05-02 順調な旅路
旅路は順調だった。
といっても、ランドリックはダリウスの言うまま馬車の中で寝転がっていればそれでよかったので、旅という感じも移動という感じもあまりしなかった。暇だ、というが最大の問題ではあったが、ランドリックは退屈さには耐性がある方だ。
オロズの森から街道を西へ――急ぐでも遅くでもなく普通に進み、三日間。
本当に何事もなく移動だけしていたのだが、それでも複数人で移動していれば判ることもある。集団行動とはそういうものだ。
例えば、この隊を任されているダリウスの指揮能力。
軽薄そうにへらへら笑う胡散臭い男という印象だったが――その印象は特に変わっていないが――部下の傭兵からはかなり信頼されている様子だった。傭兵にありがちな理不尽さをダリウスはあまり発揮せず、頭ひとつ抜けた実力をさりげなく示すことで部下たちを制御していた。
武装勢力という意味では、傭兵団も騎士団もさほど違わないとランドリックは思う。そう考えると、ダリウスの資質は騎士団においてですら優良と言えるだろう。わけの判らない建前や誇りを重んじるあまり部下に理不尽を押しつける指揮官は少なくなかった。
傭兵といえばランドリックはかつての戦場で部下として集っていたヴァルト傭兵団を思い出すが、ダリウスが率いているこの部隊は、あるいは当時のヴァルト傭兵団よりも練度が高いかも知れない。傭兵個々人の能力が平均的に優れており、得手不得手が少ないのだ。
誰がどの役割を任されても機能するような人員が集まっている。これは逆に言えば、誰かが欠けても部隊として機能不全に陥らない、ということだ。
十年前のヴァルト傭兵団は数の多さも手伝って練度にばらつきがあり、団長であるグラウルの統率力で纏まっていた記憶がある。もちろん、人員を選べば今のダリウスらと同じような部隊は組めただろうが、そんな機会もなかった。
つまり、ゼルギウスは本気なのだろう。
普通に考えれば捨て石だとか失敗する前提だとかいう人員ではない。この面子をを捨て石にするのは、いささか浪費主義が過ぎる。
もうひとつ根拠があるとすれば、既にゼルギウスの部下がマクイールの王都に潜伏しているという点だ。仕込みは十分――であれば、やはりランドリックに仕事をさせるのは本気なのだろう。さもなくば仕事を放棄した場合の腹案があるのか。
その腹案がなんなのか、ランドリックは少し考えたがすぐに思考を切り上げた。答えに至れる気がまったくしなかったからだ。
「あんたが思ったより大人しくて助かるよ。これはマジで言うけどな」
街道の脇に馬車を駐め、焚き火を囲んで飯を食いながらそう呟いたのはダリウスだ。ランドリックとしては食事の質に少々の不満があったが、ダリウスらの食事も質が同じだったので文句は言わなかった。
「ゼルギウスの旦那から話はちらっと聞いてる。前の戦争で死ぬほど活躍したってのに、面倒を嫌って隠居してたんだろ。金や地位には興味がねぇのか?」
その質問をされたのは久しぶりだった。
戦後処理のとき、確かハミルトンやハミルトンに近しい貴族がそんなようなことを言ってランドリックをマクイールの中枢に留めたがっていた。同時に『英雄』を忌み嫌う貴族たちが、まるで屍肉を漁る獣の群みたいに息を潜めていたものだ。群がる機会を窺って、じっとこちらを睨んでいた。
なるほど、確かに戦場でない場所に立つランドリックは、権謀術数に慣れた貴族たちにとっては屍肉同然だっただろう。
「別に、金や地位に興味がなかったわけじゃない。秤にかけて、面倒の方が重かっただけの話だ」
「へぇ……そんじゃ、あんたは仮に金や地位があったらどうする?」
「使用人を雇う。どっかの貴族の使いじゃなくて、俺との婚姻を狙って来なくて、実は暗殺者だったりしない使用人がいればな」
「で、その使用人になにをさせる?」
「身の回りの世話だ。金に余裕があるなら料理人を雇ってもいいな。飯に毒を入れてこない料理人だったら文句なしだ。いちいち毒味が一口食ってからの食事は二度としたくない」
「そりゃ、王宮での話で?」
「義理があったからな。戦争が終わった後、少しの間だけ王都にいた。あんなところでお互いの腹を探り合って難しい顔をしてる連中は頭がおかしい」
まぐれもない本音だった。
英雄を取り込もうという貴族たちの水面下での争いは、腹芸に疎いランドリックにでさえ理解できるほどあからさまだったのだ。ハミルトンはそのあたりの立ち回りが上手く――というより当人が上昇志向の持ち主だったので積極的に腹芸に挑んでいたのだが、ランドリックとしては御免だった。
そんなことのために他人を殺しまくったわけではない。
「皮肉なもんだな。結果的にあんたらはそのいけ好かない連中を大いに喜ばせちまったわけだ。金も兵も食糧も、どれもこれも予想の半分も使わなかったはずだぜ」
「そんなものは俺の知ったことじゃなかった」
「当初は、な。いざ戦争が終わってみれば『知ったことじゃない』はずの場所に立たされて、どいつもこいつも英雄を放っておかなかった――だろ?」
「ああ、そうだ」
「ついでに言えば、貴族連中は『知ったことか』っていうあんたのことをまるで理解しようとしなかった。やつらは他人を尊重する気がないからな。口先だけは英雄を褒めそやしただろうさ。救国の英雄サマ、ってな。だが、あんたらを本当の意味で敬ってるやつなんかいなかった」
「……見てきたかのように言うんだな」
「知ってるだけさ。何処の国でも変わりゃしねぇよ。やつらは自分が食ってるパンがどう作られてるか、麦を誰が育ててるのかなんて知りもしねぇんだ。賭けてもいいぜ、連中はあんたをどう利用するか、どう利用されたくないか、それしか考えてなかった。戦争を終わらせてくれてありがとうなんて誰も思ってなかったぜ」
「連中に感謝されたかったわけじゃない」
そう言ったものの、不満がなかったかと言えば嘘になる。
ダリウスにもそれは判ったのだろう、へっ、と美的でない笑い方をして、持っている革の水袋を渡してきた。受け取って一口飲んでみれば、中身はひどく渋い安酒だった。
安い酒は、嫌いじゃない。
王宮で出された蒸留酒よりはずっといい。
「だがよ、あんたは貴族との関わりが嫌で、あんな森に引っ込んでたんだろ。どっかの都市に住まなかったのは貴族の手が伸びてくるからだ。親切にしてくれた誰かが実は貴族の使いでした、なんてな。そのくらいのことはやるだろうよ。そんで、あんたは親切にしてくれた誰かに義理を感じるだろうな」
「そう見えるか?」
「そうでなきゃ見知らぬガキなんざ見殺しにしてるはずだ。自分のせいでガキが死ぬのは嫌だったんだろ。俺だって自分の手でガキを殺すのは心が痛むさ。我慢できないほどじゃねぇけどな」
「おまえたちが約束を守る人種ならいいがな」
「……まっ、その点についちゃ、ゼルギウスの旦那は信じていいと思うぜ。もちろん、その後の心配もいらねぇさ。あんたを表舞台に引っ張り込もうってんなら、こんな汚れ仕事はさせねぇよ」
だろうな、とランドリックは頷いた。
ぱちぱちと音を立てる焚き火を眺めながら、案外言われるままに仕事をこなすのも悪くないんじゃないか、というようなことをランドリックは思った。
思うだけだったが。
◇ ◇ ◇
四日目も移動は順調だった。
さすがにそろそろ街に寄って補給する必要があるようで、五日目にはオーヴィという交易街に立ち寄るとのこと。日程的にはオーヴィから七日ほどで王都へ辿り着くそうで、食糧の補給は全てこの街で済ませるという。水については途中の川を利用する予定らしく、水を浄化する魔道具を預かっている、とダリウスが言った。
この日の昼は、傭兵たちが道すがら狩りをして獲った野兎の肉を焼いたものが出た。調理の技術はさほど優れていないにしろ、肉を食えたのでランドリックは機嫌がよかった。ダリウスが毎回ぼやいているがランドリックも多聞に洩れず、麦粥というやつがあまり好きではなかった。
街道の脇に馬車を駐めて火を熾し、青空の下、飯を食う――こういうのも悪くないな、とランドリックは思った。十年前は目的があってあちこち移動していたが、この一件が片付いたら、こんなふうに旅をして生きるのもいいかも知れない。
しかし馬の世話や食事の支度、旅の日程を組んだりするのは面倒だな……などと考えていると、ガルトがランドリックの隣にやって来て、水袋を寄越してきた。食事が済むのを待っていたのだろう。
「ちょっと訊いていいすか?」
遠慮がち――でもない、普通の言い方をガルトはした。
自分に対して過剰に怯えも警戒も見せないところに、ランドリックは妙な親しみを覚えてしまう。たぶんこの少年はランドリックという人間の危険さを理解しており、それでも表面上には畏怖を見せないようにしている。
「ああ。構わない」
頷き、差し出された水袋を受け取って中身を口に含む。ダリウスのそれとは違い、果実の絞り汁で香りをつけた水だった。
こういうところに手を抜かないのも、部隊行動が洗練されている証だ。戦場の地獄絵図では気にならないような些事ではあるが、陣に戻って人心地ついているときは大きな問題になる。正確には、大きな問題の火種になる可能性がある。『水が臭い』という事態は意外なほど人を苛立たせるのだ。
「……グラウルは、あんたから見て、どんなやつだったんすか?」
やや迷うようにしてからガルトは言った。
つい先日死んだという義父のことを訊くにしては悲壮感はなく、深刻そうでもなかった。かといってへらへら笑ってもいない。
普通の顔をして、普通に訊いてきた。
そこにどういう意図があるのか、というようなことをランドリックは考えない。
「そうだな、視野の広い男だった」
ぱっと思いついたことをそのまま口から吐き出した。
グラウル・ヴァルトについては、実のところそれほど深い話をした覚えがない。というよりランドリックは『王狩』のゲオルグや他の英雄たちとも深い話などしなかったように思う。問われれば真面目に答えただろうが、イースイールに言わせれば「あなたの返答は端的すぎる」とのことだった。端的なのはいいことだとランドリックは考えるが、周りの連中は違うようだった。
ガルトはランドリックの回答をどう受け止めたのか、中途半端な長さの前髪を指先で抓み、小さく息を吐いた。
「もうひとつ訊きたいんすけど……あんた、グラウルを好ましいと思ってたんすか? それとも、もっと別のことを思ってた、とか」
「グラウルは好ましい方だったぞ」
「……即答、っすね」
「嫌なやつは何種類もいる。不都合なやつ、不合理なやつ、性格が悪いやつ、性根の悪いやつもそうだ。もっとたくさんある。だが、そういう要素があるから必ず嫌なやつかというとそれも違う。結局は、こっちがどう思うかだ。グラウルはそれなりに暴力的な男だったが、俺は嫌いじゃなかった」
「つーか、あんた普通に喋れるんすね」
小さく笑ってガルトは言った。
ランドリックも同じくらいに笑って頷く。
「そりゃあそうだろう。訊かれたら答えるし、たまには冗談も言うぞ」
「例えば?」
「『山崩』のイースイールのふたつ名は、くしゃみをした拍子に山を崩したせいで付けられた」
「……ホントかも知れないんで、笑えないっすわ」
「そうか」
言われてみればそうだな、とランドリックは頷いた。
◇ ◇ ◇
翌日。
やはり何事もなく、一行は交易街オーヴィに到着した。




