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少女X  黒野さんの秘密

作者: n.n.

「…というわけだ。このようにエドワード・モースが大森貝塚から土器を発見したんだ。わかったか。ここ、明日のテストに出るかもしれんぞ。出るかもしれんからな。もしかしたら出るからな。たぶん出る可能性が高いからな」

 頭のはげた日本史の先生が黒板をチョークでたたきながらそう言う。みんな必死でノートを取ってる。そりゃそうだ。中学三年の二学期期末試験。重要に決まってる。ぼくも慌ててノートを取る。けれど眠くて眠くてしょうがない。

 この授業が六時間目で最後だ。この授業さえ乗り切れば今日は終わりだ。でも、眠い。

 ここは出るかもしれないし、もしかしたら出るし、たぶん出る可能性が高いけれど、出ない可能性もなきにしもあらずとまでいえなくもなくないし、と思って居眠りしようかという気になる。

 ピュー、と寒い空気が入ってきた。横を見ると黒野さんが窓を開けて外を眺めてた。こんな日に窓を開けて寒くないのだろうか。ノートを取る気などまったくないようだ。明日テストだというのに大丈夫なのだろうか。黒野さんは学校一の変わった少女だ。あだ名は少女(エックス)。何を考えているのかさっぱり分からない。黒野さんの成績はすごく悪い。いつも0点を取ってる。そりゃノート取らずに窓の外を眺めているからしょうがないけれど。あそこまでかっこよく授業を放棄できないと思った僕はノートを取り出した。


「明日の試験に向けてさっさと家に帰って勉強するように、以上」

 帰りの会が終わるとみんな担任の先生に言われたようにすぐ帰っていく。ぼくも帰ろうとしたが、隣の席の黒野さんがまだいすに座ったまま窓の外を見てた。担任の先生がやってきて黒野さんに言う。

「黒野、おまえちゃんと勉強しろよ、中間試験は最下位だったんだからな」

 窓の外を見てた黒野さんが顔を先生の方に向けて言う。

「だいじょおおおぶですよぉ、せんせぇ」

「そ、そうか、ならよし」

 黒野さんに怖気づいたのか先生は足早に去っていった。ぼくは帰ろうかと思ったが、黒野さんのことが気になった。

「ねえ、さっきノート取ってなかったでしょ。明日のテスト大丈夫なの」

 そこでちょっと迷ってから言う。

「ノート、ぼくのでよかったら貸そうか」

「必要ない」

 即答が返ってきた。

「なんで」

 思わず語気を強めて聞いてしまう。

「ふっふっふっ」

 黒野さんは「ふっふっふっ」としか表記できない異様な笑い声をあげた。さすが少女Xだ。

「な、なに、どういうこと」

「あたしは明日のテストで最下位になることはない」

 黒野さんはそうきっぱりと言った。それはうそだ、とぼくは思った。だって黒野さんはずっと最下位なんだから。ちなみにどうして黒野さんが最下位だと分かるかというと、先生がテストを返すとき、最高点と最低点を言うのだ。もちろん個人名は伏せて。けれど先生が「最低点は0点だ」と言った瞬間、必ず黒野さんが「あ、あたしだ」とクラス中に聞こえる声でぼそりと呟くのだ。黒野さんがわざとみんなに聞こえるように言ってるのかどうかは不明だ。だから少女Xなのだ。何を考えているかさっぱり分からない。

「あたしは明日のテストで最下位になることはない」

 もう一度黒野さんがそう言う。はっ、と気づいた。

「も、もしかしてカンニングする気?」

「そんな俗物的なことはしない」

 即答で否定された。

「ぞ、俗物ってなに」

「世俗的なものごとにとらわれていることだ」

 黒野さんは男子みたいな言葉遣いをする。

「そ、そうじゃなくて、じゃあどうやって最下位を脱出するつもりなの」

「教えて欲しいか」

 そうはっきりと聞かれるとなんだか困ってしまう。けれど聞かないわけにはいかない。

「お、教えて」

「そうか、う~ん、う~ん、う~ん」

 黒野さんは「う~ん、う~ん、う~ん」としか表記できない異様なうめき声をあげた。どうやらぼくに秘密を教えるかどうか迷っているらしい。さすが少女Xだ。

「教えてやる」

「あ、ありがとうございます」

 思わずバカ丁寧に感謝してしまった。

「じゃあ、あたしの家においで」

「え」

 ぼくは目が点になる。



 黒野さんの家に行くのはもちろん初めてだ。というか、学校中で黒野さんの家に行ったことのある人はいないんじゃないだろうか。アマゾンの奥地に行くような気分だった。はたして生きて帰ってこれるだろうか。なにせあの少女Xの家に行くのだから。ぼくは死刑宣告を受けた囚人のような気分で街を眺めた。ぶよぶよに肥大化した夕日が山に沈んでいくのが見えた。

「ここだ」

 そう黒野さんが宣言する。なるほど、そこに確かに家があって「黒野」なる表札が出ている。家は意外に普通の住宅だ。黒野さんは鍵を開けて無言で入る。どうやら誰もいないらしい。玄関に巨大な砂時計が置いてある。

「あたしの部屋、二階だから」

 黒野さんに続いて二階にあがる。黒野さんの部屋に入るととにかくその本の多さに圧倒された。数える気をなくすぐらい本がある。本棚に入りきらない本が山積みにされてところどころ雪崩を起こしている。そして玄関にあった砂時計の小型のものがいくつか置いてある。壁にはアナログの時計がかけてあるが、十二個の数字がが全部「6」になってる。黒野さんは部屋の奥の茶色の古びたソファーにドン、と腰を下ろした。

 そして両手をひろげて言う。

「ほら、こっちおいで」

「え」

 またもやぼくの目は点になる。次の瞬間、ニャー、と鳴き声をあげて猫がするりとぼくの足元を通った。そのまま黒野さんの腕の中に飛び込む。

「これ、飼ってるのだ」

「そ、そう」

 その猫は全身濡れているように光沢を放っている黒色だった。黒猫の頭をなでながら黒野さんははっきり一言一言声に出した。

「明日、テストが、あることは、ない」

 今なんて言ったんだ。明日、テストが、あることは、ない? ぼくは冷や汗たらたら状態に陥った。カンニングなんてもんじゃない。黒野さんなら学校に爆弾を仕掛けかねない。

「く、黒野さん、変なことは、や、やめようよ。別にテストの点が悪くったっていいじゃないか」

 必死の説得を試みるぼくを無視して黒野さんはさらに一言言い放った。

「明日は来ない」

 あ、明日が来ない……。しまった、とぼくは後悔した。黒野さんが人類滅亡を画策する宇宙人だったとは……。

「あたしは人間だ」

 黒野さんがぼくの心を読んだかのように言う。そしてにたぁと笑う。もうとても人間とは思えなかった。ぼくはアマゾンの奥地に行ったほうがよかったと確信した。もうぼくは生きて帰れない。いや、それどころか人類滅亡だ。



「あっはっはっはっ!!!」

 黒野さんがいきなり大声で笑い出した。黒猫も笑ってるように見える。

「そんなにびくついて、おかしい。ごめん、ごめん、ちょっと変なこと言い過ぎた」

 黒野さんは発作を起こしたかのように笑い続けている。

 ぼくはからかわれていたことにやっと気づいた。

「ひ、ひどいよ、黒野さん。変なことばっか言って」

「ごめん、ごめん。でも明日が来ないってのは本当だから」

「ま、またそんなことを。もうだまされないよ」

 黒野さんは急に笑うのをやめて真剣な顔で言った。

「いいか? 明日になることはないのだ。なぜなら時間は流れていないからだ」

「じ、時間が……、で、でもだって」

「それは錯覚だ」

「さ、錯覚って」

「どうして右を見て左を見るように、過去を見て未来を見れないのだと思う」

「そ、そんなこと、だって時間は」

「そうだ。時間は空間とはまったく違う概念だ。だから空間内で見る方向を変えたり移動の方向を変えるように、時間内で見る方向を変えたり移動の方向を変えることはできない。時間を直線や矢のように表現したりするけれどあれは便宜上のものであって、時間とは断じてそのようなものではない」

 ぼくは黒野さんの迫力にたじたじになりながらやっと尋ねた。

「じゃ、じゃあ時間って何なの」

「あたしは考えに考えぬいた。時間とは何か。それが分かれば明日のテストをどうにかできるかもしれない」

 そ、そんなことのために考えたのか。さすが少女Xだ。

「その結果、あたしは分かった。時間の正体が。そしてそれによって明日のテストで最下位をとることはないことを確信した」

「じ、時間の正体……」

「そう、時間の正体とは、意味だ」

「い、意味?」

「そう、いいか、時間とは過去、現在、未来に分けることが出来る。けれど未来は存在しない。なぜなら未来とは我々の想像の中でしか認識できないからだ。明日のテストは我々があるだろうと現在思っているものにすぎない。つまり明日のテストの存在は現在の我々の思いの中にしかない。明日のテストは明日にはないのだ。そして、過去とはその経験や記憶を現在想起しているに過ぎない。つまり過去は現在の中にしかない。一言で言えば、存在するのは現在だけだ。未来も過去も現在の中にしかないのだ。未来は未来になく、過去は過去にない。では時間とは何か。それは現在にある過去と現在と未来を整理するための意味でしかない。時間は前にも後ろにも広がっていない。我々は無限大の直線の一点なのではない。ただの点でしかない。無限大の直線は存在しない。それはただの一点の中に便宜上存在するということになっているものだ。だから、明日はない。あるのは現在だけなのだ」

 一気に喋って黒野さんはそこでぴたりと黙った。ぼくの顔を覗き込む。ぼくにはさっぱり理解できなかった。黒野さんの顔に不安の表情がよぎる。どうやらぼくは黒野さんが思っているほど頭がよくないらしい。黒野さんが再び堰を切ったように喋りだした。

「う~ん、わかりやすく言うとな、よし、いいか、明日にテストがある。でもいつまでたっても明日にはたどりつけない。だってずっと今日だから。明日になっても明日は明日にあるのだ」

なんとかぼくにもわかってきた。

「そ、そうか、じゃあ明日になっても今日だから明日のテストは明日になっても明日にあるんだね」

「そう、そうだ」

 黒野さんがほっとしたようにうなづく。

「で、でもあと五、六時間したら21日になるよ。21日はテストの日じゃないかな」

「21日がいつ来る?」

「明日……あっ」

「だから明日は来ないんだって」

「そうか、明日は来ないんだ。そうかそうか、だからずっと今日が続くんだね。明日は来ない。ならば明日のテストはない。ならばテストを受けることはない。ならば最下位をとることはないってことだね」

 黒野さんは黙って笑った。とっても満足そうに。ついにぼくにも時間の秘密がわかった。そうか、だからあの時計は文字がぜんぶ同じなんだ。だって時間は進んでいないからだ。部屋の隅に置いてある砂時計がさらさらと時間を刻む。けれどこれもひっくり返せば元のとおり。時間なんて流れてないんだ。

「す、すごい。だからノートとってなかったんだね。ああぼくもノートなんかとらなきゃよかった。でも勉強しなくていいことがわかってよかった。でもそうすると、じゃあ何しようか。黒野さんは何するの」

 黒野さんは再びうめき声を上げ始めた。

「う~ん、う~ん、う~ん、……猫と遊ぶ。君はどうする」

黒野さんに君といわれてちょっとドキッとした。

「え、えっと」

「ずっとここにいてもいいよ」

「え」



 気の弱いぼくは黒野さんの家を出たが、どこへ行こうかと迷った。もうずっと今日が続くとわかった以上、明日のテストの勉強をするなんてバカらしい。ぼくは夜の街をふらふら歩き回った。一晩中遊びまわったぼくは、遊び疲れたので家に帰ろうとした。そのときちょうど学校の前を通った。自分のクラスを見ると窓のところに誰かいる。黒野さんだ。手でおいでおいでしている。クラスまで行くと休み時間らしかった。みんなわいわいやっている。よく聞くと日本史のテストの出来をお互いに確かめ合っているらしい。

「遅刻か」

 先生がぼくの顔を見て言う。

「え」

「試験終わったぞ」

「ど、どうして」

「どうしてって、今日は日本史の試験の日だろ」

 先生が不思議そうにそう言う。

 クラス中が静まり返る。

「え、え、だ、だって明日は来ないはずじゃ……」

 クラス全員が爆笑した。



 黒野さんはなに知らぬ顔でいすに座って窓の外を眺めている。どうやら黒野さんはしっかりテストを受けたらしい。

 だ、だまされた……。

「う、うそついたな」

 ぼくは黒野さんにそう言う。

「うそ? うそなんかついていない。あたしは、明日のテストで最下位になることはないと言った」

「え」

 黒野さんはにたぁ、と笑った。

「テストを受けていない人間が一人いるだろ。あたしが0点をとるとする。けれどその一名はテスト自体受けていない。いわば0点以下だ。となるとその一名が最下位であるといえる。したがってあたしは最下位ではない。ほら、うそじゃなかっただろ」

 そういうと黒野さんはまた窓の外を眺めた。ぼくが何も言えないでいると黒野さんは窓を見ながら付け加えた。

「それに、今回のテストはあたしは0点じゃない。

 あのあとあたしはずっと勉強してたからな」

 ぼくは恐ろしいことにふと気づいた。なぜか窓がしっかり閉まっている。

「ど、どうして窓開けてないの」

 ぼくはこわごわ聞く。返事はいたって簡単だった。

「あたしがノートとってないのを見させるために決まってる」

 さすが少女Xだ。


 ぼくはそんな黒野さんが大好きだ。


                                    (終)



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