人の心を計るもの(ラブラブライフチェッカーDX)
「いらっしゃいませ」
今日はやたらと客が多い。しかもカップルばかり。 にこやかに接客はするも、さすがに面倒くさくなってきた。
軌道エレベーターの麓に作られたショッピングモール内、高級ブランド店が立ち並ぶ駅近くから少し離れたこのフロアには、安物雑貨、衣服の店が並んでいた。
フロア中ほどに位置する雑貨屋『赤煉瓦』。私がこの店でアルバイトを始めて三年になる。
年末が押し迫ったこの時期、何故かやたらとカップルが店にやってくる。
アンティークの燭台を買っていったカップルを追い出すとやっと店内に静寂が戻った。
「ご苦労様。やっと一息付けるわね」
商品棚を整理している私に、店長が声をかける。
年齢は40手前。独身。行き遅れと自嘲しているが、年齢よりかなり若く見え、身なりも常に小綺麗にしている。
彼女は、美しくウェーブのかかった黒髪を掻き分けて私に笑いかけていた。
「お客様が多いのはいいんですが、カップルばかりなのが」
頬を膨らませて商品を整頓する私に、彼女は、くくっと上品に笑う。
「カップルが羨ましい?」
手にしていた、陶器の置物がカタンと音を立てる。
「そ、そういうわけではないですけど」
「いいものあげようか?」
店長は、エプロンのポケットから四角い端末を取り出した。
手の平に乗る大きさ、ピンク色の枠に囲まれたディスプレイ。どことなく見覚えがあった。
「それって、確か」
昔、子供達の間で流行ったゲーム。名前は……。なんか恥ずかしい名前だったような。
「ラブラブライフチェッカー」
店長は恥ずかしげもなくその名前を言った。
「それって、子供の」
店長は人差し指を顔の前に立て、舌打ちをしながら左右に振る。
「これはね、ラブラブライフチェッカーDX!」
「ラブラブライフチェッカーDX?」
「そう。ラブラブ……、まあ、とにかくデラックスなわけよ」
「はあ」
煮え切らない返事をしながら、店長から押し付けられた端末を眺める。
「昔、通販にはまってた時に買ったんだけど、結構面白いよ」
「すみませ〜ん」
店の入口から女性の声が聞こえた。
「じゃあ、がんばっていい人みつけなさい!」
私の背中をパンと叩いた店長は、営業スマイルを作る。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり見ていって下さい」
店長に促され、カップルが店内に入って来る。
私は、あわてて端末をエプロンのポケットに入れた。
*
満員電車の中、曇った窓ガラスを眺めながらスマートホンを取り出そうとポケットに手を入れた。
スマートホンより随分小さな端末に指が触れた。
店長に貰ったラブラブライフチェッカーDX。
ポケットから取り出して、何気なくディスプレイに触れてみた。
『認証完了』
文字が浮かび上がる。いい年して、おもちゃで遊んでいるのは少し恥ずかしい。
電車が揺れるのにあわせて、体を揺らし、辺りを見回す。通勤帰りの人々で混雑する車内、皆スマートホンに目を落としていた。
『ラブラブライフチェッカーDXをご利用ありがとうございます』
画面に文字が流れていく。
『あなたの人生の岐路をお知らせし、最適なルートをお知らせします。最初にコースを選択してください』
子供の頃に遊んだラブラブライフチェッカーは、片思いの異性との相性を教えてくれるだけだったのだが。
『恋愛コース☆、人生コース★』
もちろん恋愛コースを選択した。
早速、端末が震える。端末にピンク色の文字が映し出されていた。
『!!人生の岐路です!!』
「えっ」
思わず声が漏れた。我に帰り、回りを見渡す。どうやら電車の音に紛れて誰にも聞かれていないらしい。
吊り革を握り直し、画面を見る。
『西口★★★★★、中央口☆☆☆☆☆』
なんの事だろう。
首を傾げたところで、降りる駅がアナウンスされた。ラブラブライフチェッカーDXをポケットにほうり込む。
電車が止まり、人込みに押されるようにホームに降りた。車内と打って変わり、凍えるような空気に包まれる。
いつものように、バス停留所に近い改札に向かうが、何やら人垣が出来ていた。
『改札端末故障中』
改札の天井にホログラムの文字が浮かび上がっていた。
「西口にお巡り下さい」
駅員が拡声器で叫び、乗客から不平の声が上がる。
しかたなく、ぞろぞろとホームを歩く乗客達。この調子だと、バスを一本遅らせなくてはいけない。
白いため息をつきながら『西口』の改札を通過する。
西口……、まさかね。
バス停留所に向かいながら、ラブラブライフチェッカーDXを取り出す。
画面には何も表示されていない。
まさかね。
*
『奇跡ってあるのよねえ』
スマートホンの向こうから興奮した声が聞こえる。
ベッドに寝転がり、適当にネットを眺めていると、高校時代からの友人から着信があった。
『坂本先輩、覚えてるよね』
私がマネージャーをしていたサッカー部の一年先輩。絵に書いたような、女子憧れの的。
『駅の中央口が事故って聞いてたから、西口から出たんだけど』
友人はたまたま私と同じ電車に乗っていたらしい。
『バスに乗って、ふと気付くと、隣が坂本先輩だったの』
私はスマートホンを耳に当てたまま、ベッドから降り、机に向かって座った。
『でね、なんか昔の話でもりあがっちゃってさ』
友人の言葉が耳を素通りしていく。耳を素通りして、それは、胸の中で弾けていく。
そんな美人でもない私は、坂本先輩に憧れるその他大勢の一人のはずであった。
でも、卒業を控えたあの日、春の日差しの中、先輩は私を近所の公園に呼び出した。
初めて受けた告白。あまりに突然だったので、私は返事もせずに駆け出してしまった。
彼は、いつも最後まで残って、ボールを磨き、部室を片付け、花を飾る私を見ていてくれていた。
プロリーグに受かった暁には、一緒に来てほしいと言ってくれた。
結局、私は動く事ができなかったけど。
『彼、怪我してサッカーは引退したの。今はチームの会社で営業職してるみたい』
そっか、引退したんだ。地元からプロサッカー選手が出たって話題になっていたのに。
『仕事の不安とか聞いてあげてたら、また会おうって』
顔を赤らめた友人の姿が簡単に想像できた。
あの時、西口に向かっていたら。
くだらない想像に頭を振った。
*
「ちゃんとご飯食べていきなさい!」
結局、昨日の晩はよく眠れなかった。おかげで大寝坊をしてしまった。
懐かしい高校生時代の思い出に浸ったせいもあるが、気になったのはコイツ。
寝不足の顔が映る鏡の下には、ラブラブライフチェッカーDX。
まるで未来が見えていたような。
「今日は随分ゆっくりだな」
鏡に寝起きの父親が映っていた。
「お父さんこそ」
いつもは私よりも先に家を出ているはず。
「なんか体調悪くてな、今日は昼出勤にしてもらった」
「ふうん。年なんだからちゃんと病院行きなよ」
父親は、笑いながら寝癖の付いた髪を掻きむしっていた。
歯を磨き、母親が焼いてくれたパンを口に加えて家を飛び出した。
コートの中から振動が伝わる。
『!!人生の岐路です!!』
取り出したラブラブライフチェッカーDXの画面にはピンク色の文字が浮かび上がっている。
『走る☆☆☆☆☆、歩く★★★★★』
少し迷ったが、仕事に遅れるわけにはいかない。
でも……。
その場で足踏みをした。
……やっぱり遅れるわけにはいかない。
身が引き締まる冷たい空気を一杯に吸うと、私はバス停に向かって全速力で走りだした。
ちょうど停車していたバスに乗り込み、上がった息を整える。
発信したバスの窓の向こう、バス停に走り寄りガックリと肩を落とす男性が見えた。
坂本先輩だった。
*
気もそぞろなまま店は閉店の時間を迎えた。
「なんかネットで、24日を恋人の日にしようって話になってるみたいね」
商品棚に網を掛けていく。
「ねえ、聞いてる?」
店長が私の顔を覗き込む。
「あ、はい。恋人の日ですか、どうりで」
心配気も私を見る店長に笑顔を向けた。
「でも、どうしてそんな日に」
ひとりごちながら、私はポケットに入れたラブラブライフチェッカーDXを握りしめた。
*
帰りの電車を待つホーム。
スマートホンが着信を告げた。母親からだった。
『どうしよう。お父さんがたおれちゃったみたいなの』
今まで聞いたことがない、母親の泣き声。
「分かった。取り敢えず急いで帰るから。お父さんは病院?」
『うん。早く帰ってきて。私、もうどうしたらいいのか』
電車に飛び乗り、扉の直近に立つ。
窓に映る自分の顔が自分でないように感じた。
私が落ち着かなくちゃ。
頷いた私は、振動するポケットに気が付いた。
ラブラブライフチェッカーDX。
『!!人生の岐路です!!』
『バスに乗る☆☆☆☆☆、歩く★★★★★』
そのまま、ポケットに突っ込む。
振動を続けるポケット。再びラブラブライフチェッカーDXを取り出す。
『!!恋の最終通告です!!』
端末を握りしめて、それを肩に掛けていた鞄にほうり込んだ。
後悔ばかりが思い浮かぶ。
朝、父親の異変に気付いてやれなかったこと。もっと強く病院に行くよう勧めなかったこと。
恋愛コースじゃなく人生コースを選ばなかったこと。
窓に映る私の顔が滲んでいく。
電車を飛び降り、バス停留所に向かって走る。
鞄の中でラブラブライフチェッカーDXが激しく振動していた。
お願い。もういいかげんにして。
バスに飛び乗り、祈る様に鞄を抱きしめた。
振動が止む。
ふと顔を上げて、窓の外を見る。
駅前のコンビニの前、坂本先輩が友人と話している姿が見えた。
*
「どうだった? いい恋見つかった?」
閉店間際、客がいなくなった店内で、私は店長にラブラブライフチェッカーDXを返した。
私は首を振りながら、スマートホンを取り出した。 待ち受け画面には、病室のベッドでピースサインをする父親と私。あの日、病室から、入院準備のため家に残った母親に送った画像。
「恋愛と人生って共存できないんですね」
私の言葉に店長は小さく笑った。
「まあ、人それぞれだからね。私も行き遅れちゃったし」
ラブラブライフチェッカーDXは再び店長のポケットに戻っていった。
「軌道エレベーターのイルミネーションもあるみたいだし、一緒に行ける人見つかるといいね」
「はい」
笑顔で頷く私を見た店長は頷くと、私に背を向け、ふと足を止めて振り返る。
「あ、そうそう」
商品棚の整理を始めた私に店長が話かける。
「24日が恋人の日になった理由なんだけど」
*
昔、この国に一年に一度だけ、会うことを許された恋人達のお伽話があったらしい。彼等は、銀河の川の両岸に別れて暮らし、一年に一日だけ、その川に橋がかかり会うことができる。
一年で一番長く二人が会える日。それは一番夜が長い日。
恋こがれ、お互いを思い暮らす事が恋愛ならば、一年に一度、顔を合わせて愛を交わした次の日こそ、恋人の日に相応しい。
あしひきの
山のしづくに
妹待つと
我れ立ち濡れぬ
山のしづくに
(一〇七 大津皇子)