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思い出は紫煙の向こうに(断煙補助装置 "Alienate Smoking Machine")

 愛煙家にとって最も嫌な季節がやってきた。

 窓を叩きつける寒風。天気予報は、雪の予報。


 二人の娘を寝かしつけ、妻が風呂に入った隙をついてジャージの上にコートを羽織る。

 壁に掛けていた鞄からタバコ、ライター、そして携帯灰皿を取りだし、リビングの掃き出し窓に向かう。


 手を触れた窓枠から外の寒さが分かった。

 意を決して窓を開け、ウッドデッキに出る。

 暖かい部屋の中からは想像も出来ない程の寒さ。コートのポケットに両手を突っ込み、身震いする。


 ライターの火をくわえたタバコに付け、おもいっきり煙を吸い込む。

 窓から漏れる明かりに紫煙が浮かび上がり、風に流されていく。

「いやな季節になりましたなあ」


 声の方を見ると、パジャマの上にダウンを来た男性が勝手口の外に座っていた。裏に住む北口さんである。

 北口さんは彼が吐きだした煙をぼんやりと眺めていた。


「まったく」


 煙を吸い込みながら、また寒さに身を震わす。


「深夜には雪になるみたいですね」


 また別の方向から声が聞こえる。隣に住む中川さん。

 屋根付きのガレージに置いた中型バイクに跨がり、煙を吐き出していた。


 深夜恒例となった井戸端会議ならぬ煙端会議。

 郊外のミニ開発で数軒立てられた新築の中、今では珍しい喫煙者が三人、たまたま顔を合わせたのが始まりだった。


「あれ、どうなりました?」


 北口さんが、ガラスビンの灰皿に灰を落としながら言う。


「いやー、北口さんの言った通りでしたよ」


 私は頷きながら、煙を吐き出す。


「うちの業界ではよくある事です」


 年齢も近く、分野は違えどもみな同じ営業職に就いていた。

 仕事の悩み、家庭の悩み、この場所ならば、肩意地張る事無く気軽に話す事ができた。


 その後、それぞれの家族の年末事情を披露しあい、三本目のタバコを灰皿ににじり入れ、部屋に戻った。


『あれ、どうしたの? 浮かない顔して』


 暖房の効いたリビングでは、風呂から上がった妻が髪を拭きながらテレビを見ていた。

『実は、ちょっと悩みがあって』


 テレビの中、いつものスタジオ。やたら若作りの目立つ女優がため息をつきながら目を伏せる。


『僕と君の仲じゃない。なんでも相談してよ』


 スーツ姿の中年男性が女優の横に座る。


『実は、彼氏がタバコを辞めれなくて』


 テレビから聞こえる声に、私は冷蔵庫を開けながらビクリと体を震わせた。


『喫煙罪が出来て禁止される国もあるのに、この国は遅れているからねえ』


 中年男性の言葉に頷く女優。


『免許証は持ってるみたいなんですけど、なんとか辞めさせたくて』


 ビールのプルタブを引きながら、テーブルに座った私は、横目で妻の背中越しにテレビに視線を送る。


『そんな、貴方のような方にちょうどいい商品があります』


 妻は、髪の毛を拭く手を止めてテレビに見入っている。


『今回紹介する商品はこれ!』


 テーブルの下から男性が持ち上げたのは、サングラス。


『断煙補助装置、Alienate Smoking Machine。略してASM!』


『彼氏は、本とか、薬も試して無理だったんですが』


 私自身、喫煙が免許制になってから、毎年の更新がめんどくさくなっていたこともあり、何度か断煙に挑戦していた。

 断煙は本人のやる気次第。私は今の生活に満足している。

 冷めた笑みを浮かべながらビールをコップに注ぐ。


『このASMは今までの断煙補助とは一線をきす物になっています』


 男性はサングラスを持ち、画面に自信に満ちた笑みを送る。


『これまでの断煙は、タバコの恐さばかりを強調するものばかりでした。それに対し、このASMは、意識の中からタバコの存在すらを消し去ってしまうのです』


『そんな事が出来るの?』


 画面を一瞥した後、女優が尋ねる。


『ええ。このASMは、意識の中からタバコを吸うという習慣だけを無くしてくれるのです』


 妻が画面に近づいていく。私はビールを口に入れ、固唾を飲み込むようにビールを喉に流し込んだ。


『では、実際にASMを使用したモニター達のインタビューをどうぞ』


 画面には異常な本数のタバコを吸う男性達が映しだされる。モニタールームに煙が充満し、ハッキリと彼らの顔が見えない。


 とにかく、これはまずい展開である。話題を変えなくてはいけない。


「今年の年末なんだけどさ」


「黙って!」


 妻の力強い一言に私は俯き、コップを握りしめた。


 サングラスをかけたモニターの男性達。全員が一週間で断煙に成功した。


『世界が変わってみえますね。まさに霧が晴れたみたいです』


『食べ物が美味しくてね。ついつい食べすぎてしまったよ』


『一日一時間だけ、しかもこの眼鏡をかけるだけというのがいいね』


 満面の笑みのモニター達。


『というわけで、ヘビースモーカー達の断煙成功は100パーセント』


 画面がスタジオに切り替わる。


『凄い効果ですね』


『断煙補助装置ASM。今なら年末決算特別価格……』


 妻がゆっくりと振り返り、私を見る。魅惑のアルカイックスマイルを浮かべて。



     *



 ASMを購入して一週間、私は断煙に成功した。

 モニターでは一週間かかっていたが、私の場合は装置を使用して二日目にはその効果が出ていたらしい。

 らしいというのは、タバコを吸っていたことすら覚えていないから。断煙した事すら、妻に言われるまで忘れていた。


 覚えていないという表現には語弊があるかもしれない。実際には上書きされたと表現するべきなのだろう。

 ASMを装着すると、目の前に、過去の記憶が再生される。ただ再生されるだけでなく、その記憶の中の私はタバコを吸っていない。

 家族との楽しい思い出、悲しい別れの思い出、なんでもない日常の風景。それらすべてからタバコが消え、その映像が際限なく繰り返されていく。


 思い出を映像化する技術は少し前に話題になった事があった。

 ノーベル賞ものと雑誌やテレビで随分取り沙汰されたものだが、このASMはその技術を応用したのだろう。思い出を改変できるとは大した技術である。


 とにもかくにも、会社から帰った私は、何よりもこの装置を付けたくて堪らなくなる。

 思い出の中、妻は若く美しく、子供達はパパ、パパとしがみついてくる。

 タバコ? そんな物吸うわけないじゃないですか。こんな美しい思い出を煙でけむらすなんて勿体ない。



     *



 今日は本社へ出張である。いつもより早く家を出た。

 白い息を吐きながら、足早にバス停に向かう。


 バス停に着くと、見覚えのある顔を見つけた。

 確か……、そう、家の裏に住んでいる人。

 ミニ開発の新築同士のため、あまり付き合いはないが、目があったので会釈をした。

 彼は驚いたように私を見てから会釈をする。

 まあ、名前も分からないし、特に話す事もない。私はそのまま、バスを待つ列の最後尾に並んだ。

 チラチラと私を見る彼の視線が気になる。


 気持ち悪い人だな。


 私はわざと視線を合わせずにスマートホンを取り出した。



     *



「……た」


「あなた」


 呼び掛ける声に気付き、ASMを外した。


 去年の夏、家族で行った海の思い出に浸っていたのに。


「あなた、お義母さんから連絡があって、明日お墓の掃除をするって」


 そういえば、毎年12月になると墓の掃除をしていた。


「墓掃除か」


 ソファに座ったまま頷く。

 そして首を傾げた。


 はて、誰のお墓だろう。


「なあ、それって誰のお墓だ?」


 私の質問に呆気にとられた妻は、私に向き合う。


「誰って、あなたのおじいさんでしょ。どうしちゃったのよ」


 お祖父さん? 必死に記憶を辿るが、全く思い当たるふしがない。


「どうしたのよ。"タバコのおじいちゃん"じゃない。ホントに大丈夫?」


 健忘症と勘違いしたのか、妻が心配そうに私の目を覗き込む。


 "タバコのおじいちゃん"

…………


 心の一番奥。私の中の最も古く、大切な思い出。どいして忘れてしまったのだろう。


 タバコの匂い。


 ヤニで黄色くなった歯。

 葉タバコのつんとした独特の香り。


 ゴツゴツした手。その手にはいつもタバコが挟まれていた。


 そのゴツゴツした手でいつも力一杯私を抱きしめてくれた。


 生まれて間もなく両親が離婚した私にとっては、父親そのものだったはずなのに。


「どうしたの、泣いてるの?」


 妻が私の肩を掴み、前後に揺らした。


 時代は移ろうとも、忘れてはいけない大切な思い出がある。

 私を私たらしめる思い出。

 それは決して不変なものではなく、とても不安定で掴みがたいもの。


 タバコの匂いが染み付いた、ゴツゴツした手。あの手が私を育ててくれた。

 懐かしい手触り。そしてタバコの匂い。


 私は目を擦ると、妻に向かって頷いた。


 断煙は、やはり自分の力でしなくてはいけない。




     *



「…… というわけでお墓にタップリとタバコを供えてきましたよ」


「そりゃ、じいさんも喜んでるだろな」 


 中川さんが笑いながら煙を吐き出す。


「あの世行ってもタバコ吸ってるんだろな」


 勝手口に座った北口さんがしんみりと言う。



 恒例の煙端会議。


 断煙はなかなか進まない。


 私は星空に消えていく紫煙をぼんやりと眺めた。

あな醜

賢しらをすと

酒飲まぬ

人をよく見ば

猿にかも似む


(三四四 大伴旅人)

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