07-03 英雄とは違うもの
手に取った曲剣はゼルギウスの傭兵団における標準的な装備のようで、ヴァルト傭兵団の標準装備であった段平よりも刀身が少し短い。
柄の長さは一般的な片手剣と同様だ。柄には帯状の鞣革を巻き付けてあり、柄尻には金具を打ち込んである。鍔はかなり簡略化されていて、護拳もない。傭兵たちがこれを腰の後ろに括りつけていたことからも、とにかく取り回しの良さを重視しているのが窺える。
ガルトは剣術に関して、ほとんど素人のようなものだ。
傭兵団で育ったからにはそれなりに扱えはするが、そこらの野盗と切り結んでせいぜい五分といった腕前でしかない。育ての親のグラウルとは比べるべくもないし、ダリウスにも当然だが敵わない。それどころかダリウスの部下とやり合えば、たぶん十中八九、負けるはずだ。
だが、両足首を踏み潰された怪我人にとどめを刺すことは、できる。
なんの自慢にならないな――とガルトは笑ってしまうが。
「……へっ、なんだよ坊主……仇討ちには絶好の機会だってか?」
壁に背を預けて両足を投げ出したまま、ダリウスが引き攣った笑みを見せた。よくも両足首を潰されて笑えるものだと呆れるが、笑うしかないのかも知れないな、とも同時に思う。
たぶん、自分でも笑うだろう。
「あんたには、俺が仇討ちを望んでるように見えるのかよ?」
握った曲剣の先をゆらゆらと揺らしながらガルトは言う。
ダリウスは笑みを消さぬまま、小さく首を振る。
「いいや、おまえはそういうタマじゃねぇ。なあ、坊主……おまえには才能がある。俺は最初からおまえのことを買ってた」
「……才能?」
「言っておくが剣の才能じゃねぇぞ。つーか、おまえ、ほとんど訓練してねぇだろ。そんなもん才能以前の問題だ。これからは振っておけ。どっかで必ず使うときが来る」
その言葉には、強い確信が込められていた。
ガルトも特に反論は思いつかず、普通に頷いてしまう。
たぶん――その通りだ。
今、こうして剣を握っている。
まるでしっくり来ないが、それでも剣を振れば人を斬れる。
人を斬るということは、人を殺すということだ。人を殺すということは、自分は殺されても構わないという意思表明だ。自分がどういうつもりであろうとも、他人からそう判断されるのだ。
それで構わないから、剣を取った。
剣を取るとは、そういうことだ。
「……ほら、それだ、それ。おまえは今、腹を括ったんだ。最初に傭兵団を襲撃されて、ゼルギウスの旦那の前で立ち竦んでるときだって、おまえは腹を括ってた。これから殺されるだろうからせめてみっともない死に方はしないぞ、って感じでな。そんなもん、ガキの感性じゃねぇよ」
くつくつとダリウスは笑う。
何処か嬉しそうですらあった。
「人質にされた後、おまえは馬車の中で大人しくしてたが、別に諦めてるわけじゃなかった。常に周りを気にしてたし、無駄なことをしなかった。逃げられるなら逃げただろう。だが、逃げられないと判断したから逃げなかった。ごちゃごちゃ喚くのは無駄だと判断したから、静かにしてた……だろ?」
それは――その通りだ。
判断が正しかったかはともかく、そのように判断したのは確かだ。逃げられないと思ったから逃げなかったし、状況を悪くしたくなかったから黙っていた。
「なあ、坊主……ガルトよ。おまえには才能がある。俺たちのところに来い。ゼルギウスの旦那は、この世界じゃ珍しくまともな人間だ。おまえも見ただろう、ランドリックの野郎にくっついてどうするよ? あんなもん、ただのバケモノだ。森の中に引っ込んで、独りで死ぬ以外どうしろってんだ? あいつにだってそれは判ってる。人の中には交わらない、ヒトデナシの人外だってな」
洩れる笑みが、苦笑に変わる。
ガルトは少しだけ目を細め、首を傾げた。
「……もしかしてあんた、ランドリックのこと、前から知ってたのか?」
確信があったわけではない。
ふと思いついた疑問だ。
ダリウスはやや驚いたように眉を上げ、それから、両足の痛みを思い出してか嗚咽を洩らし――そして結局、唇を曲げて笑みをつくった。
そうしなければ正気を保てない、とでもいうふうに。
「俺な、十年前はハイギシュタの兵士だったんだ。当時はベンノが上官でな、王族の命令でマクイールの村をいくつか襲ったよ。くそみたいな任務だった。なにしろ略奪しなきゃ物資がねぇってんだからな。ベンノも当時は『頭がおかしくなりそうだ』とか言ってたぜ」
「……ハイギシュタの」
「ああ。『王狩』のゲオルグが殺した王族の中に、この世のゲロカスを煮詰めたようなくそったれがいた。そいつが遊び半分で始めた戦争ごっこが、いつの間にか引くに引けない正面戦争になってた。ベンノみたいな貴族の妾腹は前線に駆り出されてよ、片道分の物資しか持たされないで、村だの町だの落として来いって……はっ、皆殺しにされて当然だ、あんな連中は」
へらへらと笑いながら、けれど少しも笑っていない顔でダリウスは言う。
「何個目かの村を潰したとき、いきなり横から襲撃された。『英雄』の登場だ。部隊は壊滅して、俺と何人かはベンノを連れて逃げ出した。あいつはまあ、戦争向きじゃなかったが、いいやつだったからな。略奪するたびに顰め面してよ……いいやつだったんだ」
ちらりと視線が食堂の反対側へ動く。
顔面を潰されて床に転がる小男の死体がそこにはあった。
「……で、どうにか逃げ切って、俺たちは国を出た。北の国で傭兵団の真似事をして、まあどうにか生きてたさ。ベンノのやつが商売向きでな、いろいろ奔走してくれた。そんで、あるときゼルギウスの旦那に会った。あの人からマクイール側の話を聞いたときの気分は――たぶん、言っても判んねぇだろうな」
「マクイール側の話?」
「ああそうだ。ハイギシュタだってろくなもんじゃなかったが、マクイールだって似たようなもんだった。戦争を利用して国内の権力争いを始めてたっていうじゃねぇか。英雄がいたのにそこそこ戦争が続いたのは、マクイールの貴族が戦争を引き延ばしたかったからだってな。それで死ぬのは自国の民だってのによ」
「……まあ、どうせそんなもんだろ」
と、ガルトは頷いた。
そもそも『王狩』のゲオルグは単身ハイギシュタの王城に突っ込んで王族を皆殺しにしたというのだから、極論を言えばいつでも戦争は終わらせられたのだ。二国間戦争の狭間に英雄という第三勢力が現れたというのなら戦争は混迷を極めただろうが、英雄はかなり早い段階からマクイール側につくことを選んだ。
だったらさっさと正面決戦の段取りをつけて、ハイギシュタを滅ぼしてしまえばよかった。
そうしなかった理由は、内側のごたごたがあったからだ。
ランドリックが貴族との関わりを拒否したのも、『王狩』のゲオルグと『山崩』のイースイールが戦後に出奔したのも――マクイールを見限っただけの話だ。
寄り添う価値はない。
そう思われて……そしてたぶん、貴族たちにとっては望むところだった。『蒼炎』のハミルトンが国の中枢に居座ったのは、だからきっと不愉快だったはずだ。
「なあ、ガルト。俺たちのところに来いよ。あんな英雄なんか要らねぇ。今度は自分たちでやる。戦争なんかしなくていいんだ。なんも知らねぇ村を襲う必要なんかねぇ。あのくそったれ共を――ぶち殺してやろうぜ」
初めて、ダリウスの瞳に陰が見えた。
口元だけは変わらず笑みを浮かべているのに、それだけではもう暗い意思を隠せない。あるいは隠す気がなくなったのか。
本音を見せている、ということか。
「……あんたたちは、革命でも起こすつもりなのか?」
「そんなもんじゃねぇよ。いいか、ゼルギウスの旦那を雇ったのは、タンクレートって貴族だ。元々はハイギシュタの貴族だったが、戦争が始まってすぐにハイギシュタを裏切って、マクイールに取り入った。王国貴族として迎え入れてくれるなら戦争に協力してやる、ってな。マクイールはこれを受け入れた」
現在はマクイール王国の端に位置する、タンクレート領の領主。
ガルトはタンクレートについて詳しく知らない。マクイールとハイギシュタの国境にあり、元はハイギシュタの領地だったのが、戦時中に裏切ってマクイールの領地になった、というくらいの知識しかない。
「ガルトよ。どうしてタンクレートは裏切ったと思う?」
「……そりゃ、損得勘定だろ。どうやってもハイギシュタは負けると踏んだから国を売った。それか、あるいはタンクレートが裏切ればハイギシュタの敗色が濃厚になるって状況だった。それなら自分たちを高く売れる。マクイールだってタンクレートを無碍にできない」
「ガキらしくねぇ考え方だ」
「違うのか?」
「全く違うわけじゃねぇさ。打算も計算もなしに国を売れるかよ。だが、俺は『どうして』って聞いたんだぜ。どうしてタンクレートはハイギシュタを裏切った?」
「……どうして?」
理由のことだ。裏切らなければ自分が危ういと考えたから――ではないのか。
いや、それもあるのだろう。それ以外にもあるということだ。
決定的な理由。
どうして。
「領民を守るため――そいつが領主の仕事だ」
ダリウスは言った。
まるで冗談の気配も見せず、ひどく真剣に。
「別にタンクレートの領主は善人ってわけじゃねぇ。打算も計算も確かにあった。だから自分たちを高く売れるときに売った。だが、理由だけはまともだ。そうしなけりゃ国境にある自分の領地が前線になる。しかも敗色濃厚のハイギシュタ側で。だったらマクイール側について、ハイギシュタに攻め入る拠点として利用された方がましだった。あの場所にはそれだけの価値があった……まともに考えればな」
つまり、結局のところタンクレートの裏切りなど戦局にはさして影響がなかったということだ。
その理由はガルトにも判る。
英雄たちがいたからだ。
ランドリックのような化物が四人もいれば、前線がどうこうなど些事に過ぎない。どんなに劣勢であろうが『王狩』を投入すれば敵の王族を皆殺しにできる。『王狩』を王城へ届けるには残り三人の英雄がいれば十分だった。
そうしなかったのは、英雄だけに戦功を与えるわけにはいかなかったから、だろう。ようはマクイール内部の政治的事情だ。もっと切羽詰まっていれば、そんなことは言っていられなかったはずだ。
であれば、逆説的にタンクレートの裏切りは英断だったと言える。
なにしろマクイールは内部でごたごたやっていられる余裕があったのだ。それも英雄が本格的に登場したからだが、英雄たちの活躍が目立ち始める前にハイギシュタを裏切った。その時点ではマクイールも戦争による損耗を危惧していたからだ。
英雄たちが表立った後であれば、タンクレートを高く売ることはできなかった。それどころか交渉など無視されて、タンクレート領に英雄を投入されていたかも知れない。売りどきを間違わなかったということだ。
「まあ、結局は英雄のせいで当初の約束は履行されなかったらしいがな。侯爵待遇を約束してたっていうのに、伯爵にされたとかなんとか言ってたぜ」
「……そりゃ、ひでぇな」
「だろ? ひでぇんだよ。だから、まだタンクレートの方がましだ。いくらかましだ。ほんのちょっぴりだけな」
「だからタンクレートに協力した……か。だけど本気でランドリックのおっさんが財務官ザカリアスを殺すと思ってたのか? つーか、あのおっさんを思い通りに動かそうなんて、無理だろ。どう考えても無理だ」
「ゼルギウスの旦那は、半々くらいで考えてたみたいだがな。なにかがちょっと違えば、あの野郎は顔色ひとつ変えずに財務官だろうが王族だろうが殺してたと思うぜ。あれは、そういうモノだ」
「それは――」
否定する材料がない。ガルトとしても、ランドリックを物語の英雄や聖人であるかのようには思えないし考えられない。最初からそれほど思っていなかったが、今となっては完全に無理だ。
あれは、森の中のくそでかい熊だ。
森というのは、あの男の中だけにある軌範や規律であり、ランドリックはその中で生きている。森の軌範はあまりにも個人的で共感不能であり、個人的すぎるが故に外からなにを言おうが響かない。
わざわざ森に引っ込んで独りで暮らしていたような人間なのだ。独りで生きていける、一人で完結できる人間に――なにを言っても無駄だろう。
「いいんだよ、別に失敗しても。さすがにここまでやってくれるとは思ってなかったけどよ」
「……失敗してもいい?」
「あの野郎の持ってた魔剣を確保して、こっちに協力させた。その事実さえあれば、もう王国の連中はランドリックを信じない。やつらがランドリックを頼れないってだけでいいのさ。魔剣を恐れて寝返る貴族すらいるかも知れねぇ」
「あぁ――」
ようやく意味が判った。
英雄ランドリックによる財務官ザカリアスの暗殺は、最初から成功しなくてもよかったのだ。魔剣を確保し、ランドリックが「協力した」という体裁を一時的にでも得る――そうすれば、十年前を知っている貴族たちはタンクレートの起こす諍いに首を突っ込めなくなる。
敵対者以外の介入を防止するために英雄という駒を見せる必要があったのだ。
つまり、示威。
英雄をちらつかせて、邪魔者を黙らせる。
「――そういうことか。様子を見て協力する気がなさそうだったらランドリックのおっさんを解放するつもりだったんだな。けど、あんたらは読み違えた」
「へっ、読めるかよあんなもん。こっちはちゃんと気ぃ張ってたんだぜ。あの野郎が動く素振りを見せたら、さっさと解放してやるつもりでいた。腹一杯食って酒も呑んで、それでいきなり暴れ出すとか誰が思うよ?」
「まあ、あれはマジで意外だったよな」
「その唐突な出来事にも、おまえはしっかり対応した。『耳』の女を引っ掴んで、隅に待避した。それも俺の部下より早く動き出したんだからな。大したもんだ」
「……結局、あんたらの目的はなんなんだ? 財務官殺しがハッタリだったとして、雇い主のタンクレートの邪魔になる貴族を殺すつもりか?」
「不正の証拠を掴んでるらしい」
やや唐突な発言に、ガルトは首を傾げた。
「不正、って……誰の? つーか、証拠があるなら正面から糾弾すりゃいいだろ」
「正面から正論吐いて正しく受け止めてくれる上級貴族がいると思うのかよ? やることやってから周りが責め立ててきたとき『やつらは悪だった』って言い張るために不正の証拠が必要だったのさ」
「やっぱり革命でも起こす気なんだろ」
「へっ、せいぜいが大掃除ってところだろ。タンクレートにしたって国そのものが潰れちゃ困るはずだ」
「あんたらの――つーか、ゼルギウスの旨味はなんだ?」
「王国騎士団」
答えは端的だった。
ガルトは少しだけ考え、嘆息する。
「掴んでる不正ってのは王国騎士団の不正か。タンクレートが悪事を暴いて、ゼルギウスの傭兵団が実力行使に出る。必要分だけ殺した後は、証拠を提示して申し開き。空いた騎士団の席にゼルギウスが収まる……その、具体的な作戦は?」
「はっ、おいおい、そこまで考えたならもう少し考えろよ。具体的な作戦を俺が知ってたら拙いだろうが」
拷問して口を割らせようにも、知らないものは教えようがない、ということか。つまりこの男は、自分が捨て石になる可能性を承知していたことになる。
「なあ、ガルト――こっち側に来いよ」
もはや笑うことなく、ただ真っ直ぐにガルトを見つめて、ダリウスは繰り返す。
「おまえの判断力は信頼できる。指揮官向きだぜ、おまえは。だが、今は迷ってるだろ。指針ってやつがねぇからだ。どうやって生きる? なにを信じる? なにが嫌で、なにとなになら交換してもいい? おまえにはそれがない。空っぽさ」
ひどく真っ直ぐな指摘だった。
ある意味では誠実な忠告かも知れない。
両足を踏み潰されて生殺与奪を握られている男が――まるで厳格な指導者のよう。おそらくは本音で言っているのだろうし、本気で言っているのだろう。
「俺たちは同じだ。傲岸不遜なくそったれ共に人生を犯された。どうにか生き延びても、奪われたものは返って来ねぇ。だが、今なんだ。今が機なんだ。ちょっとだけまともになれる。ほんのちょっとだけな。おまけにくそったれの息の根を止められるってんだ、やらない理由がない。返してもらおうぜ、ガルト。そんで、やつらにお返ししてやろう――」
――今度はあいつらの番だ。
そう言って、笑いもせずにガルトを見る。
「…………」
ガルトは、しばらく剣を握ったまま突っ立っていた。
主観的にはかなり長い間そうしていたような気がするが、あるいは呼吸三回分くらいの短い時間だったかも知れない。
頭の中を巡っていたのは、生まれ育った村のこと。
兵隊に蹂躙された村人たち。自分を匿って殺された両親。暗いところで、じっとしていた自分。記憶はぐちゃぐちゃに混ざっていて、ここに隠れていろと言ったのが父親だったのか、母親だったのかすら定かではない。
自分を育てたグラウルのことも。
教えられた様々な物事。叩き込まれなかった剣術。幾度もの遠征、片手間で終わる仕事、酒場での傭兵たち、酔い潰れた傭兵たち。グラウルの嗄れ声。強く在れと言わなかったグラウル。だったら――自分はどう在るべきか?
なにをしたい?
――知るか、そんなもん。
なにをしたくない?
――いろいろありすぎる。
なにが譲れない?
――判らない。
なにとなになら交換してもいい?
――判らない。
判らない。判らない。判らない。
なにも、ガルトには判らない。
判断をするには知らないことが多すぎる。
けれども、それでも――確かなことがある。
自分には恨みが足りない。
憎悪へ至るには、負の感情が薄すぎる。
村が蹂躙され、両親が殺され、傭兵団に拾われて……グラウルに育てられて、ガルトは幸福だった。あのむさ苦しい傭兵団長のことを、今でもガルトは好ましく思っている。感謝だってしている。誰かに殺されて当然の人生を送っていたグラウル・ヴァルトのことが、ガルトは好きだったのだ。
あの傭兵団での生活が、好きだった。
ガルトはゆっくりと息を吐き出し、食堂をぐるりと見回した。
死体、死体、死体――死体の転がる地獄絵図だ。そこに両足を潰されたダリウスと、曲剣を握って突っ立っている自分がいる。
「ひとつ疑問なんだけどさ、仮に俺がそっち側に行くとして、あんたはその潰された両足をどうにかするあてがあんのか?」
問いに、ダリウスは普通に頷いた。
「ああ。本体に合流できれば治癒魔法を使えるやつがいる。タンクレートが抱えてる魔術師を頼ってもいい。なんなら馬車に積んである荷を売って、裏町の魔法医に診てもらうのもいい。どうにでもなるさ、こんなもん」
どうにでもなる――ようには、とても見えない。
生半可な魔法医では元通りに骨を接合することなどできはしない、そういう潰され方をしているのだ。元通りに動けなくなる可能性の方が高いだろう。
そんなことを言っても仕方ないというだけだ。
だからダリウスは泣き言を洩らさなかった。
ああ――とガルトは思う。
俺は、この男が嫌いじゃないんだ。
そのことが、少しだけ悲しかった。
「……あんたの側には、行かない」
と、ガルトは言った。
ダリウスはその答えになにを言うでもなく、ガルトを見つめるだけ。笑いもしないし、怒りもしないし、失望も見せなかった。
はぁ、と息を吐き、ガルトは続ける。
「奪われたから奪い返して、虐げられたからやり返して……そんなもん、同じことだ。賭けてもいい、いつかあんたも誰かに同じことを思われるし、あんたも誰かに同じ思いをさせることになる。それとも世界中の『奪うやつ』を殺して回るか? そんなことをしたら、あんたも立派な『奪う側』だ」
その構造の中に飛び込んでしまえば、輪を形成する一部になる。
だからランドリックはそこから離れた。
「終わんねぇし、変わんねぇよ。結局あんたらは奪うことしかしないからだ。あんたの言うくそったれと場所を交代したら、今度はあんたらがくそを垂れ流すことになる。それで『前よりちょっとマシ』とか言い出すんだ。奪われる側からしたら、そんなの知ったことじゃねぇよ。そんなのは――俺は、嫌だ」
ヴァルト傭兵団を壊滅させた。
ガルトやアディを人質に取った。
ランドリックの魔剣を奪い去った。
それらを盾にしてランドリックを利用した。
だとすれば、別の誰かにも似たようなことをするだろう。
目的のために。自分たちのために。自分たちの利益のために。
「……だったら、俺たちは奪われたままでいろってのか?」
ひどく乾いた眼差しで、ダリウスは言う。
三日も四日も水を口にしていない旅人が、目の前で水瓶を叩き割られたら、きっとそんな目をするだろう。狂おしいほどの憎悪と苛立ち。手で触れられそうなほどに明確で、背筋が凍るくらいに怜悧な憤怒。
ガルトは――それに怯まず、笑ってみせた。
へらへらと軽薄に、目の前の男がそうしていたように。
「知るか。ガキに聞くなよ、そんなもん。俺に言わせりゃ、あんたらが俺から奪ったんじゃねぇか。力で、上から、否応なしに。あんたから奪ったやつと同じように。被害者ぶってしみったれてるんじゃねぇよ」
笑って、言う。
そうしなければ胸が張り裂けそうだ。
とても英雄のようには振る舞えない。
目の前で両足を潰された男は、自分と同じだ。
きっとこうなっていた。たぶんこういうふうに生きた。
こんなふうにしか、生きられなかったはずだ。
それは嫌だ。
だから、その輪の中には、入らない。
「――ハ、」
ようやく、ダリウスが笑みを見せた。
ずっと見せていた、軽薄なへらへら笑い。
命を薄めるための笑み。
そうでもしなければ、きっと壊れてしまうだろう。
握った剣を振り上げて、振り下ろす。
曲剣がダリウスの頭蓋を割り、柄を通した掌に命を奪う感触が響いてくる。固く、やわらかく、水気があり、ひどく熱い。そしてその熱はあっという間に冷めていく。凍るような冷たさが、手に伝わってくる。
割れた頭の中身が、血液と共に溢れ出す。
頭部に食い込んだ曲剣を引き抜くことをせず、ガルトは無理矢理引き剥がすようにして柄から手を離した。支えを失ったダリウスの身体がゆっくりと傾いでいく。頭に剣を生やした死体の出来上がり。とろりと床に広がっていく血溜まりを眺めながら、ガルトはダリウスの死体を見つめ続けていた。
ああ――きっと、自分もこんなふうに死ぬのだ。
そう思いながら。




