小細工は圧倒的力の前では無力
時間通りに来た電車に乗り込み、あえて彼女の向かいに座り、宇佐への返信を打ち始める。
『拝啓うざ様。
先ほどのメール拝見させていただきました。いくつかおかしな点がございましたので、訂正させていただきます。
1. メールにおいて『ヤッホー』という呼び掛けはなんの意味も持たない。
2. 宇佐からのメールであることは差出人を見れば分かる。
3. 宇佐に俺の感情の変化を命令する権利はない。
4. 『みっちゃん』なる呼び名が玉屋 充を示すことを明示する必要がある。
5. デートであることを俺に報告する必要はない。
6. デートはサボりの理由にはならない。
7. リア充がネットスラングとか使ってんじゃねえ。爆発しろ。 敬具』
うざ、もとい宇佐への返信を済ませ、スマホをしまうと、目の前に座るどこか不満げなクロに視線を移す。
『クロの隣に座る』なんて愚行がろくな結果につながらないのは今まで幼馴染として、いや、昔からの知り合いとして被害者を見てきた俺としては良く知っている。
あいつは自分に好く男を金が出る財布か色々やってくれるマジックハンド程度にしか思っていないのだ。
だから、そういった存在は隣に座れば間違いなく何かに使われる。パシられる。またはおもちゃとされる。
ならば、惚れていない俺なら動かなければ良い話だと思うだろうが、あいつは俺に対して、周りの人間を利用してくるのだ。
先ほども言ったように彼女は教室では完全無欠の美少女。
俺のような根暗が、そんなカースト上位者の彼女にあまり反抗的な態度をとり続ければ、クラスという集団が牙をむく。
今のように、教室の外ならば距離を置く事である程度対抗できる……そう思っていた時期が俺にもありました。
「トモキ?トモキじゃない!」
不満げな顔を一転させ、誰を見つけたのかクロが俺の方を見ながら声を上げる。
俺の名前はトモキではない。
俺の名は水田 春夜。
トモキなんて間違われようもない。
そもそもあいつとは名前を間違われるような短い付き合いじゃない。
まあ、名前を覚えられるほどに興味を抱かれてない可能性もなくはないが、先ほど『ハル』と呼ばれたからには春夜の春くらいは覚えられているはずだ。
「トモキ!しらばっくれるつもり?」
電車の中であることを気にもせず、俺に迫ってくる彼女。
俺のことを呼んでいるのにほぼ確信しながら、後ろに誰か居るのかもしれないという希望を見出し見てみるものの、電車はすでに動き始めているし、もちろんそれらしき人物も居ない。
俺が再び彼女に視線を戻してみれば、彼女は予想より近づいており、豊満な胸を俺の目の前まで寄せながら、俺の胸板ーー正直見栄を張った。そんなものはないな。貧弱な胸部に指を突きつけている。
チッ、一丁前にでかいの持ちやがって。
「あんたよ!トモキ!あの夜以来連絡もなしで一体どういうこと?」
「え?俺?」
そこそこ大きな声で話すので視線が集まり始めた。なんとかしないといけないのに頭が上手く働かない。
『ピピピピピ、ピピロロ〜』
でかい胸に思考を邪魔され、ただでさえうまく流せない俺の鼓膜をメールの受信音に設定した曲が打ち、状況にそぐわない音楽に一瞬完全に思考を放棄してしまう。
それを気にもとめず彼女はトドメを刺す。
「あの女からの連絡ね!この後に及んでまだしらばっくれるつもりなの?いいわ!どうせ私のことなんて、一夜を過ごしたら忘れてしまう程度の……」
「ちょっと待った!」
俺は空白の脳内に響く「逃げろ」という警鐘に従い立ち上がると、彼女の手を取り、すぐさま車両を変える。
だんだんと正常な思考に戻ると、視線はかなり痛く、親が子供の目を覆う光景も見える。
ーーが、顔を隠したいのはむしろ俺の方だ。
顔から出た火が復讐心に引火しそうである。
隣の車両も勢いのままに突っ切って、さらに隣の車両まで行ったところで一旦立ち止まり、半ばキレ気味に疑問をぶつける。
「何やってんの?」
「あんたがわざわざ距離とったりするから嫌がらせしただけだけど?」
悪びれる様子もなくクロは答える。
つまり、教室のように周りを利用して、俺があの席に座ってられないようにしたってことか。
何かしらするかもしれないとは思っていたが、あそこまで捨て身で来るとは思わなかった。
「でも、もしあの車両に同級生でもいたらどうするつもりだよ」
「え?あんたが私から距離を取ろうとすることくらい乗る前からわかってるんだから、同級生くらい確認してたに決まってるじゃない。どうせ『あいつの隣なんてろくなもんじゃない』くらいに思ってたんでしょ?あんたも中々黒いわよね」
ばれてる。
捨て身の攻撃だと思った攻撃だったが、車内はすでに調査済みだったために実質リスクはなかったわけか。
しかしまぁ、こいつに黒いとか言われたくない。
「はぁ、で、じゃああんなことまでして、お前の要求は何なんだよ?」
「要求は隣に座ってもらえればよかったんだけど、空いてる席がないわね。あ、それと私2つ隣の車両に同級生がいるかどうかまでは確認していないわよ?」
クロはそんなことを言いながら若干視線を落とす。
その視線の先には引っ張った時に掴んだままになっていた彼女の手。
俺は咄嗟に手を離す。
照れ臭いわけではなく、知り合いにみられた時の危険性を考慮したまでだ。
……照れ臭いわけじゃない。
周りを見渡すために首を振っている俺に白々しい声がかかる。
「大丈夫よ。さっき入っていた時には見当たらなかったから。そもそもみられても問題ないでしょ?」
「あるわ!目が腐ってるクラスメートに見つかりでもしたら恨み買ってろくなことにならねぇのは目に見えてるんだよ!」
そう、腐っても人気者、むしろ性根が腐ってる人気者のクロと休日……平日か?いや、夏休みの一日としよう。
夏休みの一日に手を繋いで二人きりなんてクラスメートにバレれば変な噂がたって、結果的に俺が多大な迷惑を被ることになる。
「目が腐ってるなんて失礼ね。
それにもしクラスメートがいても適当な嘘つくつもりだったし、そんなに焦らなくても大丈夫よ」
「クロが人気者な時点で目は腐ってんだろ。というかどんな状況でも俺関連で嘘つくなよ。どうせろくな嘘つくつもりじゃなかったんだろ」
こいつ関連では油断してはいけない。
小学校5年生の時、千代子ちゃんに初めてもらったバレンタインチョコは帰り道にクロに奪われた。
ルンルン気分でスキップしながら帰っていた俺は『チョコが落ちていたから拾って食べた』というクロの嘘に簡単に騙されてしまった。
今考えてみればスキップくらいでランドセルの中のチョコは落ちないし、たまたま落ちてたチョコを食べる奴もいないだろう。
かなり落ち込んだものの、気をとりなおして次の日学校に行った俺は驚いたものだ。
みんなが俺を『浮気男』と揶揄し、千代子ちゃんには平手をくらったのだ。
そんな俺の視界の隅に映ったのはクロの姿。彼女は教室の隅で整った顔の口角を吊り上げ、ニヤっと黒く嗤っていた。
そこで彼女が犯人だと悟り、からかってくる奴らの話を整理すると、簡単な話だった。
彼女は自分が俺から千代子ちゃんのチョコをもらったと言いふらし、まんまと俺をはめたのだ。
その時点で学校での地位でクロに圧倒的に負けていた俺の言葉は信用されず、見事フラグは折られ、『浮気男』転じて『ウワッキー』と呼ばれた小学校生活はとうとう非リアに終わったのだ。
ちなみに次の年から、お詫びなどという名目でクロにチョコをもらっているが、別に全く嬉しくもなんともない。
勘違いしないで欲しいのは彼女はずっと白石さんとしてほとんどの男子にチョコを配っているということだ。
なのにその時までくれないとか俺が何やったってんだよ。
……ちなみに一応全部食べて、箱も取ってある。
「ハルはさぁ、いつもいつも私が黒いことしか考えてないとでも思ってるの?」
「うん、思ってる」
そりゃそうだ。
否定するなら俺の小学校の思い出返せ。
「まあいいわ、私が言おうとしてた言い訳はね、二人で大学に向かってるのに、ハルがわざわざ離れたとこに座って私の胸元とか、太腿をチラチラ見てくるから、文句言いに行ったら突然、無理矢理手を取られて……」
「酷すぎるだろ!」
これは酷すぎる。
何も俺が弁護されてないし……というか俺が完全に変態扱いだ。
というか見るためなら離れる必要がないだろ。
一般的に女性は、視線には敏感なのだから遠くから見たところでバレるのは確定的である。
ならば女性の肌の張り具合やみずみずしさをよりよく見るためには近くに陣取ってみたほうが良いだろう。
遠くても近くてもバレるのであれば近いほうが断然ましということである。
ちなみにこの理論はガン見を推奨しているわけではない。
ガン見はチラ見に比べて一部の特殊な性癖の女性を除いて感じる不快感が段違いなのだ。
まぁ誠に遺憾ではあるが、この基準においてはクロは一般的な女性として考えたほうが自然である。
よって、もし俺が彼女を見るのなら隣の席に座ってチラ見をするのだ!
……ま、所詮そんな勇気はない。
「え?これなら私の弁明になるじゃない?」
確かにクロの弁明にはなるかもしれないけど……なるのか?
よくは分からないが、普通女子同士でそんなことを言ったら自慢のようにとられるのではなかろうか?
いや、そこを上手くやるのがリア充か。
やはりこいつに任せなくて良かった。
「でも無理矢理手を取ったことも、胸とか太腿を見てたことも、事実じゃない?」
「太腿は見てねーよ!」
「胸は見てたのね」
満面の笑みで返してくるクロ。
くそッまんまと引っ掛かった。
妙なところで正直なのだ。
要するに俺は根は真面目な優等生なのである。
表向きでは根暗な地味キャラに見えるかもしれないが、あれは仮面だ。ベネツィアでも評価されていいレベルの作品だ。ごめん、嘘だ。
「好きな服一着」
「はぁ?高校生男子の財布の過疎化舐めんな」
「ごめん……」
とんでもない要求をして来た彼女の口から次に漏れたのは謝罪の一言。
俯いてしまった彼女の様子と意外な言葉に少しひるむ。
「非リアも二次元とかゲームにお金使うんだもんね」
俯いていた顔を上げたクロの顔に張り付いていたのは小3のあの時と同じ、黒い嗤い。彼女のよく見せる表情である。
「非リアだからってオタクだと決めつけんな!」
ちなみにオタクでないとは言っていない。
「あら、何かに打ち込める人は素敵だと思うわよ?」
「キモオタと同じ扱いすんな!」
俺はときどき『〜タン』とかは言うものの、恒常的に言っているキモオタとは違うし、フィギュアも舐めまわしたりはしていない!
そもそもフィギュアは愛でるものであって、俺の唾液などで汚すわけにはいかない!
「はぁ、仕方ないわね。ブランドバックぐらいで良いわ」
「話戻した⁉︎てか絶対値段上がってんだろ!」
「じゃあ、私の胸の代金は何で払ってくれるのよ?」
胸の代金ってなんだよ。お前は娼婦か?
「く、クレープくらいなら……」
理論的には訳が分からないが、近くからの視線と強い態度にたどたどしくなってしまう。
悲しきかな根暗の性。
「え?女子高生のリアルおっぱいを見てクレープ一つ?」
おっぱいって……教室のアイドル、白石さんはどこいった。
「はぁ、じゃあ二つで良いよ」
「分かったわ!クレープ三つね!」
先ほど見せたのと同じ満面の笑みを浮かべ俺の訂正を完全に無視するクロ。
クレープなら五百円くらいだろうし、三つでもまぁ、払える。
実際、ゲームやってただけの俺の財布はリア充に比べてそこそこ潤ってるしな。
……夏休みなのにこずかいが溜まることに目も潤って涙も溜まり始めたんだが……