3.魔力
その日の晩、俺はヤヒロの作ったニンジンのピクルスに悪戦苦闘していた。酸っぱいニンジンって食べなきゃいけないの? フォークで突っついたりして時間を稼いでいたが、残しちゃダメらしい。困っていたその時に、俺を呼ぶ声が玄関の方から聞こえてきた。
「魔王ちゃん、いるかい?」
リー君だ。訪ねて来るなんて珍しいな。
「はいはい、ちょっと待っててね。」
俺は魔力で掛けていたカギを外し、扉を開けた。
「どうしたの、おじさん。珍しいね。まあ、上がってよ。」
やった。とりあえず、ピクルスから逃れられる。俺は居間に案内しながら、そんなことを考えていた。
椅子に座った頃、ヤヒロがお茶を持ってきてくれた。
「こんばんわ、いらっしゃいませ。」
「あんた、前より可愛くなったな。おじさんとこにも来てくれよ。」
よく面と向かってそんなこと言えるな。…俺には無理だ。
「あら、ありがとうございます。…でも、魔王さんのお世話に手が掛かって。」
俺はちっちゃい子供か!
「そりゃ、そうだろうな。魔王ちゃんも、もうちょっとしっかりしないとな。あ、お茶ありがとさん。こりゃ、何だい?」
おじさんが指差したところには、ニンジンのピクルスが山盛りになった皿が「2つ」あった。
「あ、それはお茶請けにどうかなって。ニンジンのピクルスです。もらったニンジンで作ったんですよ。」
ヤヒロは俺にニンマリと笑って、俺の前に皿を寄せた。さっき俺が悪戦苦闘していた皿だったが、量は3倍くらいに増えていた。…あんまりじゃないですか、ヤヒロさん。
「そうか、そりゃありがてえな。…お、こりゃ美味い。魔王ちゃんも食べなよ。」
…はい、いただきます。ヤヒロとリー君がニンジン談義をしている間に、俺はがんばって食べた。お茶で流し込んでいるような状態だったが…。5杯目のお茶をヤヒロが入れてくれた時、リー君が急に黙り込んだ。
「どうしたの?」
何度も言いかけてはうつむき、自分の頬を2回手で叩くと話し始めた。
「魔王ちゃんよ、…うちのばあちゃんのことだけど、そろそろ殺ってくんねいか?」
隣でヤヒロが息を飲むのがわかった。
「もういいのかい? まだ元気そうだったけど。」
「だんだん色んな事がわかんなくなってきて、それが怖いって言ってた。自分じゃなくなるみたいで怖いって。もう十分に生きたから、自分のことがわかる今のうちに死にたいっていうんだ。だから魔王ちゃんに頼んでくれって。」
「それでいいの?」
「いつまでもお袋には生きていて欲しいさ。…でも、魔力でも無理なんだろ?」
ヤヒロが黙って俺を見つめている。
「…うん、魔力でも普通の人間を死なないようにするのは無理なんだ。それができれば、俺の家族は今もここにいたはずなんだから。俺もやってみたんだよ。…でも、ダメだった。人間には寿命がある。それを超えては生きられないんだ。だから、俺の家族は…もういない。」
「…すまないが、お袋のことを頼む。」
「うん、わかったよ。おばあちゃんにはいろいろとお世話になってるしね。」
「ああ、頼んだよ。」
そう言うと、リー君は肩を落として帰って行った。
「…そのおばあちゃんを殺すんですか? お世話になった人なのに? 実の息子が頼むっていうのもおかしいですけど。」
ヤヒロが怒りながら聞いてきた。
「老人のボケって知ってる?」
「え、…多少は。」
「本人は何にもわかんなくなっちゃうからいいんだけど、周りにいる人がつらいんだよ。自分のお母さんが、そのままの姿でどんどん壊れていっちゃうんだよ。そういうのを見ていたら、そうなる前に死にたいって思っても不思議じゃないだろ。」
「…それはそうですけど。」
「リー君のお母さんはそういった親族の介護をしてきたんだ。だからこそ、自分がそうなる前に死にたいって言ってる。でも自殺もしたくないから俺に頼んでいるんだよ。俺が殺せば、全部が丸く収まるからね。…でもね、俺はつらいよ。今まで誰にも言えなかったし、言わなかったけど。例え本人が望んでいることでも、誰かの命を奪うことは嫌なことだよ。」
ヤヒロは少し涙ぐんで聞いていた。
「魔王さんって、…みんなが言うようにいい人なんですね。」
「…もう人じゃないんだ、魔族だからね。そうなる前は憧れたこともあったけど、人間のままでよかったよ。」
ヤヒロは急に俺を抱きしめた。俺はびっくりしてドキドキしていた。
「魔王さん。…もう独りじゃありません、ヤヒロが一緒にいます。一緒にいさせてください。いてもいいですか?」
「いや、あの、こちらこそよろしくお願いします。」
ヤヒロの唇は…、とっても柔らかかった。
次の日の朝、俺はヤヒロと目を合わせるのが恥ずかしかった。だって俺様は、初めて女の子とキスしたんだから。…なのにヤヒロは平然としている。いつもと全く変わりが無い。ヤヒロさんはきっと経験者だったんですね。…どうせ俺は長生きだけしているダメなやつですよ。
俺が独りで拗ねていると、ヤヒロが話しかけてきた。
「ねぇ、魔王さん。」
「…何?」
「何か今日、変ですよ。何かありました?」
あったでしょうが、昨日。とっても大事な事が。…すみません、俺にとっては大切な思い出なんです。いかん、ここで落ち込むとダメだ。ヤヒロにバレてしまう。『あれ? ひょっとして魔王さんって、案外お子ちゃまだったのね』なんて。いかん、俺は魔王なんだ。すごいんだ。がんばれ俺!
「何も無いぞ。俺様はいつも通りだ。」
「ふーん、ならいいんですけど?」
ヤヒロさん、その何かを察した様な目はやめてください。
「そうだ。後でリー君とこに行くけど、…ヤヒロも行く?」
「…昨日の話のことですか?」
「ばあちゃんに話も聞きたいし、勝手に先延ばしするとばあちゃんの希望に背くから。」
「わかりました。わたしも行きます。」
何とか魔王の威厳は取り戻せたかな?
「じゃあ、朝飯の支度を頼む。…でも、ニンジン以外にしてもらえる?」
「いいですよ。…昨日はちゃんと食べましたからね。」
ヤヒロはクスッと笑うと、台所へ行った。
「手ぶらですけど、いいんですか?」
リー君の家に向かう途中で、ヤヒロが聞いてきた。
「いいも何も、何かいるの?」
「…でも、おばあさんに何かするんでしょ?」
「ああ、でも道具とか別にいらないよ。…何か使った方がかっこいい?」
「いえ、もういいです。」
なんか呆れられた? でも魔力を使うのに、道具とか別にいらないもんな。
「他の魔族のことは知らないんだけど、何か道具とか使うの?」
「ホントに知らないんですか?」
「知らないよ。だって他の魔族に会ったことないもん。俺様は、この村から出たことは一度も無いんだ。人間だったときからずっとここにいる。この村に他の魔族が来たことも無いよ。」
「魔族は魔力を使って移動もできるので、あちこちに行けるのに。…でも、この辺りに来ていないのは神様が作った結界があるからですよ。」
「…え、そんなのがあるの?」
「ありますよ? 気が付いていないんですか。この村だけじゃなくってもう少し広い範囲で、退魔の結界が張られていますよ。」
「でも、俺ここにいるけど?」
「退魔の結界は、外から魔族が入って来られないように張られています。…魔王さんは最初から内側に生まれたから結界の影響が無かったんじゃないかなと。」
「じゃあ、もしそこから外に出たら、俺はこの村に帰って来られないってこと?」
「結界を破れないなら、そうなるのかも…。」
「その結界って強いのか?」
「3番目に強い神様が作った結界なので、相当強いと思いますよ。」
「神様にも順位があるのか?」
「ホントに何にも知らないんですね。魔族にもありますよ。魔力の強さ順です。神様の場合は霊力って呼んでますけど。」
「ふーん、そうなんだ。…でもどうやって強さを比べるんだ?」
「力をぶつけ合うと、自然にどっちが強いのか自分達にはわかるらしいです。神様がそう言ってました。」
「へぇ、そうなんだ。まあ、俺はこの村にいる限りは他の魔族は来ないんだし、魔力の強さなんて関係ないか。」
ちょっと安心した。今まで、結界があるなんて気が付いていなかったけど、これかは気をつけよう。もしうっかり出ちゃったら、帰ってこられないなんてあんまりだもんな。
「なんで、神様はこの辺に結界を張ったんだろ?」
「…ずっと昔からの言い伝えがあります。」
「え、何? どんなの?」
「ずっと昔、1番強い神様と同じくらい強い魔力を持った魔族がいたらしいんです。…でもある時からいなくなって、神様に封じられたって言われています。神様でも消せないくらいだったので、魔力だけは封じたって。その言い伝えの場所がこのあたりなんです。」
ヤヒロは周りを見渡しながら言った。
「だからこの村だけじゃなくって、あちこちに結界が張られています。こんなに結界がたくさんあったら、魔族は近づいて来ないでしょうね。…でも、まさか結界の内側に魔王さんがいたなんて、とっても驚きました。」
「ヤヒロって詳しいね。」
なぜかヤヒロは少し慌てながら言った。
「これくらいのことはみんな知っていますよ。…たしかにこの村の人たちは知らないかもしれませんけど。わたしがいた東の都なら、みんな知っていますよ。」
「ふーん。…あのさ、ヤヒロって神様に会ったことあるんだよね?」
「ええ、ありますよ。」
「神様ってさ、どんな感じなの? 昔、本で見たけど頭の上に光の輪があるの? あれってホント?」
「…ここには神様も来たことないんですか?」
「ないよ。だから、みんな知らないんだ。」
「神様は普通の人間と同じように見えますよ。今の魔王さんと同じです。でも、霊力を使うときには頭の上に光の輪が見えますね。」
「そうなんだ。あれってホントなんだ。…この村にも来てくれないかな。一度この目で見てみたいんだ。」
「神様に会いたい魔族って、とっても珍しいですよ。だって、退治されちゃうかもしれないんですよ。」
「だって俺、何にも悪いことなんかしてないぞ。それなら退治されないだろ。」
「それはそうだと思いますよ。でも、他にも神様が決めたルールを守らないと。」
「そっかー、ヤヒロは会ったことあるんだ。いいなー。」
「…あの、魔王さん?」
しまった、油断した。ついうっかりして魔王の威厳が…。
「あ、あそこ。あそこがリー君の家。…あれ、家の前にばあちゃんがいる。」
「ひさしぶりだねぇ、魔王ちゃん。」
「ばあちゃん、元気だった?」
「ああ。でも、そろそろかねぇ。…この娘さんがあんたのお嫁さんかい? 可愛らしい娘さんじゃないか、良かったねぇ。」
「初めまして、おばあさん。わたしヤヒロっていいます。」
あれ? 今否定しなかった。
「初めまして、ヤヒロちゃん。私はタエ。よろしくね。さあ二人とも入っておくれ。」
ばあちゃんが案内してくれた。
「リー、魔王ちゃんが来てくれたよ。家族を集めておくれ。」
居間には家具も何も無く、その代わりたくさん人がいた。大人はほとんど知っているが、見たことがない子供たちもいた。きっと、この村とは違うところから来たんだろう。俺の方を見てひそひそ話している女の子や、何だががっかりしている男の子もいた。…きっと何かスゴイのが来ると期待していたんだろうな。俺様の見た目って普通の人間と変わらないからなぁ。
「魔王ちゃん、すまないねぇ。」
リー君だ。
「この人たち、みんなおばあちゃんの家族なんですか?」
ヤヒロが驚いたようにみんなを見ながら言った。
「私の周りでは、こんなにたくさん家族が集まったところを見たことありません。」
「これでも全員じゃないんだ。遠くの街に住んでいる奴らは呼んでいないんだ。後で知らせればいいって、オフクロが言うんだよ。わざわざ来てもらって迷惑かけたくないってっさ。」
リー君はみんなと話をしているばあちゃんの方を振り返り、ため息をついて話を続けた。
「オフクロは気を使いすぎなんだよ。…俺たちに迷惑を掛けるなんて、そんなの気にしなくていいんだ。生きられるだけ生きていて欲しいのに。」
少しだけ涙ぐみ、慌てて拭って無理に笑った。
「オフクロにみんな約束させられたんだ、泣かずに笑って送ってくれって。みんなの笑顔に囲まれていたいって。」
そういえば、みんな笑っている。…どうみても泣き笑いの人も結構いたが。
「魔王ちゃんたちも後でオフクロと話をしてやってくれ。」
そういうとリー君はばあちゃんの方に歩いていった。
俺たちは邪魔しないように少し離れたところで、ばあちゃん達を見ていた。みんなばあちゃんの前に行くと、笑いながら話している。…話し終わって離れてから、大人はみんな泣いていたが。子供達はまだよくわからないのだろう、ふざけあって遊んでいるのもいる。
「あんなに家族がいて、みんなから愛されていて、…うらやましいです。」
「うらやましい?」
「両親はいませんし、母の姉家族も西の都に行ってしまいました。南の都にお祖父さんがいますが、何年も会っていません。おばあちゃんみたいに家族に囲まれて生きられたら、…きっと幸せなんでしょうね。
俺はヤヒロの手をそっと握った。ヤヒロが驚いたように俺を見た。
「大丈夫だ、これから家族を作ればいい。ヤヒロも幸せになれるさ。」
ヤヒロをギュッと手を握り返し、少し赤くなりながら小さく頷いた。
「魔王ちゃん、ばあちゃんが来てくれってさ。」
リー君の声に、俺達は慌てて手を離した。
「どうかしたんか?」
いいとこだったんですよとは言えず、ヤヒロを促してばあちゃんのところに行った。
「…何か良い事あったんかね。」
ばあちゃんがヤヒロを見るなり言った。
「穏やかな、きれいな目だねぇ。あんた、幸せになるよ。」
ヤヒロは今度は真っ赤になって、俺をチラッと見た。
「そうか、魔王ちゃんならいい子だよ。あんたを幸せにしてくれるさ。死ぬ前に心配事が無くなって安心できたよ。魔王ちゃんの先行きだけが心配だったから。」
「ばあちゃん、俺のことなら心配いらないだろ。だって俺、魔王なんだよ。何でもできるんだよ。家族の心配しろよ。」
おばあちゃんは笑いながら頷いている。
「家族のことは今さら心配していないよ。わたしの子供達はみんな立派な大人になった。孫達のことは子供達が何とかしてやるよ。…魔王ちゃんはわたしみたいに死ぬことも当分ないんだろう。何でもできるっていうけど、魔王ちゃんを見ていると何だか心配になるんだよ。でも、この娘が一緒にいてくれるのなら安心だよ。もう、独りじゃないんだからね。」
俺は少しだけ胸の奥が痛くなった。
「ばあちゃん、心配かけて悪かったな。…安心してくれ。」
俺はヤヒロを見た。ヤヒロは微笑みながら頷いた。
「この世に思い残すことも無くなった。わたしは幸せな人生だったよ。今が一番幸せなのかもしれないねぇ。…魔王ちゃん、始めておくれ。」
ばあちゃんの声に回りは急に静まり返った。リー君の方を見ると、頷いていた。
「じゃあ、始めるよ。…いいんだね。」
「ありがとね、魔王ちゃん。いい人生だったよ。…始めておくれ。」
ばあちゃんは俺を拝むようにしている。リー君の家族も、ヤヒロも息をのんで俺に注目している。俺は自分の右手に集中して魔力を高めた。そしてばあちゃんの首に、後ろから手を掛けた。
「ばあちゃん、さよなら。」
俺はそう言うと、首に掛けていた右手を後ろに戻した。ばあちゃんの魂が身体から外れた。俺はそのまま今度は左手にも魔力を高めた。そして左手で、ばあちゃんの額とおへそで身体とつながっていた魂を切り離した。…ばあちゃんは死んだ。
「おふくろ、良かったなぁ。オレも精一杯生きたら、そっちに行くよ。」
リー君が顔を涙でグシャグシャにしながらばあちゃんに話している。
「おばあちゃん、さよなら。」
「お母さん、さようなら。」
家族の叫び声に、ばあちゃんはうなずいていた。最後に、俺にしか聞こえない声でこう言って消えていった。
「魔王ちゃん、ありがとね。…あんた、これから大変だよ。」
…どういうこと? 俺はリー君の家族の泣き声と、抱きついてきたヤヒロの嗚咽に囲まれながら、ばあちゃんの言葉に戸惑っていた。
「魔王ちゃん、ありがとね。ばあちゃんも満足そうだった。オレの時も頼んだよ。」
「大丈夫、きっとボケたりしないよ。」
「それなら大往生だな。」
ようやく落ち着いたリー君の家族に見送られて、俺とヤヒロは家に向かった。
「さっきはごめんなさい。…おばあさんを見ていたら、両親が亡くなった時の事を思い出してしまったの。」
「ああ、いいよ。気にすんな。」
ヤヒロが俺から少し離れて聞いた。
「ねえ、魔王さん?」
「何?」
「さっきおばあさんにしたのって、…人間を、身体を殺したんじゃないんですよね。魂を直接取り出したんですよね?」
「そうだよ。身体を殺したら、ばあちゃんが痛いって感じるじゃん。だから痛くなったりしないように、先に魂を取り出したんだよ。」
「でも、それって…。」
ヤヒロはその後話を続けず、家まで黙りこくったままだった。
どうしたんだろ、ヤヒロ? 家に入っても黙ったままだ。気がついてないけど、何かまずいこと言ったかな? ばあちゃんが最後に言ってた、大変なことってこのことなのか? 魂になるといろいろわかるらしいからなぁ。
「…魔王さん?」
びっくりした、急に後ろから声を掛けないでよ。
「な、何? ヤヒロ」
振り返るとヤヒロが怒っているような、…泣き出しそうな顔で立っていた。
「正直に答えてください。」
「え、うん。…何?」
ヤヒロは俯いて続けた。
「さっきおばあさんにしたのって、…『魂寄せ』じゃないんですか?」
「そうだよ。…なんでヤヒロ、それ知ってるの?」
「『魂寄せ』は禁じられた魔力。…魔族がむやみに使えないように厳重に秘匿されてきたものです。どうやって知ったのですか?」
「え、そうなの? 禁じられた魔力って言われても、いつからなの? 俺知らなかったよ。」
「どうやって知ったのですか! 正直に答えてください。」
ヤヒロは何だが怒っている。
「本に書いてあったよ。」
「えっ。…本に?」
「そうだよ、家の本棚にあった本。」
「見せて下さい。」
「別にいいけど、ヤヒロには読めないと思うよ。人間の文字じゃないから。」
「いいですから、見せて下さい。」
ヤヒロの真剣な表情に戸惑いながら、本棚のところに連れて行った。ヤヒロに隠さなきゃいけないような本は、ここには置いて無い。ちゃんと違う場所に隠してある! ここにあるのは、魔力の解説とか面倒くさい本ばっかりだ。
「ここだよ。…で、この本に書いてあった。」
俺はその本を取り出して、ヤヒロに渡した。ヤヒロは、本棚と俺の渡した本を交互に見て、その場に座り込んでしまった。
「どうした、ヤヒロ? 大丈夫か。」
「…嘘つき。」
「え、何?」
「…やっぱり魔族は信じちゃいけないんだ。」
「何言ってんだ、ヤヒロ。俺が何したっていうんだよ。」
ヤヒロはすっくと立った。
「この本のタイトルは、『魂寄せの基本と応用』。禁書です。」
ヤヒロが一歩ずつ近づいてくる。
「何だよ、禁書って。」
「…知らなかったでは済まないんです。神様が決めたルールなんです。持っていてはいけない本なんです。」
「そんなの知らないよ。初めからここにあったんだから。俺が集めた訳でもないぞ。」
ヤヒロがまた一歩近づいた。
「言い訳は聞きません。この本棚にある本は全て禁書に指定されているものばかり…。」
また一歩、ヤヒロが傍に来た。俯いていて表情は見えないけど、声で怒っているのはわかる。
「例えそうでも、ヤヒロには関係無いだろ。」
そう言ったら、ヤヒロは顔を上げた。…泣いていた。
「ヤヒロ、何で泣くんだよ。」
「…信じていたのに。初めて好きになったのに。」
「俺が何したっていうんだよ。…あの、俺もヤヒロのことが」
俺の言葉はヤヒロの冷たい声に打ち消された。
「神から授かった力で、あなたを封じます。」
ヤヒロは左手の腕輪に右手で触れながら、何かを唱えた。…今のって、魔族の言葉?
「痛い痛い痛い痛い。」
俺の身体に激痛が走った。ヤヒロは唱え続けている。
『…魔力を押さえ、魔力を封じる…』
「…うがっ。痛い痛い痛い痛い、止めろ、いい加減にしろ!」
ヤヒロは何も聞こえていないように続けた。
「闇に落ちたこの男に罪の印を。ザウスの名において召喚する、環をこの男に。」
「何? お前、何言ってんだ。…リング? お前、…お前、封士だったのか!」
俺は強い衝撃に包まれて気を失った。その直前、ヤヒロにすっかり油断した自分の間抜けさを呪った。…もうそろそろ女の子が苦手っていうのを克服したい。薄れ行く意識の中で、情けないけど俺はそう思った。




