03-06 英雄との交渉
「ったく、用を話す前に得物で語り合うとはな……十年経っても相変わらずで嬉しいぜ、隊長殿よ」
ゼルギウスは抜き払った黒い剣の切っ先をゆらゆらと揺らし、空いたもう片方の手でなにやら部下に指示を出しながら言った。
その視線は決してランドリックから逸らさない。
「おまえも、あまり変わっていないようだな。楽しい戦場は見つからなかったのか?」
大鉈の峰で自分の肩を軽く叩きながらランドリックは返す。
声音は、思ったより鋭くない。どちらかといえば朴訥としており、腹の内側になにかを秘めているという感じが全くしない――狡猾さからほど遠い話し方だ。
たぶん、実際に腹黒くないのだろう。
「まあそうだな。あんたと駆けたあの戦ほどの無茶苦茶は、そうそう出会えるもんじゃねぇ。今にして思えば、あの作戦を立てたハミルトンの野郎も随分と正気から外れてたもんだ。いくら『英雄』がいるとはいえ、戦力比三十倍以上の状況で戦端を開くかよ?」
「あいつは俺たちのことをよく知っていたからな」
「それもあるだろう。だが、実際あの戦場でどっちが勝とうが結果は変わらなかった。ゲオルグがしこしこ『王狩』に勤しんでたんだからよ。俺たちはただの囮で、あの戦場は単なる時間稼ぎで、死んだ連中は無駄死にだった」
「その『無駄死に』に命を張るのが傭兵だろう」
「あんたに言わせりゃ、そうかもな。俺に言わせりゃそいつは違う」
「そうか」
「あんたは本当に変わらないな。『鍛鉄』のランドリック」
声音に含まれていたのは郷愁と、おそらくは嘲笑。
嘲り、見下し――そしてたぶん、憐れみが込められていた。
それはグラウルには見せなかった感情だ。
ゼルギウスは死に際のグラウルを嘲りも見下しもしなかった。
あのときゼルギウスが見せたのは、ほんのわずかな同情だ。
「……人質と言ったな。そのガキと、そこに転がってる女が人質のつもりか?」
ランドリックの問いで、ガルトはアディが地面に転がっていることに気付いた。座らされていた椅子ごとだ。縛られているのだから当然だが。
アディはひどく荒い呼吸を繰り返しながらランドリックを見上げていたが、まあ無理もないだろう。
彼女の背後に立っていた傭兵を、ランドリックは一瞬で殺したのだ。ほんの少しでも手元が狂えばアディごとぶっ散らしていただろう。頭のすぐ上を破壊槌が通り過ぎたようなものだ。まともな神経を持っていれば恐れないわけがない。
「あんたから盗った魔剣もだな。樹霊剣レオノーラ。大事な預かりモンだろ」
「大事――か。そうかも知れないな」
「そういや覚えてるか、最後の合戦の前に村一個落とされただろ。王国の騎士団と合流するのに時間食ったせいで前線を下げたからな。戦の後に俺たちは村を探索した。生き残りがいねぇかってな」
「ああ。ゲオルグが怒り狂っていたな」
「はっ、あんなもんクソうぜぇ駄々でしかねぇよ。そんなムカつくならてめぇでハイギシュタの軍勢に突っ込めばよかった。できただろ、あの英雄様なら。そのかわりハイギシュタの王族は生き残って、戦争が長引いた」
「まあそうだな」
「村には生き残りが一人いた。グラウルの旦那が拾った」
「ああ、覚えている」
「そうかい。あのときのガキが、そいつだ」
黒い剣先がガルトを示す。
ランドリックの表情は、ほとんど変わらなかった。注意して見なければ眉が上がったことに気付かなかっただろう。変化らしい変化はそれだけだ。
「あんたに仕事を頼みたい。それが目的だ。断るならガキと女を殺して魔剣を隠す。仕事をこなせばガキと女は助かるし、魔剣は返してやる。簡単だろ?」
ゼルギウスはガルトを見ていない。
当然だ、この状況でランドリックから視線を逸らせるはずがないのだ。そんなことをすれば一瞬で殺されるかも知れない。
にも拘わらず、黒い剣の切っ先が動き、ガルトの首筋にぴたりと添えられた。
彼我の位置関係を完璧に把握している証拠であり、剣を自らの手と同じくらい精密に動かせることの証左だ。達人に至るほどの研鑽、その一端。
沈黙を維持するランドリックを尻目に、傭兵の一人が動いてアディを椅子ごと抱え、大袈裟なほど距離を取った。それからそいつは改めてアディへ剣を突きつけて見せたが、どちらが脅されているのか判らないほど剣先が震えている。
それはそうだろう、二十歩分の距離を一息で無にするような男が相手だ。アディを害そうと剣を動かした瞬間に自分の頭が爆散しているかも知れない、そんな状況で、それでも改めてアディを人質に取ったという事実にガルトはうっかり感心してしまう。
本当に練度が高い傭兵団なのだ。
仲間が殺されたことで前後不覚になって激昂するようなやつもいないし、ランドリックに恐れをなして逃げ出す者もいない。
――なんだ、これ?
首筋に刃を添えられながら、ガルトは笑い出しそうになった。
人質をとって脅迫している側の方が、まるで神話の魔獣を討ち倒す正義の騎士のよう。あらゆる罠と策略は、獣が相手なら正当化される。
もし罠を用いる狩人を「卑怯」と罵るやつがいたとすれば、そいつは道理を知らない愚か者だ。
「……ふむ」
と、ランドリックは息を洩らした。
表情がほとんど変わらないので、なにをどう感じているのか、ガルトにはまるで推測できなかった。なんとなく鼻から息を吐いたらそんな音が出ただけであったとしても、たぶん納得してしまうだろう。
その場の全員から集めている注目を意に介さず、ランドリックは鉈を持っていない方の手でがりがりと頭を掻き、そのついでみたいな自然さで鉈を地面に落とした。
どずっ、という手持ちの武器を落としたとは思えない重い音が響く。部隊の誰かが身を強張らせたのが判ったが、無理もないだろう。あんなものをぶち込まれたら、あんなふうになるのも当然だ。
あれを受けたゼルギウスがどうかしているのだ。
「まあ、いい。話を聞かせろ。ガキと女から剣を離してやれ」
解放しろ、とは言わなかった。
それが不思議とガルトには好ましく思えた。
どうして――?
もちろん判らない。
判らないことばかりだ。
しかし、判らないことばかりのまま死ぬのは避けられたようだった。
とりあえずは。




