捻れすぎて真っ直ぐに
人は極限状態に陥ると時間が遅く感じると聞いたことがある。
それは生命の危機に際してゴキブリがI.Q300になるのと同じかもしれないし、人間のその生物としての最大の武器である知能を最大限に利用するからかもしれない。あるいは三十パーセントしか出せていない力の残りの七十パーセントが発揮されて火事場の馬鹿力的なノリでスパーキングして終焉の焔がバーニングするからかもしれない。
つまり走馬灯。
周囲の光や、音を認知し脳で処理する余裕がなくなった俺は頭の中でアクセルシンキング。
思い出すというよりは断片的に通り過ぎていく記憶は俺の軌跡のようだ。
僕がその子と初めてあったのは入学式。
その頃まだよかった目に映ったその子は理由は分からないけど飛び出す絵本の大きなお家のように周りから浮き出て見えた。
僕がその娘と初めて話したのは小学校二年生の体育の片付け。
先生がみんなで片付けるように言ったのに一人で片付けてた僕を手伝ってくれた。
その頃まだ早い方だった足を使って逃げた。
俺が初めてそいつと遊んだのは小四の放課後。
所属させられてた男子グループと、そいつがボスの女子グループがたまたま第二公園に居合わせてかくれんぼをした。
木陰に隠れた俺と同じところに隠れたそいつは文句を言っていたが、距離が近すぎて俺の耳には俺の心臓の音しか聞こえなかった。
その頃から薄かった影はその音も含めて俺を隠した。
俺が初めて彼女に振られたのは中二の初夏。
常日頃から怠ることなく魔導書との契約更新を行っていたにもかかわらず、呪言が俺の鼓膜を叩いた。
即ち「彼女に恋人ができた」……と。
その頃から変わらず暑い夏の夜は、冷えきった世の中と俺の心を暖めてくれるつもりはないようだった。
俺が初めて努力をしたのは中学三年。
中二の時、毎日広辞苑を引いて、難しそうな言葉を復唱していたために語彙力だけはそこそこあったが、その他は下の上。内申を稼ぐために柄に合わないこともやったし、思い出すのも嫌なくらいには勉強もした。
中二の頃の噂が嘘だと知って、小耳に挟んだクロの志望校を目指した。
その頃の俺には今はない活気があった。
俺がクロと初めて二人で出かけたのは今日。
隣にクロがいた。
理性を用いて最大限に感情を抑え、くだらない思考で最高潮に自分を諌めた。彼女を否定することで自分の心を否定した。いつもやってることだが、今日は、もう、少し、……疲れた。
視界が開ける。
乃絵島燭火ノ塔の屋上展望台。
人々の間を目立ちすぎないようにすり抜けたクロは展望台の端部にたどりつくと突然振り返る。
「……クッキーを!」
クッキー?なんの話だ?中一の時にクロがくれたバレンタインのクッキーのことか?
クロに合わせて足を止めるとクロが途端に巨大化し、膝から鈍い痛みを感じる。
なんとか手をついて頭部は守ったものの、荒れ狂う心臓と、震える四肢はこれ以上俺の意思に従うつもりはないとストライキを起こした。
耳や目は無意味に情報を集める。
味覚は若干酸味を感知する。
初恋が酸っぱいというのなら、その味はレモンなんてさわやかなものではなく、涙を流した時の嗚咽に付随した胃酸じゃないだろうか。
普段は石に漱ぎ流れに枕する俺だが、今は流れに漱ぎたい。
「ハル!リュックをもらうわよ!」
クロの草履が目の前まできて止まる。
鼻緒を挟む親指と人差し指は左右の足に違いはあれどどちらも赤く綺麗だったであろう肌がむけて痛々しい。
跪いた俺は両手を挙げさせられ、膝をついたまま万歳の体勢に移り、幼子よろしくリュックを脱がされる。
クロは再び人が落ちないように設置された柵の側まで若干の駆け足でよると、リュックを放り投げた。
膝立ちの俺から落ちていくリュックが見えたのは一瞬だったが、憐れにも見えるそのリュックの様を見て中身を思い出す。
爆弾を捨てることが出来た。
だんだんとはっきりしてきた思考に従って俺は再び両手を挙げた。
「やった……」
投げ捨てた爆弾の末路を見届けた様子のクロが振り返り近づいてくる。
未だに息が荒く心臓が暴れている俺ほどではないが、さすがにクロといえど疲れたのだろう。
いつもは白いその頬が少し紅く染まっている。
「……クッキーは海に落ちたわ」
万歳の俺の手を引き上げながらクロは口を開く。
俺は正直まだ立ちたくないのだが、クロの手を払うこともできず、立ち上がる。
「イテテ……はぁ、はぁ」
「本当に、もう、見てるこっちが情けないわよ……」
「帰宅部は長・短距離走なんだよ。中距離なんて持たねぇよ」
ゆっくり立ち上がった俺は軽口を叩ける程度には回復したらしい。
自分の優れた回復力を讃え、崇めると同時に少し恨んだ。
「私は女子よ?」
「言ってんだろ今の時代は男女平等なんだかーー」
刹那、クロの紅い顔がオレンジ色に照らされる。
その光源を見ようと後ろを振り返り、クロの奇行が誰にも咎められなかった理由に行き着く。
花火が上がった。
一発目を飾るのにふさわしい大判で艶やかな花火は夏の夜空にリビングに寝そべるニートのような我が物顔で居座る。
ただ割れて消えるだけの存在であるのにやたらと態度が、体躯がでかい。
ドォォォォォン‼︎
遅れてやってきた破裂する花火の自己主張に背後からどこか聞き覚えのある轟音が混じった気がしたが、散りゆく花火から目を離すほどのことではない。
なるほど、確かにこの一発目を味わうためなら誰も直前に崖側で奇行をしている女に興味など示さないだろう。
そんな存在がいるとしたら俺くらいか。
俺は一発目の残花が消える前に新たに夜空を支配した大輪から目を離し、後ろにいるはずのクロに振り返る。
「あら?私に用?」
しかしその声は予想外にも俺の右隣からかけられた。
用?と問われて見た理由を考え、特に理由が無かったことに思い至る。
理由も無く見ていたでも良いが一つ素直になるか。
あえて彼女の目を見てーー
「あぁ、用だ。花火が綺麗だな……ちょっと」
ーー彼女の目が俺の目を捉える前に目をそらす。
あーあ。俺ってチキンだな。
「はぁ、確かに正々堂々って柄じゃないわよね。まぁ、あんな風になら……爆発しても良いかもね」
間接視野で捉えた彼女は俺をまっすぐ見つめてそう返答した。
その声は響くこと無く周囲の喧騒に紛れ、次の破裂音に上塗りされる。
しかし、他のどんな音よりも俺の胸に余韻を残した。
あとエピローグで今章は終わりです




