2.魔族
いつものように村を散歩しに行った時のことだった。俺には、やらなければならない仕事は何も無い。どんなものでも手に入るし何だってできる、…そんなくだらないことはしないけどな。遠くから俺様を呼んでいる声が聞こえた。
「師匠ー! 横にいる、とってもかわいい人は妹さんですかー?」
カエデ君、君はいったい何を言ってるんだね? 俺様に妹はいなかったし、いてもとっくに死んでいる。…そういうことですか、ただの身内にしか見えないってことっすね。
「カエデー。妹じゃないぞー。ヤヒロだー!」
カエデがすごい勢いで走ってきた。
「やひろって何ですか、師匠。美味しいお菓子でもあるんですか?」
息を切らしながら聞く内容がそれですか。
「とりあえず、お菓子は無い。この娘の名前がヤヒロっていうんだ。今、家で家事とかしてもらっているんだよ。」
カエデはヤヒロを見ると元気に挨拶した。
「初めましてヤヒロさん。わたしは、カエデです。師匠の一番弟子です。」
「え、あの、一番弟子? …弟子?」
ヤヒロが怪訝そうに俺を見ている。
「俺様は魔王なんだから、弟子がいても不思議じゃない。まあ、カエデ以外の弟子は今までいなかったけどな。」
カエデは俺様とヤヒロを交互に見ながらこう言った。
「ごめんなさいヤヒロさん。ちゃんと見たら師匠とは全然似ていませんね。妹さんなんて言ってすみませんでした。」
…カエデ、今のはどういう意味だ?
「いいのよカエデちゃん、気にしなくっても。」
…ヤヒロさん、あなた何言ってるんですか。
何だか知らないけど、ヤヒロとカエデはすっかり盛り上がっていた。…俺様はいつも通り、蚊帳の外だった。
ひとしきり話をした後、カエデは頼まれていたお使いを思い出して慌てて走っていった。
「師匠! 明日修行にうかがいまーす。」
「わかった。待ってるぞー。」
カエデは笑いながら手を振ると、結構な速さで走って行ってしまった。
「カエデちゃん、走るの速いですね。」
ヤヒロが驚いたように言った。
「あいつの身体能力はすごいよ。まあ、魔力の方はまだまだだけどな。」
「そういえば、魔王さんのことを師匠って呼んでいましたけど、魔力の使い方を教えているんですか?」
ヤヒロの眼がまた怖くなった。
「俺が教えられるのはそれしかない。でも、あいつは魔力を悪用なんかしないよ。カエデは俺様の魔力でほんの少しだけだが、救われたことがあったんだよ。それからあいつは、律儀に俺様を師匠と呼んでくれているんだ。」
「カエデちゃんに何があったんですか?」
「…ん、まあいろいろとな。もう少し先に行くと、カエデの家だったところがあるんだ。そこで説明するよ。」
ヤヒロは何かを悟ったかのように、何も話さずについて来た。
「ここにカエデの家があったんだが、大雨の日に崖が崩れて家ごと押しつぶされたんだ。カエデはとっさに両親がテーブルの下に押し込んだから助かったけど、両親は助からなかった。」
「魔王さんの力があっても?」
「気がつかなきゃ、何にもできない。カエデの両親は違う町から移り住んできて、村の中心から少し離れたここに住んでいた。崖崩れに誰も気がつかなかったんだ。次の日にたまたま通りかかった村人が気がついて、慌ててみんなで助けに行った。…でも、その時にはカエデしか生きていなかった。」
ヤヒロは黙って俺の話を聞いている。
「カエデは助かったけど、何も話せなくなっていた。カエデはずっと助けを求めて叫んでいたが、誰も気がついてあげられなかった。叫んでいるカエデのすぐそばで、カエデの両親は亡くなっていったらしい。カエデは両親を助けられなかったことを自分のせいだと思い込み、声が出せなくなってしまったんだ。カエデのせいじゃないのにな。」
「何かできなかったんですか?」
「魔力で何でもできるわけじゃない。俺は残骸となった家からカエデと両親を運び出した。俺ができたのはそれだけだ。カエデは自責の念で心を閉ざしてしまったんだ。」
「でも今、カエデちゃんは普通に話していますよね?」
「まあ、その後もいろいろあったんだよ。」
ヤヒロは何だか考え込み、その後は話をすることもなく家に戻った。
食べ物も魔力で作れるし、ヤヒロに使った様な単純に栄養価だけ集めて薬みたいにまとめてしまうこともできる。でもそんなのは味気ないから、俺は食事はできるだけ楽しみたい。だから、魔力は使わずにいつも村の作物をもらっていた。もちろん無断でだ! 俺はこの村を支配する魔王なんだからそれくらいはしてもいいはずだ。
「おはよう、カイ君。この白菜とニンジン美味しそうだね。もらっていくよ。」
「ああ、魔王か。なんで俺の畑ばっかり。…まぁ、いいよ、持っていけよ。」
「隣のリー君とこのニンジンもらったんだけど、ちょっとエグ味があってさ。」
「お前はホントに味がわかるな。リーは肥料代をケチって変なの使ったらしいんだ。まあ、あいつらしいけどな。ほら、これも持って行け。」
俺は立派な大根を2本ももらって、持ちきれなくなったのでヤヒロに渡した。
「…お金は払わないんですか?」
ヤヒロは隠し切れない怒気を含んで聞いた。
「お金を払ったことなんか一度も無いよ。だって俺、魔王だよ。偉いんだよ。」
ヤヒロの眼がどう見ても怒っている。…怖い、その眼怖い。
「いや、あの。…僕、お金払っていませんけど、村の人達嫌がっていませんよね、ね?」
「確かに、それはまあ。」
「僕、…俺も、村の奴らにいろいろしてやっているんだよ。作物くらいはもらっても大丈夫なくらいにな。」
俺はちょっとだけヤヒロの様子を伺いながら、そう言った。
「それならいいんですが。どんなことをしてるんです?」
どんなこと? いろいろありすぎて、何て答えればいいんだろう。困っていたら、リー君がやってきた。ホントは呼び捨てにしてもいいくらい、俺の方がはるかに年上なんだけど。
「魔王ちゃん、この可愛い女の子が噂のお嫁さん?」
ちょ、あんた何を唐突に言い出すんだ。俺はヤヒロをそっと見たが、全く動じていなかった。
「いえ、全然違いますよ。わたしは魔王さんの家で働いてるだけです。お金が貯まったら、また旅に出ますから。」
そこまで無関係って言わなくても、もう少し配慮してくれてもいいじゃないですか。凹んでいる俺を無視して、ヤヒロとリー君の会話は続いていた。
「へぇ、そうなんだ。魔王ちゃんとこに可愛い嫁さんが来てくれて良かったって、盛大な村祭りをやんなきゃなってみんなで言ってたんだけど、…違うんだよね?」
「もちろんです! 全く違います。」
間髪いれずヤヒロは答え、俺はさらに凹んでいった。
「そうか、そりゃ残念だが仕方ねぇ。ところで魔王ちゃんよ、…うちのばあちゃんのことだけど、だんだん悪くなってきたみたいだ。まだ、自分でわかるみたいだけど。」
「そうなんだ。…決まったら言ってね。」
「ああ、そん時は頼むよ。魔王ちゃんがいてくれてホントに良かったよ。ほら、うちの畑で採れたニンジン持ってけ。」
断る間もなくニンジンをたくさん押し付けて、リー君は行ってしまった。これ、エグ味があるんだよなぁ。渋い顔をしている俺を見て、ヤヒロが笑って言った。
「ちゃんとアク取りすればおいしく食べられますよ。面倒くさいからって、アク取りしてなかったんでしょ。」
それは確かにそうですけど。
「わたしニンジンが好きなんですよ、故郷でよく採れんです。後でわたしが作ってあげますから、残さず食べてくださいね?」
「…はい、わかりました。」
そこから家への帰り道の話題は、ニンジン料理のレシピだった。俺はニンジン好きってほどじゃないんだけどなぁ。まあ、いいか。
家に帰るとカエデがお菓子を食べながら待っていた。
「…カエデ君、それは俺様のお菓子ではないのかな?」
俺は怒っているのがわからないように、冷静に聞いてみた。…多少、声は震えていたが。
「これですか? もちろん師匠のお菓子ですよ。美味しそうだったので、お先にいただきました。ちゃんと残ってますから、師匠も食べます?」
「え? 残ってるの? 珍しいな、カエデが残してくれるなんて。」
カエデが差し出した袋の中を見た。…が、何も無かった。
「カエデ、…何も無いぞ?」
「あ、そうだった。さっき食べたのが最後の1個だったんだ。…すみません、師匠のために1個残しておいたんですが、つい食欲に負けて。」
「これは俺様が大事に取っておいたやつなんだぞ! お前には、遠慮ってものがないのか!」
「だって、師匠と弟子は一心同体。遠慮は無用って言ってたじゃないですか?」
「それとこれとは違う! だってな、だってな、これは僕、…じゃなかった、俺様が大事に取っておいた…」
それまであきれたように見ていたヤヒロが俺たちの間に割って入ってきた。
「2人ともいい加減にしなさい。特に魔王さん、ものすごく年上なんですから、子どもみたいにお菓子、お菓子って言わない!」
「は、はい。…で、でも、カエデが悪いんだよ。僕のお菓子を食べちゃったんだから。」
「…魔王さん? 私の話、聞いてました?」
俺はヤヒロの静かに怒っている顔を見て、一気に冷静になった。
「き、聞いていたぞ、うん。そうだな、たかが大切なお菓子を食べられたくらいで取り乱してしまった。」
ヤヒロはカエデの方を見て言った。
「カエデちゃん?」
「は、はい。」
こんなに緊張しているカエデの姿は初めてだ。
「魔王さんのお菓子なんだから、1個は取っておいてあげましょうね?」
「は、ははい。これからはそうします。…すみませんでした、師匠。」
「お、おう。これからはお互いに気をつけような。」
2人してヤヒロをそっと見た。
「良かったですね、仲直りできて。今から修行ですよね? 私も見学させてください。」
俺とカエデは顔を見合わせて言った。
「よろしくお願いします。」
俺とカエデはいつも通り、魔力を使うための訓練を始めた。…と言っても見た目は大した訓練じゃない。俺がカエデに魔力を送り、カエデがそれを使って何かをやってみる。だが、ここまで来るのも結構大変だったんだ。普通の人間は魔力を持っていない。だから、魔力が身体に入ってくるだけで調子が悪くなったりする奴や、取り返しがつかないくらいおかしくなってしまう奴もいるらしい。幸いカエデはそこまでひどくはなかったが、身体が魔力に慣れるまでに半年くらいはかかっていた。
「師匠、今度こそ火を起こしてみせます!」
カエデはそう言うと、練習用に積み上げた紙屑の前で静かに眼を閉じた。俺の魔力がカエデに流れていく。カエデは眼を開け、両手を紙屑の方に向けて差し出した。…何も起きなかった。
「…師匠。」
そんな情けない顔をしてもダメだ。
「いいか、カエデ。火を起こすってことは、この紙屑のどこかの温度を燃えるくらいまで高くしなきゃいけないんだ。イメージできているか? この間、理屈はちゃんと説明したよな。」
「…師匠の話はちょっと難しくって、あんまりよくわからなかったんです。」
「お前、あの時はわかりました! って言ってただろ。これなら次回は完璧ですって言ってたじゃないか。」
「あの時はそう思ったんですよ。でも家に帰ってからもう一度考え出したら、よくわからなくなってきちゃって…。でも、何とかなると思ったんです。」
「わかった。お前が前向きなことはいいことだ。だが、わからんかったら、聞きなさい。」
「はーい、師匠。」
「ねぇ、魔王さん?」
黙って見ていたヤヒロが声を掛けてきた。
「何?」
「魔力を使うって、とっても難しいんじゃないんですか?」
「何をするのかをイメージできれば使えるんだよ。まあ、それでも力の大きさとかでも、やれることは変わってくるだろうけどな。」
「ヤヒロさん。わたし火は起こせないけど、使える魔力もあるんです!」
「え、そ、そうなの?」
「師匠、多めに送ってください。」
「ああ、わかったよ。」
カエデはさっきとは違って余裕の表情で身構えた。
「えいっ!」
掛け声と共にカエデの手には、さっきまでは無かった白いものがあった。
「…すごい! え、それって。」
「そうでーす、おにぎりでーす。」
そう言ってカエデは魔力で作ったおにぎりを食べ始めた。
「うーん、今回は塩加減も炊き加減もばっちり。美味しーい。」
もぐもぐ食べているカエデをひとしきり見た後に、ヤヒロが俺に聞いてきた。
「…あのおにぎり、カエデちゃんがホントに魔力で作ったんですか?」
「そう、カエデが作ったんだ。すごいだろ?」
「だって、まだ火も起こせないのに。いったいどうやって?」
「さっきも言ったけど、イメージできればいいんだ。カエデは食べることが大好きだから、おにぎりをどうやって作ればいいか簡単にイメージできるんだ。米を炊いて、握って、塩を振ってと。」
「だからといって、そう簡単にできるとは…。」
「確かにな。でもカエデができるのは塩おにぎりだけだ。それ以上は手間が難しかったり、イメージが混じったりしてできないんだ。だから練習中のおやつは、いつも塩おにぎりだ。カエデ、食べ終わったら、ヤヒロにも1個作ってあげなさい。」
「はーい、師匠。カエデさん、美味しく作りますからね。」
カエデは自信満々にヤヒロに向かって頷いた。
「じゃあまたな、カエデ。」
「ありがとうございました、師匠。カエデさん、美味しいおにぎりが食べたくなったら、いつでも言ってくださいね。」
そういうとカエデは家に帰っていった。何度も振り返って手を振るカエデに、ヤヒロは手を振り返していた。カエデの姿が見えなくなった頃、ヤヒロは俺の手をギュッと握って話し始めた。
「…カエデちゃんと一緒で、わたしの両親ももういません。」
え? 何? どういうことなの?
「わたしの両親は、…わたしがまだ幼かった頃にたまたま出会った魔族に殺されました。わたしはカエデちゃんと同じ孤児です。…その魔族にはわたしの両親を殺すような理由なんて何も無く、ただの面白半分だったみたいです。」
俺の手を握る力が一段と強くなった。
「その魔族は、結局神様が退治しました。でも、私の両親は決して生き返りません。」
ヤヒロは俺の方は見ず、少しうつむき加減で話を続けた。
「もし私に力があれば両親を助けることができたかもしれないって、ずっと思って生きてきました。でも、今は違います。わたしは、わたしの人生を生きることにしました。」
ヤヒロは俺の手を話して俺と向かい合った。
「ねぇ、魔王さん。」
ヤヒロは俺の目をじっと見ながら話し始めた。
「魔王さんは、魔族なんですよね?」
「そ、そうですけど。」
怖い、静かなヤヒロの目が怖い。
「魔族って、普通の人間に悪いことをしたりするんじゃないんですか?」
「え、あの、その。」
「どうしたんですか? 答えられないんですか?」
ヤヒロさん、怖いです。その目、怖いです。
「ぼ、僕は、そんなことしてないですよ。この村でみんなと仲良くやってますよ。」
「確かに今まで見てきた村の人たちは、魔王さんのことを怖がったり嫌がったりしていませんでした。」
「そ、そうでしょ。僕は村の人たちに悪いことなんてしていませんよ。どっちかと言うと、魔力でいろんな手伝いとかさせられ、…違った、手助けしてやっているんだ。」
ヤヒロの目の力が少し弱まった。
「…魔王さんは魔力に魅入られたり、乗っ取られたりしないんですか?」
「え、何それ?」
「両親を殺した魔族を退治してくれた神様が教えてくれました。魔族も元々は人間なんだよって。魔力に魅入られたり魔力そのものに乗っ取られてしまうと、元の人格は失われていってしまうんだって。そうなると、人間だったときの良識や優しさも無くなってしまう。魔力を使うことを、魔力そのものを強くすることだけしか興味がなくなる。今退治した魔族も、そうなってしまった人間なんだって。」
ふーん、そうだったんだ。そんなこと初めて知ったよ。誰も教えてくれなかったし。
「でも俺、特に何も気にしたこともないけど。魔力に魅入られる? 魔力にそんな力があるのかな? そんな風に感じたこと無いよ。」
ヤヒロの目がいつもと同じになった。…良かった、あー、怖かった。
「魔王さんは、とっても人間らしいですもんね。ひょっとしたら魔力が弱いのかも?」
…ヤヒロさん、私は魔王って名乗っているんですよ。魔力が弱いってあっさり言ってくれましたけど、それって全否定じゃないですか。確かに他の魔族に会ったことも無いから、魔力の強さとかも比べたことなんか無いですよ。…あれ? 魔王って名乗っちゃまずかったかな?
「ごめんなさい、言い過ぎました?」
ヤヒロが考え込んでいる俺を気遣っている。…余計傷つくぞ、それ。
「何を言っている。俺様は魔王だ。俺が言っているんだから、間違い無い。」
もし違っていたら訂正すればいいだけだ。俺は前向きに考えることにした。
「それなら、いいです。」
ヤヒロは明るく笑って言った。
俺は確かに魔族だ。人間と同じ姿で人間を超越する能力を持つ種族が2つあり、一つは俺と同じ魔族。もう一つは神様って呼ばれている連中で神族と呼ばれている。さっきヤヒロにも言われたが、魔族は人間に悪さをすることが多いって言われている。神族はそういうことは一切しないらしい。俺も家にある本に書いてあったことしか知らないが、神族が誕生するときには日時が予言されるってことだ。誰なのかは予言されないらしいが、その日時に神族が誕生するって話だった。魔族の誕生には予言なんか無い。何の前兆も無く魔力が発現するんだ。だから、いつ誰が魔族になるのかは分からない。神族は誕生を予言されて現れる。祝福付きだ。
ヤヒロの両親が魔族に殺されたっていうのは、同じ魔族として大変心外だし大迷惑だ。まあ一族と言っても、俺以外の魔族に会ったこともないし親近感も特に無い。俺は別に自分の魔力に魅入られるようなことも無いし、人間に何かしようとも全く思わない。この村の連中は昔から知っている奴らばかりだし、あいつらが嫌がるようなことをしようなんて全く思わない。魔族にそんなが危ない奴等がいるとはなぁ。
でも少し気になるな。俺様の魔力って弱い方なのかな? ひょっとして、危ない魔族の連中に会ったら俺ってやられちゃうのかな? うーん、わからん




