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第2回 聖徳太子(1)

聖徳太子といえば、旧1万円札の肖像になった人物として有名だが、一方で、クイズ番組でどんな珍解答連発のおバカタレントでも、なぜか聖徳太子だけは知っているという。


じゃあ、読み方わかる?と聞かれると『せいとくたこ』とか解答するのは、やっぱりこの人はおバカタレントだと思ったりする。


正しくは『しょうとくたいし』と読むのが合っている。


実は聖徳太子というのは、他の多くの歴史上の人物たちが(いくさ)で名を上げたのに対し、(いくさ)嫌いだったことで知られる。


戦が嫌いであるにも関わらず、戦の絶えない時代を知略を持って切り抜けてきたのが、聖徳太子という人物だ。


聖徳太子に関する話は、虚実(きょじつ)が入りまじっているところがあるという。


つまり、半分くらいは事実だが、あとの半分くらいは、あとからつけられた虚構だということ。


幼名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。馬小屋で生まれたから、そう名付けられたのだという。


用明天皇(ようめいてんのう)の第二皇子として生まれ、事と次第によっては皇位継承権もあったにも関わらず、

蘇我馬子(そがのうまこ)に疎んじられ、まもなく父宮(ちちみや)であった用明天皇(ようめいてんのう)が病に倒れ、2年余りで崩御(ほうぎょ)ということになってしまう。


その頃、蘇我馬子(そがのうまこ)物部守屋(もののべのもりや)の2大豪族が対立していた。太子は幼少の時からその実態を目の当たりにする。


「我ら蘇我は、仏教を国中に広めていく!

仏教を国中に広めて、この国をもっと良くしていくぞ!

この国を海の向こうの国に負けないような、強い国、豊かな国にしていくために!」


「我ら物部は、仏教を国中に広めるなど反対じゃ!

古来よりアマテラスオオミカミをはじめとする、日本の八百万の神がおるというのに、海の向こうの、仏教などが入り込めば、災いのもととなる!」


ちなみに蘇我馬子は、聖徳太子の大伯父(おおおじ)であるという。


ということは、蘇我氏は豪族とはいっても、天皇家の分家のようなものか。


馬子の父の蘇我稲目(そがのいなめ)の時代から権勢を拡大し、馬子の時代に最盛期を迎える。


この時代はとにかく家族構成が複雑であり、説明が長くなるし、うまく説明して伝えられるかもわからないが、いとこ同士でも結婚したりすることもあった。


だから、主要な人物たちはほとんど親戚同士のような関係だった。


太子の父である用明天皇亡き後、物部守屋(もののべのもりや)が擁立したのは、穴穂部皇子(あなほべのみこ)といって、

この人物は、用明天皇の妻であり太子の生母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の、弟にあたる人物ということ。


ところが、その穴穂部皇子(あなほべのみこ)を、馬子の手の者たちが暗殺し、

それをきっかけにして蘇我と物部の戦となり、太子もまた、その戦に駆り出されることになった。

「この戦は天下分け目の戦ですぞ、太子。

もしも物部が勝てば、仏教がこの国から排除されてしまいますぞ。」


しかし蘇我馬子にしても、仏教を利用して天下を我が物にしようとしていることに変わりない。


結局はどちらが勝っても、勝った方が実権を握って、自分たちの思いのままにするだけではないか。


もしも物部が勝てば、仏教がこの国から排除されてしまいますぞ。」


しかし蘇我馬子にしても、仏教を利用して天下を我が物にしようとしていることに変わりない。


結局はどちらが勝っても、勝った方が実権を握って、自分たちの思いのままにするだけではないか。


どちらを取るか、これは究極の選択ともいえたが、自らとしても仏教を守りたいと考えていた太子はひとまず、大伯父(おおおじ)でもある蘇我馬子に協力することにした。


太子は乗り気ではなかったが、馬子らに半ば強引に説得され、戦場へと向かう。


そこで、戦場の実態を目の当たりにし、これは地獄だ、戦場とは地獄だと感じ、その惨状を心に刻んだことが、後の政策にも生かされる。


今から約1400年以上昔に、いわば非暴力、不服従を訴えたのが聖徳太子であった。


その時、太子が四天王像の冠をかぶって馬で駆け抜け、物部軍の気をひいている隙に、

陣地の前方に出てきた物部守屋(もののべのもりや)を弓矢で射抜いて、その結果蘇我軍の大逆転勝利になった、

という話があるが、勝ち負けをつけるためではなくて、この戦を終わらせるためだったという説もある。


物部守屋(もののべのもりや)馬子の息のかかった飾りものの天皇として、崇峻(すじゅん)天皇が擁立されるが、やはり名前だけの飾り物の天皇で、崇峻(すじゅん)天皇としては、そのような立場に不満を募らせていた。


その崇峻(すじゅん)天皇は蘇我馬子(そがのうまこ)の暗殺を企てて、蘇我氏を排除して自分が実権を取ろうとしたが、崇峻(すじゅん)天皇にしても、とにかく自分が優位に立ちたいという思いであり、具体的に何か政策を行うということではなかったようだ。


崇峻(すじゅん)天皇は、あまり優れた人物ではなかったらしい。むしろ、あまり優れていなかったからこそ、飾り物にするのには都合がよかったのかもしれない。


そして結局、崇峻(すじゅん)天皇の馬子暗殺計画は、事前に馬子に知れることとなり、逆に崇峻(すじゅん)天皇は暗殺されてしまう。


実は天皇家は125代、128人、実際には何人かは何代目の中に数えられていないということもあり、『代』の数と人数とが異なるのだが、その話はまた後ほどするとして、そうした中で崇峻(すじゅん)天皇は、歴代の天皇の中で唯一、このような形で暗殺された天皇という。


そして実行犯として、崇峻(すじゅん)天皇を暗殺した刺客たちもまた、用済みとなったら斬り捨てられたという。


「利用したい時は利用して、用済みになったら始末する…。」


このようなことが平然と行われるような世の状況を見て、このままではいけない、何とかしなければ、と思っていたのが太子だった。


用明天皇の実子というだけで、まだ若く何の肩書きも得ていない太子は、なすすべもなく、ただその様子を見ているだけしかできなかった。


これが、聖徳太子が摂政を目指すことになるきっかけだった。


「なんとかしなければ、何もしないままではずっとこのままだ。」



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