7.エスト
「着きました。ここが東の都の神殿です。」
目の前にあるのは小屋だった。…しかも、結構ボロい。
「これが神殿なんですか? もっと立派な建物かと思ってました。
カエデは容赦の無い正直な感想を言っていた。
「住めば都って言いますし、私は独り身なのでこれで十分なんですよ。」
小屋から苦笑しながら老人が出てきた。こいつがこの都の神なのか?
「ああ、あなたが魔王さんですか。初めまして、私はここ東の都の神です。エストと呼ばれています。むさくるしいところですが、どうぞあがってください。…そちらのお嬢さんは?」
カエデより先にカイトが答えた。
「彼女は魔王さんのお弟子さんです。カエデさんとおっしゃるお嬢さんです。」
「魔王さんのお弟子さんですか、それはおみそれしました。私はこの都の神エストです。初めまして、カエデさん。」
カエデはすっかり恐縮している。
「立ち話もなんですから、ぜひ上がってください。カイトも馬を裏手につないだら、あがってきなさい。」
「わかりました。では、魔王さん、カエデさん、お先にあがっていてください。」
そう言うとカイトは馬をつなぎに出て行った。
「さあさあ、どうぞ。」
…神様ってこんなに気さくなの? ヤヒロの両親を殺した魔族を退治したのって、この神さまなんだよね? 違うの?
「ああ、それは私ですよ。」
俺様の考えを読んだかのように、エストが答えた。当然ながらカエデは訳がわからずきょとんとしている。
「正確には退治したわけではありませんよ。カイトが話をしたようですが、私は彼女を固定したのです。それでも大変でしたけどね。彼女の力はなかなか強かった。北の都を破壊した彼に至っては、強大な力を持っていました。なにせ都をたった一人で廃墟にしたのですから。その力をうまく使うことができたのなら、きっと頼も…」
言いかけて言葉を変えた。
「きっと強大な魔族になっていたでしょう。…伝説の魔族ほどではないにしろね。」
「あんたの力はどれくらいなんだ?」
「私ですか? 現時点では4番目ですね。」
「現時点?」
「そうですよ。だって私より力の強い神がいつ現れるのか、わかりませんから。今のところ予言は無いみたいですけどね。」
エストはイタズラっぽく笑いながら言った。
「力比べをしてみますか? 魔王さんはやったことが無いらしいですね。」
「…うん。俺の周りには魔族も神族もいなかったから比べようもなかった。。力比べってどうすればいいんだ?」
「一番簡単な方法は、同じ力をぶつけ合うことです。…ああカイト、すまないがあの水晶玉を持ってきてくれないか。」
ちょうど部屋に入ってきたカイトに、東の神が話しかけた。
「わかりました。少しお待ちを。」
カイトは入ってきたのとは違う扉から出て行った。
「カイトは王宮直属なので本来は中央の都セントアにいるんですが、なんやかんや言ってはここに来ているんですよ。今では東の都の住人同然です。理由はご存知ですよね。」
「ああ、知っている。…直接会った。」
「カイトは西の都で由緒ある武芸の家に生まれました。家を継いだ兄に勝るとも劣らない実力があったそうです。彼は修行の旅に出て、あちこちの道場で名を上げたそうです。この都にも名のある道場がありそこで修行するために来たそうなのですが、あの宿屋ベストルに泊まっている内にすっかりあの女将に惚れこんでしまい、結局武者修行は止めてあの家の婿に入ったそうです。」
カエデが興味津々で聞いている。
「今のナルセ王が王子だった頃に、この都に来られました。何日か過ぎた後、狩に出掛けることになりカイトが案内役として加わって山に入ったのです。いつもなら、ウサギや鹿などもいる良い猟場なのですが、その日は不思議と現れなかったそうです。案内していたカイトは引き返すことを進言しました。『今日の山はおかしい。この先に何があるかわかりませんので引き返しましょう』と。ナルセ王子は迷っていましたが、御付の者がせっかく来たのだから、手ぶらでは帰れませんと言って、もう少し進むことにしたのです。」
「よくある話だな。せっかくの忠告を聞き入れずに進み、…そして惨劇に遭う。」
「その通りです。が、惨劇には至りませんでした。まだ進むと聞き、カイトは予備の剣を借りたそうです。それまでは手ぶらでしたから。そしてそれまでいた先頭から、少し後ろの位置に戻りました。」
少し間を置いてエストが話を続ける。
「いきなりだったそうです。先頭の左側を進んでいた衛兵が右側に吹き飛ばされました。そこに現れたのは巨大な熊だったのです。威嚇するように立ち上がると、人間の倍くらいの大きさだったそうです。そして、驚いて動けないでいた右側の衛兵に前脚で襲い掛かりました。」
その大きさの熊に、魔力を持たない普通の人間が対抗できる術は無い。
「多くは次に起こる惨劇に身をすくめたままでした。…しかし、振り下ろされた熊の前脚は弾き飛ばされ、熊は横に倒れたのです。」
「どうやって? 魔力が無ければそんなことはできない。」
俺は思わず聞いていた。
「そうです。私やあなたならできるでしょう。でも、その時の一行に神も魔族もいませんでした。やったのはカイトです。尋常ならざる動きで間合いに入り、剣で熊の前脚を受け流したのです。」
「受け流した? その状況で?」
「そうです。熊を傷つけないように、剣は鞘に入ったままでした。」
「な、なんで?」
「カイトは衛兵を後ろに追いやり、そのまま熊と正対しました。熊が立ち上がり、こちらに向かうそぶりを見せると、ようやく剣を鞘から出し静かに熊に向けたそうです。…気合を入れるでも、勢い立つでもなく、とてもとても静かに。見ているとまるで吸い込まれるかのようだったそうです。」
「ど、どうなったんですか?」
カエデがたまらず聞いた。
「…何も起きませんでした。熊は威嚇を止めて、現れたところから戻って行きました。そこには2頭の小熊がいて、1頭はケガをしているようでした。母熊が小熊を守ろうとしていたのです。熊たちはゆっくりと去っていきました。山の静けさの原因はこれだったのです。」
「熊はどうして逃げたんですか?」
「カエデさん、熊はカイトに敵意が無いことがわかったのです。そして圧倒的にカイトの方が強いということもね。だから、去ったのです。」
「…すごい。」
「幸いにも最初に吹き飛ばされた衛兵も、軽装ながら鎧を着ていたので軽傷ですみました。もっとも、それからしばらくはどんなに街中でも茂みに近づけなくなったそうです。相当怖かったんでしょうね。」
そんなの、俺でも怖くなるわ。
「カイトは一行にこう説明したそうです。この時期に熊が飢えていることはないので、人間を襲うことはないし、そもそも先に気が付いて去っていくだろうと。それなのにわざわざ出てきて、こちらが敵意も示していないのに威嚇もしたので、おかしい、きっと人間を近づけたくないのだろうと。むやみに傷つけると、後々人間を襲うようになるかもしれない。それで力量を示したうえで、敵意が無いことをわからせたのだと。」
あいつ、そんなに凄いのか。
「王子はすっかりカイトに惚れ込み、側近くで仕えるように何度も頼んだのですが断られ続けました。最終的には、カイトの技量を次の世代に伝えて欲しいとのことで、なんとか仕えてもらったそうです。…おかげでカイトは離縁されてしまいましたが。」
「エスト様、水晶玉をお持ちしました。私も力比べを見るのは久しぶりです。」
カイトはさっき出て行った時と同じように戻ってきたが、カイトを見る俺とカエデの見方はまるっきり変わっていた。
「カイトさん、すごい人だったんですね。」
カエデもすっかり態度が変わっていた。
「え? そ、そうですか? ああ、エスト様に話を聞いたのですね。別に大したことではありませんよ、修行をつめば誰にでもできるようになります。今私が稽古をつけている連中もだいぶ上手くなりましたよ。もう少しすれば独り立ちできるでしょう。そうすれば私もお役御免になるので、家に帰れます。楽しみですよ。」
まったく普通のおじさんに見える。どう頑張ってもさっきのすごい剣士の話とカイトが結びつかない。
「では、力比べを始めましょうか。」
エストが水晶玉を確認しながら言った。
「傷があるとそこから砕けてしまうので、よく見ておかないと危ないんですよ。」
「で、どうするんだ?」
「このテーブルの中央に水晶玉を置きます。これをお互いに自分の方に引っ張るのです。」
「自分の方に引っ張るの? こういうのって、相手の方に押すんじゃないの?」
「それでも力比べはできますが、それでは怪我人が出ます。」
「どうして?」
「力の強い方が最終的には相手に玉を押すことになります。力の弱い方はそれを防ぐ強さは当然持っていないので、自分に向かってくる玉を止められません。力の強い方も、急には止められません。…で、結局弱い方に玉が当たるので、怪我人がでます。だから、力比べは自分の方に引っ張るのです。力の強い方は、自分に向かってくる玉を止められますから。」
「なるほどね。じゃあ始めようか。」
「お手柔らかにお願いします。」
「あの、私も見てていいですか?」
「もちろんですよ、カエデさん。カイトも見物しますから、ご一緒にどうぞ。では、準備しますので、ちょっと下がってください。」
エストはカエデとカイトを部屋に端に行かせると、静かに目を閉じた。そして頭の上に鋭く光る環が見えた瞬間、俺とエストを囲んで何かができた。
「何、これ?」
「カエデさんやカイトに、万一にも水晶玉がぶつかって怪我をしないように水晶よりも硬くて透明な素材で私たちを囲んだのです。これなら水晶玉の方が砕けますから。」
「なるほどな。 魔力で…違うか、神族だから霊力で作ったのか?」
「そうです。これは金剛石です。この世界に自然に存在するもので、最も硬いものなので安全ですよ。」
「そうか? 光石の方がいいんじゃないのか?」
「…魔王さんは、光石のことを知っているのですか?」
「うん。家にあった本に書いてあったぞ。金剛石は自然に存在するもののなかで最も硬いが、力で作ることができる光石はさらに硬くて、割れにくい最も良い素材だって。」
「…家にあった本ですか。それが問題になっているんですけどね。」
「問題?」
「魔王さんの家にあった本は全て回収され、調べられました。結果は、超一流の魔力と霊力の蔵書でした。…あれほどのコレクションは滅多にありません。」
「俺様があの家に初めて行ったときに、もうあったぞ?」
「えっ? あの家にずっと住んでいたんじゃないんですか?」
「違う。俺様が生まれた家はもっと村の中心近くにあったんだ。あの家は、誰も住んでいないままずっと放置されていたやつだ。俺様の家族が死に絶えたあと、自分の生家に住み続けるのが嫌になったんだ。あそこに住んでいると、いろいろ思い出してしまうからな。だから空家だったあの家に引っ越したんだ。」
「元々は誰の家だったんですか?」
「元々も何も、誰かの家だったって記録は無かった。村外れにポツンと建ってて、周りも耕作に適していないところだから誰も欲しがらなかったんだ。誰がそんなところに家なんか建てたんだろうな? そういえば変だな。」
「…師匠? 今まで何も気にしていなかったんですか?」
「もちろんだとも、カエデ。俺様が細かいことを気にするような器の小さな男だとでも思っているのか?」
「そういうことじゃないと思いますが。」
「まあ、いいじゃないか。誰にも迷惑を掛けない空家があったから、俺様が借りてやっているんだ。ずいぶんキレイにしたし、大事に使っているぞ。それにもし正当な持ち主が返せと言ってきたら、いつでも返してやるぞ。もちろん、元通りの古ぼけた状態にしてから返すがな。」
「えーと、少しよろしいですか?」
遠慮がちにエストが聞いてきた。
「なんです?」
「魔王さんが入ったその空家に、あの本は最初からあったのですか?」
「あったよ。そういえば、空家の割には他の調度も整っていたな。」
「…師匠。」
「何だよ、カエデ。お前、師匠に対して敬意が無くなっているぞ。さっきも言ったじゃないか。俺様は細かいことは気にしないんだって。」
「いくらなんでも、気にしなさすぎるんじゃ。」
「いーんだよ、これで。俺様が細かくなったら大変だよ、多分だけど。」
「はい、はい、師匠。もういいです。」
「もういいってなんだよ。もう少し敬意ってもんをだな。」
「すみませんが、もう少しいいですか?」
エストが今度は少し呆れながら聞いてきた。
「はい、なんでしょう。」
「あの蔵書は最初からあって、魔王さんが集めたものは1冊もないのですね。」
「無いよ。だって俺はあの村から出たことないんだよ。そもそも他にどんな本があるのかさえ知らないんだから、集めようがないでしょ。」
「魔力があるので、手段が無い訳ではありませんがね。」
「あの本がそんなに問題なのか? 確かにヤヒロもそんなこと言ってたけど。」
エストはため息をつきながら首を振った。
「知らないということは本当に恐ろしいですね。魔王さんの家から没収された本は、全て超1級の資料でした。中には初めて見つかった本もありました。…そして、全ての本は実際に発行された年代を問わず、『初版』だったのです。」
「『初版』だとすごいのか?」
「…すごいことだと思います。『初版』はその本が最初に売り出された時のもので、人気があればまた印刷されます。その時は初版ではなく2版と記載されます。全ての本が『初版』ということは、それらの本を最初の段階で手に入れているということなのです。中には初版以外存在しない書物もありますから。後から手に入れることも不可能ではありませんが、あれだけの蔵書は意図して最初から集めたものです。…魔王さんは全ての本を読まれましたか?」
「読んだ、というより全部覚えている。何せ暇だったからな。」
「あれを全て覚えているのですか?」
「うん。そりゃ何回も繰り返し読めば覚えちゃうでしょ?」
「…書いてあることを試してみましたか?」
「全部じゃないけど、結構やってみたよ。それで、魂寄せをやったらヤヒロに怒られてこんな目にあった。」
俺は頭の上の環を指差しながら言った。
「それは聞いています。魂寄せは禁じられていますし、それなりの力が必要ですから。…やはり、魔王さんはすごい人のようですね。力比べがますます楽しみになってきました。」
すごい人と言われて悪い気はもちろんしない。
「では始めましょう。」
「いいぞ。合図はどうする?」
「では、カエデさん。手の中のコインを少しだけ上に投げてください。それが落ちたときが始まりです。」
カエデはさっきまで手に無かったコインに驚きながら、指示通り上に投げた。
床に落ちたコインの音と同時に、…水晶玉が砕けた。破片は全て俺の方に向かっていた。
「…魔王さん?」
「はい。」
「水晶玉を引っ張るんですよ。壊しちゃダメじゃないですか。」
カイトに注意されたが、俺は確かに引っ張ったんだ。…でも、壊れちゃったけど。
「ゴメン。うまく力をかけられなかったみたいなんだ。…もう1回いいかな?」
エストは俺の話が聞こえなかったように、水晶玉の破片を眺めている。
「えーと神様、聞いてますか? 俺様がうまくできなかったんで、もう1回やってもらってもいいですか?」
エストは言葉も無くうなずいた。そしてさっきのものと寸分違わぬ水晶玉をテーブルに置いてカエデに言った。この水晶玉、何か少し違うような気もするが。
「さっきと同じ合図をしてください。」
カエデは同じようにコインを投げ、またしても水晶玉は粉々に砕けた。…さっきより破片は大きかったが。
「…魔王さん?」
「…師匠?」
え、俺? 俺のせいなの。…確かにうまくやった自信は全く無かった。水晶玉を動かすなんてやったこと無いし、そもそも自分の方に引っ張ることも滅多にやったこと無かった。何だって、やり始めは失敗するもんだろ。だから、俺様にだって失敗はある。
もう1回頼もうかと考えていたら、エストが言った。
「水晶玉は動かずに砕けてしまったので、力比べの結果は分かりません。ただ、魔王さんの力が強いことは分かりました。破片は全て魔王さんの方に向かっていますからね。少なくとも私と同等以上であることは間違いありません。」
「そ、そうなのか。俺様の魔力は結構強いってことなんだよな。」
「そうです。そうとうな魔力だと思います。」
「じゃあ、魔王って名乗ってても問題無いんだな。」
「もちろん大丈夫ですよ。」
俺様は少しホッとした。…もしも、「こいつ、弱っ(笑)」だったらどうしようかと思っていたからな。
「良かったですね、師匠。」
「…カエデ。お前今、俺様をバカにしただろう。」
「な、なに言ってるんですか。私は常に師匠のことを尊敬していますよ。」
眼が笑っているんだよ!
「もういい。俺様は悪い弟子をもった。」
カエデはもう隠さずに、クスクス笑っていた。
「ありがとうございました、魔王さん。大変興味深い力比べでした。あちらに食事を用意しましたので、一緒に食べましょう。カエデさんもどうぞ。」
俺たちは隣の部屋に用意されていた食卓に座った。
「うわー、すごいご馳走。見たこと無い食べ物ばっかりだけど、とってもいい匂い。すっごく美味しそう!」
カエデ、今の発言でさっきまでの無礼は許そう。もしお前がいなかったら、俺様が今のセリフを言っていたに違いない。
「なかなか美味しそうな料理ですな。」
この俺様の余裕も、カエデのおかげだ。
「ありがとうございます、お口に合うか不安ですがどうぞお召し上がりください。」
エストのセリフが終わる前に、俺とカエデはご馳走にかぶりついていた。エストとカイトの眼なんか気にしていられるかって。
「し、師匠。このお肉メチャうまです。」
「カエデ、これ食べたか? 今までこんなの食べたことないぞ!」
エストとカイトは俺たちの食べっぷりを見守っていた。俺様の食べるペースがようやく落ち着いてきたところで、エストが聞いてきた。
「魔王さんはこれからどこに行かれるんですか?」
「え、俺? …俺はヤヒロを探しているんだ。あいつを見つけて、この環を消してもらわなきゃならないんでね。」
「ヤヒロさんですか。彼女はあなたのことを報告するために、中央の都セントアに向かっています。」
「この街にはいないのか…。じゃあこれからセントアに行くよ。」
「そうですか。セントアまではここから240リーンくらいあります。歩いていくと12日くらいですね。」
「12日? 結構かかるな。」
「馬車をお貸ししましょうか?」
「いや、いいよ。セントアについてもまだ2ヶ月くらい大丈夫だしな。」
俺は少し太くなった環を指差しながら言った。
「旅っていうのも面白いもんだな。毎日違った景色やいろんな人間に会う。今までずっと村の中にいたんで、いろんなことが面白いんだ。カエデがいれば安心だし。」
つい言ってしまってから、気がついた。
「いや、カエデがいなくてももちろん大丈夫だぞ。」
遅かった。カエデはニコニコ笑っている。
「安心してください、師匠。世間知らずの師匠をお助けします。」
「…お願いします。」
コホンと咳払いをして、エストが言った。
「ご迷惑でなければ、カイトを同行させてもよろしいでしょうか。」
「え、…別にいいけど。何で?」
「えー、私も少々心配になりまして。魔王さんとカエデさんにご無事にセントアに着いていただきたいのです。」
「カイトさんがいてくれたら、絶対大丈夫ですからね。」
カエデが嬉しそうに言った。俺はそんなに頼りないのか。
「では、カイトを同行させます。準備させますので、どうぞこの部屋でゆっくりしていてください。」
俺とカエデはテーブルの上の料理に再び取り掛かった。
エストとカイトは静かに出て行った。
エストは力比べをした部屋にカイトを招きいれた。
「すまないが、セントアまで魔王さんたちと同行してくれ。」
「もちろん行きますが、それほど心配なのですか?」
「ああ、心配だ。…だが、カイトが今考えていることとはたぶん違う。」
「違う? では、どんなことを心配されているのですか?」
「魔王さんの魔力は私では計り知れないくらい強いものなんだよ。」
「先ほどの力比べですか? 魔王さんは壊してしまったのですから、違う力を使ったのでしょう。違う力では、力比べにはならないはずでは?」
エストは寒気がするかのように、両手で自分の体を抱きしめて言った。
「違うのだよ、カイト。2回目は水晶玉ではなく、壊れないように金剛石にしたのだ。」
「え? でも同じように砕けましたよ。」
「だから、魔王さんの魔力はとても強いことが分かったんだよ。そして、違う力を使った訳でも無く、間違いなく魔王さんは自分の方に引っ張ったんだ。…あまりに強大な力が急激に加わったので、玉が耐え切れずに砕けたんだ。金剛石すら砕くほどの力をね。私の力では推し量れないほどの力の持ち主だよ、魔王さんは。あれほどの力を持ちながら、それに気づいていないなんてな。」
「それほどの力なのですか。」
「そうだ。だから、心配しているのは魔王さんがそれと気がつかないで過剰な魔力を使ってしまうことなんだ。そうならないように、カイトが対処して欲しい。」
「…わかりました。でも、もしそうなっても環が止めるのではないのですか?」
「環も無限の力を持っている訳ではない。あの環はヤヒロさんが召喚したもの。彼女は私のもとで修行して力を積み、南の都の神ザウスのもとで封士となった。あの環はザウスの力で支えられています。もしも魔王さんの力がザウスの力を上回っているのなら、環は耐え切れずに壊れます。」
「そ、そんな話は聞いたことがありません。」
「私も実際にそんなことがあったとは、聞いたことがありません。私は今年で1542歳になりますがね。…ザウスの力は2番目の強さです。そう簡単には打ち破れないはずです。」
「ザウス様はどれほどの強さがあるのですか?」
「…私には測りかねるほどの強さです。なので、魔王さんとどちらが強いのかもわからないのです。少なくとも西の都の神ヴェス、3番目の強さですが、魔王さんの方が間違いなく強いです。」
「それほどの…。」
「どうしてあれほどの力を持ちながら、300年近く我々にも見つからず、静かに暮らしていたのか。魔王さんは強大な魔力につぶされることもなく、魅入られることもなく平然としています。なかなかできることではないのに。」
「そうですね。ある程度の力を持つ魔族は、ほとんど退治されてしまいますからね。…私は普通の人間で良かったです。」
「…カイトも普通の人間ではないがね。魔王さんはどこに住んでいたんだっけ。」
「トヅの村です。」
「トヅ? もし魔王さんが私よりも年上だったら、今頃大騒ぎになっていただろう。」
「どうしてですか?」
「トヅの村の近くで、大魔王が眠っているんだ。彼の眠りを妨げることが無いように、他の魔族の侵入を封じる強力な結界が張られている。ヴェスが作った結界だ。」
「大魔王? あの伝説のですか?」
「私も直接会ったことは無いが、セントアの神とヴェスは会っている。大魔王はもう眠りたいと彼らに頼み、彼ら2人が静かに眠れるように環境を整えたんだ。」
「え? 大魔王と神族は敵対しているのではないのですか?」
「敵対などしていないよ。大魔王は我々にとって大事な存在だ。今は眠りについているが、我々が必要とする時には、起きてもらわなければならない。」
「どういうことですか?」
「…すまないが、これ以上はカイトに話せないんだ。魔族の限られたものと、神族だけが知ることができることなんだ。」
「立ち入ったことを聞いてすみませんでした。」
「いいや、気にする必要は無い。誰だって興味を持つだろうからな。」
「…魔王さんは、大魔王ではないのですね。」
「若返りはできないので、年齢からいえば大魔王ではありえない。ただ、場所が場所だし、魔力は巨大だ。偶然の一致にしては重なり過ぎている。…正直わからないな。だからこそ、あの2人だけでセントアに行かせるわけにはいかない。危険すぎる。」
「わかりました。魔王さんの様子を見ながら同行することにします。もし何かあったらどうしましょう。」
「これを渡しておく。何かあればこれを壊せばいい。そうすれば私が気が付くので、その場所に瞬間移動できるから。」
そう言って、エストは小さな玉を3つカイトに渡した。
「とりあえず3つもあれば大丈夫だろう。気を付けて行ってくれ。」
カイトは懐の袋に玉を入れて頷いた。
「うー、もう食べれん。」
俺は椅子を並べて、そこに横になった。
「師匠、お行儀が悪いですよ。」
カエデはまだまだ食べられるようだ。
「お前の身体はどうなっているんだ? 絶対に俺様よりもたくさん食べているのに、まだ食べられるのか?」
「いやですね、師匠。私だってもうお腹いっぱいです。」
「じゃあなんでまだフォークを持っているんだ?」
「これですか? デザート用です。」
「なに?」
「よく言うじゃないですか、デザートは別腹だって。」
「知らん、俺はそんなことわざっぽい言い訳は聞いたことがないぞ。…で、今からデザート食べるのか?」
「もちろんです! こんなに美味しそうなケーキ見たことありません。しかも1個が小さくて、いろんな種類があって、全部食べなきゃ気が済まないじゃないですか。」
「ぜ、全部食べるの?」
「間違えました。全部じゃなくって、全種類です。」
「そんなの全部と同じだろ。1種類1個しかないじゃないか。…お前。」
俺様の話も聞かずに、カエデはもうケーキに取り掛かっていた。
「なんれす、ひひょう。」
「…もういい。俺は寝る。」
もぐもぐと聞こえてくるカエデの食べっぷりを子守唄にして、俺は眠っていった。
「師匠。」
うーん、お腹が苦しい。
「師匠、起きてください。」
「ん? あれ?」
「危ない!」
俺は椅子の上で寝ていたことをすっかり忘れていて、見事に床に落ちた。
「痛ててて。」
慌ててカエデが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、師匠?」
「痛いが大丈夫だ。どうした?」
カエデの目線を追うと、エストとカイトが立っていた。…あれ? 呆れられているかと思ったけど、全然そんな素振りはなかった。
「大丈夫ですか、魔王さん。」
カイトが助け起こしてくれながら言った。
「ありがとう、カイト。」
「よくお眠りでしたね。でもなんだかうなされてましたよ。」
「…美味しかったから、ちょっと食べすぎた。そういえばカエデは?」
カエデを見ると、特に苦しそうでもなく平然としていた。テーブルの上を見ると、ケーキどころか果物もみんな無くなっていた。…っていうか、テーブルの上の皿、全部空っぽじゃないか!
「えーっと、カエデさん?」
「何です、師匠?」
「あれからここに残っていたの全部食べたの?」
「え?」
「なにが、え? だ。デザート以外にも料理残っていたじゃないか。全部食ったのか?」
「だ、だって、残すともったいないじゃないですか。私そういうのできないんです。」
「そういう問題じゃない! お前の身体おかしいだろ。あんなに食べてなんで平然としているんだよ。」
「子供の頃から、大食いだって言われたことはあります。でも、たくさん食べるのは、たくさんある時だけですよ。出ている量を美味しくいただくだけです。」
「…わかった。これから注意して食事は用意する。」
「カエデさん、満足いただけましたか?」
エストが聞いた。
「大満足です! 特にデザートが最高でした。やっぱり美味しいお料理の後は、美味しいデザートでしめないと。」
「それは何よりです。セントアにはもっと美味しい料理もデザートもありますよ。」
「え! もっと美味しいんですか? 師匠、すぐに行きましょう!」
「…じゃあ、出発しようか。」
「では、これからよろしくお願いします。」
カイトが丁寧に一礼した。
「こちらこそ、よろしくな。」
「こちらこそ、頼りにしてます!」
俺たち3人は東の都の神殿を出て、荷物を取りにベストルに向かった。エストは、見える限り見送ってくれた。




