ワタシの望む世界(あなたの望みをかなえる"幸せのブレスレット")
※残酷な表現があります。
街灯に照らされた粉雪が舞う中、私は赤提灯のぶら下がった出入口に駆け寄った。
コートの肩に降り懸かった雪を払い除ける。
そして肩に掛けた手を止め、ため息をつく。
ふうわりと広がる白い息をぼんやりと眺めた。
背筋を伸ばし、覚悟を決めて、出入口の引き戸に手をかける。
「あ、こっちこっち!」
引き戸を開けた途端、熱気が襲い、私を呼ぶ声が聞こえた。
混雑する狭い店内をすり抜けて、一番奥のテーブルにたどり着いた。
六人テーブルには、男女五人が座り、拍手で私を迎えてくれる。おしぼりを持ってきた店員に脱いだコートと、手に持っていた花束を手渡した。
椅子に座った私の前に、ジョッキに入ったビールが置かれる。
テーブルの上には、所せましと酒のあてが並んでいた。
「えー、それでは、我等がアイドル明日香様の卒業を祝いまして」
私の横に座っていた男性がビールジョッキを片手に立ち上がる。
「乾杯!」
「乾杯!」
皆が私のジョッキにコツンとぶつけ、ビールを口に流し込む。
「長い間ご苦労様でした」
正面に座った女性が、ビールを飲み干して言う。
高校を出てから。あっという間の年月だった。
「でも、明日香は何年たっても変わらないよな」
ビールを飲み干した背の高い男性は、タバコに火を付けながら言う。
私たち六人は高校時代、バンドを組んでいた。
私の横に座る男性はギター、前に座る女性はサブボーカルとギター。その横に座る女性は、作曲とキーボード。背の高いタバコの男性はベース。一番奥に座る少し太りぎみの男性が作詞とドラム。
高校卒業時に、それぞれの進路が別れた。
「ほんと。みんな年とっちゃったね。特にあんた」
サブボーカルの彼女が、揚げ餃子にかぶりつくドラムの男性を見る。
「また太ったかな」
彼は、丸々とした腹を撫でて笑った。
私も、バリバリサラダを口に入れて笑う。
「でも、明日香、電話繋がらなくて大変だったんだよ」
パリパリ春巻きを口に加えたサブボーカルの彼女が言った。
「ごめんね。事務所から仕事用の電話持たされてたんだ」
私は顔の前で手を振って頭を下げた。
「事務所に電話したりして迷惑じゃなかった?」
キーボードの彼女が、ビールから烏龍茶に変わったジョッキを飲みながら私を見る。
「て、お前、なんでもう烏龍茶飲んでんの?」
ギターの男性が、コロコロステーキを箸でつまみながら、キーボードの彼女を指差す。
「私、連チャン。昨日も中学の同窓会あったから」
「あ、あの毎年雪ダルマ作ってるていう」
チーズがどっさり乗ったピザを口に運ぶ彼女はサブボーカルの彼女の言葉に頷いた。
「私もバイト先の……」
ビールを飲み干し、ジョッキをテーブルの上に置いた私は、ジョッキの縁を流れ落ちる白い泡を眺めていた。
なんだろ。
みんなの話が耳に入ってこない。
みんなの名前、覚えてるはずなのに。
*
駅に着くと、皆がそれぞれのホーに分かれていった。
私のホームには、少し離れてギターの男性が立っていた。
凍りついた空気を破るようにガラガラの電車が滑り込む。
出入口すぐの座席に座る私。彼は出入口の横に立ち、窓の外を眺めていた。
「大丈夫か」
彼は窓の外を見ながら呟いた。
私はびくっと体を震わす。
「あんな感じだけど、みんな心配してるんだ」
膝の上に置いた花束を握りしめる。
「なんか、悩みとかあったら相談しろよ」
彼の声を掻き消すように、車内に次の駅を告げる。
「俺は、相変わらず一人ぼっちだし」
アナウンスの声と彼の声が重なる。
電車が停車し、出入口が開く。
「じゃあ、まあ、ちょっとゆっくり休め」
電車を降りた彼の言葉に頷く。
「ありがとう」
私のつぶやきは、ドアが閉まる音に掻き消されただろう。
誰もいない車内。
断続的に続く走行音。
揺れる吊り革。
窓には嘘ばかりついた女の顔。
卒業なんて、ていのいいお払い箱の言い訳だった。
次から次に入ってくる才能にあふれた若い女の子達。歌うことだけは自信があったけど、この業界では、特に私たちの世界では、センターをとらなきゃ歌う事も出来ない。
雑誌のスキャンダルは完全に仕組まれた物だった。昔なら、事務所が潰してくれていたから。
電話を持っていないのは、ネットに書かれた不快な言葉を見たくなかったから。
私、これからどうしたらいいんだろ。
握り締めた花束に涙が落ちた。
*
ワンルームマンションのドアを開ける。
扉の中は、段ボールで一杯だった。
曲を出す度に、ライブが終わる度に、恋が終わる度に、自分へのプレゼントとして通販で買いあさった商品である。
中身は服、靴、アクセサリー、家電等々。
段ボールの隙間を通り抜け、辛うじて残ったベッド回りのスペースに行き着く。
花束をベッドに放り投げ、コートをハンガーに掛けた。
ベッドの側には、ビリビリに破れた週刊誌が散らばっていた。
いかがわしい建物から出てくる二人の人物。うち一人はマスクをした私。もう一人は、もう誰だか忘れた。
週刊誌を蹴飛ばし、ベッドに腰掛ける。
髪の毛をくしゃくしゃに掻きむしり、ふと見ると、週刊誌の裏表紙が見えていた。
『あなたの望みをかなえる"幸せのブレスレット"』
通信販売のページだった。
*
新しい電話を購入した私はさっそく"幸せのブレスレット"を購入した。
ベッドに寝転がり、ブレスレットを巻いた腕を天井にさらす。何の変哲もない、黒い石が繋がれたブレスレット。こんな物で望みが叶うのだろうか。
まあ、気持ちの問題なのだろう。
*
「ん……」
あ、電話か。
ボサボサの頭を振り、ベッドの上に散乱するファーストフードの食べさしを床にばらまく。
フライドポテトの下で電話が鳴っていた。
「はい」
髪を耳に掛けながら電話に話しかける。
『明日香様ですか? 私、VRTVのアシスタントプロデューサーをしています小菅と申します』
「はあ」
『実は、弊社の看板番組ワールドスペシャルショップのアシスタントとして、是非明日香様をと』
VRTV……、聞いたことがない。それに、どうして私なんかが。
『それはごもっともな質問で。明日香様の私生活を密着した番組を覚えてるますか?』
ああ、そんな事もあったかな。
『その番組の中で、明日香様の通販に対する、とてつもない愛を感じたわけです』
「その番組は通販番組なの」
『ええ、ええ。そりゃもう視聴率もVRTV内随一です』
トップアイドルから通販番組か。まあ、私にはそれぐらいがお似合いか。
『詳しいお話は、本日午後五時より、詳しい場所はデータで送ります』
*
踊り出すような気持ちを隠す事ができなかった。
諦めかけた芸能界に戻る事ができる。
久しぶりにテレビ用のメイクをし、ハイヒールを履いて町を歩く。
しかも、通販番組なんて、これほど私に向いている仕事はない。
そこで人気が出れば、女優になるために卒業したという言い訳も嘘ではなくなる。
指定されたビルに向かう並木道には、今朝の雪が泥に紛れて残っていた。
でも……
出来れば、私を知っている人には見てもらいたくないかな。
華やかなあの世界に戻った時こそ。
―― 一瞬の出来事だった――
けたましく鳴り響く、車のブレーキ音。
目まぐるしく回転していく視界。
回転が止まった私の視界には、赤く染まった私の右腕が映っていた。
立ち上がって、急がなくちゃ。
手足は全く動かなかった。
視界に大勢の人の足元が見える。
痛みは全く無かった。でもその事は、私の体が致命的なダメージを受けた証拠だった。
滲んでいく視界。
泥に塗れた雪の上に、鮮やかな赤色がまるでレッドカーペットのように広がって行く。
ちぎれ飛んだ私の右腕に、あのブレスレットが見えた。
それは、一瞬、ドクンと震えた後にはじけ、幸せを呼ぶ黒い石が辺りに飛び散っていった。
私の視界は、その黒い石のように、漆黒の闇に飲み込まれていった。
*
分散する意識が統一されていく。
何もない闇の中で、徐々に形作られていく"私"というデータ。
分娩を終えた母親に抱かれる私。
家の中でままごとをして父親と遊ぶ私。
幼稚園の学芸会で、得意げに独唱する私。
運動会で、男子をごぼう抜きする私。
遊園地で弟の鼻をかんでやる私。
ピアノの発表会の私。
バンドのボーカルの私。
友達と笑いながら町を歩く私。
コンビニで買い物をする私。
アイドルとして歌う私の膨大な画像。
テレビを見て笑う私。怒り狂う私。泣く私。
駅のホームで花束を手に肩を落とす私。
これは、私を捉えた映像の数々。
父親が持ったビデオ。町中に設置された防犯カメラ。画像認識機能を持つテレビ。そして、ファンが手に持ったカメラ。
私の選択肢は、自動販売機で押すボタンですら、そのデータの中に溶けこんでいく。
それらの画像や選択は、私を構成する因子の集合体、ミームとなる。
ミームは、電子情報として、総ての集合体に同一化されていく。
"テラ・ネット"。もはや観測することさえ出来ないくらい膨大なデータの集合体。
そのシステムは、ただ一つの意識で、その作業を繰り返し続けていた。
『世界を再現すること』
まばゆく輝く集合体から、暖かい光が降り注ぐ。
私の体は、0と1の最小単位に変換され、消えていった。
そして、再構成が始まる。
*
「明日香様、お待ちしていました」
受付でソワソワと視線を動かしていた男性が、ワタシを捉えた。
「あ、私、電話を差し上げた小菅です」
男性は言いながら、名刺をワタシに渡す。
「なんか大きい事故があったみたいで、もしやと心配しました」
小菅に案内され、エレベーターの前に歩いて行く。
彼がエレベーターのタッチパネルに手を振れる。
エレベーターの制御システムにそのデータが送られていく。
ワタシは、一度目を閉じる。
再び目を開けると、エレベーターの扉が開き、小菅がその扉に入っていった。
「さあ、さあ乗って下さい」
エレベーターに乗ったワタシは、その室内を見回した。
天井に半球体のビデオカメラが設置されていた。
息を吸い込んだワタシは、彼に言う。
「また、テレビに出れるなんて! ワタシどんな仕事でもします」
驚いた彼が私を見上げて笑っていた。
ワタシがカメラに見られていること、それは、世界中の人々が、データの向こうでワタシが映るカメラを見ていることだから。
我妹子
見しともの浦の
むろの木は
常世にあれど
見し人ぞなき
(四四六 大伴旅人)