03-04 緻密かつ杜撰な計画
英雄ランドリックが住処にしているという森の入口に着くまで、それから二日かかった。
当然だが車内での話が弾むわけもなく、ほとんどの時間を沈黙と共に過ごしていたのだが、何度か車外へ出る機会はあった。
例えば、用を足すとき。
生きて飯を食う以上、出すものは出さねばならない。ガルトの場合は傭兵団と移動することに慣れているので特に困らなかったが、アディの場合は困る困らないより尊厳との戦いが深刻だったようだ。監視のダリウスからしてもガルトは逃げなさそうでアディは逃げそうという差もあったのだろう。
結局、アディは文字通り首に縄を括られて――それなりに長い縄だ――その縄の端をダリウスに握られたまま物陰で用を足すことになったが、馬車に戻って来たときのアディの表情は、あまり詳しく描写したいものではなかった。
他人事なので「女は大変だよな」とガルトは思っていたが、もちろん口には出さなかった。積極的に恨みを買うのは莫迦のやることだ。
到着の一日前は、川で水浴びを許された。
許されたというか……命令されたというべきか。十日近く水浴びなどしていなかったので、普通に臭かったのかも知れない。渡された濡れ布巾で顔や身体は拭いていたが、さすがに同じ服を着続ければ臭うに決まっている。
服を着たまま川に入り、身体を石でがしがし擦るついでに衣服も洗い、焚き火で服を乾した。煙臭いのでガルトはこの乾かし方があまり好きではない。洗濯は日干しに限る。もちろん、贅沢を言える立場でもないのだが。
当日は早朝から移動し、カレンカという小さな町に部隊の一部が立ち寄った。本隊から十名ほど分けて物資の補給に行かせたようだが、交易都市ではないので満足な補給はできなかったはずだ。
が、補給できるときに補給するのは鉄則だ。不満足であろうとも。
ガルトが把握している限り、ゼルギウスの傭兵団は四十から六十人規模。そのうち二十から三十人ほどが常に本隊と別行動しているようで、野営するとき、あるいは出発の前に合流して、また別れるのを繰り返していた。
別行動と合流を繰り返す様子からは、ふたつのことが判る。
ひとつはゼルギウスの傭兵団はかなり練度が高く、統率のとれた集団であること。これについては言うまでもない。ヴァルト傭兵団を奇襲とはいえ一方的に壊滅させるような集団の練度が低いわけがないのだ。
もうひとつは、地理を熟知しているらしいこと。
ゼルギウスらの行動が計画的だとすれば、この計画を練ったやつは相当な切れ者であり、マクイールの地理をよく知っていることになる。
下手に五十人規模でまとまって動いていれば必ず騎士団や貴族に露見する。繰り返しになるが領主が『耳』を飼っていることなど珍しくもない。だから常に部隊の総人数を少なく見せるために別行動を取らせている――のだろう、たぶん。
そして別行動を取らせつつ、きちんと合流できている。こちらの方が脅威的だ。なにしろ本隊であるゼルギウスの部隊は常に動き続けているのだから。
もし計画に沿って部隊行動を取っているのだとすれば、その計画は綿密でありつつ遊びを持たせている……現場を知っている者の筋書きだ。
地理に敏く、軍事行動の計画を立てられる者。
ゼルギウス自身が行軍日程を立案したとは思えない。もちろん団長である以上は団の方針、行動指針や目的はゼルギウスの理念に沿っているはずだ。しかし長らく外国にいたというゼルギウスが、マクイール王国での日程を立てられるはずがない。どうしても地理的な不知が出てくるし、立ち寄るべきでない都市なども把握できない。
そもそもの話、ゼルギウスは傭兵だ。
傭兵は誰かに雇われて動く。
金を払った誰かがいる。
おそらくは国内に。
誰が――なんの目的で?
ガルトに判るわけもなかった。
◇ ◇ ◇
森の入口に着いたのは、日が傾く少し前。
馬車から降ろされたときには既にゼルギウスの部隊は展開しており、森の奥側から来る敵を受け止めるかのような陣形を取っていた。扇型ではなく、椀型。それも二重構造の椀で、かなりの人数を森の中――木の陰や草むらに配置している。
森は濃く、しかし木々の密度は薄い。
というのは樹木の一本一本がかなり大きいからだ。遮蔽物として優秀だが……英雄ランドリックはなんだってこんな森に住んでいるのか。
もちろん、判るわけもない。
傭兵たちの陣形である椀の真ん中には椅子がふたつ置かれてあり、椅子と椅子の距離はやや遠い。椅子の後ろにゼルギウスの部下が一人ずつ、その間にゼルギウスが腕組みしながら突っ立っている。
馬車を降ろされたガルトとアディへ、ゼルギウスは妙に人懐こい笑みを見せた。
「よう。ダリウスから話は聞いてるな?」
笑みこそ人懐こいが、やはりその巨躯と雰囲気が物々しい。馬車の中で沈黙を維持しているより、ゼルギウスの威圧感を受けている方がよほど息苦しかった。
その圧力はアディも感じているようで、何か言いたげな顔はしていても口から科白を吐き出すには至らない。よく見ればやや青褪めているようだ。
まあ、そりゃそうか、とガルトは内心で苦笑する。
これから死ぬ可能性が割と高いのだ。
ランドリックの行動次第では、どちらかの人質は見せしめにされるだろう。ひょっとしたらどちらも見捨てて暴れ出すかも知れない。むしろガルトとしてはそっちの可能性の方が高いんじゃないかという気がしている。
ガキや女なんか見捨てた方がいい。
見捨てないで欲しいけど。
「……あんたの部下がランドリックの持ってるっていう『魔剣』を盗んで来る。成功失敗に拘わらずランドリックに追いかけさせてここまで誘導する。あんたらは俺たちを人質にとってる。人質をとられてるからランドリックは動けない。もし『魔剣』を盗むのに失敗してたらランドリックに持って来させるし、盗めたならそのまま交渉する……正直、穴だらけだと思うんすけどね」
これがダリウスの語った『計画』だ。
部隊行動の緻密さに比べて、肝心の『英雄との交渉』の段取りが杜撰すぎる――ような気がする。ガルトにしろアディにしろ、計画に組み込んでいたわけがない。たまたまそこにいたから人質にしたという程度だろう。
もしガルトやアディがいなければどうするつもりだったのか。そこいらの町や村から子供を拉致していた? それこそ計画としては杜撰すぎるだろう。あるいは人質をとるという行動自体、ゼルギウスの即興かも知れない。
「はっはっはっ、そりゃそうなるわな。少年よ、おまえさんの懸念は正しい。だがな、ランドリックって男はまともじゃねぇんだ。むしろまともに交渉しようって方が間違ってる」
まともでない相手だから、まともでない交渉をする?
それこそまともな感性とは思えなかった。まともじゃない相手ならば交渉なんか成り立たないと普通は考えるだろう。まともさ加減にもよるが、損得勘定の基準が通常と違いすぎれば交渉など成立しないはずだ。
「まあ、少年がどう思おうが、やることは変わらねぇよ。諦めてそこに座って、そんで、祈ってろ。英雄が英雄であることをな」
俺も祈ってるからよ――。
にたりと笑んで、ゼルギウスは言った。
戦闘狂のイカレた笑みにも見えたし、恋人との逢瀬を心待ちにする若者みたいにも見えた。もちろんそのどちらの感情も、ガルトには理解不能だ。
理解するには人生経験が足らず、その経験を積める可能性は低そうに思える。
おまけにたいして理解したくもないとくれば、最高だ。




