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06-01 使い手の不在





 馬車が止まり、先にダリウスが降りた。しばらく待たされるのかと思いきや、ほとんど間もなくダリウスが馬車の戸を開け、ランドリックに降車を促した。


 なんだか久しぶりに地に足をつけた気になったが、朝も昼も馬車から出て飯を食っていたので単なる気のせいだ。周囲をぐるりと見回してみると、どうやらオーヴィの裏町のようだった。交易街だというのに人通りが少なく、寂れた匂いがする。


 場所そのものに堆積する澱のようなもの。

 前向きに生きていない人間が多い場所にはそういった淀みが発生する――と、ランドリックは思う。そしてその淀みからは形容し難い寂れた匂いがするものだ。


 とはいえ、その寂れた匂いはあまり濃くなかった。馬車が通れるほどの道幅があることも考慮すれば、裏町でもそれほど奧の方ではないのだろう。


 なんだってダリウスの部隊はオーヴィに入って真っ直ぐ裏町へ向かったのか――というようなことをランドリックは考えない。ただ、降りた位置から目の前にある建物を眺めて、ほんのわずかだけ首を傾げた。


 目の前に、妙にでかい建物がある。

 屋敷というには小さいし、家屋というにはやや大きい。


「なかなかいい物件だろ? オンボロだが馬車を入れられるし、狭苦しい思いをしなくて済む。ちょいと目立つだろうがな」


 へらへら笑いながらダリウスが言った。

 ランドリックは首を傾げたまま目を細めるが、その動作に意味はなかった。なんとなく首を傾げただけで、なんとなく目を細めただけ。


 建物の外壁にはよく判らない植物の蔦が張っていて、見るからに古びている。それなりの広さの庭があるが、妙にちぐはぐだ。馬車を三台入れられる広さはあるのに、厩舎がない。花や木も育てられておらず、雑草が点々と繁っている。印象としては庭というより空き地に近い。

 敷地はぐるりと塀で囲われており、そのくせ門があるべき場所は――今こうしてランドリックが立っている場所だ――門扉もなく、開け放たれている。


「ここはなんだ? どういう場所だ?」


 そう問いかけたのは駆け引きでもなんでもなく、単に疑問を口から垂れ流したに過ぎない。気になったから聞いた、それだけのことだ。


「知らん。どっか都合のいい場所を案内させたらここを紹介されたって話だ」


 案内させたというのは、オーヴィの人間に、ということか。

 ふむ、とランドリックは頷いてみたが、特になにかを理解したわけではなかった。なんとなく首を縦に動かしただけだ。ダリウスはそんなランドリックへ胡乱な視線を向け、しかし何も言うことはせず、あっさりランドリックから視線を切って部下へ指示を出し始める。


 都合三台の馬車が敷地へ吸い込まれ、ダリウスも馬車を追って敷地へ歩いて行く。突っ立っていても仕方がないので、ランドリックもついて行く。


「とりあえず、今日はここで一泊だ。補給物資は事前に仕入れてあるから、荷積みするだけでいい。夜に今後の作戦を確認して、あとは酒でも呑んで寝ちまおう」

「俺は難しい話をされても判らんぞ」

「あんたに難しいことは頼まねぇよ。あんた以外に頼んだら難しすぎることは頼むけどな。例えば、貴族の屋敷に単身突っ込んで目的の人物を殺して来い、とか」

「それは依頼じゃなく命令だろう」

「お願いさ。あんたの気が向かなければ、なにもかもおじゃんになる」

「だったら人質を解放すれば俺の気がもっと向くかも知れない」

「『かも知れない』をあてにするくらいならガキの命を盾にとるさ。あんたにとっちゃ不服だろうがね」


 さらりと答えるダリウスである。


 やはりこの男は好んで人質をとっているわけではないのだろうな、とランドリックは納得する。

 傭兵に限らず、暴力を頼みに生きている者の中にはどういうわけかひどく性格の歪んだやつが散見される。暴力と性格難に因果関係があるかどうかをランドリックは知らないが、性格の歪んだ人間だから暴力を使って生きているんだろう、などと言われてしまえば、まあそうかもなと頷くしかない。


 しかしダリウスという男は、どうやらそれほど性格が歪んでいるわけではないらしい。もちろん他人の内心などランドリックには窺い知れないが、少なくとも表面的には、ある程度まともな人間のように見える。


 指揮能力があり、部下に理不尽を言わず、人質を痛めつけることもしない。指示には理屈と情があり、さりげなく実力を示すことで部下の敬意を集めている。こういう上官の下で働けるなら、仕事はかなり楽だろう。

 居丈高にあれをしろこれをしろと喧しい貴族は、そう珍しいものではないのだ。実際、ランドリックは何人かぶん殴った覚えがある。


 とはいえ――まともな人間はガキを人質にとらないだろうと言われれば、それはそれで頷くしかないのだが。



◇ ◇ ◇



 隠れ家へ入ってみれば、やはり家というよりは屋敷に構造が近かった。入口広間は空間を意識されており、正面に階段、左右に廊下が延びている。貴族の屋敷ほど広くも立派でもないが、庶民が暮らすには全く向かない設計だ。


 先に馬車を降ろされていたガルトとアディも玄関広間を眺めている様子で、ガルトの方は都会にやってきた田舎者みたいにきょろきょろと首を動かしているのに対し、アディの方は落ち着いた様子であちこちへ視線を飛ばしていた。

 二人を挟むように傭兵が四人配置されているのは、ランドリックを意識してか、あるいは特別意識せずとも備えとしてそのように立っているのか――後者の場合は、やはり部隊としての練度が出ているのだろう。


 いちいち気張って警戒するのではなく、通常行動に警戒が内包されている。

 たぶん廊下の向こうから暴漢が飛び込んで来たとしても、傭兵たちは驚きはすれどしっかり対処するだろう。


 ――あるいは、とランドリックは思う。

 こいつらは自分なしでも財務官を殺せるのではないか?


 ふと思ったが、それほど的外れではない気がした。

 そもそもゼルギウスがランドリックを信頼しているとは考え難いし、ダリウスにしてもランドリックが暗殺を実行するか否かはまだ半信半疑の様子だ。つまり半分は失敗すると考えている。

 その状況で財務官の暗殺など、本気で実行するだろうか?


 疑問は浮かぶものの、答えを考える気にはならない。

 こういうときにハミルトンがいればな――そんなふうに頭の片隅で思うが、あの男がいても推測を口にするとは限らないなと頭を振る。ハミルトンは他人に説明することを好まない男だった。

 頭が切れすぎるせいで考えを余人に伝えるのが億劫だったのもあるだろうし、いちいち考えを説明せずとも他人を思い通りに動かせるのだ、あの魔術師は。


 そんなようなことを考えていると、正面の階段から誰かが降りて来た。

 背の低い中年の男だ。ダリウスが気さくに手を挙げているところを見るに、仲間の一人なのだろう。先行してオーヴィに潜入していた斥候役といったところか。


「日程通りだな、兄貴。物資は裏手の倉庫にまとめてある。そっちのおっかない人が英雄かい?」


 のそのそと階段を降りながらそいつは言って、ランドリックを一瞥した。口調が傭兵にしてはやわらかく、暴力の気配が薄い。裏町に潜伏していたようなので当然だが皮鎧も着ておらず、普通の町民のように見える。

 が、注意して観察すれば、物腰が町民のそれと明確に違う。

 戦闘能力はさほど秀でていないのだろうが、例えばいきなり誰かに襲われれば躊躇なく逃げるといった雰囲気がある。普通の町民であればそういうときに適切な対応ができず、手遅れを招くものだ。突然の暴力に正しく対処できる一般人など、そうはいないものだ。


「そうだ。この国じゃ知らないやつがいないってくらいの英雄様だ。そっちのガキと女は英雄様が気持ちよく働けるように用意した人質だ。ベンノ、一応言っておくが、そこそこ丁重に扱えよ。ただし図に乗らせるな」


 答えるダリウスは真顔だった。

 ベンノと呼ばれた小男の方が年嵩に見えるのにダリウスが「兄貴」なのは、彼らなりの関係性があるのだろう。

 ちなみにというか、当の人質であるガルトとアディはダリウスの発言に全くの無反応だった。これまでの扱いが悪くなかったので特に反論もなかったようだ。


「うっす。ゼルギウスの旦那からは、なにかあるかい?」

「予定に変更なしだ。そっちは?」

「こっちも問題なし。ただ、この街の『耳』がよく判らないな。こっちのことは間違いなく把握してる。でも当局に届けようって動きがない。その割には、貴族や騎士団と仲が悪いようにも見えないんだよな」

「交易街だからだろ。害がない限りは放っておかれるやつだ」

「だといいんだけどなぁ」

「なにか気になるってのか、ベンノ」

「いや――なにがどうってことじゃないんだ、兄貴。どうせこの街でなにかをするわけじゃないから、『耳』に探られたとしても関係ないだろ?」

「今この瞬間の会話を聞かれてるんでもなきゃ、な」


 ぼそりと呟き、ダリウスは周囲へ視線を飛ばした。ランドリックもつられるように周囲の気配を探ってみるが、ダリウスの部下数人が物資を積みに屋敷の裏手へ向かった以外は、特に人間の気配はない。


 ランドリックは気配に対しては敏感な方だ。よほどの凄腕でもなければランドリックの知覚から逃れることはできない。そして今この瞬間、よほどの凄腕が隠れているとも思えなかった。

 話を聞く限り、ベンノという男はこの家を借りて物資を調達しただけだ。余所者が裏町に家を借りて物資を調達していればそれは不審だろうが、だからといって凄腕の間者を向かわせるだろうか。様子見させるだけなら、それこそガキの使いで十分なはずだ。


「まっ、いいさ。探りたいってんなら探らせとけ。それよかベンノ、どっかで水浴びできねぇか? 男所帯で何日も移動してりゃ、臭くて堪らん」


 いかにも不快そうにダリウスは言ったが、この部隊はかなりマシな方だとランドリックは思う。朝支度や就寝前にいちいち装備を外して体を拭いているのだから、傭兵部隊としては潔癖なくらいだろう。

 グラウルの傭兵団も小汚くはなかったが、そこまで綺麗好きでもなかった。


「ああ、裏手の井戸が生きてるよ。そこで水浴びできる。ボロはボロだけども、芯の方はしっかりしてら。いい物件だぜ、実際の話」


 上機嫌に頷くベンノは、やはり傭兵らしくなかった。

 小回りの利く商人だとか、わざわざ戦場までやって来る薬売り、あるいは戦場から拠点に戻って来ると必ず現れる武具の仲介業者、そういう連中に近い気がする。

 暴力以外の手段で世渡りすることに慣れている……そんな雰囲気。


 結局――と、ランドリックは自嘲気味に思う。


 自分は傭兵の流儀に合わないだけで、とどのつまりは暴力で身を立てる以外にないのだ。他人をぶち殺すのがそれほど好きでないから森に引っ込んだが、暴力の向かう先が敵兵から野生動物や樹木に変わっただけではないか。


 木こりを自称するには技術がなさ過ぎる。

 狩人を気取るには繊細さが足りない。

 森人というほど森に詳しくもない。


 暴力を振るうしか能のない男。

 それが自分だ。


 たぶん、本来的には誰かに使われるべきなのだろう。

 あまり深く考えることのないランドリックだが、それくらいのことは考える。自分はただの暴力装置であり、その矛先は自分以外の誰かが決めた方が多くの人のためになるはず――理屈としては、たぶんそうだ。


 何故なら、己の力をどのように振るうべきかなどランドリックには見当もつかないからだ。ならば見当をつけているやつの指示に従った方がいいはずだ。

 そうしない理由は単純で、これまで自分を好きに使わせていいと思った人間が一人もいなかっただけの話である。


 十年前はハミルトンに従ったが、あのときは単に目的が一致していたに過ぎない。ハミルトンの思想や行動原理にはまるで共感できなかったし、だからといって『王狩』のゲオルグと一緒にいたいとも思えなかった。『山崩』の魔女イースイールなど論外だ。


 王族も、貴族も、商人も、傭兵も。

 誰一人として剣を預けたいと思える相手はいなかった。


 そしてそれ以外の、例えば市民や農民のために剣を振るいたいかと言われれば、それも否だ。彼らはただ守られるだけの存在ではない。自分が好き勝手に暴力を振るって過保護にしてしまえば、おそらくなにかが歪んでいく。そもそも彼らを守るのは国の役割であり、ランドリックは国のために剣を振るうのも嫌だった。


 もっと個人的で、曖昧で、けれど匂いや温度だけは確かなモノ。


 綺麗でなくてもいいし、迷っても間違ってもいい。必要なのはこいつのために剣を振るいたいと思わせてくれるなにかだ。

 ゲオルグのような歪んだ純真さではない、ハミルトンのような理知と計算も違う、イースイールのような感性とも別のナニカ。


 ……これではまるでレオノーラだ。


 使い手を選ぶ魔剣。

 遠い昔、まだ魔導文明が失われる前に創られたという『樹霊剣(エイルヴエッジ)』。


 誰だって殺してみせる。

 なんだって壊してみせる。

 相手が貴族だろうが、王だろうが、幾千の軍勢だろうとも。


 自分を使う者が、そう望むなら。


 ふとした思いつきだったが、さほど否定する材料がないのに気付き、うっかり笑いそうになった。堪えるのに多少の努力が必要なほど、思いつきが可笑しかった。


 そうか、レオノーラ。

 俺たちは似たもの同士だったのか。



「……なにをニヤついてんすか?」



 不意にガルトが言った。

 笑いを堪えるのに集中していて、目の前に立っている少年が訝しげにランドリックを覗き込んでいるのに気付かなかった。


 いつの間にか傭兵たちは各々のやるべきことに取りかかっており、アディはベンノに案内されて二階の個室を宛がわれたようだ。ガルトはランドリックと同室で、夕飯時まではそこで待機していろということだろう。


「いいや、なんでもない」


 と、ランドリックは頭を振った。

 己の内に生じた様々な思いを言葉に変えて口から吐き出すことなど、とてもできそうになかった。

 仮にできたとしても――たぶん、言わなかっただろう。

 特に誰かに伝えたいわけではないからだ。




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