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自称魔王の初めての旅  作者: 門外不出
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ヤヒロ

「…うがっ。痛い痛い痛い痛い、止めろ。痛っ、あの、その、止めてください。」

 ヤヒロは何も聞こえていないように続けた。

「南都の神の名において、罪を犯した魔族に消えない印をつける。大罪の環をこの男に。」

「ヤヒロ、お前、何言ってんだ。…環? お前、…お前、封士ってやつだったのか!」

 俺は強い衝撃に包まれて気を失った。そして、ヤヒロにすっかり油断した自分の間抜けさを呪った。…もうそろそろ女の子が苦手っていうのを克服したい。薄れ行く意識の中で、情けないけど俺はそう思った。


1.ヤヒロ


 俺は辺境の魔王と呼ばれている。…俺がそう言っているんだから間違いない。この辺りは山に囲まれていて何にも無い。魔族は俺以外に見たことなんか無い。魔力を持たない普通の人間しかこの村にはいない。

 俺の魔力はずっと昔、10歳の時に発現した。それまでは俺もただの人間だった。今でもよく覚えているが、夏の暑い日だった。川へ泳ぎに行った俺は、いつものように大岩から勢いよく飛び込んだ。もちろん、足からだ。いつもと違ったのは、その日はたまたま俺しかいなかったことと、前日の雨で増水していていつもより渦が大きくて強かったことだった。俺はその渦の中に巻き込まれて、深みに沈んでいった。どんどん息が苦しくなっていった。そしてそんな俺を助けてくれる人間は、近くには誰もいなかった。『ヤバイ、死ぬかも』そう思った瞬間、恐怖と焦りで残っていた空気を全部吐いてしまった。川の底へ引きずりこまれていく俺と、あっさりと泡となって水面へ浮かんでいくさっき吐いた俺の空気。それを見た時、なぜか強い怒りがこみ上げて来た。

「戻ってこい、空気。俺の所へ戻れ。」

 そう強く思った瞬間、俺の周りには何故だか空気の泡ができていた。魔力が発現した瞬間だったが、何が起きたのかその時の俺にはさっぱりわからなかった。ただ、その空気の泡の中にいて息ができ、渦の力に逆らって水面へ浮かんで行っていることはわかった。水面へ出ても泡はそのまま存在していた。俺のいるところだけ、水面が半球状に凹んでいた。もうこれはいらないと思ったら、その瞬間に水面は元に戻り、俺は普通に水の中にいた。

 その後、もう一度同じものを作ろうとしたが、どうしてもできなかった。あきらめて川から上がった時、俺は濡れて寒かったので暖まりたかった。枯れ枝が集まっていた場所があったので、何とか火を起こしたかった。木を擦り合わせて火を起こそうと思った瞬間、枯れ枝が燻り燃え出した。今度こそ確信した。話には聞いていて、憧れていた魔力だった。間違いなかった、魔力が発現したのだ。今なら自分が何をしたのかがわかる。自分の周りに水中の空気を抽出させて泡を作り、枯れ枝の温度を上げて火を起こしたのだ。魔力は『よくわからないけど何でもできる』力ではなく、『こうすればこうなる』を実現できる力なのだ。

 その時から俺は人間ではなくなり、魔族となった。噂通りそれからは年を取らなくなり、20年で人間の1歳分しか身体は成長しなくなった。俺は今年252歳になったが、見た目は普通の人間の20代前半くらいだ。親兄弟はずっと前に死んでしまい、親族とも今では交流も無くなった。人間の中に入ってもみんな先に死んでしまうし敬遠されるので、ずっと独りで生きてきた。…別に寂しくなんかない! 俺は魔王なんだから。人間を超越した存在なんだから。


 俺のいる村は大きな街道からは離れたところにあり、この村を通ってどこか違う場所に行く道は無い。つまり、行き止まりの村なので旅人が通る事も無いし、出入りの商人が定期的にやってくるだけの辺鄙なところだ。だが、きれいな川もあるし、作物も取れるので自給自足できる。人がたくさんいる大きな街もあるらしいが、知り合いが誰もいないところにいっても仕方が無いので、俺はこの村から出たことは無かった。ここにいれば俺は常に一番の古株で、本来なら最長老と呼ばれる尊敬される存在だ。


 その日、俺はいつも通り夕食後の読書をしていた。俺の家にはたくさん本があり、ただ読むだけではなく実践してみることもある。だが、アカリさんの大声で中断させられた。

「魔王ちゃん、いるかい? いたらこの娘を診ておくれ。」

 俺は読書中だったし、無視することにした。それに俺は魔王「ちゃん」ではない。

「魔王ちゃん、いるんだろ? …明かりがついてるよ。出掛ける時には3回はうろうろ戻ってきて、消したかどうか確認しているんだからいるのはわかってるよ。」

 そんな細かいところまで見られてるんだ。でも、俺は無視した。

「魔王! 今は遊んでる暇はないんだよ。いい加減にしな。さっさと返事しなさい!」

「は、はい。…ごめんなさい。俺、…僕はどうしたら?」

 俺は玄関から外に出た。アカリさんの後ろに置いてある荷車に、20歳くらいの女の子が載せられていた。

「この娘は街道で倒れていたんだ。あんた何とかしてあげてくれ。可愛らしい娘だから、あんたの嫁さんにどうだ? 助けてあげたら、あんたを好いてくれるかもしれないぞ。まあ、可能性は低いだろうけど。」

 ひどい言われようだが、いつものことだから気にならない。

「さっさとやるか、私にもっと怒られるのかどっちがいい?」

 やりますよ、やればいいんでしょ。…俺は魔王なんですよ、もうちょっと敬意ってものは無いんですか? まあいいや、やりますよ。

 俺は自分の「気」を集め、ヤヒロ(もちろんその時には名前を知らなかったが)の手から送った。もし病気や怪我なら、そこで「気」が滞るのでどこが原因かわかる。でもヤヒロに送った「気」は、すぐに身体中に行き渡った。と、なると病気や怪我では無い。でも送った「気」がすぐに無くなったので、身体に力が無いこともわかった。…ただの空腹だ。

 俺は家の戸棚にある白い丸薬を手に取った。正確に言うと、戸棚の中から瓶を取り出して蓋を開け、1粒手に取って瓶に蓋をして戸棚に戻した。そういうふうに想像したら、俺の手には丸薬があるのだ。魔力で普通に瓶から取ってきただけなんだが、人間には決してできない。何でも手に入るってうらやましがっている人間もいるが、あいつらは本当に分かっていない。簡単に手に入るなら、そんなに欲しくないんだよ。いつだって手に入るなら、別に今すぐいらないんだよ。…ああ、魔族になった頃は珍しかったからいろいろ手に入れたよ。でも、すぐに飽きたし、その後持ち主に返すのが大変だったからそんな面倒くさいことはすぐにやめたんだ。

「あんた、何ボーっとしてんだい?」

 アカリさんの声で我に帰った。

 白い丸薬をヤヒロに飲ませたが、すぐに消化されて吸収されるはずだ。アカリさんが俺をじっと見ている。

「な、なんですか? 俺、…あの、僕が何かしました?」

「この娘が起きるまでは、あんたを見張っていようと思って。」

「見張る? どうしてですか?」

「…やっぱりあんたはいい子だねぇ。気を失っている可愛い女の子が目の前にいるっていうのに、邪な気持ちにはならないんだ。」

 はっ、そういえばそうだ。言われなきゃ全然気がつかなかった。でも、「助けろ」って言われたのに、助ける以外は考えないでしょうが。ん、この娘の左手に薄汚れた腕輪がある。

 俺がブツブツ独り言を言っている間に、ヤヒロは気が付いたようだった。

「うーん、もうお腹いっぱい。もう食べられないよ。…ん。あれ?」

 眼をこすりながら周りを見ている。

「良かった、気が付いたんだね。あんた、街道の脇で倒れていたんだよ。大丈夫かい?」

 アカリさんが優しく聞いた。

「…え? そうだったんですか。お金が無くなったので、4日くらい水しか飲んでなかったからかな?」

 4日間水だけって、そりゃ倒れてもおかしくないだろ。っていうか丈夫だな、君。

「この子が助けてくれたんだよ。…魔王って名乗っているのがアレだけど。」

 …アレですか。

「ありがとうございます。」

 ヤヒロは俺に微笑んで言った。うっ、可愛い。

「え、いえ、あの。…ど、ど、どういたしますて。」

「あんた、しっかりしなさいよ。300歳なんだろ、何をしどろもどろになってんだい。」

 おばさん相手なら平気だよ。それに300歳じゃないし。アカリさんも20年前は可憐な乙女だったのに、こんな風になっちゃうんだもんなぁ。長生きしても、ろくなことはない。

「あなた、魔族なんですか?」

 ヤヒロは少し警戒するような目になった。俺って、君の恩人のはずですよね? 他の魔族の奴らは、一体何をやらかしてるんだろう?

「ああ、心配いらないよ。この子は魔族だけど、大したことはできないから。いっつもみんなに心配かけてるんだよ。いい歳して、ほんとになんだかねぇ。」

 村の人たちはそう思ってるんですか、そうですか。俺が本気だせばすごいんですよ、みんな知らないだけでしょ。本気って、本気で何すればいいのかわかりませんが。

「あんた、名前は? どこから来たんだい?」

 アカリさん、どんどん聞いてくなぁ。

「わたし、ヤヒロっていいます。東都に住んでいたのですが、南都にあるお祖父さんの家に向かう途中だったんです。でも、東都を出てすぐにお金は盗まれてしまって、何にも買えなくて。川の水を飲んでなんとかここまで来たんですが…。でも、今はなぜかお腹いっぱいです。」

「ああ、それは3食分の食事を魔力で固めて小さくしたものを食べたからなんだよ。脂が多いと身体に負担になるから、消化にいい食事を集めたものにしておいたよ。」

 ヤヒロはポカンと俺を見ている。

「そこまで気遣いができるなんて、なかなかのもんだよ。どうだい、ヤヒロちゃん。この子のお嫁さんになるっていうのは?」

 ちょ、アカリさん急に何言ってんですか? これだからおばさんは。もうやめてよ、この娘困ってんじゃん。…困ってるのか、そうですか。恩人でもダメですか。

「この子はホントにいい子なんだけど、いつまでも独りでねぇ。そろそろ身を固めた方がって話になってから、かれこれ200年以上は経ってるのよ。もう、先祖代々の言い伝えっていうか、義務っていうか、大変なのよ。」

 義務って言うな! そんなに俺は村の人に心配かけてるんすか。

「みんな、そのうち魔王がおかしくなるんじゃないかって心配しているのよ。…実は私も若い頃にね、お前はどう思っているのかって聞かれたこともあったのよ。」

 え、ホント? 初めて聞いた。いつでもウェルカムでしたよ、俺は。

「…でも、ねぇ。」

 なんで、そこで苦笑い? 本人目の前にして、苦笑い? 何? 何なの? 俺の一体何がダメなの? ここはひとつ、歯を食いしばって聞いておこう。

「あの、すみません。できれば今後のために、貴重なご意見をお聞かせいただけるとうれしいんですけど。」

「…言ってもいいの?」

 ゴメンなさい、自分から頼んでおきながら急に怖くなってきました。

「何といっても、頼りないのよねぇ。魔力があるっていったって、大したことができるわけでもないし、いつまでたっても子供っぽくて。」

 もうお家に戻ってもいいですか? しばらくお外には出られないかもしれません。でも、別にいいですよね。

「わたしは何となく好きですよ、…魔王さんのことが。」

 アカリさんと俺はお互いを見たあと、ヤヒロを注視した。

「え、ホント!」

「え、ホント?」

 期せずして同じことをヤヒロに言ったが、ニュアンスは真逆だった。先手を取ったのはアカリさんだった。

「さっきあたしが言ったことを真に受けなくてもいいんだよ。あんなのはいつもの冗談なんだからね。例え恩人だって、別に大したことやったわけじゃないんだから。恩返ししなくちゃって、早まらなくてもいいんだよ。」

 それがホンネですか。

「助けてもらったことにはもちろん感謝しています。でも恩返しだけじゃなくって、わたし、魔王さんの目が好きなんです。少し寂しげだけど、澄んだ瞳が。」

 アカリさんは俺の横で驚愕し、同じくらい俺も驚愕していた。そんなこと言われたの、生まれて初めてだ。長生きして本当に良かった。人間の寿命のままだったらとっくに死んでいたから、こんな事聞くことなかったもんな。


「あんたがいいって言うならいいけど、もし何かあったら家においで。この道を西に向かって最初の家があたしの家だから。魔王が変なことでもしたら、すぐに来な。あたしがコテンパンにとっちめてやるから。」

 そう言って俺を一睨みすると、アカリさんは帰って行った。俺の傍らにヤヒロがいる。…どうしよう? 何だか緊張してきた、なに話せばいいの?

「魔王さん?」

「はっ、はい。…なんでしょうか?」

 ヤヒロは微笑みながら話しかけてきた。

「魔王さんって、呼べばいいんですか?」

「え、いや、あの。…それでいいです。」

「魔王さんって、ヤヒロみたいな名前ってあるんですか?」

「な、名前ですか? 昔は人間だったんで、その時の名前はあります。そう呼んでいた家族はもう誰もいませんけど。」

「…ゴメンなさい。」

「え、あ、そんな、謝ってくれなくていいよ。もう慣れたことだから。家族の中で僕だけが魔族になっちゃったんだからしょうがないよ。さっきのアカリさんも、口は悪いけど結構気にかけてくれてるんだ。この村の人達はいい人ばっかりなんだよ。」

「ゴメンなさい、魔王さん。魔王さんって、見た目は普通の人間と同じだから、なんかお兄さんって感じがして…。ゴメンなさい。」

「いや、いいよ。そんなに謝ってもらうと僕…、俺様が困っちゃうよ。ところで君のことは何て呼べばいいのかな? ヤヒロ…ちゃん?」

「ヤヒロでいいです。しばらくご厄介になります!」

 ヤヒロは俺の家で働いて、旅を続けるためのお金を稼ぎたいとのことだった。俺は自分のことは何でもできるが、可愛い女の子を助けるために身の回りの世話をしてもらうことにした。ヤヒロに必要なお金を渡すことももちろんできたが、それはヤヒロにきっぱりと断られた。自分は乞食ではないので、受け入れられないと。ヤヒロは誇り高い女の子だった。…ここで気がつくべきだった。そんな女の子が、そもそも街道で行き倒れになるのかってことに。


 誰かと一緒に食事をし、他愛無い話をする。つまらないことでも感想を言える相手がいて、独り言のように言葉が消えていかない。ヤヒロと過ごす日々は幸せだった。ずっと昔に無くなってしまって忘れかけていた、家族がいたときの暖かさを思い出した。俺は単純に幸せだった

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