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01-02 ヴァルト傭兵団_02




 ガルト・ヴァルトの朝はそれなりに早い。

 ヴァルト傭兵団に拾われた十年前からガルトが十五歳になった今に至るまで、大抵は日の出と共に目覚め、ほとんどの団員よりも早く動き出す。


 野営しているときは飯の支度があるし、町にいる間はその代わりに前日の夜に飲み食いした店の支払いや宿泊施設との交渉、研ぎに出した武器の引き取り、馬の世話……雑事はいくらでもある。

 実戦以外のほとんどの場面でガルトはそつなく働けるようになっていたし、傭兵団にとってもガルトの存在は欠かせないものとなっていた。


 なにしろ酒場で呑んだ会計の額すら把握しないような連中ばかりなのだ。


 ガルトは自分が取り立てて真面目だと思ったことはないが、団員たちの大半と比べれば真面目と言わざるを得ない。団員のうち四分の一ほどは字が書けないし、乗算除算ができない。それでいて敵の数を間違うことがないのは不思議なものだ。


 つい二日前まで野盗の討伐があり、拠点にしているリンブロムの郊外に戻ってきたのが昨晩。傭兵団の拠点といっても屋敷や砦があるでもなく、ちょっとした集落になっているような土地だ。それでも戻って来れば「ここが居場所だ」と感じるのは団員にとってもガルトにとっても共通の認識だった。

 何処であろうと変わらないが、ここが帰る場所だ。


 そのせいで、昨夜の酒盛りはひどい有様だった。


 暴力を仕事にする傭兵に酒を入れたらどうなるか、そんなものは火を見るより明らかだ。拠点にいる間は留守番の女や老人たちが雑事をこなしてくれるおかげで出先よりもやることは少なく、その点では気楽だったが。


 ガルトは頭の片隅にへばりつく夢の残滓を振り払い、とりあえずのように寝床を出た。文字と計算を覚えてからは個室が与えられるようになり、団員のいびきに悩まされることもなくなった。そのかわり、例の夢を視る機会は増えたけれど。


 くすんだ亜麻色の髪を眠気に任せて掻き回し、廊下を進んで広間に出ると、団長のグラウルが揺り椅子に乗って船を漕いでいるのが見えた。グラウルの巨体を乗せた椅子が揺れるたび、木材が軋んできぃきぃと鳴っている。ガルトは昨夜の惨状を示す床や机を眺めてから、溜息混じりに肩をすくめておいた。


 窓から射し込む陽光に塵埃が照らされ、薄く光芒を描いている。何処か遠くで小鳥の鳴き声が響き、集落の中心あたりではもう飯炊きが行われているのか煮込み料理の匂いがほんのわずかに鼻腔を刺激した。


 呼吸を止めたら全てがひび割れて壊れそうな朝だ。


 どうしてそんなふうに思ったのか、ガルトは自分のことなのに判らない。

 だが、こういうものはいずれ失われるのだという根拠のない確信があった。

 ここにあるのは、いつかなくなるモノなのだ、と。

 それがいつなのかは判らないが。


「――なんだ、小僧。なぁに突っ立ってやがる?」


 いつの間にか目を覚ましていたグラウルが野太い声で言った。眠っていたときと全く同じ体勢で、やはりきぃきぃと椅子を鳴らしている。


 ガルトを拾った当時は三十台半ばだったはずだが、顔の皺が増えた以外は出会った頃とそれほど印象が変わらない。たっぷりたくわえた髭に、子供が見たら泣き出すであろう強面、酒焼けした嗄れ声。


「いい朝だなと思ったんだよ。酔っ払いが目ぇ覚まして酒臭ぇ息を吐き出すまでは」

「そうか。そりゃゴキゲンだな。鍛冶屋に研ぎぃ任せてたろ。あれ、取ってこいや。金は……まあ、おまえには言うまでもねぇか」

「研ぎに出す分は昨日まとめておいたから出しておくけど、いいか?」

「一人で持って行ける量ならそうしろ」

「でなきゃ誰かの借りる手ぇ借りるよ。一人で問題ない」

「そうか。任せる」


 任せる、と言ったグラウルの口の端が持ち上げられる。この男が初めてその科白(せりふ)を吐いたのはいつ頃だっけ、とガルトは考えたが、思い出せなかった。

 拾われた当時はよく蹴られたし小突かれたし文句を言われた覚えがある。ただの寒村の子供だったガルトは傭兵団の流儀など知らなかったし、ただの子供が戦後処理に追われるヴァルト傭兵団について行くのは無理があった。

 それでも無理を通したのは、そうしなければ生きられなかったからだ。

 グラウルに拾われた。それが破格の幸運だということくらいは当時五歳のガルトにも理解できた。本当ならあのまま飢え死にするはずだったのだ。


 十年。

 右も左も判らない子供が下ネタの冗談を言えるようになる程度には、長い時間だ。


 不意に感傷のような想いが湧いたのと、グラウルになんだか奇妙な表情で見られているのに気付いたのは、ほとんど同時だった。

 気怠げな様子でガルトを見ていたのが――ガルトの向こう側、見えないはずの景色でも眺めているような眼差しに変わっていた。


「……なんだよ、団長。幻でも見えてんのか?」


 妙に気になって声をかけてみる。

 そんなガルトにグラウルは小さく笑みを洩らした。


「いいや、大したこっちゃねぇ。ただ、おまえも十五になったなと思った。英雄ゲオルグが暴れ始めたのと同じ歳だ」

「その英雄様は、戦争が終わったらなんもかんも放り投げてどっかに消えたんだろ? あんま親近感が湧かねぇよ」


 四人の英雄については聞き飽きるほど聞かされている。


 風雅(ふうが)の魔女、『山崩(やまくえ)』のイースイール。

 天才魔導師、『蒼炎(そうえん)』のハミルトン。

 戦場の鬼人、『鍛鉄(たんてつ)』のランドリック。

 そして彼らの中心である『王狩(おうがり)』のゲオルグ。


 グラウル・ヴァルトの人生において彼らとの遭遇こそが転機であり、折り返し地点だったという。それまで傭兵団を強く大きくするために動いていたグラウルは、英雄たちを見て「強さ」というものに見切りをつけた。


 どんな戦力を整えようが、()()()()()()に遭遇すれば終わりだ。


 以降のヴァルト傭兵団は戦力拡大の方針を変え、自分たちの立ち位置に気を配るようになった。英雄たちの部下という最も活躍した場所にいながら戦後マクイールの騎士団に入らなかったのも、政治的抗争に巻き込まれるのが面倒だったからだという。


「そりゃそうさ。あの英雄に親近感なんて湧かせてたのは魔女くらいなもんだ。作戦会議だっつって話をする機会くらいはあったが、親しくなりたい手合いじゃなかったぜ」


 へっ、と美的でない笑い方をするグラウルに、ガルトは雑に頷いておいた。

 なにしろその話はもう三百回近く聞かされているのだ。

 ただ――ガルトを見て英雄を思い出したというのは、初めてかも知れない。


 十五歳。

 マクイール王国においては成人を意味する年齢だ。


 しかしそれは貴族にとって重要な区切りであって、ガルトのような傭兵にとってはさしたる意味を有しない。もちろん市民や農民であっても同様だ。

 市民は家単位で税を支払うので、子供が十五歳になるまで遊ばせておくことなどまず有り得ない。物心つけばなにかしらの作業をさせられるだろうし、商家の子息であれば作業が勉強に変わるだけだ。農民であればもっと話は早い。長男と次男が家を守り、それ以外は地力で生きていけという場合がほとんどである。こちらもやはり十五歳まで遊んでいる余裕はなく、可及的速やかに自分の人生を決めねばならない。


 そういう意味においては、ガルトの人生は五歳の時分で決まったようなものだ。

 まあ、これから先のことは判らないけれども。


 ――英雄はどうだったのだろう?


 小指の爪先よりも小さな疑問を、しかし推察しようとは思わなかった。『王狩』のゲオルグといえば、団長がわざわざ繰り返し語るまでもないほど有名な人物で、酒場では様々な詩人が英雄譚を歌っている。


 曰く、魔剣に選ばれた真なる勇者。

 曰く、民人のために立ち上がった少年。

 曰く、その剣撃は城壁を打ち壊し城を半壊させた。


 ようは戦争状態になって自分の居場所が戦禍に呑まれたからムカついて立ち上がったという話だ。その理由で立ち上がる人間など珍しくもない。立ち上がり、立ち向かい、討ち倒してしまう人間が珍しいだけで。


 敵国の兵士が町や村を蹂躙すれば、普通はされるがままだろう。

 立ち向かっても返り討ちにあうのが当たり前だ。

 ガルトの両親もたぶんそうだったし、ガルトの村の人間も同じだ。



「……なあ、おい、小僧。いつまで突っ立ってやがる? 行くならさっさと行きやがれ」



 と。

 物思いに耽りそうになった瞬間、グラウルが顔をしかめて手を振った。まるで犬でも追い払うような素振りだ。

 たぶん言いたいことを言ったら満足したのだろう。団長のそういう性格にもすっかり慣れてしまい、ガルトは今更なにも思わなくなっている。


 いいかげんに肩をすくめてから小屋を出ると、胡散臭いほどの青空が広がっていた。

 雲ひとつ見えず、澄み切っていて、太陽だけがぽつんと佇んでいる。


 強い日射しに目を細め、ガルトは歩き出した。






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