵠を射た。
「ふりをしておりますれば、その技能もございます」
「……ふぅん。そんじゃ、手伝ってくんねーすかね。ランドリックのおっさんはともかく、そっちの赤毛がまるでお姫様かってくらい働かねぇんだ。口開けば文句ばっかで手は動かさねぇんだから、最高だよ、まったく」
「お言葉ですが、先程からガルト様は『手伝え』の一言もございませんが」
「なるほど。そりゃ盲点だった。今度からお嬢さんにはそうやってお願いするさ」
「ロジーヌ、と」
「……ぁい?」
「ガルト様は主ですので、ロジーヌと呼び捨てください」
口調と裏腹に馴れ馴れしくないガルトは割に好ましいが、逆にこうしてはっきり距離を取られるのは、やや不満だ。身も心も捧げるつもりは毛頭ないにしても、あからさまに不要と思われるのも不本意である。
少なくとも自分はこの少年より有能だ。
なのに頼られないのは、面白くない。
「判った。そんじゃロジーヌ、飯の準備を手伝ってくれ」
そう言ったガルトの表情は苦笑に近かったような気もしたが、ともかく、ロジーヌは恭しく頭を垂れて「承知しました」と一礼してやった。
ちょっといい気分になったのは、何故だろうか。
◇ ◇ ◇
ガルトの用意した夕食は、それなりに美味しかった。
塩漬けされた干し肉で出汁をとったスープには何処からか見繕ってきた野草が入っていて、堅パンを浸すとちょうどいい塩加減になる。煮崩れた芋が入っているのもロジーヌ好みだったが、これはアディに不評だった。
「だったら明日の飯は美食家のアディ様が用意すりゃいい」
正論だが皮肉を入れるせいでまた口論が始まったのはさておき、出発して半日経った時点でのガルト・ヴァルトへの評価は、概ね上方修正された。
御者もそつなくこなし、馬の世話も怠らなかった。野営の手際もいい。ランドリックの指示通りどんなときも腰に剣を提げていたのでそこには不慣れさが見えたが、まあ仕方ない。ロジーヌだって身体中に仕込んだ暗器に慣れるまでは随分と時間を必要としたものだ。
たぶん、同い年の少年少女よりもずっと早熟だ。
現実的だ――というべきかも知れない。
少年にありがちな全能感のようなものが、ガルトからはまるで窺えないのだ。それについてはロジーヌも人のことは言えないが、暗殺者に七年も育てられたロジーヌと、傭兵団の下っ端を比べるのも酷というものだ。
ガルトとアディがちくちくやり合っているうちに食事は終わり、ロジーヌが片付けを担当することになった。口論が終わらなかったので勝手に片付けを始めただけだが、それに気付いたガルトは「悪いな」というふうに手を動かしただけだ。
感謝の言葉すらなかったが、嫌な感じはしなかった。
二人の口論は、程度が低いのか高いのか、よく判らないものだ。
言葉尻を捉えて皮肉を飛ばし合っているだけといえばその通りだが、二人とも妙に語彙が広かったり見識が深かったりする。
そんなじゃれ合いを止めたのは、意外なことにランドリックだった。
「とりあえずそのくらいにして、ガルトはそろそろ剣を振っておけ」
声を張ったわけでもないのに、不思議とよく通る言葉。
「あ――ああ。そりゃいいけど、なんか、おっさんが指導するって感じなのか? ランドリック流剣術を伝授するつもりとか……」
「そんなものはない。俺の戦い方をおまえがしたら、すぐ死ぬぞ」
「……まあ、そうだよな」
苦笑気味に頷くガルトだったが、ロジーヌも内心で同じように頷いていた。
ランドリックの戦い方なんて、真似しようとする方が莫迦だ。人間は野生の熊と同じようには戦えない。
狼には狼の、熊には熊の、人には人の戦い方がある。
「とりあえず、その剣は結構いいやつだから、適当に振って慣れておけ。上から、下から、横からだ。おまえは目がいいから、敵を想像しながら振ってみろ」
「独闘ってやつか」
「ドクト? よく判らんが、とにかく振れ。振ったら、たぶん『今のは駄目だ』と判る。駄目じゃなくなるまで振る。上から、下から、横からだ」
教示というにはあまりにも端的すぎる。
が、ランドリックはそれ以上はなにを付け加えることもなく、黙ってガルトを見ているのみだ。腕組みして地面にあぐらをかき、さあ剣を振れと言わんばかり。
ガルトは首を傾げながら野営場所から少し距離を取り、腰の剣を抜いた。
――業物だ。
見れば判った。魔剣の域までは及んでいないものの、鍛冶師が剣を打つ際に魔力を込めて創られている。
反りのない刀身はやや長く、両手でも片手でも保持できるように柄の長さを調整された片手半剣と呼ばれる直剣だ。ランドリックくらいの体格になれば片手でも使えるはずだが、ガルトの場合は抜剣時以外は両手で扱うことになるだろう。
素振りは、見ていて少し面白かった。
ガルトは最初、ランドリックに言われた通り上下左右へ剣を振った。上段から振り下ろし、下段から切り上げ、左右からの払いを何度かずつ。話にならない拙さだったが、すぐに動作が変わった。
剣を振り、少し考えて振り直し、また考えるようにしてから今度はゆっくりと剣先を動かした。正しい型を学ぶ際にロジーヌもよくやった練習法だ。ロジーヌの場合は短剣や体術だったが、趣旨は同じである。
驚くべきは、ガルトが一人で『型の正しさ』を探り、素振りと訂正を繰り返すうちに型が洗練されていくことだ。
目がいい、とランドリックは言った。傭兵団に所属していたことを鑑みるに、おそらく彼の中には『正しい型』の像があるのだろう。実演する際に自身に合わせていく想像力も備えている。そしてなにより、型の正しさに囚われていない。
頭の中に正しい型を描きつつ、その正しさに固執しないという観点は、素人には持ち得ないものだ。
剣術は、正しく剣を振る競技ではない。
敵を殺す技術だ。
極論、どんなに奇怪な剣筋であろうが敵を殺せるならそれでいい。正しい型を身に着けるのは、その方がより敵を殺しやすいから、それだけの理由である。剣術の場合は刃筋を立てねば敵を斬れないので尚更だろう。
上から、下から、左右から。
一心不乱――というには、あまりにもゆっくりと。
けれど呆れるほど明確に、剣術が洗練されていく。
「ガルト。これからのことを話す。剣を振りながら話に参加しろ」
不意にランドリックが言った。
ガルトの素振りに「良い」も「悪い」も言わなかったのは意外というべきか、ロジーヌには判断がつかなかった。
「これからのことって?」
言われたガルトは型の試行錯誤を中止し、単純に剣を振る動作の繰り返しに移行した。今度は型もなにもあったものではない。あらゆる角度からいいかげんに剣を振り、とにかく剣を振る動作を身に叩き込むだけの訓練だ。
いつでも正しい型で剣を振れるとは限らない。
とにかくどんな状態からでも剣を振る――どんな体勢からでも剣を振ったことがあるという経験は『正しい型』と同じくらい必要だ。
本当にろくな訓練をしてこなかったのだろうか?
そう思ってしまうが、しかしガルトの素振りが素人丸出しなのは確かだ。訓練をしてきた人間のそれではない。
「アディの所属している情報屋の人間が人質にとられているという話だろう。タンクレートの企みはよく判らんが、人員を割いてそこに居座っているなら、なにかするつもりだろう。潰しておく」
埃を払うのは上から順番に、というくらいの簡単さで言うランドリック。
温めた葡萄酒をちびちび呑んでいたアディは、小さく眉を寄せるだけで特に発言はしなかった。
「確か……商工街ティオーブだっけか。ニリルギム領だから、タンクレートに向かう通り道になるな。おっさんは、なにか考えがあるのか?」
「あるように見えるか?」
「あるようには見えねぇよ」
「その通りだ。ああ、もうちょっと足元を意識しろ。どっしり構えるか、そうでなきゃ身体全体を使って振れ。だからおまえに考えてもらう」
「足元か……って、はぁ?」
流石に素振りが止まった。
しかしランドリックは目を丸くするガルトを気にするでもなく、当たり前のように続ける。
「おまえはグラウルを近くで見てたろ。こういうときにはどうするとか、よく判らんがなにか考えつくはずだ。俺より適材なのは保証するぞ」
「……そりゃ、おっさんは何処でも突っ込んで皆殺しにできるだろうからな」
「人質が死んでもいいなら街に入って派手に聞き込みでもして回って炙り出された連中を殺して回るのでもいいがな」
ちらりとアディへ視線を向けるランドリックである。
赤毛の女は手にしていたカップを器用に太股で挟み、空いた両手を使ってわざとらしく肩をすくめてみせた。
「こっちは助けてもらう側だもの、贅沢は言えないわ。それに……あたしは好きで『組合』にいるわけでもないのよ。組合長に恩は感じてるから、積極的に見捨てたいわけじゃないけどね」
なるほど、道理だ。
考えてみれば彼女は自分と少し近いのかも知れない――無言と無表情を維持したまま、ロジーヌは胸の内だけで思考を巡らせる。
もしも暗殺者の老人に拾われず、オーヴィの組合長に拾われたなら、彼女のようになったのだろうか……。人生に『もしも』など有り得ない以上、考えても栓のないことだ。でも、少しだけ気になった。
「……情報が足んねーよ」
溜息混じりにガルトは呟き、少し迷うようにしてから剣を鞘に収めた。やや息が上がっているのは、やはり剣に関して素人だからだろう。日頃から剣を振っている者であれば、あの程度の訓練で息が上がったりしない。
「なんだ、素振りはやめるのか?」
「気ぃ散らせながらやっても仕方ないだろ。それに実剣だし危ねぇよ」
剣に関しちゃ素人だぞ、とガルトはぼやく。
素人の割には悪くない判断だ、とロジーヌは思った。
「その危ないモノを扱い慣れる練習だが……まあ、策がどうのは俺には判らんからな。集中した方がいいならそうしろ」
「つーか、何処の世界に素振りしながら作戦会議するやつがいるんだよ。もしかして十年前の戦争のときはそんな感じだったのか?」
「いいや。策に関してはハミルトンに丸投げだった。会議どころか話し合いすらしたことがない。これこれこうする、おまえはあそこであれ、そっちのおまえはあっち行ってこれをやれ。それで終わりだ」
「言っておくけど『蒼炎』みたいな知謀を期待されても困るからな」
くしゃくしゃと髪を掻き混ぜながら呟くガルトへ、ランドリックは珍しく含蓄のありそうな返答をした。
「――誰かと同じようにしろとは言わん。誰にもそんなことはできない」
無論、そこに含蓄など込められてはいない。おそらく思慮すらなかっただろう。単にそう思ったからそう言っただけだ。
けれど、もし思っていることを言ったのなら――ひょっとすると『鍛鉄』の英雄は、自分以外の誰かと同じになりたいと考えたことがあったのだろうか? そしてそんなことはできないと実感した……?
もちろん、ロジーヌに判るわけもなかった。




