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誰も見たことのない物語(おなかペッコリ"アブデントシステム")

※一部に残酷な表現があります。苦手な方はブラウザーバックして下さい。

 思考に贅肉が付いている。

 社会では、君のような無駄な想像力は役に立たない。

 必要なものは、スマートな思考。

 そして、相手の要求とこちらの要求の妥協点を見つけながら、こちらの有利な状況を作っていくコミュニケーション能力。

 うちの会社に君のような人材が活躍できる場所はない。

 その思考の贅肉とだね、体に付いた贅肉、落とした方がいいよ。



     *



 圧迫面接。

 不況が続くこの業界では新卒採用を控える企業が多い。

 話には聞いていたが、やはりこたえる。



 寒風が身に染みる。


 まさに今使うに相応しい表現である。

 着慣れないスーツの上に着たコートの襟を立てた。

 もう何社くらい回っただろうか。

 葉の落ちきった木に囲まれた小さな公園のベンチに座り、鞄から端末を取り出した。

 予定表のアプリを起動し、今日の予定を選択する。


『15:00〜隅川文庫、二次面接』


 備考欄に×印を入れた。 ちなみに、これから数週間、面接の予定は記入されていない。


 やっぱり無茶だったのかなあ


 鉛色の空を見上げ、足を延ばす。

 昔から本を読むのが好きで、将来は出版業界で働くのが夢だった。

 出版に関わりながら、いつか自分で本を書いてみたい。

 大学は就職率の低さから敬遠されていた文学部に入り、ネットで創作小説を書いたりして過ごしていた。

 出版業界で必要な人材は、文字を書ける人材ではなく、コミュニケーション能力が高い人材らしい。

 

 コミュニケーション能力。いったいどんな能力なのだろう。

 まあ、俺に備わっていない事は明白である。



     *



 郊外の自宅付近には、今だ、今朝うっすらと積もった雪が、排気ガスに汚れて残っていた。


 冬はやはり早朝が一番いい。しんと静まりかえる凍った空気。白無垢の衣のごとく、うっすらと積もった新雪。空の僥倖を反射したそれは、いつもと違う空間にいざなってくれるようである。

 昼近くになるともう最悪。排気ガスで黒く変色した雪だった塊。靴を汚すだけのそれは、まるで、世間の荒波に汚された自分を見ているようで。


 歩道の端に寄せられた灰色の雪を避けながら、歩いて行くと、ジョギングをしている男性とすれ違った。

 そういえば、もう随分とジョギングをしていない。就職活動を始めたころからだから、半年くらいになるだろうか。


 ジョギングをすると、新しい物語のプロットが次から次に降って来る。物書きにとって、創作のヒントを得る状況は様々らしいが、俺にとっては、近所を走ることだった。

 小説家になる夢を諦め、就職活動を開始した段階で、創作はその邪魔にしかならなかった。


 とはいえ、この出っ張ってきた腹回りは少々醜い。しばらく面接も無いし、ダイエットでもしてみるか。 



     *



『おお! やってるねえ』


 黒縁眼鏡の男性が、ベッドで横になっている女性に近づいていく。


『ただ寝ているだけでいいっていうのが凄いです』


 ベッドから起き上がった女性が大きく伸びをする。

『それが"アブデントシステム"の凄いところ』


 男性は言いながら、寝室のセットから移動していく。

 移動先のデスクの上には、数本のベルトが置かれていた。


『この"アブデントシステム"は、特殊な高周波を常に腹筋に照射し、毎分一万回の振動を起こしているのです』


『よく眠れました。ダイエットをしていた感触は全く無いです』


 女性がパジャマの上にベルトを巻いて、男性の横に立つ。


 寝ていた、というわりには、完璧なメイク。昔は美人だったんだろうけど。


『さて、モニタールームでは、この"アブデントシステム"の愛用者の方々に来ていただいています。モニタールームの小菅さん』


 男性の呼び掛けで画面が切り替わる。真っ暗。


『小菅さん?』


 画面左下に分割表示された小窓の中で女性が心配そうに声をかける。


『……しー。』


 小声が聞こえた。薄明かりが点り、画面に男性のシルエットが映る。


『今、モニターの方々に"アブデントシステム"を実行していただいています』


 小声で話す男性の向こうには、布団が敷かれ、微かな寝息が聞こえる。


『今、彼等は毎分一万回の腹筋運動を行っているんだね』


 小窓に映った眼鏡の男性が小声で言う。


『では、モニターの方に話を聞いてみます』


 暗闇の中、布団で眠る男性にカメラが寄っていく。


『気持ちよく寝ているところすみません』


 布団の男性が目を覚ました。


『"アブデントシステム"の使い心地はどうですか』


『いやー、付けている事を忘れて熟睡しちゃいました』


 布団の男性は、上半身を起こし、布団を捲り上げた。ジャージの腰にベルトが巻かれている。


『もともと、90センチはあった腹回りなんですが、今ではほら』


 ジャージの下から、六つに別れた引き締まった腹が現れた。


『すごい! "アブデントシステム"以外には?』


『特に何も。ただコイツを付けて寝ているだけ』


 布団の男性が、腰のベルトを指差す。


『分かりました。お休みのところ失礼しました。続きをどうぞ』


 小菅と呼ばれた男性の言葉にピースサインをした男性は、また布団に潜りこんだ。


 画面はまた眼鏡の男性を映し出す。


『でも、ただ腹筋運動しただけじゃ、筋肉だけついちゃいそう。女性にはちょっと』


 女性が自分の腹回りを触りながら言う。


『そう、女性はそう思うよね。でも大丈夫。このAMSには最新の思考制御機能が標準装備されています』


『思考制御機能?』



 画面がCGに切り替わり、腹部に取り付けたAMSから発せられた信号が脳に届く様子が説明される。


『食に対するイマジネーションが食べ過ぎの原因。この機能はイマジネーションをコントロールし、食欲を抑制します』


『すごーい』


 カメラがスタジオに戻る。


『ただ寝ているだけで毎分一万回の腹筋運動! このおなかぺッコリ。総合ダイエットシステム、"アブデントシステム"。今なら年末総力特別価格……』


 俺は、画面に現れた認証エリアに手の平を当てていた。



      *



 数日後、滑り止めに受けていたネット関連書籍を扱う中小出版社から二次面接の案内が届いた。


 天気予報の通り、積雪3センチの雪を踏み締めて、駅に向かう。

 雪の為、数分の電車の遅れはあったものの、その会社の前には20分の余裕を持って到着した。


 会社に入り、受付で案内を受け、待合室に入る。

 溶けた雪で濡れたコートをハンガーにかける。 待合室内には、同じ受験生らしき男女五人の姿が見えたが、それぞれが距離を置いて座り、思い思いに過ごしていた。


 俺は明らかにスリムになったウェストのベルトを締め直し、窓際の椅子に座る。

 アブデントシステムの効果は確かなものだった。90センチあったウェストは80センチになり、それに合わせて体重も落ちている。

 体型の変化は精神にも大きな影響を与えていた。

 思考の贅肉が落ちたように頭の中が澄み渡っている。

 特に顕著なのが食事。食に対する考え方が変わり、その量が明らかに減っていた。アブデントシステムが単なる腹筋マシーンでわなく、総合的なダイエットシステムな所以なのだろう。


「本日は雪の中、弊社の採用面接に来ていただきありがとうございます」 


 待合室の扉が開き、スーツ姿の男性と、台車を押した女性が入ってきた。


「さて、弊社では、少し変わった採用試験を行っていまして」


 男性は、台車に載せられた四角い箱を取り出す。


「最新型バーチャルリアリティー装置です」


 四角い箱の中には、ヘルメットとゴーグルがはいっていた。


「もちろん、単なるVR装置ではありません」


 女性が台車に積んでいた箱を下ろし、受験者に手渡していく。


「違いは一つ」


 俺を始め、受験者達がヘルメットを受け取り、男性を見上げる。


「ログインした事実を忘れること」


 男性がヘルメットを被り、ゴーグルを着装した。

 受験者達は恐る恐るヘルメットを被っていく。

 ゴーグルを掛けた瞬間、目の前が暗転していった。



     *



 目の前には凄惨な光景が広がる。崩れ落ちた建物。ひっくり返り炎を吹き上げる車。火薬の臭い。肉が焼ける臭い。人の形をした黒い塊。


「テロだ!」


 背後で誰かが叫ぶ。

 振り向くと、全身血だらけの人間が膝を地面に付けていた。


 テロ……。


 目の前が暗転する。



     *



「やっと気がついたかい」


 頭を揺すって目を開いていく。窓から差し込む光に目を背けて体をよじる。

 体が椅子に縛りつけられていることに気がついた。


「君は……、なかなか面白いことになっているね」


 声のは光の中から聞こえた。顔は逆光で見ることができない。


「なるほど。想像力を無くすことによって食欲を抑制しているのか」


 やっと視界が明るさに慣れてきた。

 どうやら、打ち捨てられたオフィスの一室らしい。


「想像力とは、脂肪細胞と似ていてね。内容量は変化しても器の大きさは変わらない」


 何の話をしているのか。身を激しく揺する。

 後頭部に金属の筒が触れた。


「私はね。この国の将来を憂いている人間の一人なんだが」


 脳裏にさっき見た悲惨な光景が蘇る。


「私の手元には、この国を破壊するに十分な兵器がある」


 男性は窓の光の中で話続ける。


「これから私が君にする質問への答によって今後の進み方を決めようと思う」


 要するに、俺はこの国の代表なわけだ。


「ど、どうして俺が」


 震える唇から、なんとか声を絞りだした。


「君は、私達が行った行為をその目で見ていた。もう他人事ではない。そんな君の答が聞きたい」


 男性は窓に背をもたれかける。


「君はテロについてどう思う?」


 テロ行為を許すことなどできる訳がない。いかなる非道な行為を受けても、それに屈してはいけない。


「ふむ。実にスマートな答だな」


 男性は窓から離れると、ゆっくりと俺に近づく。


「君は、ちょっと重なってるねえ。特別にオリジナルの君の意見も聞いてあげよう」


 いつからいたのか。男性が顔を向けた方向には、椅子にくくり付けられた男性がいた。いや。あれは俺自信。ダイエットを始める前の肥満体の俺。


「テロ行為は……、絶対に許すことはできない」


 肥満体の俺は、とぎれとぎれにゆっくりと話始めた。


「でも」


「でも?」


 男性が聞き返す。


「でも、テロを行った国の事を俺達は知らなさすぎる、と思う」


 思考の贅肉。悪であるテロには正義を持って毅然と立ち向かうべき。それが、スマートな考え方だ。


「君が語った言葉は君の言葉だったかい?」


 俯いた視線を上げると、男性の影は俺の正面にいた。


「荒廃した大地。生まれては死んでいく子供達。それに比べ、フェンスの向こうには、プールで楽しそうに泳ぐ家族。圧倒的な武力の差。俺達はどうすればいい?」


 そ、そんな事、俺に分かるはずがない。


「コミュニケーションの基本は何か分かるか?」


 男性の質問に俺は首を振った。


「相手を理解すること。相手の気持ちを想像すること」


「でも、でもテロはいけないって国際的にも」


 体を震わせて俺は叫ぶ。


「そんなことはみんな知ってる」


 男性は再び窓際に移動していく。


「大国は常にダブルスタンダードだ。表面上の言葉に惑わされてはいけない」


「でも、でも」 


 ガタガタと椅子を揺らす俺の背中に金属の筒が当たる。


「コミュニケーションに必要なものは、相手の心の中を想像する事。そして自分の言葉で話す事。そんな事も失ってしまったのなら、やはりこの国はもうダメだな」


「でも……」


 俺は椅子を揺らし続ける。


「もっと思考に贅肉をつけなさい」


 男性の言葉とともに、俺の背中から銃声が聞こえた。



     *



 結局、あの出版社には落ちてしまった。


 その後、俺は特に出版社にこだわらず、様々な業界の勉強をして就職活動を続けた。


 たまたま、小さな食料品店に就職することができた。

 面接では趣味として、創作活動の事を話し、ドン引きされたと思っていたが、その企業では、フリーペーパーの執筆をできる社員を探していたらしい。

 


 今日も早朝からジョギングをしたおかげで、次から次に文章が浮かんでくる。



 やはり冬は早朝が一番気持ちがいい。 無垢な白銀に残されたこの足跡は、まだ誰も見たことのない、俺だけの物語だから。

防人に

行くは誰が背と

問ふ人を

見るが羨しさ

物思ひもせず


(四四二五 防人の妻)

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