5.旅立ち
村から出る道をしばらく歩き、村を見渡せる高台まで来た。俺様の屋敷も見える。
「カエデ、しばらくは村ともお別れだ。よく見ておけよ。」
「はい、師匠。」
カエデは自分の生家のあったところと、イリアさんの家をしっかりと見ていた。
「ありがとうございました、師匠。…もう、いいです。行きましょう。」
気丈に振舞うカエデを見て鷹揚に振舞った俺様だったが、…長くは続かなかった。
「痛ててて。…何か気持ちも悪くなってきた。ちょっと、ゴメン。」
俺は嘔吐を繰り返し、カエデに背中をさすってもらっていた。そしてその時に、ヤヒロが言っていた結界のことにようやく思い至った。
「カエデ?」
「はい、師匠。」
「この近くに対魔の結界がある。村から離れる方向に俺を連れて行ってくれ。お前には何も影響も無い。」
「わかりました。じゃあ、向こうの方に。」
カエデは倒れている俺に近づくと、上着の襟を掴んで引きずりだした。少しでも移動すると嘔吐感が減ってくる。ある程度離れると、俺は元通りになった。
「何て強い結界だ。これを神が作ったというのか。こんなに強いんじゃ、ホントに村に戻れないぞ。」
「私は何も感じませんよ?」
カエデが無邪気に聞いてきた。
「カエデも魔力を身につけると感じるさ。霊力なら問題無いだろうけどね。…今の俺様の様子を見て、よく考えるんだな。」
カエデは俺様の言う事をよく聞き、考え込んでいた。
「結論は今じゃなくたっていいし、いつだって変えられる。あんまり考えすぎなくていいんだよ。決まったら言ってくれ。」
嘔吐を繰り返した後では、全く説得力のある状態ではなかったが。
大きな街道に出ると、結構往来する人々がいた。…そいつら全員に避けられた。俺の頭の上にある環のせいだろう。チラチラこっちを見ながら話をしている連中もいる。
「どうしたんでしょうね? 師匠が珍しいんでしょうか。」
「頭の上に環を装備したやつは、そうそういないだろう。魔族だってそんなにいないはずだしな。村の連中は、俺様の存在に慣れきっているが、本来はそれがおかしいんだぞ。」
えらそうに話したが、俺様も村の外に出るのは初めてだからな。村の外がどうなっているのか全く知らん。俺様を珍しがっているんだから、きっと珍しいんだろう。
「行くぞ、カエデ。周りのことは気にするな。」
「はい、師匠。」
街道の脇にある板に、行き先とここからの距離が書いてあった。俺様達の村も小さくだが書いてある。
『トヅの村(その先行き止まり) 7リーン』
うちの村って「トヅ」って名前だったの? 初めて知ったぞ。ちゃんと覚えておかないと帰って来られないじゃないか。
「えーと、カエデ。」
「何です、師匠。」
「カエデはさ、うちの村の名前が『トヅ』だって知ってた?」
「もちろんですよ、だって自分の住んでいるところじゃないですか。…まさか、師匠?」
「な、なんだその眼は。も、もちろん知っているに決まっているだろう。俺様が知らないことがこの世界にあるわけがない。今のはカエデを試したんだ。」
「ふーん、そうですか。」
明らかに疑われている。でも、いい。これでカエデが覚えていることが分かった。俺様が忘れてしまっても大丈夫だ。これで安心だ。
「東の都はどっちに行けばいいんだ?」
「師匠、ここに書いてありますよ。右側の方に進んで、137リーンだそうです。…遠いですね。」
遠いのか? 俺様さっぱりわからんぞ。…村からここまでが7リーンだったから、その20倍くらいってことか。…遠い!
「なぁ、カエデ。」
「はい、師匠。」
「お前は1日にどれくらい歩けるんだ?」
「私ですか? たぶん20リーンくらいなら何とか。」
「そ、そうか。カエデが歩けるんなら俺様も大丈夫だな、きっと。」
俺たちは街道を東の都に向かって歩き始めた。…が、すぐに停められてしまった。武装した騎兵がやってきたのだ。鎧を着ていて顔は見えず、長刀らしいのを持っていた。
「動くな。貴様らの名前は?」
俺は無視することにした。何様なんだこいつら。
「動くなといっただろ。命令に従え。」
俺はカエデの手を引きながら、そのまま無視し続けた。
「痛い目に合わなきゃわからんのか?」
そう言って長刀に手を掛けた騎兵に『静止』を掛けた。自衛だからか環も反応しない。静止が掛かったまま、そいつは落馬した。いい気味だ。
「お前魔力が使えるのか、環があるのに?」
「自衛は使えるんだよ。知らなかったのか?」
「…そうか、後輩の無礼を謝るよ。すまなかった。環をつけた男が現れたと連絡があったので確認に出向いたんだ。環自体、もう何百年も使われていないんだ。魔族もみんな登録されている。君は今まで存在が知られていなかった魔族なんだ。」
「え、そうなの? 俺、結構前からいたよ? 今年252歳になるんだ。」
「そうですか。我々が知らされたのは、環で封印された魔族が新しく出たということだけだったんです。…どこに行かれるんですか?」
「東の都だよ。誤解を解いて環を外してもらいに行くんだよ。」
「…そうですか。あなたのことは伝えておきます、無用なトラブルがおきないように。ところでそちらのお嬢さんはご家族ですか?」
俺の後ろで隠れているカエデの方を見ていた。
「ああ、こいつは家族じゃないよ。だから、魔族でもない。俺様の弟子なんだ。失った家族の魂と会いたいって、弟子入りしてきたんだよ。」
「魔族に弟子入り?」
「俺様にいた村は、俺様と200年以上一緒にいたんだ。魔族がいることが普通の村だったんだよ。魔族が登録制だったなんて、始めて知ったよ。…俺様も登録されるのか?」
「東の都に向かうのなら、そこで登録されます。遅くともその時までに神族の方々が来られますよ。」
「神族? 神様達のこと?」
「そうです。我々人間の守護者です。」
「俺も、あの村では守護者だったんだがな。神様か、一度は会ってみたいな。」
「いずれお会いすることになります。すみませんが、彼にかけた『静止』を解いてもらえませんか?」
こいつは俺様が『静止』をかけたってわかっているのか?
「…ああ、いいよ。」
俺は『静止』を解いてやった。
「あれ? 俺はいったい?」
周りをキョロキョロ見渡しながら不思議そうにしている。
「しっかりしろ、お前は『静止』を掛けられていたんだ。…彼は自衛の魔力は使える。不用意なことは慎むんだ。」
俺の方をチラッと見ながら続けた。
「彼とお弟子さんは東の都に向かうそうだ。我々はそれを早く伝えよう。さあ行くぞ。」
『静止』を掛けられた方は少し怯えながら頷き、馬に乗るとすぐに走り出した。
「これにて失礼します。道中、お気をつけて。東の都には来訪を伝えておきます。」
年配の方の騎兵は会釈をしてから、後輩の馬を追って去っていった。
「師匠スゴイですね。彼らがつけていた紋章は親衛隊のものでしたよ。王宮直轄です。普通なら口もきけない人たちです。」
「何言ってんだ、カエデ。お前の師匠は魔王だぞ。王宮も親衛隊も何も怖く無い。」
「…怖くないのはその環以外ですよね。」
カエデが笑いをこらえながらそう言った。
「カエデ! お前は、師匠を凹まして楽しいのか? 俺は悪い弟子を持った。何て不幸な師匠なんだ。」
そんな俺の様子を見てカエデはもっと笑い出した。カエデはどんどん元気になっている。俺様としても安心だ。
「笑いすぎだ、カエデ。さあ行くぞ。こんな調子じゃ、東の都まで何日かかることやら思いやられる。」
「すみませんでした、師匠。さあ行きましょう。」
まだ笑いをかみ殺しながら、カエデは歩き出した。




