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03-02 赤い髪の少女_01




 不意に馬車が止まり、ガルトは見張りの男に気付かれない程度に首を傾げた。

 まだ野営をするには時間が早いような気がしたからだ。


 見張りの男もガルトと同じ疑問符を抱いたのか、身振りでガルトに「余計なことをするな」と示してから馬車の外へ出て行った。

 なにか不慮の出来事が起こったのだとしたら――と一瞬だけ思ったが、その割には周囲が静かだ。例えば野犬の群に遭遇したのであれば部隊行動を取るはずで、その場合は怒号めいた指示と返答が繰り返されるだろう。


 とりあえず、ガルトはいつでも動けるよう気構えだけしておくことにする。

 グラウルのような達人であればわざわざ気構える必要もないが、ガルトは町のチンピラよりはいくらかましという程度の素人でしかない。気構えは必要だ。


 ――と、


 いきなり馬車の戸が開かれ、女が放り込まれた。

 赤毛の、痩せた女。

 歳は若そうだ。たぶんガルトと同じか、せいぜい三、四歳上といったところだろう。二十歳は越えていないように見える。胴に対して手足が長めで、痩せてはいるが飢えている感じはしない。

 動きやすそうな革のズボン、縫製のしっかりした革の靴、同じく地味だが丈夫そうな上着……印象としては、そこそこ大きな商家で取引を任されている女商人、というのが近いが、それにしては体系が随分と野性的に見えた。

 痩せてはいるが、肉付きが薄いのではなく使い込まれて絞られているといった印象がある。特徴的な赤毛が肩の辺りまでしかないのも変だ。女商人は髪を伸ばしていることが多い。その髪を手入れするだけの余裕がある、と誇示するため……という話を聞いたことがある。

 それと、胸部のメリハリが少なかった。

 赤毛の女は後ろ手に縛られており、馬車に放り込まれて転がっている体勢が思いきり胸を突き出すような形になっているのだが、その双丘は実になだらかだ。そのかわりというか、女にしては身長が高い。ガルトと同じくらいはありそうだ。


「よう、坊主。同居人を連れて来てやったぜ。仲良くしてやんな」


 戸の脇から顔を覗かせたのは先程の監視ではなく、ダリウスだった。他の傭兵が一切ガルトに話しかけてこないのを鑑みるに、この男はゼルギウスの傭兵団の中で、それなりに地位が高いのだろう。自分の判断でガルトに話しかけても文句を言われない程度には。


「離しなさいよ! 一体どういうわけ!?」


 と言ったのは当然ガルトではなく、転がされている女の方だ。

 女は後ろ手に縛られたまま器用に起き上がり、片膝を突いた姿勢になってダリウスに相対してみせた。もしかすると、ぱっと跳びかかるつもりなのかも知れない。


「どうもこうもあるかい。てめぇらがおかしな真似するからだろうが。いちいち密告するような連中を野放しにしておくと思うか? 黙って仕事してりゃお互い面倒もなかったのによ。……まあ、下っ端のおまえに言っても仕方ねぇか」


 へっ、とあまり美的でない笑い方をして、ダリウスはわざとらしく肩をすくめた。明確に誘いだと判る隙の見せ方だった。

 女がなにをしようが絶対に対処できると考えているのだろう。実際、両手を腰の後ろで拘束された女がどう暴れようとも全く問題にならないはずだ。

 この状況を実力で切り抜けられるなら、そもそも拘束されて馬車に放り込まれたりするわけがない。自明の理だ。


 ガルトの考察が正しかったのかはともかく、赤毛の女は歯噛みしながらダリウスを睨みつけてはいたものの、動くことはしなかった。

 女が動かないのを確認し、ダリウスがまた美的でない笑みを浮かべる。


「まっ、お互い無駄な労力は避けようぜってことだな。どうせそろそろ目的地に着く。逃がす気はねぇし、油断もしねぇよ。こっちもこっちで真剣さ」


 くひひ、と笑い声を洩らしてダリウスは馬車の戸を閉めた。

 それを確認してから赤毛の女は尻を床に落とし、はぁ、と息を吐いた。賭札で有り金を全部失った傭兵が洩らすみたいな溜息だった。


「……で、あんたは一体何処の誰なの?」


 ちらりとガルトを一瞥して女は言う。

 ガルトは両手を持ち上げてひらひらと振ってから、わずかだけ笑っておく。


「そういうのってまず自分から名乗るんじゃねーすか? それに、うっかり話が弾んで周りのおっさんに怒られても困るんすけど」

「あんたの両手は塞がってないから、ってわけ? せいぜい仲良くしろとか言ってたの、聞いてなかったの? 言われた通りに仲良くしたのに怒り狂うほど、あいつらはみみっちい連中じゃないでしょ、たぶん」


 声を潜めることなく女は言ったが、むしろ馬車の外で監視しているはずの誰かに聞かせるつもりで言ったのだろう。

 これで「うるさいから黙れ」というふうには怒り難くなった、というわけだ。


 ふふん、と女は唇の端を吊り上げる。

 どちらかといえば目付きが鋭く、顔立ちが整っているせいで、ひどく勝ち気そうな笑みに見えた。……見えたというか、たぶん実際に勝ち気なのだろうが。


「情報交換よ。あいつらはあたしを生かして捕らえた。でも生かして捕らえたあたしをどうするつもりなのか、あたしは知らない。あんたはどういう事情で捕まってるわけ?」


 器用にガルトへ近づいて来て、今度は声を潜めて言う。

 ということは――この女は実はゼルギウス傭兵団の一員、という線は考えなくていいだろう。わざわざガルトから引き出すべき情報があるとも思えないし、あったとすればこれまでなにも聞かれなかったのは不自然すぎる。


「人質として使うつもり、っぽいことは言ってた」

「……人質? 誰に対しての?」

「そりゃそういう疑問になるよな。俺も信じてるわけじゃねーすけど、この傭兵団の団長が言ってたんだ。『ランドリックはガキに弱い』って」

「人質に、って……人質としての価値があるわけ? あたし、あの英雄となんの関わり合いもないわよ。それなのに、人質?」


 おや、とガルトは眉を上げた。

 ランドリックといえばマクイール王国民であればまず『鍛鉄』のランドリックを誰でも思い浮かべる。だからそれはいい。しかし、自分がランドリックに対する人質なのだと言われたら、普通は嘘か冗談だと思うのではないだろうか。

 突拍子がなさすぎる話だ。

 この女にとっては――違う、のか?


「『あの英雄』ね。まるで知ってるやつみたいに言うんすね」

()()()()を知らないやつがいるわけ?」


 試しに混ぜっ返してみるも、即座に反駁された。

 仕方ないのでもう少し混ぜ返す。


「俺は『あの英雄』の顔も知らないし、性格も知らない。あんたはなんだか知ってるみたいじゃねーかって思ったんすよ。気のせいだったみたいだけど」

「思い込みの激しい男は嫌われるわよ」

「そりゃどうも。参考までに言っておくと、『ナントカな男は嫌われるわよ』とか言い出す女に敬意を払う男は見たことねーっすわ」

「あっそ。女に敬意を払う男なんかいるの?」

「まあ、探せば、たぶん」

「だといいけど――って、そうじゃないわよ」


 きっ、とガルトを睨み付ける赤毛の女。

 声を潜めて聞こえる距離感なので、ほとんどガルトの顔にくっつくような位置に女の顔がある。それほど嬉しくないのが残念だったが、この傭兵団の傭兵にひっつかれるよりはずっとましだと思い直す。


 男色や両刀の傭兵だって、別に珍しくはない。

 捕らえた捕虜をいたぶるような傭兵も。


「情報交換だろ。まがりなりにもこっちは一個出した。で、あんたは? どういう事情で捕まった? まさかそのあたりの村娘を拉致って来るとは思えねーすけど。そもそもあんた、村娘って感じじゃねーし」

「そう? だったらどう見える?」

「美人に見える」

「……ふーん。あっそ」

「ついでに言えば『美人に見える』って言われ慣れてないふうにも見える。慣れてる女はこの程度の褒め言葉で目を逸らしたりしない。ってことは、どっかで接客とかしてるわけじゃないっぽい。服装と喋り方からして貴族関係でもない。さっきも言ったけど村娘っぽくもない」

「詮索好きの男は――」

「俺の豊富じゃない人生経験から言わせてもらえば、『ナントカな男は』って科白を吐く女は、そもそも大概の男を嫌ってるんじゃねーすかね」

「あっそ。豊富じゃない経験から導き出された有り難い助言に感謝するわ」

「そりゃどーも」


 言って、いいかげんに肩を竦めておく。

 それから少しの沈黙があり、車内の空気が淀む寸前に、女は口を開いた。


「……アディ、って呼ばれてるわ。それがあたしの名前」


 それはガルトの知りたい情報では全くなかった。

 が、欲しい回答を引き出せそうな気配もなく、引き出せたところで逃げ出せそうな気もしない。丁々発止とやり合ったところで、得られるものは徒労だけだ。


「ガルト。それが俺の名前。短い付き合いにならなきゃいいすね」

「……なにそれ、口説いてるわけ?」

「違う。人質が複数人いるってことの意味を考えただけ」

「嫌なこと考えるわね」


 一人しかいない人質であれば、丁重に扱わざるを得ない。

 人質が人質として機能するのは、人質を取られた側がそいつの命を惜しがるからだ。死んだ人質に価値はない。

 ナントカをしなければ殺すぞ、と脅しはするものの、人質を取った側は実際問題として人質を殺せないのだ。人質が一人だけの場合は。

 二人以上であれば、殺せる。

 というより、見せしめに拷問した結果死んでしまっても取り返しがつくのだ。もう一人が残っていれば。だから一人に対しては無茶ができる。


 確かに――アディの言う通り、嫌な考えだ。

 けれど嫌だから考えないというわけにもいかない。


 機を窺って逃げる必要がある。

 なのにその機が欠片も見えない。


 そもそも、ゼルギウスの目的はなんだ? なんだってゼルギウスはヴァルト傭兵団を壊滅させなければならなかったのか。規模が収縮していることを確認したのなら放っておけばいいはずだ。放っておかなかったということは、放置していると邪魔になる可能性があったということになる。だとすれば、一体なんの邪魔になると判断したのか。


 判らない。

 判らないことだらけだ。


 なにも判らないまま死ぬのは嫌だな――そう思って、そんな自分にガルトは笑いそうになった。堪えるのが少し大変なくらいだった。

 つい何日か前は、死に方が選べないから死に様だけを覚悟したのに。


 今は――こんなにも生き汚い。

 そういう自分は、嫌じゃなかった。





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