10.セントア
街道の道幅も大きくなり、ずいぶん人も増えてきた。
「ずいぶんいろんなお店がありますね。食べ物屋さんや宿屋以外にも鞄屋さんに、靴屋さん、雑貨屋さん。」
カエデはキョロキョロ周りを見ている。
「ここはセントアから25リーンですからね。セントアからどこかに行く人も、セントアに行く人もだいたいここで泊まっていきますから、旅人がたくさんいるんですよ。だから、いろんな商売も成り立つみたいです。」
カイトも立ち並ぶ店を眺めている。
「ここには大きな浴場もあるんですよ。地下からお湯が出てくるところが何ヶ所もあって、それを溜めて作ったんです。だからここの宿屋にも普通の家にも浴室はありません。みんなそこに行くそうです。大浴場も3つあってそれぞれお湯の質が違うので、楽しめますよ。」
「カイトさんは3つとも行ったんですか。」
「もちろんです。お勧めは川を眺めながら入れるところですね。いい風が吹いてくるんですよ。後で行ってみましょう。」
「それはいいな。早く宿を決めて、すぐに行こう。」
まだ人が来るには早めの時間のようで、結構空いていた。と、いってもお湯が溜まっている範囲がめちゃくちゃ広いので、混んでいる状態が想像できなかった。
「魔王さん、あっちに行くと川が見えますよ。」
カイトが奥の方を指差した。…さすが剣士だけあって、いい身体つきだ。俺は魔力を使えるので、身体はどっちかというと細身の方だろう。筋肉鍛える必要ないからな。
「へえー、いい風景だな。」
岩で組まれた先はなだらかに下っていて、その先には結構大きな川が見える。川の方から風が来るので、ひんやりしたいい感じだ。
「この風景を見ながら、この風を受け、そしてこのぬるめのお湯に浸かっていると、本当にのんびりするんですよ。」
カイトがのんびりするっていうのは意外だが、確かに心地いい。
「今の時期は結構魚も釣れるんですよ。夕食にも多分出るでしょうね。」
「カイトはあちこち行っていて、いろんなことをよく知ってるな。」
「そうですか? あちこちといっても、若い頃に行った場所が多いですけどね。最近はセントアと東の都の往復ですから。」
「セントアはどんな都なんだ? 東の都みたいなものか?」
「もう少し大きくて、にぎやかですね。でも一番違うのは、セントアはこの国の文字通り中心です。ナルセ王もそして最も強い神、メル様もここにいます。」
「王様は別にいいけど、その神族が最も強いのか?」
「そうです。彼女とヴェスだけは、大魔王とも直接会ったことがあるそうです。」
「大魔王?」
「そうです、一説には神々よりも強いとの話もあるそうです。」
「大魔王は、今はいないのか?」
「…いないと言われています。ずっと誰も見ていないし、大魔王に関する話も何もないからです。本当にいないのかは、神様に聞いてもらわないとわかりません。」
「ふーん、じゃあメルってやつにあった時に聞けばいいんだな。」
「ええ、教えてくださるのかどうかは、わかりませんけど。」
「まあいいや。その時に考えるよ。で、大魔王はどんなことをしたんだ?」
「知りません。」
「へ? 大魔王が何をしたのかだよ? 知らないの?」
「ええ、知りません。そもそも本当に大魔王がいたのかもわからないからです。そして、大魔王が何かをしたという話は、そもそも全くありません。」
「じゃあ、なんで大魔王なの? …まさか、俺様と同じ自称ってことか?」
「いえいえ、それは違います。大魔王という名前は神族がつけられたそうですから。」
「神族が? じゃあ、本当にいるんじゃないの?」
「そうかもしれません。でも、我々人間には話してくれないのですよ。」
「そうなのか。じゃあ、俺が聞いたら教えてやるよ。カイトには世話になっているしな。」
「無理はしないでくださいね。我々人間と神族、魔族はやはり違うのですから。」
「ああ、わかった。」
「…そうだ、セントアにしかないものもあります。」
「なんだ?」
「停止している魔族を収容しているところがあるのです。」
「それって、重罪を犯した魔族達なんだよな?」
「そうです。神様に停止されたまま、ずっとそのままの魔族です。セントアの神殿の地下にあるのです。」
「神殿の地下?」
「そうです。もし何かあっても、すぐにメル様が気が付くようにです。もちろん今までにそんなことは一度もありませんでしたが。」
「そこは広いのか?」
「え?」
「停止したままなら、どんどん収容される魔族が増えるから相当広くないといけないだろ?」
「すみません、見たことは無いのです。見ることができるのは、神族だけだと思います。」
「ふーん、できればそこも見せてもらおう。…ヤヒロの両親を殺したやつの顔を、見てみたいからな。」
「ヤヒロさんって、その環をつけた人なんですよね。」
「そうだ。」
「好きなんですか?」
「ちょ、カイト、なにを急に。そんな、あの、いやその…」
「わかりました。もういいです。」
「な、なにがわかったんだよ。」
「好きになった人にそんな目にあわされるなんて。」
カイト、頼むからその可哀想な人を見る眼は止めてくれ…。
翌朝、カイトとカエデはさわやかな表情だった。
「カエデさん、なんだかお肌のつやがいいんじゃないですか?」
「わかります? 昨日のお風呂のおかげですよ。カイトさんも何か爽やかな感じですよ。」
「やはりそうですか。私も昨日のお風呂でのんびりつかったからだと思うんですよ。たまっていた疲れが癒されました。」
俺様は黙って2人のやり取りを見ていた。…ようやくカエデが気がついて話しかけてきた。
「どうしたんです、師匠? 何かどんよりしていますけど。」
俺様が答える前に、カイトがさっとカエデに耳打ちしている。…ちょっと待て。お前、カエデに何を話しているんだ? カエデの俺を見る眼が、見る見るうちに哀れみを帯びてきたじゃないか!
「…師匠。」
止めろ、止めてくれ。そんな眼で俺様を見るな。
「師匠、大丈夫です。きっといつか師匠のことを理解してくれる人が現れると思います。」
お前、何一つ具体的なこと言って無いぞ。…まあ、いい。この話題を引っ張りたくない。
「さあ出発するぞ、もうすぐセントアだ。」
カイトとカエデは、俺様の後ろでひそひそ話しながらついて来た。…何話してるんだろ? 気になるけど、俺様が聞きたくない話なことは間違いない。なんでこんな目に、あわなきゃいけないんだ? 俺の足取りは重くなり、すぐに追いつかれてしまった。
「魔王さん、大丈夫です。きっとヤヒロさんは見つかります。」
「そうです、師匠。気を落とさないで下さい。」
誰のせいでがっくりきてると思ってんだ、お前らのせいだろうが! …でも、もういい。言えば言うほど悪くなっている。もう気にしないぞ、…胸の奥が少し痛いけど。
何だか立派な建物が見えてきたぞ。
「あそこに見えてきたのが王宮です。ナルセ王の居城です。私も普段はあそこの敷地の中で訓練をしたりしているんですよ。」
どうりで、いちいちカイトに敬礼するやつらが多いわけだ。
「魔王さん、まずはメル様のところにいきましょうか。」
「え、何で? ヤヒロ探すんじゃなかったっけ?」
「ヤヒロさんは、メル様に魔王さんの報告をしにここに来ているんですよ。」
「そうなのか?」
「そうですよ。だから、メル様に会えばヤヒロさんのことも何かわかると思いますよ。…ひょっとしたらメル様のところにいるかもしれませんよ。」
そ、そうかな。…いかん、何だかドキドキしてきた。ヤヒロに会ったら、俺は何て話せばいいんだ? やっぱり、告白すべきなのか? それじゃあ、唐突過ぎるな。世間話っていうのも何だしな。何から話せばいいんだろう。そうだ、環。環の話からはじめ
「師匠!」
カエデの声に我に返った。
「な、なんだ急に。」
「急にじゃありませんよ、何回も呼びましたよ。」
「え、そ、そう? …ゴメン、聞いてなかった。」
「もう、しっかりしてくださいよ。落っこちますよ。」
落っこちる? 俺は下を見て驚愕した。深い堀の縁に立っていたのだ。
「早く教えてくれよ!。」
「何言ってるんですか、何度も呼びましたよ。なのにブツブツ言って聞いてなかったじゃないですか。」
「いや、ちょっと考えごとがあってな。」
「こちらです、魔王さん。」
王宮の敷地の隅に、エストの小屋と似たような小屋があった。ほんの少しだけ、大きかったけど。
「ここがメル様のお屋敷です。」
お屋敷? 小屋でしょ、これ。
「メル様、カイトです。いらっしゃいますか?」
小屋から返事はなかった。
「ではまだ公務をされていると思います。神殿に向かいましょう。」
この調子じゃ、神殿も想像がつく。今の小屋に毛が生えたくらいのものだろう。…だが、案内されたのは王宮よりは小さいが、立派な宮殿だった。
「…なんかイメージと違う。」
「私もそう思います。」
カエデもやっぱりそう思うか。…今までの流れとは全然違うもんな。
「メル様は嫌がったのですが、ずっとずっと前の王様が作られたそうです。」
なるほどね、それなら納得できる。
「なにせ、この地下には停止させられている魔族が多数いますから、頑丈に作られているのです。神様が作られた結界もたくさんあります。」
結界と聞いて、俺は嫌なことを思い出した。トヅの村近くで結界にひどい目にあったことだ。
「ふーん、そうなんだ。…ところで、そろそろ帰らない?」
「何言ってんですか、師匠。ヤヒロさんの手がかりがあるかもしれないんですよ。」
「そ、そうだった。行かなきゃな。」
「さあ、一緒に来てください。」
俺様とカエデは、カイトの後を付いて行った。
「この扉の向こうが控えの間です。ここで待つことになります。」
カイトがノックしてから扉を開けた。扉の向こう側の部屋に、とっても可愛らしい女の子が立っていた。カエデよりも幼い子だ。
「ど、どうしたんですか、メル様? どうして控えの間にいらっしゃるんですか、びっくりしましたよ。」
カイトが恭しく女の子に接している。…メル様? え、この女の子がメル様なの?
「そうですよ、魔王さん。」
とっても可愛らしい声だった。
「初めまして、私がメルです。ようこそセントアの都へ。」
「あ、あの、初めまして。俺さ、いやあの、僕は魔王です。」
メル様はうなずくと、カエデに微笑みかけた。
「あなたがカエデさんね、いろいろ大変でしたね。でも、いいお師匠さんが見つかって良かったですね。」
「ありがとうございます、メル様。」
「どうしてこちらにいらっしゃるのですか。謁見の間は隣ですよ。」
「もちろん知っていますよ、カイト。ちょっとみんなを驚かせたかったのです。魔族のお客様は久しぶりですからね。」
メル様は可愛らしく微笑んだ。…メル様? なんで相手に様を付けてるんだ。様は俺様だけのはずだ。そう思ってメル…を見ると、優しく微笑まれた。なんとも言えない威厳がある。意地張ってすみませんでした、メル様。
「魔王さん?」
「は、はい。何でしょうか、メル様。」
「あなたが探しているヤヒロさんのことですが、昨日ここを訪れてあなたのことを報告してくれましたよ。」
「じゃあ、ここにいるんですか?」
「いえ、今ここにはいません。」
「…そうなんですか。」
俺はがっかりしながら言った。
「でも、魔王さんが力を貸してくれるのなら、私もヤヒロさんを探すのを手伝いますよ。」
「え、何です? 何をすればいいんですか?」
「ここでは話せません。ついて来てくれますか?」
「もちろんです。」
メル様は先頭に立って歩き出し、すぐに階段を降り始めた。
「ここから先は、停止させられている魔族の収容所です。彼らには何も聞こえませんが、なるべく静かに降りて行ってください。」
別に普通の階段だが、あんなことを言われるといろいろ想像してしまう。階段をゆっくりと降りていった。
「この階が、停止させられている魔族がいるところです。今、明るくしますけど注意していてくださいね。」
そう言うとメル様の環が一瞬光り、周囲は明るくなった。
「うわっ」
「キャア」
俺とカエデは思わず声を上げてしまった。カイトはさすがに顔色が一瞬変わっただけだった。彼らは俺たちの叫び声にも何の反応も無く、静まりかえったままだった。
「こんなにたくさん…。」
カエデが言うのももっともだった。大きな部屋なのに、見渡す限り固まったままの人がいる。
「ええ、1600年分ですから。」
「1600年? そんなに長い間。…え? メル様何歳なの?」
俺は思わずメル様を見た。見た目は10歳くらいじゃなのか? 俺様基準だと、どうがんばっても200歳だろ。
「ふふ、女性に歳を聞くのは失礼ですよ。…私は2000年は生きています。もう数えるのも止めてしまいました。人間の200年が私の見た目を1歳くらい変えます。」
そうか、レストとは逆なんだ。でも2000歳は超えてるって。…大ばあちゃんじゃないか。
「魔王さん。確かにその通りですけど、そう思われて嬉しくはないですよ。」
10歳の女の子にたしなめられた。でも中身は…だしな。俺は再び周りを見渡した。みんな動きの途中で固まっているから、今にも動き出しそうだ。
「固めるだけでここに置いておくなら、そりゃどんどん増えるよな。1600年より前の分はどうしたんだい。」
「浄化しました。」
「浄化? どうしてやらなくなったの?」
「できる人がいなくなったからです。」
「いなくなった? 1600年前に。…それってひょっとして」
「そうです、大魔王です。彼が浄化をしていました。」
カイトがおずおずと聞いてきた。
「メル様、私とカエデさんは席を外した方が良くないですか?」
「気にしなくてもいいですよ。カイトとカエデさんは、これからも魔王さんと関わっていくのですから、知っておいた方がいいのです。…ただし、あなた方以外には人間にも魔族にも話してはいけませんよ。」
「神族ならいいのか?」
俺様が聞いた。
「ええ、神族はみんな知っていますから。どうしてなのか、これから説明していきます。でも、その前に確認したいことがあります。」
メル様が俺をじっと見た。…なんか緊張してきたぞ。
「な、なんでしょう?」
「魔王さん。あなたは『魂寄せ』を使ったそうですね。ヤヒロさんが見たそうです。」
「ヤヒロが? 確かに使いましたけど、使っちゃダメだなんて知らなかったんです。」
「それはもういいのです。…もう一つ報告がありました。禁書をたくさん持っていたそうですね。そしてその中には『魂寄せの基本と応用』もあったとか?」
「持ってましたよ。でも、その本だって、引っ越した空家に最初からあったんです。」
「ええ、それはエストから聞いています。そして、蔵書に書かれてあったことは全て覚えていて、試したこともあると。」
「そうですよ。なにせ暇だったので。」
メル様の表情が真剣なものになった。
「では、最後に聞きます。『魂寄せの基本と応用』に書かれていた、『分魂寄せ』はできますか?」
「実際にやったことはないけど、たぶんできます。そんなに難しそうじゃなかったし。」
「難しそうじゃない? でも、…いいでしょう。ついてきて下さい。」
メル様は、俺たちを少し奥のほうに立っている男のところに連れて行った。
「彼はある人に幻覚を見せては現実に戻すということを繰り返して、ついにその人を発狂させました。その人が、彼が魔族になる前に好きだった女性と結婚して幸せそうだったという理由でね。しかし、そんなことをしても大きな魔力を使った訳でもなかったので、神族にもなかなか気づかれなかったのです。…でも、その女性につきまとって、自分のしたことを言って脅したのです。言う事を聞かないと、お前も同じ目に合わせるぞってね。」
俺様と同じ魔族にそんなやつがいたとは心外だ。なんだこいつは。無性に腹が立ってきた。
「彼女はすぐに神に救いを求め、罪状からすぐに彼は固定されました。1200年前くらいのことです。彼はちょうど何もしていない時に固定されました。」
それで普通に立っているのか。眼は逝っちゃってる感じだけど。
「では、私が彼の固定を外します。魔王さんは分魂寄せを彼にしてください。もしできなかったらすぐにまた固定します。」
「え? こいつにやるの? まあいいですけど。じゃあ、頷いたら固定を外してください。もしできそうになかったら、首を振るので固定してください。」
「わかりました。カイトとカエデさんは私の後ろにいてください。そこなら守れますから。」
カイトとカエデは急いでメル様の後ろ側に行った。
「魔王さん、いつでもいいですよ。」
メル様の環が光り始めた。
「俺様の環は大丈夫ですか? 途中で痛くされたりしませんか?」
「大丈夫ですよ。その環を司っているザウスに言ってありますから。」
「じゃあ安心だ。あれ結構痛いんですよ。…少し集中するから待っててください。」
俺様は両手の先に魔力を集めた。分魂寄せは魂寄せの途中からやり方が違う。俺様はメル様を見て頷いた。
「外します。」
メル様の環が輝き、止まっていた男が動き出した。
「ナミ、おれのいうことを聞くんだ。…ナミ? なんだここは?」
固定されていたことも、ここが違う場所なのも分からないのだろう。俺様はすぐに始めた。魔力を高めた右手で首の後ろから魂を身体から外した。
「うわ、何だこれ?」
こいつの魂はほとんどが真っ黒で、白いところはほんの少ししかなかった。何だか手が汚れそうで嫌な感じだ。…それで分魂寄せなのね。
俺は左手の指先に魔力を高めて白いところだけを切り分けた。きっとこいつの子どもの頃のものなんだろう、無邪気に笑って違うところに行った。さて、残りは消してしまおう。こいつの額とへそで身体とつながっていた魂を切り離した。こいつの身体はこれで死んだ。残るはこの真っ黒に染まった魂の残骸だ。フワフワ漂い、取り付くものがないか探している。俺様はそれを一気に吸い込んだ。身体の中に邪気が充満する。甘美な感覚だ。これが魔力に魅入られるってやつなのか。
メル様が俺を心配そうに見ている。
「大丈夫です。初めてだから、体感しておきたいんですよ。まだ、弱い邪気ですから。」
俺様は魔力を全身に高めた。俺様の魔力は黒く染まってなどいない。俺様の身体から出ることもできず、邪気は消滅した。
「ふう、終わった。」
俺はなぜか高揚していた。あれ? なんか身体が変だぞ? 力が抜けていく感じだ。意識が静かに遠のいていった。




