緊張は渇きを呼び驚きは空白を生む
喉が渇いた。
昼食以来水分を口にしていないことや、そもそもの気温が高く、汗を流したこともあるが、一番の要因は目の前のリュックに再び封印されたものだ。
そして、それを見ながら踊るようにスマホをタップし何かを調べているクロも何かしら俺に悪い作用を及ぼしているだろう。
飲まねえならアイスコーヒーくれよ。
そんな言葉を発しそうになったところで不意にブルーライトを浴びていた目がこちらを捉える。
「方針は決まったわよ。とりあえず、帰宅ね」
「……それは?」
『帰宅』という魅力的な言葉に喜びを感じるのも束の間、大きな障害が目に入る。
「無い脳みそでちょっとは考えないの?それはハルが持ってきたんだからハルが持って帰るのよ」
俺の自宅に爆弾を持ち込めだと?
「やだよ!そんな危ねーことできるわけねーだろ!」
古来から自宅とは人々を守り続けている。
元々は動物などの物理的な外敵や、雨風などの環境から身を守っていたのに加え、霊的な解釈においても結界のような意味合いを持つ。
日本のサラリーマンが生涯でする一番大きな借金が『夢のマイホーム』であることが珍しくない事からもその重要性が分かるだろう。
中で子供を育てる。
有袋類的に考えれば育ての母とも言える自宅を危険に晒したくないのは当然なのだ!
「下手にどっかに置いとくわけにもいかないでしょ?最悪テロリストとして捕まるのよ?」
クソッ、ここで「お前が持ち帰れ」と言えたらどんなに楽だっただろう。
先ほども述べたが、この件について悪いのはほぼ100%俺である。
俺が持って帰るのが筋であるのは明白だ。持って帰りゃぁ良いんだろ⁈
ごめんよ我が家。
「わかったよ!一旦持ち帰るだけだな?」
これでクロのせいで俺が爆弾持ってんのばれたりしたら俺でも怒るぞ⁈
「そうよ。爆弾を家で爆発させたくなかったら精々爆弾に爆発するようなーー?!」
「お、お前アホか!それ持ってることがばれたら洒落になんねーんだぞ?!」
先程の言葉通りに動くなら俺たちは警察には行かず、自分達で爆弾を処理することになる。
どこかで爆発させるのが現実的だが、たとえ俺が解体しようともそれは違法行為なのだから、周りの人間にバレるわけには行かない。
というか家に爆弾持ち込む約束という生涯で一度もしないと思っていた約束までしたのに捕まったら最悪だ!
それが分かっていないのか爆弾という言葉を平気で使用するクロの口を思わず遮ったのだが……
「……あ、悪い」
仮にも、同級生の女子の口に手を添えてしまった。
テーブルに身を乗り出して美少女の口を塞ぐ俺は客観的に見てかなり危ない状態だろう。
流石に目を見開いて驚いているクロを前に、なんとかしなければならないのは分かるが、頭が上手く回らない。
「悪いと分かってるなら早めに手をどかして欲しいわね。……今回は許すわ」
いつものように何事もなかったように俺の手を払い、毒を吐き、いつもと違って俺から目をそらし、呟いた。
可愛い。
この場を客観的に見ていたら、クロの恥ずかしそうでどこか儚げな姿に目を奪われてしまうだろう。
「えーと……」
次の言葉が上手く出ない。
そもそも許されるのが想定外すぎるが、それだけでは無い。
もしかしてクロの見た目は主観的に見ていた俺さえも惚けさせるほどなのか?
いや、相手はクロなんだ。俺が照れて話せないなんて冗談でも面白く無い。演技には見えなくてもクロはクロだ。
「許すって言ってるでしょ。アホな顔してないでなんか言いなさいよ」
「あ、ああ。ありがたきお言葉でございます。黒美様」
いつもの態度に戻ったクロに、こちらも即座に対応する。
こっちはただでさえ言葉のキャッチボールは苦手なのに突然変化球投げるなよ。
いや、今の状況は俺に原因があるか。
「ハルに黒美とか呼ばれるのは気持ち悪いわ。ハルだってゴキブリに名前は呼ばれたく無いでしょ?」
「ミズタシュンヤはゴキブリじゃない。ついでにゴキブリに声帯はない」
「あら、知ってるわ。さっき言ったでしょ?あなたはゴキブリ以下よ。ついでにゴキブリは体の一部をこすり合わせてギィギィ鳴く上、命の危機に晒されるとI.Q300超えるらしいわよ?」
確かにI.Q300あったら一言くらい話せるかも知れないな!
なんでこいつこんなゴキブリに詳しいんだよ……。
「はぁ、わかったよ。クロでいいんだろ?……んで?それはどうすんだよ」
今はクロの呼び方より目の前の問題の方がよっぽど重要である。
ゴキブリの鳴き声とか本格的にどうでもいいのだ。
「『それ』の呼び名も何かしら決めないと分かりづらいわね。『巨大おにぎり』とかって呼ばない?」
巨大おにぎり=バクタンって事ね。
微妙だな。爆弾について瞬時に伝えなきゃいけないこともあり得るのに語呂が悪すぎる。
「いや、咄嗟に言いにくいだろ。ここは『マレー爆』でどうだ?」
呼びやすくて、何のことを言っているのか間違いなくバレ無い。完璧な呼び方だろ?
「馬鹿なの?それともバクなの?」
俺は馬でも鹿でもバクでもない。そもそもバクは罵倒の言葉じゃない。
もちろんゴキブリでもない。
「マレーバク持ち歩く人なんて居ないわよ。ハルは夢も希望も食べられたような顔してるけど……」
確かに日常で「マレーバク持ってる?」なんて会話は聞いたことが無い。動物園でも別に好き好んで見るほどのものでも無いだろう。
「どんな顔だよ。というか、バクが食べるのはそっちの夢じゃない」
ちなみに夢があるとは言っていない。
先程から言っているが俺は希望である。
進路相談で先生に「水田は……まぁなんとかなるだろ」と言われるほどに、相談するまでも無いほどに俺の未来の希望は確約されているのだ。
まさかうちの学校の優秀な担任がその生徒のことをよく覚えていないなんてことは無いだろう。
「……クッキー。クッキーでいいんじゃ無い?」
暫しの沈黙の後、クロが声を上げる。
クッキーか。なんか違法薬物をガムとかチョコとか言うのに似てるな。
「オッケー。そしたらそいつはクッキーで行こう。結局そのクッキーはどうすんだ?」
ずれた話を元に戻す。
「クッキーは私の願望を叶えるために使うわ。でも、その前に一旦帰宅よ」
クロの願望?全くもって検討がつかない。
そもそも、運動できて、勉強できて、美人で、人気者で、友達がいて、彼氏も作れる奴がまだ何か望むとか周りからの妬みが爆発するぞ?
何より爆弾使って叶える願望ってどんな危険な破壊願望だよ。
「つまりは処理は一緒にしてやるから願望を叶えるのを手伝えって事ね」
つまるところそういうところだろう。
クロは握りに握ってきた俺の弱みにさらにこの爆弾の件を加えて俺に無理難題な願望を叶えることを手伝わせようという算段なんだろう。
ま、爆弾を伴うとはいえ一旦家に帰れるんだ。その後に詳しく聞いても良いか。
「そうなるわね。そろそろ動かないと間に合わないわ」
自らの言葉に従いクロは立ち上がり、バックを手に取る。
それに伴ってつい俺も立ち上がってしまうのは日本人の性だろう。
こんなんだからこいつに遊ばれる。
「あ、クッキー忘れないでよ?」
俺からしても当然とも言える宣告ではあるが、これから暫く爆弾を背負わなければならないことを想像し、一瞬放心してついアイスコーヒーのカップを倒してしまう。
しかし焦った俺の予測に反して、LLサイズのカップからは何も溢れない。
飲むの早すぎだろ。
爆弾見つけてから飲んでなかっただろうに……




