07-02 押しつけられるモノ
「取り乱してしまって申し訳ない。ランドリック殿、私は貴方に救われたのです。十年前の戦争で、ランドリック殿が殴り殺した貴族に無実の罪を被せられて処分されそうになっていた家族のことを……貴方は覚えているでしょうか?」
部屋の男たちの介助を受けて椅子に座った老人は、縋るような眼差しをランドリックに向けて言った。
が、ランドリックは首を横に振るしかなかった。
「すまんが覚えていない。十年前、たぶん四人くらい貴族を殴り殺したと思うが、そいつらがどんな悪さをしていたかまでは知らん」
実際のところ、ランドリックは誰かを助けるために貴族を殴った覚えはない。
腹が立ったから――とも違う。
確かにランドリックが撲殺した貴族たちは例外なく傲慢な人格破綻者で、殴られる直前まで貴族でない者を下等な生き物だと信じて疑っていなかったが、そういう人間だから殴り殺したわけではない。
十年前のことだから細かくは思い出せないが、戦場に行こうとしていたところを止められたとか、襲われている村を救出に行こうとして止められたとか、そういうことがあったはずだ。自分の家の倅に初陣を飾らせたいとかなんとか言っていた髭面の貴族は、ハイギシュタ軍がマクイールの農村を落とす様を遠くから眺めて上機嫌に笑っていたほどだ。
敵にも実績がなければ、討ち倒した息子の箔がつかない――だとか。
「俺が貴族を殴り殺したのは、やつらが悪者だったからじゃない。悪いことをしていたからでもない。単に、邪魔だったからだ」
その言に、老人はさほど落ち込んだ様子を見せなかった。
「……でしょうな。しかしそれでも構いません。確かに私たちは貴方に救われたのです。まだ生きている間にこうしてお会いできるとは、慮外の光栄にございます」
「そうか」
「ええ、ええ。それでランドリック殿は、我が『組合』にどのような用件で?」
「用件は……あー……そうだな、そっちの女が説明する」
短く簡潔に説明できる気がせず、ランドリックはアディの背中を押して自分の前に立たせた。ランドリックに押されて前に出ない人間はいない。物理的な意味で。
「ちょっ――それって、自分で喋るのが面倒なだけでしょ」
「まあそうだが、おまえの方が説明が上手そうだ。それに連中が残ってるとアディも困るだろ。自分の仲間の命が懸かってるはずだ」
「そういう部分には頭が回るのね」
「口は回らないがな」
これは我ながら面白い冗談だと思ったが、どういうわけかランドリック以外の誰も笑わなかった。
ともあれ、アディの説明は期待通りの短さと簡潔さだった。
この『組合』が斡旋した裏町入口の屋敷、そこを借りた連中が物資を溜め込んでいたはずだ――というところから始まり、そいつらがランドリックの敵であり、そいつらの残党を探していて、この『組合』はその情報を握っているはずだ、というところまで。
あっという間とは言わないにしろ、似たようなものではあった。
付け加えるなら、説明の上手さ早さもそうだが、ゼルギウスが樹霊剣レオノーラを奪ったという部分や、連中が財務官ザカリアスの暗殺を企んでいる、というような話をそっくり省いたところにもランドリックは感心しきりだった。
確かに、あまり口外すべきでない情報かも知れない。
だとすればやはりアディに説明を促したのは正解である。
「なるほど、そうでしたか。……ルーシア、その連中の居所は掴めているな?」
老人に問われた白い肌の女は、訝るような表情のまま、首を縦に動かした。
「当然さ。ここ最近では注目してた連中だからね。そもそもやつらの住処はこっちで案内してやったんだ、把握してないわけがない。連中が今日の夕方、街に入ったお仲間と合流したのだって把握してるともさ」
「案内してやりなさい。おまえと……そうだな、クライブ……は駄目そうだな。ロブでいいだろう。くれぐれも失礼のないようにな」
「それは構わないけど、『鍛鉄』のランドリック様は、連中をどうするつもりなのさ? うちらはあんたがなにをしようが、それを手伝うつもりはないわよ」
目を細めてランドリックに視線を向ける白い女――ルーシア。
ランドリックは普通に頷いた。
「案内だけしてくれれば、手伝いは要らん。皆殺しにするだけだ」
「……冗談ってわけでもないんだろうねぇ……。まさか英雄が御来店だなんて、ついさっきまでのアタシに言っても信じなかったろうね」
はぁ、と嘆息するルーシア。
ロブというらしい男が顔を強張らせたまま立ち上がり、ルーシアのすぐ脇に立ってランドリックへ頭を下げた。ランドリックもとりあえず首肯しておくが、どうして頭を下げられたのかはよく判らなかった。
「ああ――そういえば、聞いてないかも知れんが、俺は金を持ってない。ツケにしておいてくれるなら、そのうち返しに来るつもりはある」
ふと思い出してそう告げるも、老人はゆるゆると首を横に振り、自分の隣に立っている少女の肩へ手を置いた。
少女はその動作にほとんど反応を見せず、ちらりと老人を見上げるだけ。
「貴方から対価を受け取るわけにはいきません。貴方自身は覚えていないようですが、私と私の家族は確かに貴方に救われました。こんなことで恩返しとは言えませんが、貴方に協力できるのであればこんなに嬉しいことはない。ですから――」
とんっ、と老人は少女の肩を押した。
先程ランドリックがアディに対してそうしたように。
今度こそ少女は不可解そうに老人を見たが、老人の方はそれに反応しない。
「彼女はロジーヌといいます。例の戦争のときに両親を失い、私の友人に拾われ、育てられました。その友人は昨年死にましたが……彼女を、ランドリック殿に差し上げましょう」
当然とばかりの発言に、ランドリックは眉を寄せた。
「差し上げる? そのガキを、俺に?」
「ええ。彼女は少々特殊な育て方をされまして。きっとランドリック殿の役に立つでしょう。要らぬというのであれば自害しろとでも命じてください。そうしろと言われたなら、そうするように造られております故。……ロジーヌ、今からおまえの主人はランドリック殿だ。判ったな?」
「承知しました」
答える少女の声音は、外見相応の幼さ。
ただし蒼い瞳の冷たさは別だ。幼げなどまるでない。
「いや、少し待て。承知するな」
「はい。ですが承知するなという命令は承知しかねます。矛盾した命令です」
「矛盾?」
「既にランドリック様に従うことを承知しておりますので、承知するなと命じられると承知しないことを承知することになります。そうなりますと承知してしまった私は承知しないことを承知するしかありませんが、承知しないことを承知すると承知するなという命令に反してしまいます。困りました」
「すまん。全然判らん」
「そうですか」
「ああ」
「困りましたね」
全く困っていない顔をして、少女――ロジーヌは言った。
ランドリックに理解できたのは、ようするにこの人形みたいなガキがくっついて来るのが決定された、ということだ。そしてどうやら言葉でこれを拒否するのが難しそうだということも。ガルトなら上手いこと言って煙に負けたかも知れないが、ランドリックには無理だ。
「……ねぇ、あんまりごたごたやってる時間もないんじゃない?」
困惑気味に眉を寄せながらアディが呟く。
「だが、そのガキについて来られても困るぞ。俺の命令を聞くとかいうのも困る。俺は他人に命令するのがあまり好きじゃない」
「あたしにはついて来いって言ったじゃない」
「それは頼みだ。命じてない」
「物は言い様ってわけね」
「困りましたね」
「ああ、困った」
「困らせてるやつに同意しないでよ。もう、いいから行きましょうよ。どうせその女に『死ね』って命じる気もないんでしょ、あなたは」
「まあそうだ」
「だったら仕方ないわよ」
「仕方ありませんね」
「そのノリ、やめてくんない? 澄まし顔の子供ってムカつくのよね」
「私は今年で十五になります。そちらの想定よりは大人では?」
「…………マジ?」
「はい」
これにはランドリックも驚いた。どう見ても十から十三といった外見なのだ。同い年のガルトと並べばまず兄妹に見えるだろう。
「――あ」
ふと思いつき、ガルトはとりあえず悩むのを止めた。
それから、いつの間にかランドリックとアディの近くに立っているロジーヌを見下ろし、訊いてみる。
「おまえ、俺の言うことをなんでも聞くのか?」
「はい」
「どんなことでも?」
「可能であれば」
「どんなことなら不可能だ?」
「例えば、空を飛べと命じられても困ります」
「それは困るな」
「困りますね」
「じゃあ、今からこのアディの命令に従えと命じたら、従うのか?」
「はい」
「ならいい」
「……今のは、命令でしたか?」
「違う」
「そうですか」
「ああ、そうだ」
「そうですか」
頷くロジーヌは、やはり無表情だった。
これだから女は面倒なんだ……そう思いながら、面倒でない女の具体例を頭の中で考えてみるも、残念なことに一人として思いつかなかった。
一人くらい、いてもよさそうなものなのだが。
◇ ◇ ◇
それから。
ルーシアの案内で『隠れ家』を二件回り、合計八人の傭兵を殺した。
情報屋の窓口でああだこうだしていた時間の方がよほど長いと感じるような、ランドリックにとっては作業感の強い行動だった。敵の場所に突っ込んで、敵を殺す。こんなに簡単なことはない。自分の口であれこれ説明する方がずっと大変だ。
「それにしても――」
例の中途半端な大きさの屋敷に引き返す道中、溜息混じりにルーシアが呟いた。既に用件は済んでいるので帰ってもらって構わないのだが、当たり前のようについて来るので、そのまま歩かせているのだ。
「――つくづく『英雄』ってやつは規格外だわね。ちょいと酒場に顔を出すような調子で人間を殴り殺すなんて。まったく、あのときビビって動けなかったアタシ自身を褒めたくなるね」
皮肉なのか、ただの軽口なのか。
ランドリックは深く考えず、特に返事もしなかった。
「それを言うなら必死こいて止めに入ったあたしに感謝して欲しいわよ。その人、これからなにをどうするかなんて一言だって説明してくれなかったんだから」
「はっ、頭は回るみたいなのに、残念な頭してんのね。男がいちいちあれやこれや説明してくれる生物だと思ってんのかい?」
「そういう前提を踏まえた上で、なお愚痴りたいのよ」
「ご愁傷様さね。だけどあんた、叔父貴が英雄様に恩があるだなんて、知ってたのかい? あのときの口振りからじゃ、そんなふうには見えなかったけど」
そういえば、とランドリックは眉を上げた。
荒事に発展しそうになった――というか、その方向に誘導した――あのとき、アディは慌ててランドリックの前に立ち、頭と口を回して状況を切り抜けた。
口振りからして確信のようなものはなかったはずだが、結果的には推測が当たっていた。
ということは、なにかしらの根拠があったのか。
はぁ、とアディは吐息を漏らし、言った。
「別に難しい話じゃないわ。偉い人って、貴族みたいな血筋偏重なのを別にすれば、基本的には年嵩でしょ。だからオーヴィの『組合』の偉い人も、十年前の戦争を経験してるはずよ。それで、もしランドリックのことを知っていれば……ていうか、実際目にしたことがあれば、間違いなく敵対は選ばない」
「はぁん……なるほどねぇ。確かに、その英雄さんを目にしたことがあるなら、敵に回しちゃいけないって誰にでも判るさね。ってことは、やっぱり叔父貴の事情に関しては本当に知らなかったわけだ」
「そう言ってるでしょ」
「もし叔父貴が英雄のことなんか知らないって言ったら、どうしたんだい?」
「どうもこうも、あたしはお手上げ。ランドリックの当初の予定通り、暴力を頼みに『組合』から情報を強奪したでしょうね。そうなったら随分と面倒な話になったと思うから、こうなってくれてよかったわよ」
「まっ、それもそうだわね。今回のことでアタシもひとつ学んだよ。面子を気にして突っ張っちゃ駄目なときってのがある――相手次第じゃ、さっさと腹ぁ見せとくのが利口さ。そうでない相手の方が多いだろうけどね」
「お互い、その判断は間違えたくないわね」
ふっ、と皮肉げに笑み、アディは肩をすくめた。
見ればルーシアも同じような表情を浮かべている。
情報屋という共通点があるからか、通じ合うものがあるのだろう。
なにが通じ合ったのかは、ランドリックには判らないが。
「ていうか……あなたたち、いつまでついて来るわけ? もう用事は済んだんだから、帰ってもらって構わないんだけど」
「あのねぇ、そっちはそれでいいんだろうけども、こっちはこっちでやることあるんだよ。英雄様が死体を量産した場所、何処で管理してるのか判ってんのかい? どうせ屋敷の方でも似たようなことしてんだろ」
「ああ――死体の処理、か。そういえば必要ね」
「他人事みたいに言ってくれるねぇ」
「我が事みたいに言ってたら腹立つじゃない」
「だからって気遣いを忘れちゃオシマイさね。だいたいあんたは……」
一瞬前まで通じ合ったような笑みを見せていたのに、気付けばああだこうだと言い合っている。徹頭徹尾ランドリックは会話に混ざらなかったが、聞いているだけで疲れてきそうだった。
もちろんというべきか、ルーシアの供として連れてこられたロブという男も、努めて無言を維持している。女同士がやいのやいのやっている場面で口を挟んでも楽しいことは起こらないと知っているのだろう。
そういう意味では――。
今もランドリックの二歩後ろを黙ってついて来るロジーヌは、ランドリックを辟易させる要素がひとつもなく、それはそれで少し微妙な気分になった。
押しつけられたのがこいつで、まだよかったな――というのが正直な感想だが、子供を押しつけられて「よかった」などと言いたくないのもまた率直な意見である。気分の問題として。
見るからに何処ぞの使用人といった服装のロジーヌは目立つはずなのだが、歩いている道が裏町と表町の狭間ということもあり人通りが少なく、またロジーヌ自身の気配のなさもあってほとんと注目を集めていなかった。
たまにすれ違う者が目をやるのは露出の高い服装のルーシアであるか、あるいはその隣で当たり前のような顔をして言葉を交わすアディの方だ。ランドリックを一瞥する者がいないでもなかったが、わざわざ注目してくる者はいなかった。
「……あれ? 叔父貴のやつ、先回りしてたのかい」
ようやく例の屋敷もどきまで辿り着いたと思えば、敷地の前に馬車が止まっているのに気付くいたルーシアが意外そうに呟いた。さほど間を置かず、介助を受けて降車した老人がランドリックへ会釈する。
「なにかまだ用事があるのか?」
と、ランドリックは言った。
老人はあまり表情を変えることなく、もう一度首を縦に振る。
「我々は情報屋ですから、お役に立つこともありましょう。それにどうやら、この物件はもはや安眠するに適していないようだ。せめて一晩の安眠くらいは提供させていただきたい。そう思いましたので」
杖を突いて立つ老人の眼差しに、嘘はなさそうだった。
ただし――全くの善意というわけでもないだろう。ランドリックに協力することで得るものがあると判断したのだ。この老人にも立場がある。その立場が危ぶまれるのであれば、わざわざ手を貸しに来るわけがない。
ふむ、と頷き、ランドリックはアディへ視線を向けた。
「なんだかよく判らんが、手を貸してくれるそうだ。対価として情報をくれてやるが、構わないな?」
問われたアディは眉をひそめて首肯する。
「あなたがいいっていうなら、あたしが嫌がっても仕方ないじゃない。それに、これからどうするかって話もしなきゃいけないわけだし……この街の『組合』が手を貸してくれるっていうなら、その方がいいわ。たぶん」
食堂の死体をわざわざ埋葬するつもりはないが、それでも夜の間にダリウスの口を割り、黒幕を吐かせ、今後の行動を考え、荷物を整理して、馬車と馬を選別し、出発する……というのは、やはり煩雑だ。
貸してくれるなら、手を借りた方が速い。
「だけど、手に入れた情報でオーヴィの『組合』がなにをしようが、あたしは知らないわよ。売るべきでない連中に情報を売ることだって有り得るんだから」
「例えば?」
「財務官ザカリアスと敵対してる貴族に情報を流して、財務官殺しを引き継いでもらう――とか。思いつく限りで面倒そうなのは、そういう感じのことよ」
「例えそうなっても知らないぞ、ということか」
「ええ、そう。『組合』は慈善事業じゃないもの。高く売れる場所に売る可能性だってあるわ」
「心配するな。そんなものは俺も知らん」
言って、ランドリックはルーシアやロブという男、老人と老人の介助役らしき何人かの男たちを、ぐるりと一瞥した。
「それはこいつらの問題であって、俺の問題じゃない。おまえの問題でもない。首を突っ込んでくださいとお願いしたわけでもない。だから得た情報をどう使うかは、こいつら自身に返ってくる話だ。仮にこいつらに情報を渡したことでなにかよくないことが起こったときは、腹を立てればいい。それで許せなければ、後でぶち殺しに来ればいい」
アディに対する気遣いというより、ただの本音である。
例えば腹が減っているとする。金があればパンを買うだろう。パン屋の店主がその金でナイフを買って隣人を刺したとして、そのことについて責任が発生するとは、ランドリックには思えない。本当に思えないのだ。
おそらくは、ハミルトンの言う『責任感』が、ランドリックには欠けているのだろう。そしてハミルトンに言ったとおり、もしそのことについて『責任』を被せてくるようなやつがいれば、ランドリックは全員ぶち殺しに行きたくなるはずだ。
「……まあ、あなたがそう言うなら」
と、アディは微妙な顔をして頷いた。
納得はできないが理解はできる、といった様子だ。
それはそれでいい。
納得しないが従う、という判断は、ランドリックに言わせればアディの問題である。自分の問題ではないので、ランドリックはその問題について考えない。
そういうことだ。
◇ ◇ ◇
出たときよりも大人数で屋敷へ入り、真っ直ぐ食堂へ戻ると――死体がひとつ増えていた。




