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極上の暇潰しをあなたに(超巨大仮想空間"テラ・ネット")

 肌を刺す冷たい風。

 高台にあるこの草原には風を遮るものなど何もない。


 コートの襟を立てて、空を見上げる。

 天空を覆い尽くす星の海。

 彼女はこれよりも美しい海を見ているのだろう。

 

 彼女と同じ星空を見ることが出来るのは今日が最後になる。

 たとえ、いくら果てしない距離が二人の間に横たわっているとしても。最後に彼女と同じ空を見ていたかった。


 ポケットから手を出し、腕時計を見る。

 

 そろそろか。


 手を擦り合わせ、またポケットに突っ込む。


 顔を上げようとして、眼下に広がる夜景が視界に入った。

 無数の明かりは、彼女から見れば星の様に見えるかもしれない。

 夜景の中、一際目を引くのは、空を突き抜けて伸びる一本の柱。

 普段は味気ない鉄の色をした軌道エレベーター。

 なにをとちくるったのか、いや、まだ人の中に明かりを求める習性が残っていたのだろう。

 今年からイルミネーションを始めたらしい。


 そういえば、彼女も楽しみにしていたっけ。

 クリスマスプレゼント、喜んでくれるかな。



     *



 国際宇宙開発財団からメールが届いたのは、やっと世間が落ち着いたころだった。


 まさに称賛の嵐。

 脳神経学者として、ニューロ細胞の研究をしていた私達のグループは、神経細胞の再生に成功した。

 まあ、そこまでなら画期的な発見として学会内で持て囃されるくらいだっただろう。

 グループの中にやたらネットに詳しい者がいて、その発見を利用して、バーチャル空間に記憶を再生した事から世の中はパニックに陥った。

 バーチャルリアリティーの中とはいえ、過去の記憶を再生するその技術は、革新的だった。

 あらゆる業種、企業が膨大な記憶の海に接続して情報を得、個人は、非現実的な偉人達の記憶を追体験した。


 部屋の片隅には、北欧で貰ったメダルが、祝福の造花にかこまれている。


 

 国際宇宙開発財団からのメールには、新しい宇宙開発計画への参加要望が記入されていた。


 新たな宇宙開発計画。それは、今まで誰もなしえていない画期的なものだった。


 木星への有人飛行計画。


 財団へアクセスした私は、計画の詳細を知り、参加の意向を伝えた。



     *



 国際宇宙開発財団の本拠地は、赤道直下の砂漠地帯にあった。

 私達のグループが到着した時、すでに計画は半ばまで進んでいた。

 世界各地から召集された抜きん出た頭脳の持ち主達。最新鋭の設備。


「君達に開発してもらいたいのは……」


 理事長室に案内された私達に、巨大な地球の画像の下に座った黒縁眼鏡の男性が語りかけた。

 国際宇宙開発財団理事長。巨額の富を産む宇宙開発事業を牛耳っていると言われる人物。


「まあ、一言で言うと、"暇潰し"だ」


「暇潰し?」


 皆が同時に聞き返した。


「そう。例えば、君の暇潰しは何かね」


 椅子から立ち上がった理事長は、眼鏡を布で拭きながら、私の前に立つ。

 まっすぐ向けた私の目線は小柄な彼の頭を超えていた。


「ジョ、ジョギングですかね」


 眼鏡をかけ、私の答に頷いた理事長は、メンバーの皆に同じ質問をして回った。


「もっぱら、読書」


「空いた時間はゲームをしています」


「筋トレ」


「テレビ」


「実は…… コスプレ」


 グループの皆が、俯いて答えた彼女を二度見する。あんな真面目な娘が。

 そういえばメンバーの暇潰しなんて聞いた事がなかった。


「まあ、この通り、君達のグループ内ですら千差万別な訳だ」


 和やかな空気の中、理事長は私達の前に立つ。


「今回の計画には、世界各国から三十三人もの宇宙飛行士が集められている」


 ようするに……。


「彼等の暇潰しを作ってやって欲しい」


 計画では、およそ七年に及ぶ航海になるらしい。

 七年間の暇潰しとなるとこれはなかなか難しい。


「千差万別の暇潰しをまかえるもの。それは、この地球を模したバーチャルリアリティーの世界の他に考えられない」


 グループのメンバー達は、顔を合わせた。

 いつか、やってみたい事であった。ただ、ハード的な事情で案は皆の夢物語になっていた。


「しかし、ハードはどうするのですか。メモリだけでもこの地上に作るには……」


 言いかけたメンバーが、あっ、と声を出す。

 莫大なメモリを保存する巨大なハードウェア。スペース、電力、温度調節、埃や虫への対策等々。確かに地上に作るには限界がある。


 そう、私達が作る仮想空間は、地上を離れ、広大な宇宙で展開される。


 宇宙空間。きちんと管理されれば、これほど理想的なハード環境があるだろうか。


「軌道エレベーター上では、宇宙飛行士を運ぶ船とは別に、ハードウェア専用の宇宙船を建造している」


 メンバーが私の顔を見ていた。言われなくても分かっている。


「分かりました。引き受けましょう」


 胸を撫で下ろした理事長は、机の上のベルを鳴らした。

 財団の制服を着た女性がメンバーの前に立ち、手に持った資料を開く。


「軌道エレベーターの使用は一月後となります。あなたがたはそれまでに、システムの開発を引き継いでいただきたい」


 女性は、資料を閉じると、少し表情を崩した。


「引き継ぎは二週間後に開始します。それまであなたがたは」


 女性は口に手をあてて笑う。


「宇宙飛行士達の暇潰しに付き合ってあげて下さい」


 呆気に取られて立ち尽くすメンバー。

 いや、一人、立ち去る女性に熱い眼差しを送る者がいた。


「制服、かっこいいですね」


 彼女はボソッとつぶやいた。



     *



 この作業の大変さに気付いたのは、調査を始めてすぐだった。


 各国の取材、勉強会、訓練にと、忙しい毎日を送っている宇宙飛行士達だったが、面接の始めこそ精神科の医者だと思われたからよかったものの、VRの専門家、しかも航海中の暇潰しを調べているとばれた途端……。話が一向に終わらない。


 魚釣りの話は、レポート数百枚。そのほとんどは、彼がいつか行ってみたい釣り場と釣ってみたい魚の話。

 ゴルフが趣味という彼は、世界各地の有名なゴルフ場について語る。どこそこのメーカーのクラブは云たらかんたら。

 まあ、中には、メンバーと意気投合した宇宙飛行士もいるらしいが。

 他人の暇潰しを聞く事がこんなに苦痛だったとは。


 その日は朝から、アニメの話を聞かされ続けた。この回の演出はなっていない。そもそもアニメ史における正統な魔法少女とは……。


 レポートをまとめて、気晴らしに走りに行こう。



     *



 砂漠の中に作られた財団の拠点は、人工の町なっている。

 夕日を受けながら、町の郊外の静かな公園をゆっくりと走る。

 やっと魔法少女にかけられた魔法(先鋭化した科学は魔法たる。魔法は科学の集大成。みんな勘違いしている。そもそも、魔法と魔術とは……)が溶けた頃、いつも休憩する東屋が見えてきた。


 やっぱりいた。

 

 息を切らして、ベンチに座り込む私は、東屋の端に座り、端末を見ている女性を見つけた。

 黒髪を器用に結い上げ、堀の深い茶色の瞳。

 いつもこの時間にここに座っている。

 理事長からもらったデータで知っている。内紛が絶えない国から選ばれて来た宇宙飛行士らしい。

 他の宇宙飛行士も彼女の事はあまり知らないらしい。


 女性の調査は女性が、と決めていたが、コスプレ好きのメンバーは「ありません」と面会を断られていた。


 今、暇みたいだしちょうどいいか。


 私は彼女に声をかけた。


 当然無視された。



     *



「走るのが好きなのですか」


 数日後、ベンチに倒れ込む私に彼女の方から声をかけてくれた。


「ストレス解消には走るのが一番いい、と思う」


 私を見上げる彼女の瞳に吸い込まれた。


「それは何となく分かります」


 始めて見せてくれた笑顔に、収まりかけた鼓動が早くなる。


「いつも、ここで……」


 汗を拭くふりをして目線を反らせながら言う。

 タオルの隙間から覗くと、彼女は持っていた端末の画面を私に向けていた。


「つ、通販?」


 画面には、ルームランナーとその値段が表示されていた。


 彼女は恥ずかしそうに頷くと、端末を抱きしめていた。


「私の国では考えられないシステム」


 言いながら、再び端末の画面に視線を落とす彼女。

 

 ネット通販にはまっているのか。

 しかし、彼女の同室の宇宙飛行士は、何も言ってなかったが。買った商品はどうしているのだろう。


「買った商品は全て国に送っているの」


 私は、タオルを握り締めた。


「今朝、学校の教師をしている弟から連絡があってね」


 彼女は私に瞳を向けた。


「戒厳令で外に出れないから、子供達に不満が溜まっているみたい」


 私は彼女の手の中の端末を見る。

 ルームランナー、二十台。


「でも、ルームランナーじゃ」


 思わず言葉が漏れてしまった。


「気持ち良さそうに走っているあなたを見ていたら、子供達の顔が浮かんで、ね」


 しかし、戒厳令の中、配達できるのかな。


「ふふ。それは、ほら、財団の、ね」


 なるほど、宇宙開発の富を独占する財団なら、あれ。


「心を読まれたって思ったでしょ」


 私の驚いた顔を見て、彼女は目を細めてクスクスと笑った。


「人の気持ちを想像するのが私の趣味なの」


 彼女の笑みに吸い込まれていく。昔、歴史で習った、東洋の微笑みに見えた。


「私の暇潰し」


 私は納得して頷く。

 しかし、心が奪われたとしても、これだけは言っておきたい。


「ルームランナー二十台は買い過ぎだろ」


 彼女は夕焼けのように顔を赤らめて、端末に顔を向けた。

 小さい子供がルームランナー二十台に乗って走っている様子は、一度見てみたい気もするけど。



     *



 作業は概ね順調に進んでいた。が、軌道エレベーターで宇宙船建造用の軌道ステーションで、メンバーと財団の間で問題が発生していた。


 軌道エレベーターからステーションに降りた私達に、財団は計画の真の目的を話した。

 木星に設置されている無人資源採取衛星の深刻な故障。

 人類のエネルギー源の三分の二を担う木星由来資源の枯渇。


 ハードウェア用の船は、ほとんどのスペースを資源運搬施設に占領されていた。


 長い議論の末、私達はハードウェア用のスペースの大半をタンクに譲った。

 それは私達が設計した超巨大仮想空間『テラ・ネット』に致命的な欠陥をもたらしてしまった。

 永続性の欠落。事実上、テラ・ネット内のメモリは一年間で初期化され、同じ一年間をまた繰り返していく事を意味する。


 だから、私達は財団に気づかれないように、テラ・ネットのデータに細工を施した。


 

     *



 それが私から彼女へのクリスマスプレゼント。


 そろそろ船が出る時間である。

 私はイルミネーションに輝く軌道エレベーターの先を見る。

 世界各国の喝采の中、三十三人の宇宙飛行士達が、遥か木星へ出発していく。


 私達がテラ・ネットに与えた物。まあ、よくよく考えれば、財団の意向通りかもしれないが。


 それは、休眠しているメモリを利用して、テラ・ネット内に、仮想のハードウェアを作らせるプログラム。

 

 テラ・ネットにも"暇潰し"を与えてあげただけのこと。

天の海に

雲波立ち

月の舟

星の林に

漕ぎ隠る見ゆ


(一〇六八 人麻呂歌集)

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