クライマックスフェイズ
逃げ出した昴の後を追い、ジバシ・八部江・ナツキの三人は廃棄されたUGNの研究所――かつて、永見昴が命を落としたその場所へとやってきた。
FHからの襲撃の後に廃棄されたその施設は未だ瓦礫が転がっており、いつ崩れてもおかしくないような危険な建物で普段は誰も寄りつかない。
三人は躊躇いなくその建物へと足を踏み入れた。通路が入り組みところどころ崩れたその建物の中には、黒く変色した血の跡があちこちに残っている。どこかどんよりと空気がよどんでいるように感じた。
そうして薄暗い建物内を進んでいると、ある通路の先、少し開けた場所に人影を見つけた。三人が恐る恐る近づくとその姿がはっきりと見え始める。
それは、こちらに背を向けた永見昴だった。
彼女はその場に残った血痕をじっと見つめている。ジバシは気がつく。ここは半年前に永見昴が命を落とした、その場所だ。
三人分の足音に、彼女もジバシ達がやってきたことに気がついたらしい。昴はジバシ達を振り返ることなく、静かな声で語り出す。
「ここで、本物の永見昴は死んだ。あたしは永見昴じゃない。永見孝三が作り出した、レネゲイドビーイング」
その声は、あの快活で明るい昴のものとは思えないほど淡々としていて。
「……あたしは、人間になりたかった。そんなあたしに、孝三は自分の記憶を提供してくれた。そして、永見昴としての人生も。……もしかしたらそれは彼のエゴだったのかもしれない。それでも、あたしは嬉しかったんだ」
昴は完全に、自分についての記憶を取り戻しているようだ。自分は人間ではない。人間になれなかったのだと。
淡々とした声が弱くなり、今にも泣き出してしまいそうに微かに震える。
「……でも、もう劇はお仕舞い。あたしは所詮、人間になりきれなかったバケモノ。この世界に、あたしの居場所なんてないんだ……」
自嘲するような、諦めるような、それでいて誰かに助けてほしそうな。
そんな昴に、ジバシは静かに息を吸って――
「――お前はお前、だろ?」
自らの思いを、たった一言に集約して伝えた。
ジバシの言葉に驚いたのか、今まで頑なに背を向け続けていた昴がようやく振りかえった。ジバシの言葉に呆気にとられたような表情をしている。そして小さく唇を震わせた。
「……あたしは、この世界に居ても……いいのかな?」
「あぁ。勿論だ」
「でもっ! あたしは永見孝三から“永見昴”としての性質を与えられただけの、偽物! 人間じゃない、レネゲイドビーイングっていう怪物なんだよっ!? それでも、いいの?」
「……何度も同じことを言わせるな。お前はお前だ」
偽物だと、怪物なのだと言って自分を拒む必要などどこにもないのだ、と。
数度の瞬きの後、昴の瞳から静かに涙が零れた。手を胸の前でゆっくり握り、ジバシの言葉を受け止める。そして昴は泣きながら、しかし心の底から嬉しそうに笑った。
「……ありがとう、ジバシ。あたし、あなたに会いにきて本当に良かったっ!」
感極まった昴が弾かれたようにジバシの元へ駆け寄る。
だがそのとき。衝撃音と共に突如として天井が破壊された。そして崩落する瓦礫の中、一人の男が現れる。
「おおっと、どうやらもう役者は揃っているようだな」
側に深紅の狼を二頭従えて現れたのは、“バンダースナッチ”千木良明仁。
ジバシは咄嗟に昴を、自分の背に庇った。八部江とナツキも乱入者に対して身構える。
「さぁて、そのバケモノを誰が手に入れるか、そろそろ決着をつけようぜ!」
「来たな、バンダースナッチ!」
昴のことをバケモノだと言って憚らないバンダースナッチを、ジバシは鋭く睨みつけた。
バンダースナッチは小さく鼻を鳴らすと何かを確かめるように周囲を見渡し、合点したのか口の端を吊り上げる。
「おいおいおい、懐かしいじゃねえか。半年前の、運命の場所ってやつだ。決着をつける場としては随分と洒落てるな。テメェらをちょっとばかし、見直したぜ?」
「随分と余裕そうじゃないか……」
背には昴を庇い、相対するは昴の仇である“バンダースナッチ”。かつてないほどジバシは戦意に溢れていた。戦闘態勢を取ったのはジバシだけではない。八部江はレネゲイドを使い、威嚇するよう重力を歪め空間を軋ませていく。ナツキの周囲で炎が螺旋を描く。
「さっさと降板してもらおうか」
「さぁ、物語の幕引きだ……! お前の命を頂くぜ……!」
ジバシも日本刀を抜き、その切っ先をバンダースナッチへ向けた。怒りに震える心とは対照的に、切っ先はぶれることなく真っ直ぐに突きつけられている。崩壊した天井から差し込む日の光を、日本刀の刃が妖しく反射させた。
一方挑発されたバンダースナッチはピクリと眉を動かした。
「……言ってくれるじゃねぇか。確かにお前達は結構手こずらせてくれたが、それもここで仕舞いだ」
主の怒りを反映するように、側の狼二頭がグルグルと喉を鳴らして威嚇する。互いの間の空気がピリピリと張りつめてゆく。
バンダースナッチはジバシの背に庇われる昴を一瞥すると嘲笑を浮かべた。
「……まったく、そいつは俺たち以上のバケモノだっていうのに、そんなのを守るために命をかけようだなんて。とんでもないお人好しだなぁ?」
「だろ? お前には出来ないことさ」
その挑発にどこか誇らしげに答えたのは八部江だった。
彼にとって、誰かを守るというのはある種の信条だ。
その揺るがない態度がバンダースナッチの癪に障った。苛立たしげに声を荒げ、
「言うじゃねえか……! 気にくわねえなぁ! 自分たちもとっくにバケモノになっているくせに、一端の人間のフリをしやがって!」
そう吐き捨てた。一度深く息を吸ったバンダースナッチは怒りと共に嗜虐的な笑みを浮かべる。弱者をいたぶることを快感とする歪んだ欲望を糧とし、バンダースナッチのレネゲイドはその力を徐々に高めていく。
「……永見孝三も強情な奴だったが、所詮は人間。簡単に壊れて、俺のことを全然楽しませてはくれなかった。だが、お前等みたいなオーヴァードなら頑丈だからな、良い玩具になりそうだ」
「いつから俺たちがお前の玩具になったんだ?」
「その女を手に入れる前の余興としていたぶってやる」
手をかざして、バンダースナッチは自分のレネゲイドを行使する。ワーディングエフェクトが発生して荒れ狂う暴風のようにバンダースナッチのレネゲイドが周囲に伝染する。
「良い声で鳴けよ? さぁ行け、俺の従者よ!」
バンダースナッチはレネゲイドを活性化させて側の従者を強化した。狼が咆哮し、ビリビリと空気が震える。
同時に解放されたレネゲイドがジバシ達三人に襲いかかった。激しい怒りと剥き出しの闘争本能が叩きつけられ、呼応するように三人のレネゲイドも活性化する。
血液が沸騰し理性が蝕まれていく。意識が攪拌されて、黒い衝動が鎌首をもたげる。
ナツキは歯を食いしばり、レネゲイドをコントロールして自分の奥底からわき上がる衝動を抑え込んだ。ジバシもまたバンダースナッチに対する復讐心を理性の力で押さえ込む。ここで理性を失い衝動のままに動くわけにはいかない。今、自分が誰を背に庇っているのかを強く意識し、彼女を守るために再度刀を握りなおした。
だがバンダースナッチもまた凶悪なオーヴァードであり、彼の作り出す強力なワーディングに戦闘経験が比較的少ない八部江は耐えきれなかった。体内のレネゲイドが暴走を始め、八部江が苦しげにうめく。レネゲイドが八部江の制御を失ってエフェクトを発生させ、床や壁が異常な重力に耐えられず砕けた。
衝動に呑まれそうになり破壊をまき散らす八部江をどうにかしようとジバシとナツキの二人が八部江に近寄ろうとするが、そんな隙をバンダースナッチが見逃すはずがない。主からの命令を受けた二頭の狼は唸り、跳躍して三人へと襲いかかった。
ナツキが応戦のためにレネゲイドを使用し、彼の周囲に炎が展開する。八部江もまた暴走の中、バロールの邪眼を生み出して襲い来る従者達に攻勢の構えを見せた。
跳躍した従者たちは八部江とナツキの二人に狙いを定めた。散発的にねじ曲げられる空間も牽制に放たれた炎も器用に避け、二頭の従者はそれぞれに向けて爪を振るう。強烈な膂力が、そのままに二人へと叩きつけられる。
その場から動けなかった八部江は回避も防御も出来ずに吹き飛ばされ、ナツキも攻撃を避けられずに切り裂かれた。
活性化したレネゲイドがすぐさま八部江の傷を修復してゆくが、あまりに強烈な衝撃に八部江の意識が断絶しそうになる。爪で裂かれたナツキの全身から血が流れ、回復のために活性化したレネゲイドがぎりぎりでせめぎ合うナツキの理性を食い尽くそうと暴れる。
だが途切れそうな意識の中、八部江の視界に昴の姿が映った。その瞬間、八部江は自分が守るべき誰かがいるという事実を強烈に認識する。自らの理性を食い尽くそうと暴れるレネゲイドを、ナツキは部下を思う強い気持ちで押さえ込む。
片膝をつきながらも、目は正面を見据える。守るべき誰かが居るのに、自分が倒れるわけにはいかないのだ。
「俺は、まだやれるっ……!」
「俺は仲間のためにも……ここで倒れるわけにはいかない!」
歯を食いしばり、二人は自分のレネゲイドをコントロールする。
その様子を見てバンダースナッチ本人が追撃に動いた。今までは後ろから従者を操るだけだった彼は懐から大型の拳銃を取り出す。そして引き金を引いた。
拳銃から放たれたとは思えないほど無数の弾丸が乱射される。赤黒いその弾丸はバンダースナッチの血液で構成されており、床に壁にと縦横無尽に跳弾を繰り返しながら三人へと襲いかかった。
弾丸一つ一つがバンダースナッチの制御下にあり、全方位から襲いかかるという凶悪な攻撃だ。回避は困難を極める。恐ろしいほど正確な制御能力を活かした、バンダースナッチ必殺の一撃だ。
三人はその弾丸の嵐にさらされ――
「うおぉぉぉぉ、させるかー!」
――その直前に動いたのは八部江だった。
暴走したレネゲイドの制御を間一髪で取りもどし、全方位から襲い来る弾丸に対して隆起させた地面を盾として迎撃していく。
「八部江――!」
バンダースナッチが死角を突き、八部江が次々に対応して防御する。そうして嵐のような弾丸を八部江は防ぎきった。弾丸を浴びてボロボロになったコンクリート壁が崩れるが、内側の四人には数発の弾丸が掠めただけでダメージはほとんどない。
バンダースナッチが忌々しげに顔をしかめた。
八部江は暴走したレネゲイドの制御を取り戻し、そのまま反撃に移る。
彼の周囲に浮かぶバロールの邪眼が妖しく光り、重力に歪みが生じる。その歪みはバンダースナッチ本人を狙っていた。
そしてエフェクトが発動する。歪みは空間をねじ曲げバンダースナッチの片腕を巻き込んだ。骨が無残に折れ曲がり、血が噴き出す。
バンダースナッチの表情が苦痛に歪む。
だが次の瞬間、バンダースナッチの腕からあふれ出た血液が針状に変化し、八部江目がけてカウンターとして撃ち出される。
「嘘だろ!?」
さらなる反撃に八部江は反応出来ず、血液の針に胴体を貫かれた。八部江の口から血が吐き出される。
傷口はすぐに回復し始めたが失った体力は多く、八部江は肩で息をしている。
続いてジバシが攻勢に出た。活性化したジバシのレネゲイドが彼の動きを極限まで加速させる。
地面を蹴りつけ、一番近くにいた従者の懐へと飛び込んだ。そのまま目にも止まらぬ速さで刀を振るい、巨大な狼の股下を通り抜けながらすれ違いざまに首を、胴を、脚をと滅多切りにする。
ジバシの背後で鮮血が舞った。狼の傷口から血がこぼれ落ち、そしてすぐに修復と再構成が始まる。
しかしジバシの攻撃はまだ終わらない。地面を砕くほど力強く蹴りつけて反転し、再び斬撃を放つ。従者の体が再生されるよりも速く攻撃を重ねる。
まさに疾風怒濤。ジバシの猛攻に耐えきれず、狼はその体を崩して血溜まりとなった。
従者を一頭失ったバンダースナッチはすぐさま従者を補充しようと動きを見せる。
しかしバンダースナッチよりも先にナツキが動いた。
ナツキは八部江や昴よりも一歩、前に出る。さらにナツキの動きに気がついたジバシも下がり、ナツキよりも後ろに戻った。
これでナツキの眼前には敵しか存在しない。
ナツキの周囲を渦巻く炎は信じられないほどの熱を持っており、赤を通り越して白く光っている。例えナツキと同じサラマンダーシンドロームであったとしても、これほどの熱量を生み出すことが出来るオーヴァードはそうそう居ないだろう。その莫大なエネルギーがナツキに制御され、極限まで圧縮される。
バンダースナッチが危険を察知し、焦ったように残る従者をナツキへ襲いかからせるがもう遅い。
莫大なエネルギーは純粋な破壊力へと転換され、必殺の一撃となって解き放たれる!
「――極大消滅波ァ!」
次の瞬間、辺りを轟音と閃光が包んだ。圧縮された熱量が炸裂する。
ナツキへと襲いかかろうとしていた従者は爆発的なエネルギーの波に飲み込まれ、跡形もなく消滅する。
さらには衝撃波が地面をめくりあげながら広がり、離れたバンダースナッチを吹き飛ばした。そのまま無防備に宙を舞い、瓦礫の山へと叩きつけられる。
バンダースナッチはよろめきながらもどうにか立ち上がろうとする。全身を熱風で焼かれ、それでもなお動けるのは彼の強力なレネゲイドのおかげだ。
そこへナツキは追撃をする。
右手には炎を、左手には氷を。それぞれが槍に形取られる。
バンダースナッチの従者を消し飛ばした威力を持つ、二槍での連続攻撃だ。
それが今、ナツキの両手から放たれた。
先に放たれた氷の槍がバンダースナッチの腹を貫く。そして――
「――さようなら、俺の視界に入ったのが間違いだったな」
着弾した炎の槍が氷の槍を昇華させ爆発。二度目の爆発に古びた研究所の建物は耐えきれず、崩壊した瓦礫がバンダースナッチへと降り注ぎ、飲み込んだ。
爆風で土埃が舞いあがる。
そしてその土埃が晴れると、そこには瓦礫に埋もれ動かなくなったバンダースナッチの姿があった――。
支部長が本気出しすぎた。
次回はエンディングです。




